このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ひとりごと 11

ひとりごと  11

 

片付け

脳と心

幸福論

自信満々

アメリカンベースボール

前向き理論とじり貧

散歩

新しもの好き

碑(いしぶみ)

継続は力なり

くくるな!

飄々(ひょうひょう)と生きる

共鳴

負け組勝ち組

捨てゴミ考

一流

鎮める


『片付け』

時間があれば片付けをしていました。

あってもなくても同じならば、ない方が良い・・という理由で整理をしていったのですが
モノが少なくなっていくのは、なぜか寂しく感じてしまいます。

でも開いた空間には、想像力がつまっています。
どんな本を置こうか、どんな写真を飾ろうか・・など。

本来、人は「間」を愉しむといったことをしてきたのだと思います。
それが余裕であり、人の器なのだと思うのでした。

目次へ


『脳と心』

国営放送のビデオ「脳と心」というのを観ていました。

脳に似合わず、愛について考えてみました。

幼児期における親からの愛情が大事だというのは広く知られていますが、
その脳の成長期が大人になっての愛を左右するらしいです。

なぜ人は人を好きになるのか・・は、ドーパミンという快感物質が刺激をして好きという感情が生まれるそうです。
その「刺激」というのが成長期に作られた脳ということですね。

では愛とはなんだろうということになりますが、人とのつながりを作り出す環境、生きる喜びを分かち合う心・・
そのように本来脳は出来ていくそうです。

話は変わりますが、原田宗典さんの「幸福らしきもの」の本の中に「美」という語源が載っていました。
この字は「羊が大きい」となっていますが、「大きな羊を分かち合ってみんなで食べる」というのが発祥だそうです。

ですので愛と同じ意味合いですね。

・・脳というのは驚くべき復元力や柔軟性があるそうですから今からでも鍛えることは出来そうです。
ドーパミンが刺激をする所がないなんて悲しすぎますから・・

注)うろ覚えなので表現が間違った部分があるかもしれません。

目次へ


『幸福論』

エッセイストの原田宗典さんの「幸福らしきもの」という本の題名を眺めていたら
そうだよなあと自ら納得してしまいました。

これが幸福だ!という思える時があっても、もしかしたら不治の病にかかっているかもしれないし
そうだとしたら幸福だと思えた時間が滑稽にさえ感じてしまうかもしれません。

だから結局、「幸福らしきもの」しか現在にはないのかもしれません。

もし幸福というものが存在するのであれば、「今生きている一瞬の生きる喜び」でしょうか。

一瞬は一瞬で過去になり、時間が過去を美しくしてしまいますから・・

目次へ


04/08/11 『自信満々』

外から鳴き虫の声が聴こえます。
夏日が続いていても確実に秋の気配を感じます。

野球の話だったので続いて野球の話を・・

以前、野球解説者の衣笠さんの言葉で印象に残っているのがあります。
「実力がまだついていなくても自信満々で投げられると打ちにくい」

なぜかこの言葉を覚えています。
どうして自信満々で投げられるのだろう・・

日頃の努力に裏打ちされた自信?それとも勇気?

打ちのめされるという不安と闘いながら
そしてうち取った時はヒーローという名の称号が与えられる。

輝かしい未来は、そこから始まる。

目次へ


04/08/10 『アメリカンベースボール』

先日の深夜に元ダイエーホークスの秋山幸二さんがアメリカのマイナーリーグをレポートしたテレビ番組がありました。
マイナーでメジャーを夢見ている日本選手、審判を紹介していました。

現在、マイナーリーグは250程のチームがあるそうです。人口が日本の約2倍ですから、その数には驚かされます。
と同時にベースボールという裾野の広さを感じました。

マイナーリーグであっても楽しむ観客がいて夢見ている選手、審判がいる。
ベースボールが根付いている証拠です。

Jリーグの理念は、日本各地に芝生のあるサッカー場を作ることだったような気がするのですが、
それが実現して裾野が広がったら日本の野球はどうなってしまうのだろうか・・

