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旅で感じたこと&独り言       2


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    2002.12.30   『哀れ』

    今月号のナショナル・ジオ・グラフィックの特集記事に「日本の冬の野生動物」というのがありました。
    その中に「哀れ」という言葉が引用されています。

    その意味する内容は、
    「もののはかなさがもつ美に触れた時に生じる感情を表す。ものが失われることに対する哀惜の念ではなく、しみじみと感動した気持ちを表す言葉だ」とあります。

    私は、人の感情の中で一番大切な感情は、哀しみだと思っています。(鳥の風景  ヤマガラ
    哀しみを持っていないと、失われた時に初めて気付く愚かな人になってしまう。

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    2002.12.25   『認識する』

    心理学者の河合隼雄さんの本を読んでいたら、
    家族の崩壊は、日本人が「イエ」という制度から西欧の核家族というものを取り入れたことを認識していないことから、始まった・・
    といった内容がありました。

    「イエ」というものが、良い悪いかは別として、「イエ」という宗教が無くなってしまったことは、
    日本人の心には、凄く影響してきたのだと思います。

    前に、河合隼雄さんの本の中で、オウム事件のことが書かれてあったことがありました。
    事件が起きた時に、「日本人のバカ者め!これは日本人全体の責任だ!」
    と思ったそうです。
    そうに認識している日本人は、どれだけいるのでしょうか。

    ドストエスキーの言葉に
    「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由である」

    貴方は今、幸せを認識していますか?

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    2002.12.19   『習慣』

    「このくれも又くり返し同じこと」(芭蕉七部集)というのがありますが
    大人になると、同じようなことが起こり、同じようなことに怒ります。

    「習慣は第二の天性」と言った人がいますが、憎しみが習慣になってしまったらどうしよう。
    確かに習慣は、人には必要不可欠なことではありますが・・

    ただ習慣に流されていたら、同じような繰り返しで、あっという間に時が過ぎてしまうような気がします。
    時には、非習慣的なものも取り入れることも必要かもしれませんね。

    体育会系的な行動第一主義もいいもんです。
     

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    2002.12.14    『何から学ぶ?』

    普段は、パソコン、バイク、旅行等の雑誌、本などはめったに読みません。
    だから基本的な事柄しか理解していないし、出来ません。

    それで不自由かというと、そうでもありません。
    1日24時間しかないので出来ることは限られているから、ここまでという線引きも必要なのかもしれません。

    レオナルド・ダ ・ビンチの言葉に
    「ダメな画家は画家から学ぶが、良い画家は自然から学ぶ」というのがあります。

    メカニカル(機械的)な部分は、本で補うことが出来るのですが、それ以上のことはやっぱり
    その本には、書かれていないように思います。

    ダ・ビンチの言葉は、偏狭になるなと言っているように思いますが。

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    2002.12.12     『定番』

    長年愛用しているものは、自分の分身のような気持ちになります。
    物に人の魂が宿るというのも判るような気がします。

    長年愛用しているものの中に、靴と皮ジャンがあります。
    時々、ミンクオイルを塗ってあげると見違えるほどしっとりとしてきます。

    靴は、グットイヤー・ウエルト製法という縫い方で作られています。
    この製法だと、ソールの交換(6000円〜8000円)が出来ます。
    ソールは、ビブラムソール(イタリア?)が使われていて、アウトドアーの靴にはよく使われています。

    皮ジャンは、ラム(羊)の皮で作られています。
    バイク用にというわけではなかったのですが、ジッパーが首まで隠せるので寒さもOKです。
    ラムは非常に弱い皮なので、すり減ってきている部分もあるのですが、裏地の方を交換した方がいいかなと思っています。

    どちらも私のお気に入りの持ち物なのですが、こういったものをたくさん持っていた方が豊かなような気がします。
    ただし、流行に左右されず飽きのこないものを選ぶことをしないと長年使うことは出来ません。

