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旅で感じたこと&独り言

 
 

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    2002.9.01   『明るいニッポン』

    国営放送の村上龍さんのインタビューでこんなのがありました。

    司会者 「日本に明るいことはないですか?」
    村上龍 「日本になくていいんです。あなたにあればいいんです」

    そうだ!京都に行こう!!  は、ちと古いコマーシャルですが、けっこうこのフレーズが好きでした。
    昼寝をしていて、突然京都に行きたくなった感じが、なんとも明るい気分にさせてくれます。

    「善は急げ!」という諺がありますが、こんな感じかな。

    「そうだ!そうだ!!そうだ!!!」
    こんな言葉が多いほど、明るくなりません?

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    2002.8.29  『工夫する』

    旅行というと誰もが必要最小限の荷物でしますね。
    これは本当に必要とするものなのかどうか、より吟味しますね。
     

    少ない荷物で我慢するより少ない荷物で満足する方がいい。
    旅支度は、後者の方ですね。
    どんなに文明の利器を持って行っても、荷の重さに体が沈んでしまったら何にもなりません。

    普段の生活でも少ない荷物で満足したいと思っています。
    だって普段の生活が旅生活だったら、どんなに素敵なことだろう・・
     

    「それを工夫というんだよ」と心の声が聴こえてきそうです。
    生活の中に、旅と同様な「工夫」を取り入れていますか?
     

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    2002.8.27   『焚き火』

    ある本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
    「ネガテイブを共感しようとしなかったら、人は孤独感に陥る」

    1年に1回位、あるキャンプ場に行きます。
    そこは焚き火OKのキャンプ場なので、焚き火などもしたりします。

    火を見ていると、正直になれるような気がします。
    人はどうして火の前では、嘘はつけないのだろうかと思うことがあります。
    それは、ネガテイブを共感できるシーンなのかもしれません。だから嘘がつけない。

    よい生活をおくるには、演出家が必要なのかもしれない。
    焚き火もまた、演出家なのだ。

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    2002.8.19  『自信 2』

    いつから、たかが勉強ができる、頭がいい、というだけで威張るような世の中になったのだろうか。
    そんなものが自信につながるだろうと思っているのだろうか。

    自信についてもう一度、考えてみました。
    私の自信・・

    人としてしなくてはならないことは、『へりくだる』ということ。
    そして、してはならないことは、『媚びる』こと。
    媚びれば、その分、弱者に対して卑屈に向かいます。

    なにびとに対しても、『媚びる』ということはしたくない。
    それが私の自信かな。

    そんなに社会は甘くない、と言われそうだけど
    どうしようもない人が、人の上に立てるのだから社会って甘いでしょ。

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    2002.8.18    『いい人は、いいね』

    「いい人は、いいね」というフレーズは、何かの本から引き出したように思います。
    小説だったかどうかは、忘れてしまいました。
    頭の片隅に、いつもこの言葉があったような気がします。

    旅をしていると、本当に「いい人は、いいね」と思います。
    そうに思えるのは、ほんのわずかな人たちですが・・

    よく男が女性からのことわり文句に
    「いい人なんだけど・・」というのがありますが、一歩進んで
    「いい人は、いいね」と言われるくらいにがんばれば、恋愛も成就するかもね。

    ほんとうに、『いい人は、いいんだから!』

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    2002.8.16        『美しい景色』

    日光の戦場ケ原に行った時のことでした。
    歩いて散策していると、前に親子連れが歩いていました。
    母と中学生位の男の子が手を繋いでいたので、『ムムッ』と唸ってしまいました。

    その時に、アカゲラという鳥が数羽、その親子連れの目の前を飛んでいきました。
    その親子連れは、見向きもせずに歩いて行きます。

    こういう所を歩いているのだから、見向きのしないのは、なんだなあと思ってしまいました。

    思うに、彼等にはそのアカゲラという鳥が見えなかったのだろうと思います。
    目の前を飛んでいるのに見えない・・なんてことはあるのだろうかと思うけど
    自分自身を振り返っても、そのようなことは日常の中にあります。

