このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
時間があれば片付けをしていました。 あってもなくても同じならば、ない方が良い・・という理由で整理をしていったのですが でも開いた空間には、想像力がつまっています。 本来、人は「間」を愉しむといったことをしてきたのだと思います。 国営放送のビデオ「脳と心」というのを観ていました。 脳に似合わず、愛について考えてみました。 幼児期における親からの愛情が大事だというのは広く知られていますが、 なぜ人は人を好きになるのか・・は、ドーパミンという快感物質が刺激をして好きという感情が生まれるそうです。 では愛とはなんだろうということになりますが、人とのつながりを作り出す環境、生きる喜びを分かち合う心・・ 話は変わりますが、原田宗典さんの「幸福らしきもの」の本の中に「美」という語源が載っていました。 ですので愛と同じ意味合いですね。 ・・脳というのは驚くべき復元力や柔軟性があるそうですから今からでも鍛えることは出来そうです。 注)うろ覚えなので表現が間違った部分があるかもしれません。 エッセイストの原田宗典さんの「幸福らしきもの」という本の題名を眺めていたら これが幸福だ!という思える時があっても、もしかしたら不治の病にかかっているかもしれないし だから結局、「幸福らしきもの」しか現在にはないのかもしれません。 もし幸福というものが存在するのであれば、「今生きている一瞬の生きる喜び」でしょうか。 一瞬は一瞬で過去になり、時間が過去を美しくしてしまいますから・・ 外から鳴き虫の声が聴こえます。 野球の話だったので続いて野球の話を・・ 以前、野球解説者の衣笠さんの言葉で印象に残っているのがあります。 なぜかこの言葉を覚えています。 日頃の努力に裏打ちされた自信?それとも勇気? 打ちのめされるという不安と闘いながら 輝かしい未来は、そこから始まる。 先日の深夜に元ダイエーホークスの秋山幸二さんがアメリカのマイナーリーグをレポートしたテレビ番組がありました。 現在、マイナーリーグは250程のチームがあるそうです。人口が日本の約2倍ですから、その数には驚かされます。 マイナーリーグであっても楽しむ観客がいて夢見ている選手、審判がいる。 Jリーグの理念は、日本各地に芝生のあるサッカー場を作ることだったような気がするのですが、 なんでもそうですが裾野が広くなかったら、じり貧になってしまうような気がします。 前にも書きましたが、割り窓理論(ブロークン・ウインドウズ)というのがあります。 私も考えてみました。贈り物理論。 でも、贈り物をするには良いコミュニテイーを日頃から作っておかなくてはなりませんけど・・ 逆に、どんどんじり貧になっていってしまうことってあります。 やはり前向きな人とつき合った方が無難です。^^ 買い物その他、近くを移動する時は歩く場合が多いです。 夜になると年輩の人の歩く姿をよく目にするようになりました。 それにしてもこの人たちの中には、道幅一杯に広がり横一列に話しながら歩いてきて避けようともしないことが多いです。 吸血鬼になって血を吸ったろか!と思いつつも美女じゃなければ吸いたくないなあ・・わっはっは! 五木寛之さんと植草甚一さんの対談集を図書館で借りて読んだことがあります。 植草甚一さんの本は読んだことがないのですが(もう亡くなられています)、ジャズ評論家、洋書も蔵書がたくさんあったということしか知りません。 その対談集の中には「僕は新しもの好きなんです」という言葉があったと思います。その時に五木さんもびっくりとされていたと記憶しているのですが、私も意外だなあと思ったものでした。 五木さんの「僕の見つけたもの」という本に植草さんから贈られた鉛筆立てがありました。 植草さんの「新しもの好き」というのは、こういったことではないだろうか。 いつも感性を新しくしておくという意味での「新しもの好き」。 温故知新という立派な諺もあるけど、その逆もあるようにも思います。