    高級品でなくてもいいから、そんな物との出合いは楽しいものです。^^

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      2002.12.11   『プレゼント』

    巷では、プレゼントという言葉で一杯です。
    プレゼントの語源は、「存在」と聞いたことがあります。
    私の存在を相手に渡すという意味だったと思いますが・・

    儒教の「礼」は、相手の思いやりを形に表すという意味があるそうです。
    「贈り物(ギフト)」というものも、礼なのでしょう。

    プレゼントと贈り物というのは、どのようにして使い分けたらいいのだろうか。
    オー・ヘンリーの「賢者の贈り物(The Gift of the Magi)」は、多くの人が知っていると思うけども
    こういった贈り物なら歓迎かな。

    個人的には、プレゼントは渡したくないなー。
    こんな存在(私のこと)を貰っても迷惑なだけでしょ。^^
    (誰も貰いたくねーよ!)

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    2002.12. 9  『選択』

    時々、図書館に行きます。本は買って読むべし!と思っているのですが
    図書館で借りることも多いです。

    たまに新書判などで目をつむって本を選ぶことがあります。
    自分で選んでいたら絶対に借りることはないだろうなという本も借りてきます。

    全部を読まなくても、パラパラ読んでいてもいいわけですから、気軽なもんです。
    でもこの選び方が新鮮だったりします。

    自分の感性を疑うことも必要なことなのかもしれません。
    まあ、ホントどうでもいいような感性しか持ち合わせていないと思っていますので
    自分の選ぶ基準と違う本を読むことも大事なことなのだと思ってしまいます。

    旅行先を決めるのも、もう殆ど自分の趣味ですからね。
    それが偏狭な自分を作っていないか不安に思ったりすることもあります。

    日テレ系の所さんの「ダーツの旅」を見ていると、いいなあこんな旅ってと思います。
    (ダーツの旅・・ダーツを投げてランダムに行き先を決める旅です)
    本気で「ダーツの旅」をやってみようかなと思っているんですよねえ。^^

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    2002.12.6   『働く日本人』

    日経ナショナル・ジオ・グラフィックを定期購読しています。
    今月号の特集記事で「働く日本人」という内容のものがあります。

    昭和20年代、30年代の日本人の働く姿が写真に収まれています。
    農村、塩田の写真を見ていると、ホント日本人は働いて働いてきたのだなあと感じてしまいます。

    バイクで北海道 道東をツーリングしていた時に、漁港でバイトしているライダーと話した時がありました。
    一緒に働いているお婆さんたちを評して
    「バカみたいに(本当は差別用語を使っていましたが)働く」  と言っていました。

    働くことが当然だった時代に暮らしてきた人たちは、それが自然なことだったのでしょう。

    全てが合理化して、面倒なもの非合理的なものは忘れさられてしまう。
    その結果、国土は荒廃してしまう。
    この雑誌では、かつての姿を取り戻すには、あまりにも課題が多い
    と結んでいる。

    働くこととは、どういうことか・・
    そんなことをちょっぴり考えてしまいました。

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    2002.12.4   『はい チーズ!』

    たまに写真を撮ってくれませんかと言われます。
    こんな時は、「はい チーズ!」(今は言わないか)と言いながら撮るのかなと思いながら撮っています。

    一番美しい顔を撮って下さいという合図なのかもしれません。

    人は、どのような顔の時に美しいと感じるものなのか・・
    笑顔、嬉しい時、こんなところであろうか。

    でも本当に美しい顔は・・と思う時、
    人の痛みを自分の痛みのように感じている時の顔かな・・

    優等生的な発言だけれど、めっきりそんな顔に出会うことはなくなったなあと思ったりしています。
    てめーのバカ顔を見たのか・・と言われそうだけどね。

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    2002.12.3    『リズム』

    文字が多くの人々に行き渡っていない時代には、人々は言葉が残るようなリズムを付けて
    大事なことを伝承していったといいます。
    その人に伝えたい言葉があるのならば、リズムのいい言葉を贈るのがいいのかもしれませんね。