    「美しい景色」はあるのだろうか?
    その景色を美しいと感じない人たちも沢山います。

    自然保護団体が一生懸命に自然を守ろうとしても、美しい景色が見えない人を
    説き伏せるのは指南のわざなのでしょう。

    「美しい景色」は存在しなくて
    「美しいと思う景色」しか存在しないのではないか。

    「我おもう、ゆえに我あり」という言葉が身にしみる。

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    2002.8.14       『自信』

    民俗学者の宮本常一さんの「庶民の発見」を読んで気付いたこと・・

    この本の中に、「お互い自信がないもの同志が対立すると、相手を避難し罵倒し攻撃することに終始する。自分の立場がもろく弱いことをカバーするためで、自分達の立場を正しいと主張する。戦後の日本の民主主義はこうして出発したのである」といったようなことがかかれています。

    昔の日本では、ひとりの反対者がいなくなるまで、話し合ったそうだが、民主主義になって多数決で何事も決められることになって、対話というものが、なくなってきたのかもしれない。

    反対者がいなくなるまで、話し合うには自信や経験、そういったものが必要になるだろうし、そういったものを身につけるには、年令を重ねないと身に付かないものなのだろう。

    映画監督の小津安二郎監督は、『東京物語』を作るにあたって、「家族の崩壊を描きたかった」と言っている。もう
    この当時から、そんなことを感じていたのかと驚いたのを記憶しています。
    なぜ、家族は崩壊するのかを考えてみると、それは縦家族から横家族になったからだろうと思うし、
    そうさせたのは、戦後の民主主義だったのかもしれない。

    そういえば、作家の岩波正太郎さんも「家族の崩壊」について嘆いていました。
    これからは、とことん話し合える感性が必要なのかもしれないと思ったりしています。
    それが、自信というものなのかもしれないと、ボンクラ頭で考えたのでありました。

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    2002.8.6   『旅の楽しみ方』

    ある作家は、本の8割は駄本だといい、
    ある作家は、駄本なんてない、読み手の受け取り方が悪いのだといった。

    旅を楽しむのなら、後者の考え方がいいに決まっている。
    なぜなら、自分の相手に対する接し方で、相手の態度がまったく違うからだ。

    「この人は、どれくらい私を楽しませてくれるだろうか」と考えただけでもワクワクしませんか。
    そんな接し方ができたら、ほんとうの旅人かな。

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    2002.7.17   『風景』

    画家の東山魁夷さんの言葉に、こんなのがあります。
    「風景は、そこに住む人々の鏡だ」
     

    小泉八雲が愛した風景は、音風景の日本だったのではないだろうか。
    風鈴の音色や虫たちの演奏、そしてそれを売っている人々の声・・
    紙芝居屋、とうふ売りの声・・

    全てが合理化され(社会のマクドナルド化)、不合理なものは無くなる。

    ますます風景は消えて行く・・
     
     

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    2002.7.15  『いい旅であったか?』

    この旅がいい旅であったかを確かめるには、どんな条件が必要なのか?
    「いい人たちに会えた」 「美しい景色を見られた」 など人それぞれなのでしょうが、
    私にとっていい旅であった!と確信を持って言えることは、
    旅から帰った後に、また次の旅のシュミレーションが出来上がっている時のことです。

    映画でもテレビでも、次回の期待を込めて予告編を流すけれど
    旅の終わりに予告編が頭の中に出来上がっていたら、なんて素敵なことだろう。

    司馬遼太郎さんの言葉に
    「今を楽しむには、明日はきっといい日になると信じることです」
    というのがありますが、
    いつも心に予告編が流れていたら、明日はきっといい日になるに違いない。

    そして、本編へのカウントダウンが始まる。

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    2002.7.10    『オートバイ・ライフ』

