このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ローカル私鉄紹介
下津井電鉄 更新 1997.4.6 PAGE 2
(2) 雨の下津井電鉄
数年後の正月に再び下津井電鉄を訪ねました。この時はひどく雨が降っており、もやの中を下電は走っていました。 写真は全てモノクロです。
鷲羽山駅にて
鷲羽山駅ではこの様な天候でもあり乗り降りする乗客は皆無でした。
ホームでは壊れた雨戸井より雨水が激しく降り注いでいました。
下津井電鉄で実際に旅客輸送に使用されていた電車は6両、3編成でした。
ワンマンカーのモハ1001、 1両編成で後に“赤いクレパス号”として人気者になりました。
ワンマンカーのモハ1001
2両編成のモハ103+クハ24、私が訪れた時はモハ1001と交互で使用されていました。
モハ103+クハ24
3両編成のモハ102+サハ2+クハ22、この編成の電車は下津井駅に止められていることが多く多分、朝夕の混雑時に使用されていたと思われます。
3両編成の中間車サハ2
サハ2は軽便時代の栗原電鉄から移籍してきた車両です。
クハ22(手前)、クハ24(中央)、クハ5(奧)
又保存車両として以前は車庫の中で放置されていたクハ5、ホジ3が下津井駅のホームに展示されていました。
この時でも路線が茶屋町まであった頃の痕跡を見ることができました。
写真の奧の倉庫?には廃止になった区間の駅の 駅名板や時刻表が無造作に置かれていました。
写真の駅名板をよく見ると“ふじと”となっており廃止となった藤戸駅の駅名板であると思われます。
下津井駅構内の台形貨車
又これらの遺物に埋もれる様に古い台形の貨車が置かれていました。この貨車をよく見ると“クフ2”の表示が見えます。
下津井駅の改札口
下津井駅の駅舎は閑散としており雨音だけが響いていました。
ここで下津井電鉄開業の歴史を振り返りたいと思います。
下津井は宇野線が開通する1910年(明治43年)までは四国への連絡港として、金比羅参りの人々などで賑わいその繁栄ぶりは民謡“下津井節”にもなったほどです。
ところが、宇野線の開通により人の流れは宇野へ変わりつつありました。
この対抗策として鉄道を敷設する必要があり誕生したのが下津井軽便鉄道です。
1913年(大正2年)に茶屋町〜味野(児島)間が開通し、1914年(大正3年)には全線が開通しました。
国鉄が宇高連絡線を就航させると軽便鉄道では対抗しきれなくり四国への連絡路線としての役割はだんだん小さくなって行きました。
下津井駅を出発するモハ1001
そして1949年(昭和24年)に電化され下津井電鉄に改称されました。
その後、1972年(昭和47年)に茶屋町〜児島間が廃止され、1991年(平成3年)全線が廃止となりました。
児島付近を走るモハ103+クハ22
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |