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自転車で三陸海岸を走っていた時に、
あまりにもアップダウンがきつく押して自転車を曵いておりました。
真夏の時期でしたので、夏休みのガキたちとすれ違い、
「こんにちは」と挨拶をされまして、
若干気をよくして、自転車に乗り込んだ拍子にベルを鳴らせてしまいました。
その時に、うしろから「カッコイイ」という声がしました。
あんまり自転車を乗っていて、「カッコイイ」なんて言われたことがなかったもので
その言葉に、酔いしれてしまいました。
「いいねえ子供は・・本当のことを素直に言えて!」
佐賀県唐津。
「唐津おんち」「唐津焼」が有名です。
九州を自転車で走っている時に、ここのキャンプ場で泊をとろうと思っていた時に
ちょうど同じように自転車で旅している川上さんと出会いました。
銭湯に行こうという話になり、行ったはいいが休館で、
うーむ!と悩んでいると、隣のおばさんが、うちで入ればということになり
遠慮なく入らせてもらいました。
そんなこんだで、宿泊までさせてもらい、ほんと恐縮してしまいました。
その後、川上さんとは、柳川まで一緒に走ったのですが
お互い、足手まといになってはと思い必死に走ってしまいました。
先頭を走るよりも、後ろについて走っていた方が楽なので
交代しながら、炎天下の中を必死で・・ね。
お互いが同じ気持ちだったと思います。
今では、いい思い出ですねえ。
川上さんは一昨年、事務所を開業、御結婚もして幸せに暮らしています。
いつまでも、お幸せに・・
下北半島を自転車で北上して、ある駅に寝させてもらったことがあります。
しかし、雨でびしょびしょになり、そのまま眠ってしまって、
案の定、風邪をひいてしまいました。
北海道の函館に着いても、風邪は治らず、目の前に函館競馬場があったので入ってしまいました。
儲けたら民宿にでも泊まって、ゆっくりとしようと思ったわけですが、見事ハズレ。
はは・・買った馬券も500円でしたが。
その日は、大沼のキャン場に泊まりました。
積丹半島に行っても、風邪は治らず、しまいには声が出なくなりました。
それでも走っていたなあ。
何もしないでいることが、どうも耐えられなかったですね。
テントの中に御招待(?)した生き物を紹介いたします。(笑)
西表島のキャンプ場で一夜を過ごした朝、なんとテントの中にヤモリがいました。
調べてみると、沖縄にはヤモリがたくさんいるらしい。
キモイなんて思う人もいるらしいが、よく見ると可愛い顔をしている。
こいつと一緒に狭いテントの中で暮らしたのだと思うと親近感が湧きました。
これも八重山諸島の多良間島でのことですが、ここではサソリが
テントの中に入り込んできました。(旅の写真集 多良間島参照)
歓迎されない客人です。
刺されても、大したことはないと地元の人に聞きましたが
それを知らずに刺されたら、「死ぬかもしれない」と思ったかもしれません。
秋田山形の鳥海山(ちょうかいさん)のキャンプ場でのことです。
一匹のトンボが私の胸に止まり、動かなくなりました。
どうやらトンボはある気温以下になると動かなくなるらしい。
面白そうなので、テントの中に連れ込んでみました。
中の気温が上がると、のそのそと動き出します。
朝になり、気温が上がると元気に飛び出して行きました。
話はズレますが、大西洋単独横断無着陸飛行を世界で初めてした
チャールズ・リンドバーグの機内には、ハエが一匹いたそうです。(ホントかな?)
リンドバーグはそのハエに話しかけて、横断したそうです。
極度の孤独感の中では、普段は好かれない生き物でも親近感が湧くのかもしれない。
極度の孤独感の中では、サソリさえも「おー友よ」と思えるかもしれない。
人って、摩訶不思議な生き物だなあと思うよりも
『驕るな!ばか者よ!』と戒める方が、人らしい・・
西表島の東にはキャンプ場があります。
けっこう多くのキャンパーたちがいました。
その中に自転車で旅している人がいました。
その人は、南西諸島を旅しているらしく、与那国島(すぐ隣が台湾です)にも行ったと話していました。
聞いて驚いたのは与那国島に1ヶ月キャンプをしたということです。
「で、何をしていたの?」
「何も」
こういう旅のスタイルもあったのか・・・と視野が広がった気がしました。
私には、こういう旅は出来ないな・・と思います。
そのスタイルを否定しているわけではなく、性格上そのスタイルは出来ないということです。
根がせっかちなので、いつも移動していないとダメな性格です。
雨でも、行動してしまう性格なのです。
いつも「がんばっている自分」を確認していないと不安なのかもしれません。
西表島の西に南風田海岸というのがあります。
初めてここを訪れた時は、本当に時間が止まったのかと思いました。
広い海岸と青い空が印象的でした。
キャンプ禁止とありましたが、何組かはテントを張り生活していました。
数日のテント生活という感じではなく、何ヶ月というスタンスでのキャンプという感じでした。
私は、レンタバイクを借りてこの海岸にたどり着きました。
後で知ったことですが、この海岸はバックパッカーの聖地と言われている場所だそうです。
なるほど!と思えます。
東屋で20才位の若者と話をしてみました。
「西表島を縦断してきたよ」と話したら、「ホントに」という感じでした。
まだ縦断していないみたいな感じでした。
視点の合わない目つきで海を眺めていましたが、
彼はいったい何を見つめていたのであろうか。
もしかして、自分の生き方を見つめていたのかもしれません。
目標とすべき目的とすべきものを見つけに来たのかもしれません。
その姿を暖かい視線で見つめている大人は、今の日本にどれだけいるのだろうか・・
過去に2回、沖縄南西諸島に行ったことがあります。
海の美しさは本当にこころ癒されるという感じがしました。
しかし、沖縄のことに関して知らないことが多いなあと反省しているところです。
メールマガジンを読んでいたら、沖縄に関しての記事があったので少し。
沖縄の語源は「沖の漁場」から、そして琉球は語源は「流通」からきているそうですね。
台湾では、いまだ琉球とよんでいるとのことです。
西表島からだと、台湾の方が近いわけで海の向こうは台湾かとしみじみ感動してしまいました。
ただ美しい景色を見ていると何もしたくなります。
それが人にとって良いことなのか、悪いことなのか・・・
九州最南端の佐多岬に行けなかったのは、今でも心残りです。
行けなかった理由は、自転車では自動車専用道路は通れなかったからです。
でも自転車でも朝の自動車の通らない時間帯ならば、通してくれるそうです。
(後で知ったことですが)
珍しいことだな・・と思いました。
輪行(りんこう)といって、自転車を折り畳んで列車で運ぶことをいいます。
昔は、手回り品キップを切らされました。今は無料となりました。
無料となった経緯はしりませんが、当然なことだと思うのは私だけでしょうか。
当然と思うのは、自転車がクリーンな乗り物だからです。
自転車の通れる有料道路ではどうなのでしょうか。
私が自転車を乗っていた当時はキッチリ取られました。
「自転車から金を取るなよ」といつも感じていました。
この国では、声を大にして言わないと、聞いてくれません。
そしてなぜ自転車から金を取るのかも考えていないからでしょう。
化石燃料を使わない乗り物から、まさか今でも金を払わせていないよなあ。
旅の記録は写真かMDレコーダー・・と何処かで書きましたが