    生活にもリズムが必要かなあと思ったりします。
    生活のリズム・・・
    その人が心の渇きを抱いていたならば、潤してあげることかな・・(理想)

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    2002.11.26   『怒る!』

    バカズラしてFMラジオを聴いていたら、「北の国から」からの倉本聡さんが出演されていたことがありました。
    倉本さん曰く「いつも怒っています」と語っていた。

    ドイツの児童文学者のケストナー(飛ぶ教室、ふたりのロッテなど)は、怒るから楽しいのだといっていたそうだ。
    案外、倉本さんも楽しんでいられるのかもしれない。

    「俺もいつも怒っているよ!」
    あんたの場合は、怒っているのではなく不機嫌なだけだ!!
    怒ることも、結構むずかしいのだ。
    (あんた=私です^^)

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    2002.11.23     『どうでもいいこと』

    夢を鮮明に覚えておきたい時は、夜、寝る前に両手をあわせて言い聞かせると夢を忘れないそうです。
    こんなどうでもいいことが大事なのだそうです。
    ただし実生活と夢の世界が逆転してしまったら大変ですから、あまり深入りはしない方がいいそうです。

    たしか芥川の作品にもこれと似た話があったと思うのですが、どうでしたか。
    日頃、代官にいじめられていた農民が夢の世界では逆転していまうのですね。
    代官もまた同じ夢を見ていて、これまた逆転してしまうのです。
    だから日頃いじめられていても平気になってしまったという話でした。

    話は違う方向に向かってしまったのですが、戻します。
    「どうでもいいことが大事」ということにムムッと唸ってしまいました。

    こういうことってやはり大事なんだなあと自らを振り返っても思います。
    普段は「どうでもいいこと」をないがしろにしているのですね。

    たまには好きな人に「好きだよ」とか「愛しているよ」とか
    どうでもいいことを言ってみたらいいのかもしれませんね。

    どうでもいいことだけど・・

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    2002.11.22  『知恵とは』

    暗いニュースを見るたびに、この人たちは「因果応報」とか「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」という言葉を知っているのだろうかと思うことがあります。

    「酒は百薬の長」という言葉がありますが、この後に続く言葉に「されど万病の元」というのがあるのをどれだけの人が知っているのだろうか。
    「いい加減」という言葉も、ほどよい加減という意味も含まれているし、物事には2面性があるということであろうと思うが、けっこうこういった言葉は、自分の都合のいいように解釈するみたいですね。

    話は前後しますが、物事はいづれ自分に返ってくるという昔の人の生きるための知恵が言葉になって現在(いま)に伝わっていると思うのですが、そういった知恵はもう失われてしまったのかな。

    人を見る場合も、その人の2面性をしっかりと見つめる人は少ないように思います。
    どうしてか? そのような人は生きていくには辛すぎるからです。

    自分だけさえよい・・もうそこからは知恵は生まれない。

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    2002.11.17   『逃げろや逃げろ!』

    「ぞうの時間ねずみの時間」という昔ベストセラーになった本があります。
    内容は殆ど忘れてしまったのですが、たしか象とネズミが一生のうちに鳴る
    心臓の鼓動は同じ という内要だったと思います。

    ヒト、象、ネズミ・・同じ時を生きているのに同じ時間じゃない。
    そういうことをふまえて接しなくてはならない・・ということだったと思います。

    これは人に限ってもいえることかもしれません。
    ただボーーと生きている人と、ほんの些細なことでも感動できる人とでは
    時間の感じ方も相当違うのではないかという気がします。

    毎日を感じながら生きていたい・・
    でもボーーと生きている人には近づかない方がいいかもね。
    概ねこのような人は嫉妬深く、人の不幸でしか自分の価値を見出せない人たちだから
    このような人が近づいて来た時は、「逃げろや逃げろ!」