    普段はバイク雑誌は全く読むことはありません。
    部屋にあるバイク関係の本は、修理本の2冊と斉藤純さんの『オートバイ・ライフ』(文春文庫)
    くらいです。

    去年の暮れに、冒険ライダーの風間深志さんたちと日帰りツーリングに御一緒した時に
    こんなことを云っておられました。
    「南極点をバイクで走り終えたときに、バイクはもういいやと思ったけど、
    最近バイクっていいなと思えるようになった。バイクって楽しいよね」
    という内容でした。

    『オートバイ・ライフ』には、なぜバイクなのか・・という内容が書かれています。
    バイクに興味がなくても楽しめる本です。
    風間さんが、なぜバイクなのか・・なぜバイクはいいな・・と思えるようになったのかを知りたくもあります。

    いざ、自分に「なぜバイクなのか・・」と自問をしてみても「・・・」でしょうか。(笑)

    まてよ、「なぜバイクなのか・・」とたずねられたら
    「なぜバイクなのか・・と考える自由さがある」では答えになっていないか・・(笑)

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    2002.7.5    『旅の目的  2』

    前に「旅そのものが目的なのだから、旅の目的なんてありゃしない」
    と書いたことがあります。

    しかし、意識無意識にせよ目的、目標はあるのだと思う。

    サッカーの中田の記事を読んだことがあります。
    中田にとって、『ポジテイブ』とは?
    それは、目的、目標があって、それに向かい、今何をすべきなのかを考え行うこと・・
    だったかな。

    では目的、目標を達成した時の『ポジテイブ』とは?
    (まさしく予選リーグを突破した日本代表かな)
    その時こそ、
    「旅そのものが目的なのだから、旅の達成感なんてありゃしない」
    と答えるだろうか。
     

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    2002.6.28   『エキゾチック』

    月末になると、定期購読している「日経ナショナル・ジオ・グラフィック」が送られてきます。

    まず最初に開くのは、「日本の百年」というの1ページのコーナーです。
    外国記者が写した古き日本の風景です。
    かつてこんな日本もあったのかと思わせる風景です。
    ウエストンが愛した日本の自然、小泉八雲が愛した日本の風景は
    このような日本だったのだなと思います。

    日本人とは・・と考える時、そのような風景を思い浮かべます。

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    2002.6.18   『熊がいる森』

    ネットで C・W・ニコルさんに関するHPがあったので見てみました。

    その中で「熊が居るだけで安心」という言葉がありました。
    熊が居るだけで、その森は健全に保たれているということです。

    熊だけではなくて、クマタカも同じことがいえますね。
    クマタカが居るだけで、その森は健全に保たれている。

    熊が人に危害を与えたから、直ぐに見つけて打ち殺すという発想は好きではありません。

    人中心の考え方は、人にも向かってきます。
    それがどれだけ人を追い詰めるか・・

    どんな状況であろうと、あなた(私)はそこに居るだけで、ただそれだけでいいんです!
    (特定な人に向けた発言ではありません。強いてあげれば私かな(笑))

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    2002.6.15   『死を想え』

    「人間いたるところに青山あり」(青山=お墓)という言葉がありますが
    こんな綺麗な景色の所で死んでもいいな、なんてことを想うこともしばしばです。

    作家の 藤原新也 さんのHPを時々訪ねます。
    その中に「memento  moriー死を想えー」というコーナーがあり、訪ねた時はいつも見ます。
    死は病ではないのだから・・という言葉に感動します。

    本当に美しいものを見た時は、人は死にたくなるらしい・・
    人生に目的があるならば、本当に美しいものを見るため・・ではないだろうか。

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    2002.6.14   『エンデの遺言』

    国営放送で深夜、「エンデの遺言」を再放映していました。(本になっていてそれは読んでいます)
    お金の根源を考える・・という副題がついていたと思いますが。

    地域通貨の話が中心になっていました。(詳しくは『簡素な生活』を見てね)
    日本でも、多くの地域でこの地域通貨システムが行われています。

    お金といわれるものは、普通は日本銀行券といわれているものですね。
    でも、お金は心の中にも存在すると信じています。
    よく言われる「お金で買えないもの」ってやつかな。
    日本銀行券に頼ることなく、生活したいものだとこの番組を見て思いました。