音楽CDなどを持って行って、好きな歌に旅の記録をしてしまいます。
美空ひばりの音楽も持って行った時がありましたが、このことを人に話したらなぜか笑われてしまいました。
自分のその時の心境やどんな旅にするのかで、持って行く音楽は変わっていきます。
沖縄に行ったら、やっぱり『島唄』でしょう、なんて。
襟裳岬に行ったら『襟裳岬』だったりして。
その場所に似合う音楽を持って行けば、すんなりと旅の記録は行えると思います。
旅をした記憶というものは、殆ど忘れてしまいました。(笑)
ほんの少しの記憶しか残っていないといってもいいです。
数少ない記憶の中で、たまに思い浮かべる出来事があります。
ほんとにたわいもない出来事なのですが・・
自転車で山陰を走っていた時のことです。
真夏の駅で寝ようと思ったのですが、どうにも眠れず暗いうちから走っていました。
夜も明け、少し寝ようかなと思って、国道のすぐそばの堤防に横になった瞬間、
おじいさんがトマトを持って来てくれました。
そのトマトをかじりながら、海を眺めていたのをまるで昨日のように思い出します。
なぜ、この出来事を今でも思い出すのかはわかりません。
脳は、嫌なことは忘れるようになっているといわれますが、
いつまでも忘れられない思い出というのは、懐かしさとともに
心地よい風を運んで来てくれます。
バイクで、2度ほどあるキャンプ場を訪れたことがあります。
初めて訪れた時も、2度目も夕御飯をご馳走になりました。ただし2度目の時は、前回のことは黙っていました。
談話室でそこで滞在している人と話していたら、夕御飯でもと声をかけて下さり、遠慮なくもらいました。
前回も2度目もオフシーズンだったため、そうしてくれたのだと思います。
なぜ前回のことを黙っていたのか・・
そこの親父さんが、ボケはじめていたからです。数年の間に・・
元気だった頃を覚えていただけに、ショックでした。
あんなに、いい人だったのに・・なぜ?
まだ50代だと思うのに・・他にも病気を抱えているといいます。
このキャンプ場に来るのを楽しみにしていたのですが、
時の流れは、色々な事を変えてしまいます。
自転車で旅をしていたときは、よく駅で寝させてもらいました。
駅員の居るところでも、話せば寝させてくれました。
しかし、終電の後に入り、始電の前に出発しなくてはならないので、気苦労も多いです。
疲れも残るし、出来れば駅で寝るのは控えたいのですが、なにぶんにも貧乏旅行でしたので・・
今はもう駅で寝ることはないのですが、山陰の海の見える無人駅で寝させてもらうのも悪くはないかなと思っています。
安物のカメラと望遠レンズを買って、野鳥の撮影をするきっかけが、どうも思いだせません。
野鳥図鑑片手に、しどろもどろで撮影をしてみると、それまで回りに野鳥がいたなんて
考えてもみませんでした。
恥ずかしながらスズメ位しか知らない自分がいました。
回りに鳥が飛び回っているのに、それに気付かないなんて失礼な話なのかもしれません。
ただ何となく生きているとしかいえない自分・・
おそらくそれは傲慢な自分なのでしょう。
耳を澄まし、川のせせらぎや波の音は聴いてみれば、その囁きは人にとって
心地よいメトロロームなのに、なぜに閉ざして聴こうとしなかったのだろう。
たまには、いい風に吹かれ、そんな心地よいメトロロームを聴きに行こうと思います。
自転車やバイクで走る喜びは、私の場合は風を感じられるからといえます。
風が吹かないのなら、自ら吹かせ感じようと思います。
人は皆、幸せになろうと思っていると思いますが
幸せは探すものではなく感じるものだと思います。
心地よい風が吹かないのなら、自ら吹かせ感じればいい。
その吹かせ方を知らないというのは、不幸かな。
(自分に言い聞かせていることですが)
自転車で旅をしていた時は、無性に卵ぶっかけ御飯が食べたくて仕方ありませんでした。
時々、民宿に泊まった時に、この卵ぶっかけ御飯を食べた時は、本当に美味しかった!