    喧嘩同様逃げるが勝ちなのだ。
    でないと踏まれてペチャンコになっちゃうよー。
     

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    2002.11.14   『愚も急げ』

    「ぼ」と「け」がないと人は痴呆になりやすいと言われているそうです。
    「ぼ」はボーとしていて無感動な人。「け」は体を動かすのをケチることだそうです。

    どうして年を重ねると動くことがおろそかになるのだろうかと考えることがあります。
    たとえ旅に行こうとしても、行こうかどうしようかなと迷うことがあります。

    「損得勘定」だな・・と思う。
    これをしたら本当に自分のためになるのかという計算。計算高くなる。^^

    そういえば昔から数学が苦手だったかな。数字を見ると卒倒してしまう。(笑)
    そんなバカ男が計算しても答えが出るわけないか。

    「善は急げ」という言葉があるが「愚も急げ」も必要かな。

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    2002.11.9   『かわいい』

    子供はなぜかわいいのか・・
    それは私を守って頂戴という自営本能だという。

    でも、そのかわいさに「まあいいか!」という付加価値が伴う。
    よく言う「親ばか」と言われるものだろう。
    そのかわいさに身も心も捧げてしまうかわいさなのだろう。

    夜な夜なかわいいギャルを求め大枚をお店に投資してしまう男どもは
    仮面をかぶっているとも知らず、金も心も捧げてしまう。
    「なんて男はバカなのだろう」と言われるものだろう。
    (そんなバカに時々なりたいものだ)

    よく「結局、あいつは自分がかわいいのさ」という言い方がある。
    この「かわいさ」には、なんら付加価値がつかない。
    こんなかわいさだったら、いらない。
    「なんて男はバカなのだろう」と言われた方がうれしい。

    自分がかわいくなったら、男なんてやってられねえよ!

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    2002.11.8  『川の流れに身をまかせて』

    どこかで聞いたことのあるタイトルだなあ。^^

    カヌーイストの野田知佑さんの本が好きでずっと読んでいたことがあります。
    いつかおれもカヌーを浮かべるぞ!と思って、ファルトボート(折り畳み式カヌー)は
    素人では無理なので、ゴムカヌーを買ってしまったことがあります。

    初めて浮かべた日に釣り師と喧嘩になってしまいました。
    私の方にも目配り、気配りが出来ていなかったのが、原因かもしれませんが
    釣り師の言い分にも落ち度があったと思います。

    釣り師は、「おらは金を払って釣りをしているのだから入ってくるな!」
    という言い分です。
    「金を払えば、ここはあんたの土地かい!」
    というのが私の言い分です。

    その当時、私は釣りの年度券を持っていたので「年度券持っています」
    と言ったら、そのおやじは黙ってしまいました。

    そのおやじの考え方は「社会福祉を受けている人は贅沢はするな」と同じではないか、とさえ思います。
    金を払っている人が偉いのか? 贅沢が人を幸せにするのか?

    そういえば今年はゴムカヌーを川に浮かべることはありませんでした。
    川の流れに身をまかせられない川なんて・・川じゃない!
     

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    2002.10.31   『そっと生きていたい』

    タイトルは、松下竜一さんの本の題名です。
    前に松下センセの「底抜けビンボー暮らし」を読んだことがあります。
    新聞の書評と題名に惹かれて読みました。

    松下センセ(本の中では、このような呼び方をしていますので)は大分県中津市で暮らしていて
    作家なのにビンボー暮らしです。なぜビンボーなのかは、売れるような作品は書かないからです。

    前に、国営放送で松下センセと奥さんがドキュメンタリーという形で紹介されました。
    食パンを買い求め鳥たちに与えている姿が印象に残っています。

    私の好きな言葉に「穏やかに生きることを学べ(釣魚大全)」というのがあります。
    松下センセの本は、誇りとそんな言葉を思い起こさせてくれます。

    『そっと生きていたい』
    紹介文・・売れないビンボーな物書き稼業の松下センセ。満身創痍の体で、反戦の座り込みに参加する。苦しい息をつきながら、五匹の犬と二人の孫と遊ぶ。「ビンボー・シリーズ」最新刊。