    番組の中で、エンデは「今の経済システムでは搾取されるのは、第3社会と自然」と言っています。
    何かで聞いたことがあるのですが、アメリカ並みの消費では地球上では2億人しか生活するのが目一杯と
    耳にしたことがあります。

    相互扶助が目的の地域通貨がもっと流用されれば、多くの心の問題も解消されると思うけどなあ。
    でないと、宮部みゆきの『囁き』のように
    日本銀行券(あえてお金とはいいません)が人に囁いて心まで犯されちゃうよ。

    もう犯されている人もたくさんいるけど・・

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    2002.6.12  『退屈な質問』

    有名な言葉で
    「あなたはなぜ山に登るのですか?」
    「そこに山があるからです」
    というのがあります。
    名言というより、なぜこんな退屈な質問をするのだろうかと思ってしまいます。

    寺山修司という人がいました。
    劇作家でもあり、詩人、競馬評論家、劇団主催者などの肩書きがあります。
    ある人が「本業はなんですか?」と訪ねたところ
    「寺山修司です」と答えたといいます。

    もひとつ・・
    「馬券での、収支のトータルはプラスですか、マイナスですか?」と訪ねられ
    「あなたは人生をトータルで考えているのですか・・」
    と答えたといいます。

    えてして名言というのは、退屈な質問から生まれるのかもしれませんね。

    私は凡才なので、「どうして旅をするのか」なんて
    野暮な質問はやめてください!(笑)

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    2002.6.4   『サービス  2』

    よくストレス社会と言われますが、じゃあそのストレスをさせるのは何なのか?と考えることがあります。

    一番が人間関係だと思うけど、それはどうしてなんだろうか・・
    ボンクラ頭で考えると、人が皆、人を奴隷化しているからなのではないかと思うのですね。
    どうしたって優越感に浸りたいし、人よりも優位に立ちたいと思うのは本能みたいなものかなと
    思ったりしています。
    それだと永遠にストレスなんてなくならないですね。

    私は良い宿には泊まったことはないですけど、良い宿とは良い客を育てると信じています。
    そして、その宿はサービスとは違う「おもてなし」で接していると思います。
    ストレス社会からの脱却は、「おもてなし」精神だと考えたりしています。

    「おもてなし」といっても、いわゆるサービス業だけではなくて
    友人関係、家族関係、会社関係の中にもあると思うし
    「おもてなし」を受けた人が幸せな気分になり、「おもてなし」をした人も
    幸せな気分になれば、ストレス社会とは無縁だと思うけどなあ。
    (うまくまとまりませんでした)

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    2002.6.2     『サービス』

    最近、サービスについて考えるようになりました。
    ネットで調べると、サービスの語源はラテン語で「奴隷」からきているそうです。

    「おもてなし」という言葉は茶道からきていると読んだことがあります。
    客人のために尽くし、客の方もそれに感謝する。
    サービスとは違うみたいですね。

    「おもてなし」を英訳すると、「ホスピタリテイー」になるのかな・・
    いつからサービスという言葉を日本人は使うようになったのだろうか・・・
    サービスなんて言葉は無くなればいいと思う。
    この世の中には、「奴隷」なんていないのだから・・

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    2002.5.30  『便利さ』

    中野翠さんの「千円贅沢」という本を読んでいたら、その中にこんなことが書いてありました。
    「新種の便利さは、新種のストレスを生むー」
    なるほどなあと思いました。

    便利さが善みたいに思われがちですが、本当にそうなのだろうか。
    ○○で我慢する、ではなくて○○で満足する、に思考回路を持っていくようにしているのですが
    ストレス社会のなかで、そして次々と新しい製品が生まれてくる社会でそういった考えが持続できるのであろうか。

