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ひとりごと 14

ひとりごと  14

 

多義性

多様性

権利

希望

正しさについて

映画

分身

急ぎの虫

深夜のテレビにて

マニュアル

ゆっくり生活することを学べ

クラシックコンサート

迷惑な人間たち

簡素な生活

人生は舞台なのか

豊かさについて

スローライフ

少しづつの論理

名車

悪について 2

自由と言い訳

ワリバシ考

くたばれジジイども!

時は金なり

ウソ

MOTTAINAI

瞑想



05/07/22 『多義性』

「エンデの贈り物」という本をパラパラとめくってみました。

エンデというのはドイツ児童文学者のミヒャエル・エンデのことです。
代表作は「ジム・ボタン」「モモ」などですね。

この本の中で、エンデ自身が「作家というものは、自分の考えを押し付けてはいけない」というようなことを言っています。
俳句を引き合いにだして、読み手自身が多義性(色々な意味があるということ)を感じてくれればいい、と言っています。

 

自分自身に多義性を見つけられたなら、いつかそれは可能性となり、夢や希望となる。

そして、愛する人に多義性を見つけられたなら、いつかそれは永続性となり、優しさや思いやりとなる。

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05/07/16 『多様性』

芥川龍之介の短編や中島敦の「山月記」をパラパラとめくっていたら、ずいぶんと知らない言葉や読めない漢字があるのだなあと思いました。

かといってそういった言葉や漢字を知らなくても軽薄な現代社会(いつの世でもこういった表現はされるので堪忍ね)では、それほど不自由ではありません。
(そういえば漢文などを引き合いにだして、この意味を知っているか?と尋ね、知らなければ偉そうに説明するじいさんがいました。こういうことをする人ってイカレテルヨネ)

良いチーム、組織であるべきは、野球のチームで例えるのなら大物トレード、新人発掘といった多様性が必要だといわれれます。
キーワードとしては「コミュニケーション」といったことでしょうか。
コミュニケーションがとれる環境を作るということでしょう。

昔ながらの言葉や漢字、そして地名。
地域が合併して地方名が消えてしまうのは寂しいものです。システムだけ変えて地方名は残す・・ということは出来なかったのだろうか。

自然界でもある種が絶滅してしまうことは、食物連鎖の社会では致命的なことです。(理由は書きませんが・・)

「人生いろいろ、人もいろいろ」などと言っていた人もいたけど、単細胞な社会になっていくなあとこの頃、よく思う。

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05/07/09 『権利』

バカ面して民法というものを眺めていました。

人は生まれながらにして権利を持ち「所有権絶対の原則」というものがあるらしい。
ようするに自分の土地であるならば原則として何をしてもいいらしい。

世界遺産の熊野古道なども地主ともいさかいがあるという。
知床も世界遺産になれば漁業権という問題が起こりうるという。

若貴問題にしろ権利というものはやっかいなものである。

司馬遼太郎は、土地の公共性を唱えました。
民主主義がこうした問題を発しました。民主主義が絶対ではない・・ということでしょう。

 

ならどうすればいいのだろう?

権利は主張するものではなく共張するものであるという考えに基づく
「縁台」の設置・・かな。

演出家の久世光彦じゃないけれど「縁台」はいつまでも残しておいて欲しいものである。

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05/07/05 『希望』

「ニュース23」という番組に村上龍さんが出演していました。
最後の方をちょこっと見ただけなのですが、格差について話されていました。

今後は、格差は広がっていくのであろう。それにつれ犯罪も増えていくのであろう。

どのように防御をすればいいのだろう。

村上龍さんのキーワードは「希望」。ひとりひとりがどのような希望を抱いたらいいのだろうか。

私の好きな人はドリトル先生。好きで好きでたまらないものを持つことによって欲望を捨て去る。そんな人だ。(架空の人物ですが)
好きで好きでたまらないもの・・いつかそれは「現実は厳しい」という言葉に置き換えてしまった。

現実は厳しくなんてない・・そこには希望がないのだから。

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05/07/02 『正しさについて』

けっこう日本的なことが好きだったりします。

武士道も好きです。新渡戸稲造の「武士道」、九州の藩の人が書き綴った「葉隠」が有名ですね。多くの武士道は、そうした著書が基本なのでしょう。

でも新渡戸稲造の「武士道」は邪道だとか、「葉隠」は老人の戯言みたいな本、などと言われると何をたよりにしたらいいのか分からなくなりますね。

だから「間違ったことかもしれない」ということが前提として物事を考えていかないと正しさなんて導かれないのではないかと思ってしまいます。

そうすれば傷つけやすい自分から脱することも出来るし、修正も直ぐにできると思うのですが、どんなもんでしょ。

ただ「間違ったことかもしれないけど君が好きだ」なんて言わないように・・張り倒されますから。
ムムッ・・その時に張り倒された方がいいかも〜(失言!)