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    2002.10.27   『センス・センス・センス』

    ある本の中に、こんなようなことが書いてありました。
    「センスある若者とセンスある老人が手を握りあえば、色んなことができる」と・・・

    よく世代のギャップといわれるるが、センスないもの同志が一緒にいれば自然とギャップは生まれるのだろう。
    自分のセンスの無さを人にぶつけるのは、滑稽としかいいようがない。

    じゃあセンスって何?
    と辞書をひくのも面倒なので、面倒なことは自分で考えてみる。
    センス・・・・無駄がないということかな。そして無駄じゃないということ。

    そう、私もあなたも生きていることは無駄じゃない。
    そうに思えることが、私にとってのセンス・・かな。

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    2002.10.24   『正義』

    切符の手配をしようと思い、駅に自転車で切符を買い求めに行った時のことです。

    自転車を邪魔にならないように壁に立て掛け、10分位して出て来ました。
    すると警官が近寄り、少し長いようでしたねと言われ、反射板が付いていないようですねとも言われた。
    その態度が高圧的だったので、ムッとした。

    警官になって、間もないだろうと思われるその人は、住所と名前を聞こうとして交番に連れていかれそうになったのでした。
    私のもっとも嫌いな高圧的な態度で人を従わせようとする態度に、そして何ゆえに住所と名前をあなたに知らせなくてはならないのかが、いまいち判らなかったので警官の言葉は無視してそのまま帰ってきた。

    どうも警察官の考えていることが私にはわからない。

    わが町では、こんなことがあった。
    何年か前の話だが匿名で毎月、交通遺児基金に寄付をしている人を警察が見つけだし、新聞にも載った。

    その記事を読んだ時、なぜに見つけるのかなあと不思議だった。(ほんとは判るけど)
    見つけださないで、こんなことがありました。・・でもよさそうなことなのに。

    どうも警察の考えていることは私にはわからない。
    わかることは、この社会には正義は必要ないってことだろうか。

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    2002.10.15    『ほこり』

    シンプルな家具で有名なシェーカー教家具について調べたことがあります。
    シェーカー教というのは、もう数人しか残っていないそうで自然消滅の道を歩むと読んだことがあります。
    でもシェーカー教家具は、家具そのものは継承されているので永遠に残るのだろうと思いますが・・

    このシェーカー教というのは、「ほこり」を嫌っているのですね。(嫌っているという表現が正しいかどうかはわかりませんが)
    「ほこり」といっても、この「埃」ですが・・
    (たしか 「埃を天国に持っていくのですか」という言い方をしていたと思いますが・・)

    シェーカー教は必要最低限のモノで暮らすライフスタイルですが、いいなあと思う反面、味気ないなという気持ちもあります。
    だけど埃が好きな人はいませんよね。
    自分の才能に埃が被っていたら、すぐにでも払わなくてはなりませんしね。

    自然界の中には、埃はあるのだろうかと考えたりしています。
    ない・・ですよね。
    埃は人が作り出したものなのかもしれません。
    そんなものを作ったおかげで、埃を払わなくてはなりません。

    「ほこり」ってなんですか?