    旅の素晴らしさは、日々五感を働かせ、世の中の歪みや矛盾から遠のくためにあると思うのですが
    時として文明の利器にどっぷりと浸かってしまうこともあります。
    でもそれは、おもしろくない!
    おもしろさとは、便利さから遠ざかったところにあるのかもしれませんね。

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    2002.5.21  『背負うもの  2』

    徳川家康の言葉に「人生とは、遠き道を重荷を背負って行くがごとし、あせるべからず・・」
    というのがありますが(本当は家光あたりが考えたことらしいと読んだことがあります)
    この言葉をいい言葉だと、思っていた時期があります。

    しかし、徳川政権というのは多くの人に重荷を背負わせた政権でもあったわけで
    その結果、明治維新によって倒された政権でもあったわけです。

    生活道具を持ち歩く旅であれば、道具はなるたけ軽くなるように工夫をします。
    その工夫が楽しかったりします。
    わざわざ重荷を背負う必要はありません。
    ↓の文章と相反するかもしれませんが、旅でも必要以外の荷を持つ必要はありません。
    出来れば、荷を降ろして旅をしたいと思っています。

    話は前後しますが、本当の政治とは「遠き道を、荷を降ろしながら行くがごとし・・」
    ではないだろうか。
    多くの人に重荷を背負わせる政治は、いい政治とは言えません。
    ねえ、政治家 官僚諸君!!

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    2002.5.18 『背負うもの』

    ある雑誌か本の中に、こんなことが書いてあったのをよく思い出します。

    「ネパールの人たちは、贈り物を貰った時にお礼も言わない。しかし10年後にそのお礼を返す」
    10年間、贈り物の施しを背負い続けるのは並大抵なことではありません。
    贈り物を貰ったら、すぐにお返しを返した方が楽に決まっています。

    なぜこんな風習があるのであろうか・・
    人間関係を良好に保つ秘けつなのかもしれません。
    10年という猶予期間がその人との絆をつないでいる。
    そして、人に何かをしてあげても、10年も経てば忘れている。

    お礼というものを背負い続ける生活も、旅人が重い荷を背負い旅する生活も
    どこか似ていないだろうか。

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    2002.5.8    『灯り』

    もっぱらテントの灯りはロウソクでした。
    かさばらなくていいというのが、一番の理由です。

    日頃、ロウソクなんて使うことは全くないのですが、たまにはロウソクの炎でも
    眺めるのもいいかなと思っています。

    燃料が貴重だった昔は、今のように明るくはなかったはずです。
    (ただし、吉原は遠慮なしに燃料を使ったそうですが・・・余談)
    暗かった時代は、もっと人は寄り添って生活をしていたような気もします。
    だって、本を読むにしろ近づかないと読めないのだから・・
    (たまに髪の毛を焼いたりしていました)笑

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    2002.5.6  『表現す』

    久世光彦さんの本を読んでいたら、こんなことが書いてありました。
    「言葉は、たくさんあったほうがいい。その方が豊かで幸せに決まっている」

    ソムリエの田崎さんは、ワインを表現する時に300種類の言葉の組み合わせで
    表現するそうです。

    そして私は、旅をどのように表現しているだろうか・・・
    旅だけじゃなく、日常生活をどのような言葉で表現しているだろうか。

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    2002.5.5  『時間のながれ』

    時間の流れに2種類あると前に本で読んだことがあります。

    ニュートン時間とベルグソン時間。
    ニュートン時間というのは、まさしく時計の針の刻みですね。
    ベルグソン時間というのは、人が感じる時間というものでしょうか、
    思い出の時間はあっという間に過ぎてしまいますが、振り返ると長く感じたりします。
    逆に無為に過ごした時間というのは、振り返っても何も残っていなかったりします。
    そういう時間をベルグソン時間と呼ぶそうです。
    どちらも科学者の名前ですね。

    旅の時間というものは、まさしくベルグソン時間です。
    こういった時間をたくさん持ちたいものですね。

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    2002.4.30  『ロダン』

    以前、俵万智さんの本を読んでいたら印象的な文章にあたりました。
    「何かが起きるということは、何かを考えるきっかけになるから・・」
    というものでした。

    その言葉が印象的で今でも、口ずさんでしまいます。
    しかし、何かが起きるまで待つというのは、受け身だなあと思います。

    だったら、何かを起こせばいい!