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05/06/27 『映画』

悲しいことに我が町には映画館というものがありません。

よって映画はビデオかテレビに頼るのが一番てっとり早いのです。
最近は、深夜のテレビから録画したものを見るのが多くなりました。

自分の趣味に限らず色んな映画を観るようにしています。

「やかまし村の子供たち」「ヤかまし村の春夏秋冬」などは面白く感じました。
20年程前のスエーデンの映画です。
特にストーリー性があるわけではなく、美しい自然の中で生活する人達を追っています。

監督は「サンダ−ハウスルール」「ショコラ」を撮った人です。合点。

ついこの前の中田秀夫監督の「ラストシーン」も印象に残る映画でした。
「リング」よりも良い映画と思います。個人的な趣味だと思いますが・・
女優の麻生久美子も良かったなあ〜。良い女優になってほしいなあ〜。

かつて日本映画が一番輝きを放っていた頃、製作現場は「夢の工場」と言われていたそうです。

何かを始める頃は、みんな夢を持っているんですけどね。

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05/06/24『分身』

最近、頻繁に迷惑メールが届くようになったのでサイトのトップのメルアドは外していました。

現在、マックのスペースを借りているのですがメルアドも支給されています。
付属してメールエイリアスという機能があると知り、オリジナルのメルアドを載せることなくメールを受け取れるようになりました。
baikutotabinohuukei@mac.com

このようなものが5件作ることができ削除追加も自由にできるそうです。(エイリアスという意味は別名、分身?という意味です)

 

『ドッペルゲンガ−』(監督、黒澤清 主演 役所広司)という映画があります。
自分の分身が現れ、主張し殺しあってしまう映画です。

人の心の中にも分身がいて、それらが自分を守っていてくれているのではないか。
でも何かの拍子で分身が暴走したら、心に 病を負ってしまう。

どっちにしろ日頃からケアーをしておくことが必要なのだろうなあ。


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05/06/19 『急ぎの虫』

伊丹十三著「女たちよ!」の文庫本(再版)を読んでいました。

その中に「急ぎの虫」というエッセイがあります。
40年近く前に書かれた本ですが、スピードを出すドライバーの話です。

なぜ人は急ぐのか?という題材なのですが、それは「急ぎの虫」があるからと書かれています。

同時期に荒俣宏著の「奇想の20世紀」という本も読んでいたのですが、 その中に世界全体として古い時代よりも進歩しているという発想を寄与したのはニュートンの物理学、ダーウインの生物進化論などであると書かれてあります。

「急ぎの虫」というのは、これらのことかもしれないなあと思いながら読み進めていました。

伊丹十三は「急ぎの虫」の退治法として、フロントガラスを押し倒して、顔で直接風を切って進む方法を実践しています。
40キロ以上を出すと風圧で息がつまって運転ができないのだそうです。

100メートル走者のスピードの限界が時速40キロ位ですから、よくできたものですね。
進化して時速50キロで走れるようになったら、50キロでも風圧で息がつまらなくなるかもしれませんね。

ねっ、ダーウインおじさん!

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05/06/16 『深夜のテレビにて』

先日、眠れなかったのでテレビを付けてみました。
ちょうどバイクのトライアル競技の番組でした。日本で開催された大会を放送されていたのですが、昨年の世界チャンピオン藤波貴久選手を中心にした番組です。

なぜスポーツ選手に魅かれるのかを自分なりに考えてみると、見せる(魅せる)ことの出来る人達だからだろう。
見せる(魅せる)・・すなわち単純。
しかし、その裏では類い稀なる身体能力と知的能力。

選ばれた人達としか思えない。

そんな人達ではあるが、現在の日本ではあまり知られていない。
藤波選手しかりフリークライミング世界ランク1位の小山田大(こやまだだい)選手しかりなのである。

古くは、自転車競技世界選手権10連覇の中野浩一さんなど。

日本のスポーツジャーナリズムはなんなのだろう。
過去の反省や未来の想像図もないじゃないか。

 