最期の晩餐に食べたいものは、と問われたら、この卵ぶっかけ御飯と答えるでしょう。
沖縄の多良間島での出来事です。
浜辺の岩場で朝日と眺めていた時のことでした。
しばし、朝日を眺めテントに戻ろうと歩き出した時、なにやら私を付けてくるものがあるのですね。
それが朝日だったのです。海面を伝わり私を目掛けてついてくるのです。
どう動いても私から離れない。いつもスポットライトを浴びているような感じでした。
なんだか笑いたくなりました。思わずダンスをしたくなりました。
たったひとつのお天道さまが、私だけにスポットライトを照らしてくれるような感じです。
なんだかエネルギーを貰ったような瞬間でした。
2002.2.26 『旅で一番こわいもの』
近くの林道を走っていた時に、あるライダーに会った時のことです。
年は52歳で、とある街で不動産業を営んでいるとおっしゃっていました。
同じバイクを乗っている人だったので親近感が湧きました。
今でも自転車でテントを積んで旅をしているとのことです。
仕事は、奥さんにまかせて旅に出てしまうらしいのです。
「娘もかまってくれないしね」と笑ってそんなことを話していました。
「旅で一番こわいことは何ですか」と訪ねたら
「人だねえ」と答えていました。
私もそうに思っていたので、考えることは同じなんですね。
あるキャップ場で一緒になったライダーが、防護ベルみたいなものを
持っていた時は驚きました。
そういったものは女性が持っているものと考えていたので・・
そのライダーも人が一番こわいものと思っていたのかもしれません。
北海道の自然には、よく「熊出没注意」という看板が出ています。
これが「ひと出没注意」だったら・・
2002.2.19 『動物の気配』
テントを張って野宿すると、自然の中では動物の気配を感じます。
奥日光のキャンプ場で張った時も、夜、シカかカモシカか判りませんでしたが
感じました。
「ブルルン」なんて音を聴くと、何だ何だとうろたえてしまいます。
しかし、この気配もまた旅の良さを演出してくれます。
鳥海山でテントを張った時も、ヒメネズミが歓迎してくれました。(そうに感じただけなのですが)
自然は人間だけのものではないのですね。
そうに体験出来ただけでも収穫です。
2002.2.14 『こだわり蜜柑』
四国の愛媛県を自転車で走っていた時のことです。
ここはお遍路さんが多いのかもしれませんが、親切にされたことをよく覚えています。
ある海岸で、テントを張って野宿した朝、農家の人がイヨカンを5個くれました。
丁重にお礼を言い別れたあと、道が判らなくなり別の農家の人に訪ねると
またまたネーブルを5個くれました。
計10個、自転車にとっては重く感じる重量ですが
その分、親切心が我が心を軽くしてくれました。
食べてみると、これがとても甘い!
ふだん食べているイヨカンやネーブルはなんだったのだろうかと思えます。
冬になると、みかんが食べたくなります。
自分が買う時は、愛媛産と決めています。
みかんを買う時は、決まってあの時のことが心に浮かびます。
2002.2.12 『もう行かない島』
沖縄の南西諸島の島を歩いていた時の話です。
旅の終わりの儀式として、バックパックを自分のアパートに送ります。
ある島で、送りました。しかし、この女の局員の態度と行ったら腹が立ちました。
まあ最初は我慢していたのですが、だんだん腹が立ち、こちらも少し怒った態度をしてみました。
すると、ころっと相手も態度を変えました。
態度を変えるくらいなら、最初からその態度ですればいいのに。
この人はサービス業はなんたるかを、判っていないのですね。
サービスをして相手を幸せな気分にするのがサービスだろうと思う。
媚びる必要なないけど、へりくだることは必要だと思う。
客ってのは、ほんとに相手を見ているからね。
しかし不作法なサービスをする人は、そのへんが見えなにのですね。
まあ、そんなサービスしか出来ない人にはなにを言っても無駄でしょう。
こっちは、もうその島を訪れないだけなのだから。
たったひとりの貧乏旅行人が減るだけなんだから。
2002.2.10 『無料宿泊所』
梅雨時に、バイクで北海道を走った時の出来事です。
サロマ湖の観光案内所でキャンプ場を紹介してもらおうと思って入ったら
トコロの無料宿泊所を紹介してもらいました。
それはトコロの駅にあり、電車の車両を宿泊所にしているものです。
その年の初めての利用が私でした。
し・しかし、寝ようと思ったら電気が消えない!一晩中消えなかった!