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    2002.4.29  『死生観』

    何年か前に、NHKで沢木耕太郎さんが出演されていたのを観たことがあります。
    沢木さんといえば、「深夜特急」というバックパッカーのバイブルといわれる本を書いた人です。
    香港からロンドンまでを路線バスで旅したことが書かれた本だったかな。

    その沢木さんが旅する時は、躊躇することもあると言われていたので、あれっと思いました。
    これだけの人でもそんな事を思うものなのかと、驚きました。
    しかし、旅立った後は、あーよかったなあと思うそうです。

    旅立たせるものはなんだろうと、考えたりします。
    やはり勇気も必要です。
    だけど、旅立たせる一番の理由は
    「これをしたら、死ぬわけではない!」
    私の場合は、これかな・・(笑)

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    2002.4.29  『人を見る』

    旅で人と接する時は、地位や名誉などといった色眼鏡で人を見ることはありません。
    この人が、どれだけ魅力的な人だろうかといったところで、人を見ます。

    旅が長ければ長いほど、そういった見方をするのではないでしょうか。
    実生活でも、そういった人の見方をします。たまに
    「まったく魅力のない人でも、人の上にたてるんだなあ」と思うこともしばしばです。

    私などは、そういった人とは関わりたくないので、眼中にはいれません。
    人生はあまりにも短いので、そんな時間は勿体無さすぎます。

    たまに中傷などもうけることもありますが、
    どうでもいい人の言葉は、やはりどうでもいい言葉なのです。

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    2002.4.26 『好きな場所』

    好きな場所というのを、改めて考えてみると
    「心地よい風が吹く所」と答えるだろうか・・

    小雨が降る音や、海のさざ波、川のせせらぎなどを「1/f ゆらぎ」といって
    心にとてもよいという話だが、音の世界だけではなくて
    見ること肌で感じることの中にも、心にとてもよいことはあるのだと思う。

    風は見えないけれど、感じることは出来る。
    木々がゆらいでいるのを見て感じることも出来るし、肌で感じることも出来る。
    見えないものを感じることは、どこか得をした気分にもなる。

    「心地よい風が吹く所」が好きな訳も、そんな理由なのかもしれない。

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    2002.4.25  『旅の目的』

    心が病んでいる人に、目的を与えると良い方向に向かうそうです。
    生活する上では、目的が必要なのかもしれませんね。

    旅の目的はなんだろうと、考えたりもします。
    旅そのものが目的だから、旅の目的なんてないのかもしれませんね。
    だからこそ旅は人を大きくさせる。
     
     

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    2002.4.20  『懐かしむ』

    懐かしむを英語にするには、なかなか出来ないそうです。
    強いてあげれば、「ノスタルジー」だそうですが、この言葉にはどこか冷たい感じがするそうです。

    アメリカ人は、過去を思い出すことはあまりないそうです。
    前へ前への人種だそうですね。

    過去を懐かしんで、前に進むことを躊躇するのは、いかがなものかと思いますが、
    懐かしむ時間がないのも寂しい感じがします。

    できれば、今このときが、10年後20年後、懐かしむ時でありたいものですね。
    旅を懐かしんでもいられないか・・
    さあ、出発だ!

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    2002.4.10  『井の中の蛙』

    最近、ラジオなどでよく聴く言葉に、こんなのがありました。

    「井の中の蛙、天海を知らず、天の智を知る」←これでよかったかな
    物事には、2面性があるのだということでしょう。

    高校生時代に、友だちからも聞きもしました。
    印象に残っていたのですね。

    その人の2面性を見られるというのが、旅のよさかな。
    たとえば、焚き火の中で話すと違った面が現れるし、それがまたよかったりする。
    火に照らされた顔は、男女問わず美しいと感じます。
    化粧した顔よりずっと美しいと思う。

    火もまた、実用とした部分の他にどこか魅惑的な部分があるからなのでしょう。

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    2002.4.4  『モラルハザード』

    人力の旅ですと、一番に目につくのは美しい景色ではなくゴミでした。
    多くの地域ではゴミの散乱が目につきます。
    モラルハザードという自分だけならいいや病が蔓延しているのかな。

    ゴミの散乱を見るたびに、卑しい幼稚な顔にならないようにしないとな、と思います。
     

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    2002.3.31   『旅の巨人』

    民俗学者の宮本常一という人は、日本を歩きまくった人です。
    そして訪ねた村が幸せに暮らせるようにと真剣に悩んだ人でもありました。

    歩く旅というのは、考える旅ともいえます。たいしたことは考えないのですが(私の場合は)
    とにかく考えます。
    じっくりと自分と対峙して、色々なことを考えるのは、とてもよいことだと思います。

    考えれば孤独になります。でも孤独はけっして悪いことではない。
    しかし、今の日本ではひとりで旅をするとか、孤独というのはあまりいい意味にはとられません。

    孤独になって、色々考えて、宮本常一のように幸せに暮らせるように真剣に悩む人になるのもいいなと思います。
     
     

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    2002.3.21    『トラベル』

    どうしても自転車の旅が印象的に残っています。
    やはり人力で走るから、ちょっとした坂道でも敏感に反応してしまうからなのでしょう。

    自転車での旅は、けっこう苦労も多いのですが、走り終わるとその苦労も報われるという感じです。
    たしか柳田国男の本に書いてあったけど、苦労のない旅は意味がないというようなことが書かれてあったような気がします。

    トラベルという意味もラテン語で苦労する、という意味らしいですから
    あえて苦労する旅を選んでするのもいいもかもしれません。

    苦労するのもいいのですが、遊び心も大切に・・ですね。
     
     

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    2002.3.12       『旅のちから』

    ルーレットで当たれば1本貰える自動販売機を御存知でしょうか。
    あれって、なかなか当たりませんね。
    今までに2回しか当たったことがありません。

    その2回が旅先でした。
    1回は四国を自転車で走っている時に、もう1回は宮古島でのことでした。
    確立からいって、ものすごい確立ではないでしょうか。
    これも、旅のちから・・かな。

    もしかしたら、旅先で宝くじをかったら・・
    「さ・3億円が!」当たるかも・・!?

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    2002.3.9  『ぼんやりする』

    最近、ぼんやりすることがなくなったなあと思います。
    旅にでると、ぼんやりとすることも多いのですが、普段の生活ではあんまりないですね。

    画家の山下清さんは、釣りが好きだったようです。
    ぼんやりできる時間が好きだったようですね。

    このぼんやりするという時間が、結構大事だったりするのかもしれません。
    下手にぼんやりすると、「自殺を」なんて思われたりして・・・

    ぼんやりすることが無駄かどうか、ぼんやりと考えてみます。
     

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    2002.2.8    『畜生 馬鹿野郎  畜生 馬鹿野郎』

    とは、好きな詩の一節にあります。
    自転車で旅行をしていた時も、交通量の多い道路を走っている時は
    こんな言葉を繰り返していました。

    今、日本の道路は自動車中心に作られているのでしょう。
    弱いものの身に立っては、作られてはいませんね。
    高速道路を作る前に、自転車や歩行者が安全に通れる道を作るのが先だと思うけど。

