伊賀上野城
伊賀上野-安城 走行距離126.8km '05.09.18
13:27分に伊賀上野駅に到着した。 ここで新大阪から使ってきた乗車券ともお別れだ。 忍者と芭蕉の地、伊賀上野の提案をしたのは相方だった。
荷物をコインロッカーに入れ、 バス停やらタクシー乗り場を見てると。 バスもタクシーもあった。 バス停でドコ行きのバスか見てるとバスは発車してしまった。 と、タクシーさえも行ってしまって、駅前ロータリーに 我々が取り残されたのだ。 仕方ないので、タクシー乗り場に掲載されていた会社に電話しタクシー呼び 伊賀上野城へと向かうのであった。
連休中日と言うことか、お城には観光客が多かった。 入場して天守閣まであがって市内を一望してみる。 この城を中心に盆地が広がっている様な気がした。 城を見学し終わって、次にメインの忍者屋敷へと向かう。 庭園ではパイプ椅子が並べてあり、何事かイベントの 準備の模様だった。
忍者屋敷には過去一度行ったことがあった。 昔金沢で観光したとき、忍者寺かに行き、 そこで様々なからくり仕掛けを体験したのだ。 今回、相方が是非といい、私も賛同してこの場に来たのだ。
初秋の晴れの連休日、果たして忍者屋敷は大盛況であった。 イベントとも重なって、忍者ショーなども開催されているらしく、 親子連れや団体さんでズラ〜っと列をなしている。 券売り場の係りに聞くと、入場制限していて40分くらいの待ち と言われた。 其処まで待つと、次の列車に間に合わないし、名古屋人との 待ち合わせにも響いてくるので泣く泣く忍者屋敷は断念した。
半ば傷心で駅方向へと戻ることにした。 てくてく歩く。天気が良いだけに、歩くと汗はダラダラだ。 途中からバスに乗り駅へと再び舞い戻った。 そのバスを降りる際に、相方が財布を忘れてきたという。 必死になって去ったバスを追いかけ、どうにか戻ってきた。
なんか裏目裏目の伊賀の街だったが、 駄菓子やアメリカンな雑貨が混在する商店で飲んだラムネは旨かった。 しばしの時間があるので、近鉄の上野線ホームに佇む車両を撮ってみた。 近鉄と言えば、二階建ての特急くらいの知識しかないので、 余計に哀愁を感じさせられた。
15:46発でまた亀山に折り返す。車両はロングシートの 近郊用だった。個人的感想だが、ロングシートは嫌いである。 だって車窓見にくいし。 それでもドコでも眠れる相方は眠っていた。 乗って折り返すだけなのでこちらもウトウトとなる。
相方をたたき起こし、亀山で乗り換える。 今度は16:45発の名古屋行き電車だ。 なんかJR東海の車両って特急も普通も 白車体にオレンジのラインのカラーリングで同じに見えた。 せめて特急と普通との区別はあった方が面白いと思うけどなぁ。
ボックス席に座り車窓を眺める。 カタコトカタコト田園地帯を走ってると、気球の大群が現れた。 乗客も何事かと窓の外の光景を眺めている。 九州佐賀でもこういうバルーンの祭典などあるが、 実際気球が浮いているのは初めて見た。河川敷には沢山の 気球屋さんがいる。
田園風景から段々と煙突が乱立する景色へと変化してゆく。 四日市の工業地帯に入ったのか。 社会の授業でもおなじみの太平洋ベルト工業地帯の一端を担う、 重化学工場も多いとこだ。 この沿線になると工場からの引き込み線も多くなり、 機関車に引かれた貨物列車もズラリと並んでいる。 ウチの近所の路線も昔は貨物が走っていたが、 需要もトラックへと移行して今じゃなくなっちゃったし。
その貨物列車、こちらでは馴染みの小野田セメント の表示があったりするとなんかドキドキだ。 そのなかでチラッと見えた、変な電気機関車。 もしや、もしやこれって図鑑でしか見たことがなかった EH10ではあるまいか? 必死になって写真撮って見たが、果たしてどうだったのか。 後日検索して調べたら、EH10は既に全車廃車となったとか。 じゃあの機関車は何だったんだろう。
揖斐川・木曽川に挟まれた長島。 もちろんセゲヲさんとは何ら関係がない。 かつて織田信長が攻略に苦心したと言われる、 長島本願寺が浮かぶ。 今では鉄橋で簡単に渡ってしまうが、 戦国当時にこの二本の大河を攻略するのは至難だったろう。 ただ、大量虐殺で締めたのは信長の汚点かもしれない。
そうそう、弥富の駅名標を拝めなかったのは無念だった。ここは 海抜0mの駅だったのに。
今日の長い列車の旅ももうじきで終わる。 18:04に名古屋に着き、悪友K・Tに電話する。 彼の会社の近くの安城まで今度は新快速でゆく。 新快速って関西圏だけかと思っていたら、 名古屋圏にもあるのね、四両編成だったけど。 19:00前に安城駅、そこで悪友が待っていた。