トライアル競技の番組を最後まで見てしまいました。
ほぼ垂直に近い所を簡単に駆け登ってしまう選手達を見てしまうと映像で見ておきながら、そんなことが出来るはずはないと思えてしまう。

それだけすごい競技なのだ。
バイクとの一体感、そしてどういったルートを築くかという想像力。

日本のジャーナリズムに欠如している部分を彼等達は演じている。

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05/06/15 『マニュアル』

スーパーのレジ袋も有料化されるそうだ。

先日、スーパーで買い物をしました。こういった時はmy袋をを持参しますが、持参していることを伝えるタイミングというのは難しいものです。

相変わらずレジのオネエさんは、無機質な対応をしている。薄利多売の小売業で仕方ないと思ってはいるが必要以上な無機質ぶりには不機嫌になっていく自分を認識できる。

ただ認識できるということは、今後そのようなことが無いように努力できるということでもある。

もう大分前になるが深夜のコンビニで買い物をしたことがあります。
例によりmy袋を持参しましたが、タイミングが遅かったのか、レジのクソガキはチェッという声を発しました。
マニュアル通りにしか行動できない歪みがこのような場面に反映されます。

都会の人の方が環境面に気を使う人が多いと思うのですが、(人が多いから、そういった人も多いのかもしれませんが)田舎では、好き好んで袋を持参する人は少ないように思います。

理由として、レジの人も袋を持参するということを認識していない、そういうことで袋を持参するということも神経を使うのだ。

よくマニュアル通りしか行動できない人を機械に例えるが、それは機械に失礼というものだ。

大事にバイクを乗っている人であれば、バイクは無機質な機械ではない。
こちらが愛情を注げば、いつでもそれに応えてくれる

いつしかコンビニを利用することはなくなりました。
コンビニを利用するライフスタイルではないというのが主な理由です。

でも、あのクソガキのチェッという言葉が引き金になったのかもしれません。
そういう意味で感謝しなくていけないな。

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05/06/04 『ゆっくり生活することを学べ』

17世紀、英国のアイザック・ウオルトンによって著された「釣魚大全(ちょうぎょたいぜん)」に記された「STUDY TO BE QUIET」のパクリです。

以前にも書きましたが、初版の訳者は「静かに生きることを学べ」、開高健は「穏やかなることを学べ」と訳しました。
私は自分なりに考えて「ゆっくり生活することを学べ」と訳したいと思います。

では、実際にどうのように生活すればいいのか?
・・なんて野暮なことは書きません。

集約すれば「考えることを学べ」でしょうから・・

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05/05/31 『クラシックコンサート』

先日、地元開催のクラシックコンサートに行ってきました。
頂きチケットだったのですが、こうした一流の演奏家の奏でる音楽は聴いておくべきだなあと思いました。

で、感じたことは、社会もこうあるべきなのかなと思いました。
ひとりひとりの演奏家が一流で、それを指揮者がまとめあげ奏でる、こういったこと。

人は、やはり一流であるべきだと思います。
ただし、この一流とは偏狭な価値なものではなく、誰もが持っている個性(才能)。

・・・・・・・・・・・・

たまにFMでクラシックなどを聴くことがありますが、生演奏はグッと腹にきますね。
正味2時間弱でしたが、あっという間でした。

帰りに本屋に寄り『オーケストラの職人(岩城宏之著)』を買って帰路につきました。

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05/05/29 『迷惑な人間たち』

バイクを乗っていると迷惑をかけることがあります。
自動車に比べるとバイクはうるさいこと、ついつい道無き道を走ってしまうこと・・

だけど人は迷惑をかけないで生活をすることが出来るのであろうか?
自動車に乗れば排気ガスを放出するし、モノを買えば材料を搾取し輸送などで燃料を使う。

では迷惑をかけない世界は存在するのであろうか?

おそらく「自然」なのではないだろうか。
一見、穏やかに見える世界だけど、その世界は日々、殺りくを繰り返している。
迷惑をかけようがない世界なのだ。

人間の世界でも殺りくを繰り返しているのだが、自然をも破壊せいているのだから迷惑な話である。

 

人に迷惑をかけてはいけない・・とはよく言われることだが、この言葉の意味することは迷惑をかけていることを自覚して問いかけろ、という意味だと良心的に解釈する。

ソクラテスの「無知の知(自分が無知だと知っている)」じゃないけれど、たかが人間ではないか。
そして迷惑をかけてこそ人間ではないのだろうか。

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05/05/27 『簡素な生活』

私の考え方の基本は、この言葉でありライフワークの一つでもあります。

世の中、「負け組、勝ち組」という言葉が流行っていますが、この言葉一つをとっても、複雑でありながら単純化しているなあと思えてなりません。

そう簡単に分けれないと誰しも感じているのだろうけど、この単純化した言葉にひれ伏してしまう。

こういったことで誰が得をしているのだろうと考える時、資本家や支配者の顔が頭に浮かんできます。こうした単純に色分けした方が扱いやすいと思うからです。

簡素な生活というのは、単純でありながら複雑さを分かるといった所に意味があると思っています。

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05/05/19 『人生は舞台なのか』

少し前のラジオドラマでこういったものがありました。

少女が白血病になり数年後になくなってしまいます。
少女には弟がいて、その弟が少女が亡くなった後でも変わらず友達と遊んでいました。
その姿を父親は苦虫を噛むおもいで眺めていたのですが、ある時キャッチボールをする機会があり、その時に弟は涙を流しながら父親に球を投げ返しました。

この場面が印象的で今でもよく覚えています。
人は大人に限らず子供も本当の事を語ろうとしないのだと思います。

むしろ語ってしまう方が物事は解決しそうなものです。

ではなぜ人は本当のことをたやすく口にしないのだろう。

本当の事は、辛すぎる・・それもあるだろう。
本当の事は、人を傷つけやすい・・それもあるだろう。

だから僕たちに出来ることは、その思いを察してあげることしかできない。

そして僕たちは舞台の上で本当のことを隠すために演技しつづける。
そしてそして、苦しい時も辛い時も、いつか笑いに変えてみて下さい!
「人生は喜劇だ(ロバート・ショウ)」 なのだから・・

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05/05/16 『豊かさについて』


「幸せを求めるのではなく、幸せに値する生活を送れ」というカントの言葉があるそうです。
色々な言葉に置き換えてもよさそうですね。

現在、これが有って良かったと思えるものがあります。
バイク、自転車、パソコン・・どれも自分の世界を広げてくれるモノ達です。

そこにライカのカメラも欲しいなと、ほざいています。

前にある作家の言葉を引用しました。
「自分にあるものを数えろ・・」

求めるものは、もう無いはずだ。

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05/05/15 『スローライフ』

スローライフの語源を解釈すると「自地域の文化を大切にして生活する」でしょうか・・

今、ちょっとした旅行を・・と考えているのですが、情報は「ツーリングマップル」1冊のみで、あとは行き当りばったりと考えています。
(行き当りばったりといっても、ある地点からある地点までという設定はあります)

そして、できるだけ心に余裕を持ってゆっくりと走るつもりでいます。

もっと色々と書き込もうと思ったのですが、考えが浮かびません。
考えるということが、 億劫にさえ思えます。
なぜなら、今回の旅行はできるだけ考えない旅行にしようと思っているからです。

 

スローライフとは、考えないことなのかなあと思ったりします。
それが伝承であり文化なのですから・・

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05/05/13 『少しづつの論理』

のんびりと自転車のブレーキをワイヤーブラシ、紙ヤスリなどを使い、綺麗に磨いてあげました。
誰に急かされることもなく、時間をお金に換算することもなく、少しづつのんびりと・・

一ケ所だけピカピカにすると他の部分もピカピカにしたくなります。(逆割窓理論)
そして、いつも気持ちよく乗れるような自転車になることでしょう。

こういった事を自転車屋に頼むことは、無理でしょう。というより頼む人はいないでしょう。
割に合わない、自分でやれ!と言われるでしょうか・・

それでもいいんです。
少しづつ行うことは愉しいことだから・・

そして、少しづつ何かを行うと少しづつ何かが変わる。

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05/05/11 『名車』

私みたいなド素人でもバイオリンの名器ストラディバリウスの名前は知っています。

なぜ昔のバイオリンが良い音を出すのかをネットで調べてみると、木が化学反応を起こす、名手が弾くとひずみが解消されるとありました。

以前、ラジオを聞いていたらストラディバリウスの音の秘密はカビである・・なんてことを言っていた人がいました。嘘か真か分かりませんがなるほどなあと思ったものです。
それと名手が弾くと、その音色でいっそう良い音が出そうな気もします。

