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「旅」という言葉を使う時、気恥ずかしさを感じます。 あえて・・旅から学んだものは・・
どうしてこれほどまでに殺伐とした世の中になってしまったのだろう・・ 自分なりの答えは、「あさましさ」 そんな空気を無意識に感じていたら、無意識に人を刺してしまう。 処方箋は、「旅」。 酒だって旅をした方が旨いと言うじゃないか! 昨年の暮れに徳川綱吉のドラマがありました。 「生類憐れみの令」では特に犬は大切にされたようです。一般に動物を大切にという法令として知られていますが、人間の子供も大切に保護されていました。 現代では、犬猫合わせて10万頭(?)が殺処分されていて幼児虐待が日常に起こっています。 忠臣蔵の話も入れられていて本来なら喧嘩両成敗のはずが一方だけ処分されたのは、綱吉の意向が反映された結果だったのでしょうか?(話の筋として見逃してしまいました)武士社会でありながら誰よりも「いのち」を大切にしてきた綱吉のジレンマだったのかもしれません。 先日、スポークの増し締めを行いました。 そんな時は、考えながら行うのが退屈さを紛らわすのには一番です。 で、何を考えるのか? そんなことを考えていたら、眠りにつくかのように想像の世界へと入っていきました。 こんな時に良いアイデアは生まれるのだろうな・・ 新聞の番組紹介の紙面で某俳優がパチパチ撮るカメラマンに対して「プロなら1回で決められるだろ」と言っていた。 トム・ハンクスも役者にとって一番大事なことは集中力と言っていた。 以前、渓流釣りに行っていた時は、第一投で釣れることが多かった。 大袈裟に言うなら第一投で釣りという楽しみは終っている。 1回で決められる楽しみを知っている者がプロなのかもしれない。
言葉の組み合わせというのは、面白いものだなと思います。 好きな言葉に開口健(かいこうたかし)さんの「悠々と急げ」島崎藤村の「新鮮にて簡素」など・・ 昔、アナウンサーの古舘さんが、最初に「いい意味で」という言葉を付けてしまうと何でも許せてしまう・・と言ってたのを思い出しました。 いい意味でバカだよね〜とか・・ 本日の新聞に本の紹介が出ていました。 言葉は大事だなと思います。 「僕を探して」という絵本がありました。 トラベルの語源(ラテン語)は、「骨を折る」という意味だったと思います。 欠けた自分になった者は、何を目的に旅をしているのだろう。 夢や希望は必要だ・・でも本当に重要なのは、そこへ向かおうとしている自分なのではないだろうか。 筑紫哲也さんのコラムを読んでいたらノンフェクションライターの本田靖春さんがお亡くなりになったの知った。 「由緒正しき貧乏人」とは本田さんの座右の名みたいなものです。 昨年は、松下竜一さんもお亡くなりになられた。作家であり草の根運動家でもあられた。多くの人には知られていないのだろうなと思う。 お金というものが人を狂わすというのを知っている。 巷では議員年金が話題になっている。 貰えるものは貰っておこう・・みんなそうに思っている。 経済が良くならないから国家は衰退しているのではない。 人を褒めるというのには、パワーがいる・・という文章が目に入りました。 人を褒めるよりも悪口の方がたやすいし、自分よりも不幸な人を見るとホッとしてしまう性質も人にはあるのだろう。 パワーがなければ、充電池のように充電しなければならない。 夢や希望がないから官庁は裏金作りにセッセと励み、下らぬ優越感で人を見下す。大バカヤロー! ただし、ほんの少しの良心があり、哀しみを知る者だけが知っている。 手を差し伸べた時に、その手の温もりからパワーを貰えることを・・ 何年か前に論議になりましたね。 この質問の間違っている所は、人・・と限定している所ではないであろうか。 だが、それでは生命を維持してはいけない。 この世の中には、無意味な死はあってはならない。 「なぜ人は人を殺してはいけないのか」 重要なのは「生」の貴さを問うことではなくて 大人になるにつれて時間を短く感じるのは諸説ありますね。 自転車で旅行していた時の方がバイクで旅行している時より時間は遅く感じました。 他に成長期とかも関連していることはないのでしょうか。知覚、聴覚、視覚などは十代が頂点としてそれ以降は退化しているというし・・ 不便を享受するといいう訳ではないですが、時間調節の為にそういったことも受け入れることも必要かもしれません。時間がなくてそんなことは出来ないと言われるかもしれませんが。 提案としては、シンプルな暮らし、できるだけ面倒がらず好奇心を旺盛に経験する・・かな。 昔は人生50年、現代は80年。時間の長さとしては同じだったかもしれませんね。失ったものも多いと思います。 多くの人に豊か?と尋ねたら豊かと答えるでしょう。だがそれを実感することは難しい・・ 実感するには、リスクを背負うことだと思う。 たとえば本・・一冊の本を完読するのは大変な作業です。眠くなるし長時間、集中するのは難しい。しかし読み終えた後の読書感は嬉しい。 エンドレスの楽しさは身を滅ぼす。たとえば麻薬・・ 20歳前後は金もないのに月2万円ほど本代に消えた。 でも思い返すと、そんな生活が懐かしい。 脳から人の幸せ(豊かさ)を考えると、懐かしい思い出の積み重ねと言える。懐かしみは脳を若返えさせる。 懐かしみは、愛と死のように劇的な瞬間が作り出す。 永遠の愛なんて存在しない・・一瞬が永遠になるからだ。 以前に音は波長であるから、その波長の逆の波長を流せば音は消える・・と聞いたことがあります。 森やオーケストラなどは、多くの音の交わりですから中には音が消えているものもあるかもしれません。 音が交わり、そして音が消える。 1日に「平山郁夫 平成洛中洛外を描く」という番組を観ました。 「絵を見てくれたひとが希望を感じてくれたらいい」と番組で語っていました。 これほど現代を生きることを難しくしているのは、希望というものが向こうからやってくるものだと思っているからなのでしょうね。 いったち僕たちは何を希望しているのだろうか・・
16世紀(?)に「釣魚大全(ちょうぎょたいぜん)」アイザック・ウオルトン著に記されている言葉です。 もうすぐ正月です。最近では1日からデパートなどは開店しています。 静かに生きる・・一人でボケーと何もしないでいるというのではないと思います。 静かとは・・何か? ベースとなるリズムが流れてきて、多くの人が集まり、ハーモニーとして奏でる。 調和が静かさを感じさせる。 人に例えるなら、チーム、コミュニテイー。 気付くとはずいぶんと恐いものだと思います。 気付くとは、今まで生活してきたことを否定することですから・・ 人を傷つけます。後になって気付いても、もう遅いです。 その時に気付いていれば・・・ だから人は変わり続けていくものなのだ。 だいたい真面目過ぎるから、頭打ちになるんだよ・・ えっあみだせないって! じゃお前は? バイクは「ドラえもん」さ。 ただ手のかかる「ドラえもん」だな。 アインシュタインではないですが、名言格言の類いは好きです。 こんな名言があります。 これは貨幣に限ったことではなく、色々な分野にも当てはまるものだと思います。 今、純愛がひとつのブームとなっています。 ドイツの児童作家のミヒャエル・エンデは、地域通貨というアイテムを処方箋と考えました。 せめて私たちに出来ることは、1票を優秀な政治家に投票して送りだすか、自らが灯り輝くこと・・
先日、公共放送で工業デザイナーの深沢直人という人の特集していました。 東京に出向くと無印良品の店を覗きます。家具、電化製品などはシンプルで使い勝手が良さそうで欲しくなってしまいます。 シンプルでありながら、いやシンプルだからこそ人の心をくすぐる製品たち。 デザインをするということは、このようなことなのか・・・ ただ私たちがその製品に接した時に、どのようにイイモノなのかを言葉にするのは難しい。 生活をデザインする、自分をデザインする、人間関係をデザインする。 これも小林秀雄の本に書いてあったのですが。常識という言葉は明治頃の誰かの訳語だそうです。 それまでは常識という言葉はなかったわけで、なかった理由としては身分制度であり世襲制であり伝承というものが第一に考えられていたということでしょうか。 明治になり身分制度が解け常識というルールが必要になって常識という言葉が定着したのであろうか。 だが「常識人」「常識の範囲内で」と言われると、ずいぶんと曖昧な言葉になってしまいます。 明治になって訳語になったのは「自由」という言葉もそうですね。これを訳したのは福沢諭吉だったかな。 発明発見というのは、常識外の所にあると思われるし、創作もそうかもしれない。 常識を疑うということも常識なのかなあとも思う。 バイク乗りだったら初めてバイクに乗ったときの感動は忘れはしないのではないでしょうか。 いつしかその感動は押し入れに入れてしまい、何処にいったのか忘れてしまい、探すのも面倒になって忘れて去ってしまう。 だけど今後バイクに乗り、その感動以上のものを感じようと思っても、感じることは出来ないと思うことでしょう。 初心を忘れないでおこうという人にだけ、初心の感動に近づくことを許される。 久しぶりに小林秀雄の本を読みました。 感じることの重要性を説明されていたのですが、たとえば「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」という俳句があります。 よく井戸の水は夏は冷たく冬は暖かいといいます。 そうに感じるのは、受け手の我々の感じ方なのですね。 話は少し外れますが、キスをするよりも手をつなぐ方が通じ合うといいます。 そういったことが感じるということなのかもしれません。 ホテルマンのテレビを観ていたら、部屋を掃除する時はソファーをどかして埃がないようにしているという。 昨日、ラジオを聞いていたら、たまたま赤坂泰彦さんのDJでした。 2ヶ月くらい前だっただろうか・・一通のリクエストを某ラジオ番組に生まれて初めてリクエストをしたことがあり採用された。 かつて赤坂さんもリクエストした経験がありリスナー(聞き手)の気持ちが分かるという。 良いホテルにしろDJにしろ空気というものは誤魔化せない。 