(自分では消すことは出来ません)
寝不足で、ウトロウトロしていると、朝方そこを管理している親父が来たので
その旨を話すと・・「あーそう」
その顔は、無料なんだからガタガタ言うな!と書いてあった。
「ちくしょう!こうやって男を磨いていくんだな」と自分を納得させるのであった。
2002.2.4『あなたは、やっちゃん?』
東京からフェリーで乗り合わせた人に、「近くに来たら家へよってけよ」
と言われたことをいいことに、本当に訪ねたことがありました。
夏の北海道を自転車で走った時の出来事です。
出迎えてくれたのは、その人と、その人のお袋さんと猫一匹でした。
しかし、その人はすぐさま何処かへと消えてしまいまいた。
どうもこの人を見ていると、やっちゃん関係の人なのではないだろうかと思えてなりませんでした。
なんか感じるのですね。
フェリーの中では感じることはなかったのですが、この家にいるとそうに感じました。
翌朝は、朝食をご馳走になり、弁当も作ってもらって挨拶もすませ出発しました。
その人は、夜遅く帰って来てまだ寝ていました。
その人の名は、正道さんといいます。
走りながら「うーむ!」と唸ってしまいました。
2002.2.1『寝る場所は、いつも迷います』
野宿をする時は、寝る場所を探すのに困ります。
バイクだと、行動範囲も広いので、それほど困ることはないのですが
自転車の場合は、行動範囲が狭いので早めに決めようと思っていました。
しかし、いったん都市部に出てしまうと話が違います。
福岡の小倉に出てしまった時も、ほんと困りました。
仕方がないので、小倉駅に寝ようと思いました。
寝袋に入り、うとうととした瞬間に警官に起こされ
「お金は大丈夫?」と聞かれ「はい。肌身はなざず持っていますから」と答え
警官が去ったと思えば、タクシーの運転手に
「深夜になると、ここは電気が消えるよ」と言われました。
なんだか恐くなり、フラフラと駅をあとにしました。
24時間営業の食堂に入り、おばちゃんにその事を話すと
ワゴンの車だけど寝ててもいいよ、と言われ遠慮なく寝させてもらいました。
朝食もご馳走になり、世の中なんとかなるもんだなあと
心地よい朝日を浴びながら、感謝!
2002.1.26『かっこいいとは』
たしか長崎を自転車で走った時の事です。
坂道で、押して歩いていた時の事です。
後ろから、70歳前後の老人がバイクに乗って近づいてきました。
そして、昼飯を御馳走してくれるという。
こちらとしては、いい経験なので遠慮なく貰うことにした。
その人は若い頃、私も旅をしていてお世話になったからといって遠慮はいらないからと言った。
お金を払い、すぐさま出ていった。
一応はお礼を言った。
しかし、お礼を言われることを、その老人は望んだ訳ではないと思う。
お互いが判っていれば、お礼は必要ではないのでしょう。
金は天下の回りもの、と言われるが
情もまた、天下を回るものだと思う。
そういうことを判っている人は、『かっこいい!』
2002.1.22『南に行くほど、美人が多い?』
青森県 田沢湖のキャンプ場で一泊した時のことでした。
多くのバイク仲間が、キャンプをしていました。
みんなで集まり、酒盛りをしていたら
一人のライダーが
「南に行くほど、美人が多いよね」とか言っていました。
九州の女子高生にわざと道を聞いたりする、とかも言っていました。
日本中、自転車で走りましたが、私個人としては
南に行くほど、美人が多いとは感じませんでした。
まあ、私の場合は暗い顔をして走っていたからなあ。(笑)
そこまで気が回りませんでした。
ただ、気候によって性格の気質というものは違う気がします。
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