(楽器に良い音楽を聞かすと良い楽器になるそうです)

バイクも同じかなあと思ったりします。
洗車や整備の時にねぎらいの言葉をかけたり、言葉での花束を贈り続けたら名車になったりするのではないだろうか。

その前に乗り手の問題がありますが・・(笑ワテノコトダス

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05/05/03 『悪について 2』

自分に不都合なことが起きた時には、他人のせいにしたがるものだ。
なぜなら、その方が楽だからだ。

あえていうのなら怠惰といってもいい。
自分を成長させるチャンスを、みすみす逃してしまう。

 

以前、テレビのセリフの中でこんなのがあった。
「秘め事だよ、秘め事が表に出れば、病気になる」

簡単にいうのなら、殺したいと思っている人がいるとする。
でも多くの人は、そんな愚かなことはしない。

こうした「悪」の感情は、多くの人が持っているのだと思う。

マザー・テレサやガンジーならいざしらず、僕たち凡人は、そうした「悪」を後ろめたさや罪悪感に変えて「優しさ」にして表現しなけらばならないのだろうと思うのだ。

まともな生活をおくるのも、結構大変なのだ。

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05/04/22『自由と言い訳』

思い返せば自転車で旅行をしている時は、自由だったなあと思います。
木陰があれば道端でもゴロリと横になって休んだものです。
暑さに負けて、信号待ちの時、所かまわずボトルから水を頭にブッカケたものです。
走っている時の方が風を感じられて涼しく感じられたからです。

そこには自由があった。
虚勢を張ることも自己顕示欲もなかった。

1年程前に伊豆大島を徒歩で旅行する計画を立てた。
準備をしてあとは出発するのみであった。

しかし計画は計画のままで終った・・

ネットで調べてみると伊豆大島は僕たちのような旅行者は歓迎されないという。
もしキャンプ場でない場所でキャンプをした場合、警察が登場して追い立てられるという情報を得たからだ。

みすみす嫌な思いをすることもない・・そんな言い訳を考えついた。

 

計画は実行すべきだったのだ。
どうして指定以外の場所ではダメなのか尋ねてみるとか、それがダメなら指定の場所でテントを張る・・とか。


自由には言い訳なんてないのだから・・

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05/04/19 『ワリバシ考』

昔の人は、出歩いた時には箸を持参したそうです。
使い終ったら手ぬぐいで箸を拭きケースに納めたそうです。

ちょっと前でもこの手の話が話題になりました。

間伐材を使うので(本当に使っているのか?)ワリバシは使った方がいい・・という意見もあります。
こういう一般論というのは、物事を解決するのには物足りない・・

自前の箸を持参するというのには、躊躇しまいがちです。
ひとつは面倒である、奇異に見られやしないか・・など

 

閉塞感というのは、どこからくるのであろうか・・

ようするに許容する社会ではない・・ということ?
昔からある言葉に「粋」「野暮」というのがあるけど、最近は使われなくなりました。

食堂で、サッと箸箱を取り出している姿を「粋」と感じ、
奇異な目で杓子定規に眺めようとしている連中に「野暮だね〜」と感じられる感性を持ちたいものです。

 

人は風になる・・

人は鳥のように大空を羽ばたきたいと思ったのではない・・(と思う)
人は風になりたいと思ったから大空を羽ばたきたいと思ったのだ。

風流な社会であって欲しいと思う。

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05/04/16 『くたばれジジイども!』

リタイヤした政治家の話を聞いていると、この人達は本当に世の中をよくしようと思ってきたのか疑問に残る。

政治家の年金について塩ジイは「元をとるのにあと20年かかる」とかハマコーさんは「貰えるものは貰って何が悪い」とか・・
とても政治家だったとは思えないお言葉。

この人達のあさましさは、官僚達の天下りに通じるものだと感じる。
改革・・とかいっても天下りを完全に無くすだけでも、社会は劇的に変わると思う。
改革をしなくては、天下りを無くすことは出来ないのだろうけども・・

お金があるのにドケチ、平気で気に障ることを言う、自尊心が強く自己顕示欲が強いジジイ!こういう人、けっこう多い。
こんな人だから慕われることも好かれることもない。

よけい権威、権力をかざして人を吸い寄せるしかない。
自らも人間的魅力で慕ってくれている人はいないと思っているから、しがみつくしかないのだ。

 

人にとって何が大切なのか?
ダライ・ラマは「存在」という言葉を使っていたと思う。

お釈迦様は人生を「苦」と言った。でも最後には「人生は美しい」と言ったのだっただろうか(?)