このサイトを見ている人にキチンともてなしが出来ているだろうか・・ 何をやるにしても楽しんだもの勝ちだなあとつくづく思います。 まずは猜疑心や嫉妬心が消える。残るのは向上心。 でも今を楽しむ術を知っている人はいるのかという疑問もある。・・が考え一つでそんな術を持つ事ができるかもしれない。 さんまさんの名言に「生きているだけでまるもうけ」というのがあるけどその通りだと思う。 楽しむことは楽になるということなのだろうなあ。 今、長期の一人旅で持っていく本を選択するのであれば、星野道夫、宮沢賢治、古典の本でしょうか。 理由は、何度も読み返せるからです。旅に何冊も本を持っていくというのも大変ですし旅を印象的にするのであれば心象的な文章がいいのかなと個人的には思っています。 他には「森の生活」「デルス・ウザーラ」など・・・ 普段は出来るだけ色々な本を読むようにしているのですが、旅というと特別な感じがしますしね。 名言でこういうのがあります。 新書判の「永遠のドストエスキー」という本を読んでいたのですが、ドストエスキーの作品の中には、悪意に満ちた人間や異常にはしる人間が多く登場するのですが人間そのものがそういった悪魔的なものを潜んで持っていると描いているわけですね。 そういったものを潜ませておくには、子供時代に嬉しいことや喜ばしいことを経験しておくことと記してあります。そういった経験がなければ大人の社会に出すべきではないとまで・・ 結局、人というのは虐めるのが好きだし見栄を張りたいし優位に立ちたいしというのがあると思うのですが、嬉しいことや喜ばしい記憶というものが人の心を善意に変えていくのかなあと思ったりします。 おもてなし(ホスピタリテイー)といった行為も人に嬉しい記憶というものを持ってもらいたいといった行為なのかもしれません。 記憶するよりも記憶にさせる方がよっぽどすごい! 検索サイトに元カノ元カレで検索した人も少なからずいると思いますが、僕は僕の本名で検索されたことがあるのだろうか・・ 黒沢監督の「生きる」という映画は御存知の方は多いでしょう。(余命数カ月と言われた役場の人が住民の為に公園を作るという話) 国営放送の「プロジェクトx」という番組で地雷撤去の話がありました。 会社経営をされていて必要な技術とお金を提供する。へたをすれば会社が傾きかねないのにそういった行為に走らせたのは、地雷で手足を失った人たちを見たからだといいます。 お金とはなんだろうと考えさせられます。 お金とは「余る」ものなのだというのは持論であります。 ケチと言われる人には、お金を余らせたり夢もありません。 「生きる」の最後のシーンは、主人公が完成した公園でブランコに乗って「ゴンドラの唄」を歌うシーンだったと思います。 いつになっても夢は失わないで持っていたいものです。 余談・・「生きる」はハリウッドでリメイクされるそうです。 小学生の女の子が同級生を刺した事件の担任の先生が「この生徒達の担任にはなりたくなかった」と事件が起きる前に言ったそうだ。 知っている方も多いと思いますが「北京で蝶が羽ばたいたら、ニューヨークで嵐が起こった」ということです。 些細なことが大きく動かしてしまうことは日常にも数多くあると思います。 少しづつ、ゆっくりというのが我が生活スタイルなのですが、しだいに調子が出てきて事がはかどってしまうことも多いです。 なんだか話がそれてしまいましたが、どうせ羽ばたかせるのなら夢や希望であってほしいものです。 一般に子供に対する時に使われる言葉でありますが、大人になっても自分を躾けることも大事なことだなと思います。 社会の中で最低限の行動をマナーと呼ぶと思いますが、一歩進んで躾を身に付けるということもしたいところです。 先日、テレビで永平寺の104歳の住職のことを特集していました。 いかに欲を持たないようにするか? 我々の生活というのは同じようなことで悩み、苦しみ、解決し、その繰り返しですね。 孔子やリンカーンの言うように年を重ねるごとに良い顔にならないと、そして人望も持ち合わせないとね。
古典というものは、身近に置いておくものだなあと思いました。 読み継がれてきたという歴史が気を落ち着かせてくれるのでしょうか・・ まったく何も無い所から何かを作り出すということはないのでしょう・・ バトンを受け取りどうバトンを渡すか? イラクの日本人人質事件でも、その経費の使われ道に税金のムダ使いという人がいる。 「楽しんできます」という言葉には、重圧に負けぬようにというリラックス感、もしくは勝手に期待をかける世間に対する牽制なのかもしれない。 上記ふたつの言葉を聞いた時、なんともあさましい人たちだなあという思いだった。 そして人の心は壊れていく・・ 某コーヒーメーカーのCMのフレーズにこの言葉が出てきます。 風邪薬というのは、定期的に変えた方が良いといいます。その方が違いが分かるらしいというのだといいます。 違いが分からない人というのは、人の気持ちもわからない。 だから自分のサイズにあった思い込みしか持ち合わせていないのでしょう。 そうそうカーライルの言葉にこんなのがありました。
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