作家のなかにし礼さんの小説に「兄弟」という作品があるのですが、(テレビドラマにもなりましたので知っている方も多いでしょう)その小説を書くにあたり、思い出が美しくならないうちに書きたかったと言っていました。 多くの人は嫌な記憶というのは消し去りたいと思っていると思うのですが、はたしてそれは正解なのだろうかと思う時があります。 嫌な記憶でも書き記すことによって、戒めなようなものができる。それだけでも今後の生活の中に生きてくるのではないかと思っています。 私にもこのことは書き記しておかないといけないなあと思うことがあります。 現代というのは、何もかも忘れ去ってしまう世の中なんだなあと思います。 なんの碑(いしぶみ)を持たないで生きていくというのは、必ずしっぺ返しというのはくるものだと思います。 そしてある人にとっては(特定の人を指しているのではありません)、私自身が心地よい記憶の碑であってほしいものだと思います。 水彩画を描いてみました。 ただ描かないことには、うまくは描けないので続けることが大事なことなんだなあと思います。 続けるには、どうすればいいのか・・ このことがなかなか難しかったりしますが、続ければ絵は確実に上手くなるので(上達しようとする意志があればの話ですが) 上手く描けるようになればページにも載せていこうと思っています。 上の絵ですが、石橋と川を描いています。(分からないと思いますが・・)
信じる信じないかは別にして血液型性格判断は正しいというのはインテリの解釈です。 話のネタ以上に血液型性格判断に執着している人がいました。 インテリではない僕が武器とするものは、自由な発想、考え方のはずだ。
作家の五木寛之さんが、推奨している生き方です。 時として生きることを難しく考えたり堅苦しく考えがちです。 赤瀬川源平さんの文章の中に「裕福と貧乏を両方体験した文章はおもしろい」というのがありましたが 他人にはほどほどに裕福に接し、自分には貧乏に接する・・ けっこう貧乏ってシアワセなような気がするのは私だけでしょうか。もちろん借金や生活苦のない貧乏ですが・・ 飄々と生きる・・というのは貧乏までも愉しみに変えてしまう朗らかさのような気がします。 先日、モーツアルトに関することをテレビで放映していました。 ながら観だったので詳しくはわからないのですが、 人の体も 「1/fゆらぎ」を発しているそうです。 相乗効果ってことかもしれません。 先日の米オールスターでヤンキースの名将トーレ監督が 話は戻りますが、指揮者の小沢さんの昔の対談集の中にこんなことが書いてあったと思います。 人生に目的があるとするならば、こんなところでしょうか・・
流行りの言葉ですが、どうしてこんな言葉が流行りだしたのだろうか。 ソローの「森の生活」をパラパラと読み返しました。 富める者と富めない者がいるから、こうした事件が起こるのだと書いています。 負け組勝ち組という言葉が流行る社会は成熟した社会だといえるのだろうか・・ 先日、久しぶりに自転車に乗ってきました。 林道を走ってきたのですが、やはりというべきかゴミが多いですね。 ゴミを捨てるな!という看板が書いていあるにもかかわらずゴミを捨ててしまう人たちは 悪いと少しも思っていない。 ニューヨークの地下鉄の落書きが無くなったのは、何度も何度も書かれては消しの作業を行ったからです。 分からない奴にはこれが特効薬なのです。 個人的に簡素な生活を心掛けています。 使う意味を問うたら、むやみに物を捨てるということはなくなると思います。 ゴミを捨ててなぜ悪いのか・・と問われたら
一流といわれる人の本を読むのが好きです。イチローや中田、松井選手、将棋の羽生さんなどなど。 先日も高倉健さんの「旅の途中で」という本を読んでみました。 ある場面のシーンで健さんは感動をしたのだそうです。 おじさん「こんな安売りのどんぶりだったら買った方が安くつくよ」 今の日本だったら、買った方が安くつくのだったら、そちらを選んでしまうし 映画のおじさんのような一流のセリフを吐ける人なんて殆どいないんじゃないかと思ってしまいます。 日本の文化は鎮めの文化だというのを前に読んだことがあります。 風鈴なども音によって暑さを鎮めてくれます。 リンクして頂いているhiroさんの
サイト
を拝見していたら、暑さを防ぐためにクーラーなどは使わず 「鎮める」という言葉の響きは、暑さを遮断するのではなく暑さとも折り合いをつけるような意味合いがあるような気がします。 聴覚と視覚を駆使して夏の暑さをしのぎたいものです。
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