なんでもそうですが裾野が広くなかったら、じり貧になってしまうような気がします。

目次へ


『前向き理論とじり貧』

前にも書きましたが、割り窓理論(ブロークン・ウインドウズ)というのがあります。
知っている方も多いと思いますが、ニューヨークで割れた窓ひとつから、それを起点に犯罪が膨らんでいってしまうのを膨らむ前に窓を直してしまおうという考え方です。

私も考えてみました。贈り物理論。
どうせお金でモノを買うのなら贈り物をしあった方が断然豊かなのは決まっている。贈り物をすることにより相手の事をより知ることが出来るという考え方です。

でも、贈り物をするには良いコミュニテイーを日頃から作っておかなくてはなりませんけど・・

逆に、どんどんじり貧になっていってしまうことってあります。
目先の損得にしか目に入らず、まわりの人間のモチベーションが下がっていってしまう。
そういったことに気付かないのですね。

やはり前向きな人とつき合った方が無難です。^^
これも前向き理論?

目次へ


『散歩』

買い物その他、近くを移動する時は歩く場合が多いです。
夕方近くでしたらコウモリが飛んでいるのをよく目にします。こうした動物は見る意識がないと見ることが出来ないのだなあと思います。
コウモリは人には危害も与えないですから・・

夜になると年輩の人の歩く姿をよく目にするようになりました。
そういえば今月号のナショジオ誌に肥満の話が載っていました。栄養過多の人口が栄養不良の人口と肩を並べる時代だそうです。
なんとも・・

それにしてもこの人たちの中には、道幅一杯に広がり横一列に話しながら歩いてきて避けようともしないことが多いです。
見る意識がなくても見えてしまう人の世界の難しさ・・

吸血鬼になって血を吸ったろか!と思いつつも美女じゃなければ吸いたくないなあ・・わっはっは!

目次へ


『新しもの好き』

五木寛之さんと植草甚一さんの対談集を図書館で借りて読んだことがあります。
ずいぶんと前の本です。

植草甚一さんの本は読んだことがないのですが(もう亡くなられています)、ジャズ評論家、洋書も蔵書がたくさんあったということしか知りません。

その対談集の中には「僕は新しもの好きなんです」という言葉があったと思います。その時に五木さんもびっくりとされていたと記憶しているのですが、私も意外だなあと思ったものでした。

五木さんの「僕の見つけたもの」という本に植草さんから贈られた鉛筆立てがありました。
それは雑誌などから切り抜いたものを鉛筆立てに貼付けた代物でした。

植草さんの「新しもの好き」というのは、こういったことではないだろうか。
なんでもかんでも新製品が出ると買い求めるというのではなく、御自身の感性。

いつも感性を新しくしておくという意味での「新しもの好き」。

温故知新という立派な諺もあるけど、その逆もあるようにも思います。
いつも自分自身に新しい風を吹かせておく・・そういった意味としてその言葉を受け取りました。

 

目次へ


『碑』

作家のなかにし礼さんの小説に「兄弟」という作品があるのですが、(テレビドラマにもなりましたので知っている方も多いでしょう)その小説を書くにあたり、思い出が美しくならないうちに書きたかったと言っていました。

多くの人は嫌な記憶というのは消し去りたいと思っていると思うのですが、はたしてそれは正解なのだろうかと思う時があります。

嫌な記憶でも書き記すことによって、戒めなようなものができる。それだけでも今後の生活の中に生きてくるのではないかと思っています。

私にもこのことは書き記しておかないといけないなあと思うことがあります。
今は、利害関係があって書き記すことは出来ないのですが、それが解けた後、この人たちの人間性、経緯など克明に辛辣に書き記そうと思っています。
多分、本人は自分がどのように観られているか知るよしもないでしょう。