変わろうともがき(苦)、そして「存在」が生まれる。
おー!なんて人生は美しいのでしょう!!

注)ここに書いているジジイとは、あさましく存在理由のない男性の年配者を指しています。
多くの善良なる年配者を指すものではありません。


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05/03/28 『時は金なり』

ベンジャミン・フランクリンの名言です。

辞書で調べてみると「時間は貴重なので大切に使おう」といった内容です。
もっと唯物論的なことが書かれてあるのかなあと思っていましたが、時代とともに解釈は変わってくるのでしょうか。それとも私の解釈が間違っていたのか・・

普段からお金に対して、どのようなスタンスをもったらいいのかなあと考えているのですが
「世の中、お金じゃないよ」と言うつもりはありません。

お金も大切だし時も大切。
これらのバランスを考えて、お金で良い思い出を買えたなら、良い買い物ができたと言えるのではないだろうか。

しかし思い出という奴を手に入れるには、勇気が必要なんだよなあ〜。

 

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05/03/24 『ウソ』

「世間のウソ」日垣隆著を読んでいたのですが、まさしく世の中はウソでなりたっているのだなあと思ってしまいました。

明日、「愛・地球博」が開催されますが、環境3団体が不参加ということで、理念は何処へ?
「メイとサツキの家」は、そのまま展示されるそうですが、宮崎ハヤオさんの理念も何処へ?
マスコミも、この件に関してはあまり触れていないけど、マスコミの理念も何処へ?(単に某企業を怒らせたくない?)

まあね、この手のウソは日常茶飯事だし驚くべきことではないけど、ウソを真実だと思い込んでしまうことの方が恐いことかもしれません。

日常生活でのウソといえば、うわさ話、陰口の類でしょう。
殆どがウソといってもよいくらい。(たとえ事実であっても真実ではない)

始末が悪いのには、それを鵜呑みにする人たち。(あ〜、もう破滅的!)

だから詐欺師がはびこるんだよ。

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05/03/22 『MOTTAINAI』

「勿体ない」という言葉がニュースで賑わっていましたが、以前からこの言葉の必要性を言い当てた人は数多くいました。

先日、新聞を見ていたら日本では食べ残しが年1000万トンあるそうです。
世界の食料援助の総計が年2000万トンだそうですから、その数量には驚かされます。

じゃあ、食べ残しはやめましょう! で数が減るかといえば、そうとは限らない。

問題は、想像力があるかどうか・・。

想像力をつけるには、どうすればよいのか?
「違いがわかるようにすること」

では違いが分かるようにするには?
「今の自分と違う生き方を選択する」

違う生き方を選択するには?
「想像力をつけること」

まるで堂々回りだ!

では話を変えて、なぜ想像力が必要なのか?
「想像を想像できなくなれば妄想になるだけだからさ」

 

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05/02/29 『瞑想』

3月号のナショジオ誌に興味深い記事が載っていました。

瞑想をすると左脳が活発になり前向きな志向になるというのです。
かといって滝にうたれたり座禅などしたことがありません。

日常の生活の中で、たとえ10分でもいいから、毎日そんな時間を持つことはできないのだろうか?

便利な生活になり、それによって面倒という言い訳が増えてしまう。
もしかしたらこの面倒という言葉に僕たちが置き去りにしたものが詰まっているのかもしれません。

たとえば自分のことより他人の事を親身に考えていた方が脳は活発に機能するような気がする。
自分の欲望を追い求めるより、他人のシアワセを願っていた方が脳は活発に機能するような気がする。

気がするでは答えにならないけど、もっと脳のことが分かってくれば瞑想に似た考え方や思想が見えてくるかもしれません。

そして、それは僕らにとってシアワセな人生なのだ。
かつて誰もがシアワセについて考えてきたけれど、脳からシアワセを科学してしまうなんてすごいな〜と思ってしまうのである。

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