    それは、お金にもあるし便利さにもあるんじゃないか。
    おおまかにいえば欲望かな。

    「ほこり」のない生活をしたいものです。
    森のように、自然にいられるということは、むずかしいことかもしれませんが、
    むずかしくしているのも、「ほこり」なんでしょうね。

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    2002.10.14   『キャンプ場料金』

    ソロツーリングでキャンプ場を利用する場合は、料金1000円以下というのを目安にしています。
    オートキャンプ場の場合は一区画いくらという計算なのでソロの場合は利用することはありません。

    東北ツーリングの帰りに新潟の五十沢キャンプ場に泊まったことがあります。
    管理棟でお金を払う時に、一泊1500円くらいであったと思います。

    少し高いなという印象で、腕組みをして「高くないですか?」と言ってしまいました。
    素直に払えばよかったのですが、来る途中に新潟で不愉快なことが何度もあったので思わず口に出てしまいました。

    う−むと悩んでいると、管理人の人が「安くしましょうか?」と言ってくれました。
    「いやいや、私はそんな意味で言ったのではありませんよ」と言い訳して正規の料金で泊まりました。

    五十沢キャンプ場は、ビーパルの「本当に気持ちよく泊れるキャンプ場100」に選ばれています。
    hpもあるので調べてみると、テントフリーサイトは料金1000円とありました。
    安くなったのかな。
    このくらいの値段でないと、ソロの場合は気軽に泊れないなあと思っています。

    キャップマナーはすこぶるいいと自負していますので、強気で言えるのですが・・

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    2002.10.8   『冒険家 植村直己』

    新聞の切り抜きを見ていたら、登山家の野口健さんのことが書かれてありました。
    野口さんもまた故植村さんの「青春を山に賭けて」に感化されて登山家になったそうです。

    私も植村さんのことが好きで色々と本なども読んでいます。

    植村さんの大学時代の日記にこんなことが書かれていたそうです。
    「頭で負けるならば忠実さ誠実さで勝とうではないか。勝つ道は工夫研究すればいくらでもある」

    自分自身、自分のことをバカバイク野郎とかバカ自転車野郎と平気で言えます。
    これもバカHPですけどね。

    そういったことを平気で言えるのも、植村さんのこの言葉があるからなのですね。

    植村さんを見ていると、本物だなあと思います。
    ニセモノが多い世の中で、本物の人の言葉は私の心に刻みこんでいます。

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    2002.10. 1   『もうひとりの自分』

    ある本の中に、このようなことが書いてありました。
    『中国の歴史家、司馬遷は1日のうち2時間だけでも別世界に住みその日その日の煩悩を絶つことができれば、それは精神と肉体の牢獄に閉じ込められている人達から羨望される特権を得たことになるといった』 (司馬遷は史記を編纂した人ですね)

    よく本当の自分探しとか言われますが、もうひとりの自分探しと言った方が気軽に出来るのかなあと思います。
    「本当の自分はなんなんだ」と深刻に悩むよりも、情けない自分も本当の自分なんだと認めた方が楽しそう。

    一日のうち二時間だけ『もうひとりの自分』を作ることが出来たら羨望されるのだろうなあ。

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    2002.9.30   『一流』

    去年の今頃、冒険ライダーの風間深志さんの話を聞いて一番印象に残っている言葉は
    「人にとって一番大事なことは、笑顔と気配りができること」と言っていた言葉でした。

    冒険家の故植村直己さんは、まさしくそんな人でした。
    いろんな本を読んでみても、おそろしく気を使う人だったといいます。
    風間さんも植村さんと少し交流があったようですから、もしかしたら植村さんのイメージがあったのかもしれません。

    私にとって一番大事なことは、言葉は少し違いますが
    「人にはそれぞれ事情というものがある」と相手を理解することです。
    それを気配りというのかもしれません。

    ついこの前に読んだ本の中に『静かなる自信』という言葉がありました。
    こういうものを秘めている人は、自然と笑顔と気配りが出来るのでしょう。

    では、『静かなる自信』を手に入れるには・・
    植村さんの言葉にこんなのがあります。

    『君たちに僕の考えを話そう。
    僕らが子供の頃、目に写る世界は新鮮ですべてが新しかった。
    やりたいことは何でもできた。
    ところが年をとってくると疲れてくる。
    人々は諦めみんな落ち着いてしまう。大部分の人は夢を失っていくんだよ。
    でも僕らはいつまでも子供の心を失わずにこの世の中を生きようと思う。
    不思議なもの全ての美しいものを見るために。
    いいかい君たちはやろうとおもえば何でもできる。
    僕と別れたあともその事を思い出してほしい』

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    2002.9.23   『中芯』

    昔の日本人は、心は「腹」にあったという。
    腹、腰に関する言葉が多いのも、そういったことがあるらしい。

    腹がたつ、腹心、腹が減る(これは違うか ^^)
    なぜハラキリなのかも、わかるような気もする。

    中田、イチローなどのプレイは、軸がしっかりしているからという人も多い。
    頭で考え、体で覚えることを徹底しているのかもしれない。

    ムカデが、どう足を動かそうと頭で考えたら、動けなくなったという寓話もある。
    けっこう的を得ていると思う。

    現代の「足ながおじさん」には、偽善がつきまとう。
    それは頭で考え、頭で行動しているからかもしれない。
    頭で考え、体で行動したら偽善という言葉は、発せられないだろう。

    職人は、師や先輩の仕種を見よう見まねで体で覚えるという。
    それを躾(しつけ)とはいえないだろうか。(無理がある?)

    だとしたら・・
    字のごとく、体で覚えることは美しい。

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    2002.9.21    『感動』

    九州を自転車で旅行していた時に、バイクを乗っている人を見てむしょうに
    バイクに乗りたいと思い、帰ったら免許を取ってバイクに乗ってしまいました。
     
    最初にバイクに乗った時は、感動しました。
    今、バイクにまたがってもその感動は味わえません。
    飽きた・・そうかもしれません。

    飽きることも成長過程なのだ・・とも言われますが本当にそうなのだろうか。
    そのことを言い訳に使ってはいないだろうか。

    飽きることなく突き進むものがあれば、それを『夢』と呼んでいる。

    「いつまでたっても成長しないねえ」と人は言う。
    バイクと共に、夢をつむごうか・・

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    2002.9.16  『懐かしむ  2』

    川本三郎さんの本を読んでいたら、『懐かしむ』ということに、こう書かれてあった。
    「ついこないだまであって今はなくなってしまったものに対する感情である」

    懐かしむ・・という感情が決して悪い感情ではないが、
    今の時間が、将来「懐かしむ」時間であったなら、今は、はかない・・時間である。
    だって、なくなってしまうものだから。

    そして、この本の中には、こうも書かれている。
    「写真は、時の流れの中で永遠という不可能な時間をとらえようとする。
     だから写真は本質的には、はかないメデイアだ。一瞬のあいだしか生命を持たない」

    だからこそ『一枚の写真』が、人を魅きつけるのだ・・・

    「東京おもひで草」  川本三郎著  ちくま文庫

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    2002.9.10     『音風景』

    MDで旅先の音風景を録音したことがあいます。
    しかし、帰ってから試聴したのち、未だに聴いたことはありません。

    いつ聴くのだろうかと思うことがあります。
    答え・・聴きたい時(笑)

    アルツハイマーの老人が、初恋の人にあったら良くなったという話があります。
    この話から、どんな教訓を得ますか?
    答え・・初恋の人とは結婚はしないほうがいい(笑)

    音風景は初恋の味と似ている。
    映像と違い、頭の中で膨張している。
    そしてそのことを楽しんでいる。

    だから当分は聴くことはないだろう。
     

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    2002.9.6   『モノと道具』

    モノと道具の違いは、なんだろうか?
    身近な物を見回しても、これはモノ?それとも道具?

    腕時計を見ても、時間を確認しなければモノ・・
    時間を確認すれば道具・・
    こんな分け方ができるかな。

    モノに囲まれた生活はしたくない・・
    かといって何もない生活もしたくない・・

    道具に囲まれた生活をしたい。
    愛着をもって道具に接すれば、
    道具は利用するものではなく、分かち合うモノだと判る。

    夢を紡ぐのも、道具が必要なのだ。


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