現代というのは、何もかも忘れ去ってしまう世の中なんだなあと思います。
人が亡くなっても時が過ぎれば忘れてしまう、事件事故が起きても何事もなかったように時が流れてしまう。

なんの碑(いしぶみ)を持たないで生きていくというのは、必ずしっぺ返しというのはくるものだと思います。

そしてある人にとっては(特定の人を指しているのではありません)、私自身が心地よい記憶の碑であってほしいものだと思います。

目次へ


『継続は力なり』

水彩画を描いてみました。
こういった絵は普段は描かないので、とまどいつつ描いたという感じです。

ただ描かないことには、うまくは描けないので続けることが大事なことなんだなあと思います。

続けるには、どうすればいいのか・・
「うまく見せようなんて思わないこと」「描きたい時にスケッチブックとペンがあること」「楽しむこと」くらいでしょうか。
これはHP作りにも当てはまることではありますが・・

このことがなかなか難しかったりしますが、続ければ絵は確実に上手くなるので(上達しようとする意志があればの話ですが)
続けていこうと思っています。(継続は力なり・・を見せつけてやります!)

上手く描けるようになればページにも載せていこうと思っています。

上の絵ですが、石橋と川を描いています。(分からないと思いますが・・)
これからどの程度上達するかは、愉しみでもあります。
それにしても下手だなあ。言い訳すれば縮小したら色が抜けてしまったのでありますが・・
スケッチブックをみるとそれ程下手ではないと思うんですが・・言い訳ばっかりだ。^^

目次へ

 

 


『くくるな!』

信じる信じないかは別にして血液型性格判断は正しいというのはインテリの解釈です。

話のネタ以上に血液型性格判断に執着している人がいました。
インテリでもない人が、性格をくくってどうなるんだろう?

インテリではない僕が武器とするものは、自由な発想、考え方のはずだ。
十人十色の性格が千差万別に枝別れして色んな花を咲かせてくれる・・それでいいではないか。

目次へ

 


『飄々(ひょうひょう)と生きる』

作家の五木寛之さんが、推奨している生き方です。

時として生きることを難しく考えたり堅苦しく考えがちです。
もっとリラックスして生きようぜ!といった感がある飄々さが好きです。

赤瀬川源平さんの文章の中に「裕福と貧乏を両方体験した文章はおもしろい」というのがありましたが
生活の中に裕福と貧乏を兼ね添えることは出来ないのかなあと考えてみました。

他人にはほどほどに裕福に接し、自分には貧乏に接する・・
「貧乏だけどシアワセよ」というスタイルを作ってしまう。

けっこう貧乏ってシアワセなような気がするのは私だけでしょうか。もちろん借金や生活苦のない貧乏ですが・・
(生活苦のない貧乏が貧乏なのか・・といった突っ込みは無用)

飄々と生きる・・というのは貧乏までも愉しみに変えてしまう朗らかさのような気がします。

目次へ


『共鳴』

先日、モーツアルトに関することをテレビで放映していました。

ながら観だったので詳しくはわからないのですが、
モーツアルトの音楽には「1/fゆらぎ(fは周波数?難しいことはわかりませんが)」が多くあるそうです。
だから聴くだけで体にいいそうです。

人の体も 「1/fゆらぎ」を発しているそうです。
一人では無理でも共鳴することによって、気分がよくなったり元気が出たりするのかもしれませんね。

相乗効果ってことかもしれません。
人とつき合うというのは難しいことだと思うのですが
尊敬しあえるつき合い方ってのがいいですね。

先日の米オールスターでヤンキースの名将トーレ監督が
「一流選手というのは尊敬しあえる」と言っていました。
松井選手の偉いところは、トーレ監督のもとで試合に出られることだなあと思いました。

話は戻りますが、指揮者の小沢さんの昔の対談集の中にこんなことが書いてあったと思います。
「モーツアルトを指揮している時に、これが神だな・・と思う時がある」

人生に目的があるとするならば、こんなところでしょうか・・

 

目次へ



『負け組勝ち組』

流行りの言葉ですが、どうしてこんな言葉が流行りだしたのだろうか。
勝ち組の優越感?