    もしくは、公共の乗り物に多くの人が利用してもらうようにして
    車の量を減らすかどうかしてもらわないと。
    行政はそういった努力をしているのだろうか。
    大いに不満です。
     

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    2002.1.29『洗練する』
    旅行する場合は、生活用品を持ってします。
    普段の生活を考えると、なんと少ない荷物なんでしょう。

    持っていく物も、段々洗練されてきます。
    こだわりといっても、いいのかもしれません。

    旅行から帰ると、自分の部屋の荷物にうんざりすることも、しばしばです。
    簡素な生活には、ほど遠いなと思います。
    普段の生活も、洗練された物に囲まれていたいな、と思っているのですが・・

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    2002.1.24『老子』
    なにを血迷ったか、今「老子」を読んでいます。

    パラパラとしか読んでいないのですが、
    かいつまんで書くと、こんなことが書いてあります。
    「無知、無欲、無為であれ」と・・・

    小賢しい知識もなく、欲もなく、自然に即した生き方をせよって
    ところかな。

    俵万智さんの本に書いてあったけど
    古典というのは、いいものだから残っているそうです。
    でなければ、何百年何千年も継承されませんしね。

    老子には、教育は人間をダメにするみたいなことが
    書かれているのですが、
    今の小賢しい教育談義に一刀両断するところが好きです。
     

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    2002.1.21『チェーン交換』
    先日、バイクのチェーン交換をしました。
    自分でやると、愛着が持てますね。

    前に、俳優の根津甚八さんの「1万回のキャステイング」という本の中だったと
    思うけど、こんなことが書いてありました。
    「自分で、フライフィッシングの毛ばりを作ると、10倍たのしい」と・・

    バイクも同じで、自分で修理をすると愛着の度合いが全然違います。
    自然と優しい運転になるし、バイクを道具と思わず、相棒と思えます。
    バイクは、走る喜びと修理する喜びを与えてくれます。

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    2002.1.18『呼び方』
    普段、自分が使っている物に対しては、自分なりの呼び方があります。
    テントは、移動別荘。バイクは、魔法のじゅうたん。本は、心の扉。

    「呼び方」を、あだ名といってもいいのかな。
    小さい頃は、先生や友だちに、よくあだ名を付けたけど
    大人になってから、付けることはなくなりました。

    夏目漱石の「坊ちゃん」では、あだ名のオンパレードだったけど
    だからこそ、未だに読まれ続けられているのでしょうか。

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    2002.1.15  『旅をしたくなる本』
    旅をする目的には、本が読みたいから、というのもあります。
    たとえば、ソローの「森の生活」とか。
    思索に適した本が、旅をしたくなる本なのかもしれません。
    ボンクラ頭を、ちっとはましな頭に、したくもなります。

    ものごとを整理整頓できる人は、本を読まなくてもいいのかもしれません。
    ものごとを整理整頓できる人は、旅をしなくてもいいのかもしれません。
    あー整理整頓できない男でよかった!

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    2002.1.11  『和について』
    これも年末のテレビからの抜粋です。
    『和』についてです。
    日本で初めて『和』について語られたのは、聖徳太子の十七条の憲法だそうです。
    和があれば議論ができる、そして理がうまれる。これが太子の思想のようです。
    しかし現代では、その思想は歪められているそうです。

    村のしきたりのため、調和のために白仮面をかぶり、そしてそれに従わないものは
    村八分にする。差別の根本はこのへんにあるのでしょうか。
    今、我々にできるのは太子の思想に戻り、引き継ぐか、それとも新しく作るか・・と
    その番組では言っていました。
    ちゃんと議論ができる人は、どれだけいるのであろうか。
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    2002..1.8  『花言葉』
    年末のテレビ番組の中で、花に語りかけるのは日本人くらいしかいないという
    ことを言っていた人がいました。
    外国では、花言葉にあるように、花に語らせるのでしょうね。
    花鳥風月、日本の良さを感じさせる言葉でした。
     


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    このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください