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ローカル私鉄紹介
下津井電鉄 更新 1997.4.6 一部修正 1998.11.23 PAGE 3
(3) 変わりゆく下津井電鉄
1984年(昭和59年)の正月に三度、下津井電鉄を訪ねました。この時は以前に比べると雰囲気は変わりつつありました。
下津井電鉄は今も残る軽便鉄道として幾度か雑誌や、テレビで取り上げられ知名度は高くなっていました。
又ワンマンカーのモハ1001は落書きができる“赤いクレパス号”として下電の看板電車になっていました。
赤いクレパス号
又瀬戸大橋の建設も完成をめざし本格化していました。
遠くに建設中の瀬戸大橋橋脚を望む
この瀬戸大橋の完成により下津井は四国への玄関口として復活するものと期待されていました。一方、下津井駅構内は整備されていましたが以前と変わらない光景がありました。
下津井駅、赤いクレパス号
この時、3両編成のモハ102+サハ2+クハ22はなぜか姿がありませんでした。
下津井駅、駅舎
駅の事務所には正月らしくおとそが用意されていました。
下津井駅内の事務所
下津井駅に停車する赤いクレパス号
下津井駅を出発する赤いクレパス号
下津井駅の次の東下津井駅は下津井の昔の町並みの山沿いにあり隣接する踏切より瀬戸内海と町並みを一瞬であるが一望できました。
東下津井駅に到着
東下津井駅に停車
東下津井駅を発車
東下津井駅の踏切から
鷲羽山は鷲羽山駅より歩いて約25で登れ瀬戸内海を一望できます。又ここは下津井電鉄の撮影場所として有名でした。
瀬戸内海をバックに走る
山沿いを走るクハ24+モハ103
この様に下津井電鉄は海有り山有りの美しい路線を走っていた鉄道でした。
下津井電鉄は瀬戸大橋の完成後、観光鉄道として生き残りをかけましたが、瀬戸大橋完成から3年後、瀬戸大橋の観光ブームが去ると共に1990年(平成2年)末に鉄道部門は廃止となりました。
瀬戸大橋完成直後、瀬戸大橋を利用しましたが、巨大な大橋を渡る直前、小さな下津井電鉄の線路が一瞬見えました。これが、かつて四国への連絡路線として作られた鉄道であることを知っている人はほとんどいなかったでしょう。
又四国への連絡も瀬戸大橋を利用すれば20分もかかりません。下津井が四国へ渡る前の宿として栄えた当時とはあまりにも様相が異なり、同じ繁栄を望むべきもありません。
この様に下津井電鉄は四国連絡の変遷の中で誕生し、翻弄されながらも行き続けた鉄道であり、私が見た中で最も魅力的な鉄道であった思います。
赤いクレパス号
夕暮れを行く下津井電鉄、東下津井にて
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