ソローの「森の生活」をパラパラと読み返しました。
ソローは、多くの人が簡素な生活をしていれば、盗み、犯罪はなくなるだろうと書いています。

富める者と富めない者がいるから、こうした事件が起こるのだと書いています。

負け組勝ち組という言葉が流行る社会は成熟した社会だといえるのだろうか・・

目次へ


『捨てゴミ考』

先日、久しぶりに自転車に乗ってきました。

林道を走ってきたのですが、やはりというべきかゴミが多いですね。
バイクですと気付かないことでも速度の襲い自転車だと嫌でもゴミを見てしまいます。

ゴミを捨てるな!という看板が書いていあるにもかかわらずゴミを捨ててしまう人たちは
捨てることに対してなんの疑問も生じないのですね。

悪いと少しも思っていない。
だから始末におえない。

ニューヨークの地下鉄の落書きが無くなったのは、何度も何度も書かれては消しの作業を行ったからです。
環境立国のドイツでさえ、ゴミを無くすために同じようなことをしていました。

分からない奴にはこれが特効薬なのです。

個人的に簡素な生活を心掛けています。
これの難しさは、単に少ない物で暮らすということではなく
物や道具に「使う意味」を与えるということであると思います。

使う意味を問うたら、むやみに物を捨てるということはなくなると思います。

ゴミを捨ててなぜ悪いのか・・と問われたら
「ゴミ程度のあなたを捨ててもいいのですか?」 と言ってあげましょう!

 

目次へ


『一流』

一流といわれる人の本を読むのが好きです。イチローや中田、松井選手、将棋の羽生さんなどなど。

先日も高倉健さんの「旅の途中で」という本を読んでみました。
その中に映画「初恋のきた道」のことが書かれてありました。
この映画は、中国映画で少女の一途な恋の話が綴られています。

ある場面のシーンで健さんは感動をしたのだそうです。
そのシーンとは少女が思い出のどんぶりを割ってしまって、それを物売りに来たおじさんに
修理を依頼するというシーンです。

おじさん「こんな安売りのどんぶりだったら買った方が安くつくよ」
少女のお母さん「私の娘が大切に思っている人が、そのどんぶりで食べた。彼女にとって思い出の品物だから、修理してあげたい」
おじさん「そうか、思い出は大切にしなきゃな」

今の日本だったら、買った方が安くつくのだったら、そちらを選んでしまうし
わざわざ高くつく修理などをしないだろうなと思います。
むしろそちらを選んだら変な奴と思われるのがオチだと思います。

映画のおじさんのような一流のセリフを吐ける人なんて殆どいないんじゃないかと思ってしまいます。
今の時代が不幸なのは、「買った方が安いでしょ」という言葉に象徴されているような気がします。

目次へ


『鎮める』

日本の文化は鎮めの文化だというのを前に読んだことがあります。
そういった儀式も日常に見ることもできますね。

風鈴なども音によって暑さを鎮めてくれます。
浴衣やうちわなどもそうかな。いい女の襟足などを見たら違う意味でクラクラしそうですが・・

リンクして頂いているhiroさんの サイト を拝見していたら、暑さを防ぐためにクーラーなどは使わず
水風呂に入り暑さを鎮めていると書かれていました。
私もクーラーなどはあまり使うことはせず、桶のなかに水を入れ足を浸して暑さを鎮めています。
椅子に座り本を読んだりビデオを見たりしていますが結構効果はあります。

「鎮める」という言葉の響きは、暑さを遮断するのではなく暑さとも折り合いをつけるような意味合いがあるような気がします。

聴覚と視覚を駆使して夏の暑さをしのぎたいものです。
そういえば、あの豚蚊取り線香の豚はどのような鎮める効果があるのだろうか・・

目次へ



トップ

 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください