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ひとりごと 15

ひとりごと  14

 

コピぺ

ああ面倒だ

生きたい

退屈な映画論

ゆーとぴあ

悪の連鎖

堕落論

アメリカ大陸発見

一生モノ

夢の所在

他者

ドキドキしていた

宗教ルネッサンス

ココロザシ

忠臣蔵と藤堂高虎

未来を見据える

偉さについて

時間の発見

パパラギ

遠い空の向こうに

センソウナンテキライダヨ

善人

経済

改革と改善

和銅開珎

僕は僕を応援しない

晴耕雨読

環境進化論


06/02/16 『コピぺ』

二ュ−ス番組を観ても、同じことの繰り返し。同じような事件、事故が起きてニュースキャスターは同じようなコメントをする。
そんな閉塞感を打破するような人達には喝采をおくり、失脚すればいいなと心の中で思う。

バブル崩壊、震災を通じても人は変わらないのだなと思う。

人はなんの為に生きているのだろうと考える・・そんなことの繰り返し。
「生きたい」ためにリストカットをする若者たち。

命は一つ、大事にしなければ・・そんなことばの繰り返し。

そんな繰り返しならば、リピートのボタン一つで済むはずだ。

 

人間の脳をパソコンと考える。
意志がなければ、起動も操作もできない。

作業する時、コピー、ペーストは簡単だ。

物事を繰り返すことは悪いことじゃない。技術を磨くにしても繰り返す作業の繰り返し。
問題なのは、このコピー、ペースト。
そんな脳になってはいないだろうか。

最近、好きなうたのひとつ  熊木杏里/戦いの矛盾

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『ああ面倒だ』

ああ面倒だ・・と思うことは多い。その理由として、何かに追いかけられているという感覚があるのだろう。

その処方箋は、ないのだろうかと探してみた。
飄々とした感覚・・それを質の良い習慣とみた。

面倒だなと思う前に習慣として行動している。

習慣といっても、それは経験と知識の積み重ねで生まれたものだから、考えないで行動しているわけではない。

 

おっと目の前に、いつの間にかコーヒーが・・!?
誰が作ったのだ?
ははっ・・さっきオレが作ったんだっけな。

まっ、こんなオチで。^^

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06/02/08 『生きたい』

ある小説を読んでいたら、家具職人の話がありました。

その職人を目指す若者は、少ないお金を貯めては原木を買っています。
原木というのは、直ぐに使えるわけではなく、長い年月を寝かさなくてはなりません。
技術も磨かなくてはなりませんので、こうした仕事は一生の仕事なんだなあと思った次第です。

 

写真家の星野道夫さんをアラスカに旅立たせた理由は、学生時代の親友の死だったといいます。

いつ死ぬか分からない、今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれません。
それは誰にも分かりませんよね。

生き方は反するかもしれないが、こうした人達の共通点は、「生きている」ことよりも「生きたい」ことが優先なのであろう。

たとえば、私がひん死の重体だったとする。
藁をもすがる気持ちでこう叫ぶだろう。

生きたい・・と。

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06/02/01 『退屈な映画論』

昨夜の公営放送「プロフェッショナル」の番組の中で司会の茂木健一郎(脳学者)さんが、こんなことを言っておられた。

「経験、知識の組み合わせによって創造がうまれる。年をとったからといって創造性がなくなるわけではないのです」

好き嫌いは別にして、映画を観るということを苦手としています。(よく観ますけど)
2時間も黙って観ているということが耐えられない。^^

理由は、映画というのは完成された芸術の形だと思うからです。
映画というのは、監督のもの・・そんな風にも思えるからです。

 

完成されたものなど観たくない、僕たちにも創造させてくれ!
そんなデザインされたものが街に溢れたら、映画というものを、もっと好きになるのであろう。

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06/01/30 『ゆーとぴあ』

理想郷・・という意味で使われると思うのですが、語源をたどれば「どこにもない場所」という意味だったと思います。
どこにもない場所を探しているというのも滑稽な話だと思います。

人の考えることは実現しないものはないと言われますね。
人の考えないことを考えるということは、その時点で考えているということですので、もう存在しないということです。

では考えつかないことはないのか?
「過去の考えつきもしないような出来事」からしか、考えつきもしないことは発見できなかったのかもしれません。

 

これと同じように「ゆーとぴあ」も記憶の中でしか発見できないのかもしれません。
それは人の心の中の懐かしさであったり、悠久の時の流れなのかもしれません。

勝ち組・・とかいっても、それは「どこにもない場所」としか思えないのですが、どうでしょうか・・

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06/01/25 『悪の連鎖』

「いじめっこは元いじめられっこ」らしい。統計学的にもそうだという。

どうしたって嫌な人間に会わずにいられることはなく、「そうか、この人は元々はいじめられっこなんだ」と思うこともある。
格下と思えば、尊厳な態度をとり、格下と思われたくないために虚勢を張る。

こうした悪の連鎖から脱するにはどうすればいいのだろう。

 

よく人の立場にたって考えろ・・という。
十人十色、そんなに人の立場になれるものではない。

一番簡単な方法は、人の立場を分かる前に自身の悪と対峙すること。
人は傷つかされた時は、大騒ぎをする。たいがいの場合、知らぬ間に人を傷つけているものだ。

 

悪の連鎖は、未来を閉ざす。
処方箋は、未来への第一歩。副作用は、人生はかくも短かし・・

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06/01/17 『個』

養老猛司さんは「日本には個がなく住みづらい」ということを言ったという。


最近、「イチロー革命」ロバート・ホワイテイング著という本を読んでみた。
イチローの話題だけではなく、日本人メジャーリーグ、日本とアメリカの違いなど多岐におよんでいる。


イチロー、松井両選手は、よく「準備」という言葉をよく使う。
プロセスを大事にする日本人をよく言い当てた言葉なのだろう。
ち密さでは日本の野球の方が上だということも、この言葉でよくわかる。


日本には「和」をもってよしという風潮がある。
だから長けた人の足を引っ張ることも必要と考えるのだろうか。
本当の和とは、優れたものどうしが、一体となることではないのか!?


ある評論家は、メジャーリーグを目指す選手に向かって
「この程度の選手では通用しない」などという言葉を投げかける。
通用するかしないかの問題ではなく、軍隊式の練習や機構のシステムに嫌気がしてメジャーを目指すのかもしれない。


チャンスがあれば多くの選手がメジャーを目指せばいいのになあと思う。
失敗すれば「それみたことか」と下劣な人は言うかもしれないけど、住みやすい環境こそが自分を育ませるものだと思う。

選手の流失を防ぎたいのであれば魅力的な日本球界を作ることが先決だと思う。

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06/01/07 『堕落論』

坂口安吾の「堕落論」は、高校の時に読んで以来、何度か読み返しています。
こうして何度も読み返してみる作家というのは、そんな多くはなく、あとは小林秀雄くらいであろうか。

人はそれほど強くはなく、いつも何かにすがろうとする。
そのすがり方は、時には刃となって人に向かう。

嫉妬、優越感、猜疑心・・いわゆる負の遺産だ。
かくも人は、人を叩くのが好きなのだ。自分を救うために・・

「堕落論」は16ぺージ程の作品ですが、書かれたのは昭和21年です。
最後の部分だけ記します。

 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄のごとくでは有り得ない。

人間は可憐であり脆弱であり、それ故 愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられずにはいられなくなるだろう。

だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

そして人のごとくに日本もまた堕ちることが必要なのであろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである。

 

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05/12/25 『アメリカ大陸発見』

一般的にはコロンブスということになるのでしょうか。

気になっていたのでネットに調べてみてみまいた。
コロンブスより前にアメリカの地をヨーロッパ人で初めて踏んだのは、コロンブスより5世紀も前のバイキングのエイリクソン だっといいます。

では、なぜ大陸発見というとコロンブスなのでしょう。
エイリクソンの場合は、入植しようと思っても原住民の抵抗にあい、入植できなかったし、その情報が広まらなかったということです。

コロンブスの場合は、それを機に入植(侵略?)が始まり、大陸発見ということが、大義名分となってしまったのではないでしょうか。

もともと原住民が住んでいて、大陸発見というのもおかしな話です。

もう一つの説として、大陸発見がエイリクソンでは、その後の大陸にヨーロッパの文化が影響したとされる事を懸念されるからだということもあるそうです。

結局、歴史というのは一方的な解釈なのだなあと思います。
生活の中で、このような解釈は茶飯事にあるわけで、疑ってみるというのも楽しみのひとつなのだと思ったりもするのでした。

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05/12/22 『一生モノ』

一生モノには弱い。

広い意味で一生つき合っていけるモノや事である。
たとえば自転車やバイク・・部品や車体が代わっても一生つきあっていける。

こうしたモノに囲まれていると、自然と逆のことも考えるようになる。
たとえば一生こんな考え方で生きていくのだろうかと・・

だから一生つき合わなくてはならない自分自身は、一生モノであってほしい。

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05/12/20 『夢の所在』

探検家高橋大輔のブログ「今年最後の授業」

夢は叶えるべきもの・・と思ってきた。

子供の頃、「宝探しの地図」を自ら作り、みんなで宝探しゴッコをして遊んだ。
大人になり、大人とはなんだろうと疑問に思い「自分探し」に明け暮れている。

夢とは「宝探しの地図」を手に入れた時なのか、それとも宝を探し当てた時なのだろうか。

多くの人が「宝探しの地図」さえも手に入れてないのかもしれない。
その地図はの在りかは誰も教えてはくれない、自分で学んでいくしかないのだ。

 

夢は叶えるものでもないかもしれない・・
夜な夜な、その地図を見ながらニタニタして酒でも飲んでいるのも悪くはない。

そして何かのキッカケで、冒険、探検へと駆り立てるのだ。

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05/12/15 『他者』

耐震偽造問題で、ある作家のサイトを見ていたら「この人達には他者がいない」といった内容の記事がありました。

靖国の問題にしろ、首相は隣国に対して「どうして分かってくれないのか全く分からない」と言っていました。
一般の人は、分かろうと努力すると思うのだけど・・

弱者に厳しい社会・・という言われ方もするけど、やはりそこには他者を理解できない人達がいるからだろう。

政治家、行政の役人、そして私たち・・我々には他者という存在が見えているのだろうか。

見えていないようだったら、生きる価値も存在理由も無いと思うけど・・

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05/12/12 『ドキドキしていた』

ドラマ「北の国から」の純がよく言っていたセリフだったと思いますが、私の錯覚でしょうか。^^

先日の記事で、ドキドキ感は1年間しかもたない・・といった内容が記されていました。
要するに愛は1年間しか賞味期限がないということです。

年齢を重ねると、ドキドキ感が無くなるというよりも、制御しようという感覚になるのだろうと思います。
その方が間違いを犯さなくなると思っているのですが、その反面、甘酸っぱい思い出を作ることは出来なくなるのであろう。

切なく、ホロ苦く、甘く、そんな思い出は、間違いを犯しても寛容に許してもらえる(あくまでも許せる範囲ですが)若さ(10代)の特権なのか!?

 

大人になってからのドキドキ感・・処方箋は「勇気」  副作用は「錯覚」

麻薬やマリファナ・・こういったものより強烈で安全ダ〜!

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『宗教ルネッサンス』

こう見えても(誰が見ても)、私は無宗教である。

五木寛之さんの本によれば、無宗教というのは海外では通用しない語句らしい。
特別、なにもなければ、 仏教徒と答える方がよいと書かれてありました。(神社、お寺が身近にありますから)

 

痛ましい事件のニュースを聞く度に、心理学の先生の言葉を借りるなら、
「日本人全体の責任だ。ばか者め。」と思います。

行政の責任のとり方は、何も起こらないように、カメラを設置すること。
一番安易な責任のとり方だ。
そのうち日本中にカメラを設置、監視し、日本に住む全員にDNAを提出なんてことにもなりかねない。

それにしても、毎日毎日、痛ましいニュースを聞くというのは、神経に障る。

 

京都へ自転車で行った時、なにげなく入ったお寺の縁側で休みました。
穏やかな気分になれたことを今でも思い出します。

人には必ずといってもいいほど、悪の部分があると思いますが、
それを鎮めてくれる場所が必要なのだなと思います。

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05/11/24 『ココロザシ』

欲望をコントロール出来たらいいな〜と思っっているんです。

処方箋は「ココロザシ」でしょうか。
竜馬ではないですが、ココロザシがなければ生きている実感も湧かないのではないか・・

ニュース番組を観ていると、顔の悪い人達が目につきます。
昔は、ココロザシを持っていたのでしょうが、いつしか悪魔の心に奪われてしまったのでしょうね。

 

ココロザシは、公平に平等に持つことができるのにね。
そういう人達の空気、雰囲気、風が世の中を良い方向に変える原動力になると思っています。

しょせん人は「嫉妬の神様」だし、そういったことに翻弄されるより前向きに生活をしたいですね。

副作用は、女性にモテルってことでしょうか。
幕末の志士たちもモテマシタ。

キヲツケナイト・・エヘヘッ。(嘘)

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05/11/22 『忠臣蔵と藤堂高虎』

藤堂高虎という人は戦国時代の武将です。
君主を何度も変えて出世していったことで有名です。

師走になると忠臣蔵の足音が聞こえてきそうですが、忠臣蔵が美談だけなのかと疑問もあります。
吉良が一方的に悪者のイメージで、吉良側から書かれた物語がないということも一因なのでしょう。

一説には、塩の製法を教わろうとして教えてくれなかったから嫌がらせをしたという話もあります。
嫌がらせといっても小言程度だったかもしれないし、その程度のことでカッとなった浅野が斬りかかったという話の展開もありえます。

江戸時代に儒教が入り、忠誠ということが広まったといえるのでしょうか。
元禄時代には、儒教が浸透していたのかという疑問もあり、浅野の家臣も「あんなアホな君主の為に命を捨てられるか!」と思う人達も多かったのではないでしょうか。

話は戻りますが、藤堂高虎の時代は、君主を変えて出世するというのは当然だったといいます。
でもあまりにも出世をするので妬まれたともいいます。

最後には、有能な家臣を亡くしながらも家康に信頼され仕えたわけですから、忠誠心がなかったわけではなかったのです。

そもそも誰に忠誠するのか?が問題であって、間違った忠誠心であったなら、愚かな戦争に発展しかねません。

名君と言われていた吉良が悪者イメージになってしまうのも気の毒な気もします。
最初に、塩の製法を教えていけば(この説が本当ならば)、友好関係を築けたのにな〜と思ってしまうのです。

忠臣蔵といえば美談で終ってしまいそうですが、2つの藩がとり潰されてしまったのですから、悲しい物語ともいえそうです。

 

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05/11/15 『未来を見据える』

先日のショートツーリングでトラックから嫌がらせを受けました。
山道の国道でのことです。前の車に法令どうりの車間距離をとって走っていました。
後ろからトラックが追い付いてきているのは知っていました。突然、真後ろについたりして抜きたがっているのは分かっていたのですが、クネクネとした道で簡単には道を譲れるような状態ではありませんでした。

業を煮やしたのでしょうか・・突然割り込んできました。
たぶんバイクが前を走っているのが嫌なのでしょう。
バイクに乗っている人達の中にも、右側から割り込んで車を追い抜いていく人達もいますし、どっちもどっちでしょうか。

人は、地力で走れる以上の速度(40キロ)では、自分で感情をコントロールすることは難しいと思っています。
よく車に乗ると性格が表れるといいますが、私はそうは思いません。
コント−ルできないかできるかの問題だと思っています。

ではコントロール出来るようにするにはどうしたらいいのか?

トラックの後を走るというのも愉快なものではありません。
視界が狭く、楽しんで走るということも半減します。

紅葉時、車はいつもより多くいます。じきに信号だって現れます。
信号で停止した時に、スッと前に行かせてもらいます。
そして後ろの車を離させて走らせてもらいます。
(よく知っている道で、山道ということもあり、善良なドライバーよりも速く走ることになりますので)

ほんの少しの未来を見据えることによっていら立ちを回避し、自らをコントロール出来るのではないでしょうか・・

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05/11/10 『偉さについて』

以前にも引き合い出しましたが斉藤純著「オートバイライフ」の中に、
「僕は歩いて旅する人が一番偉いと思っている」という一文があります。

北野武監督が、こんなことを漏らしたことがあるという。
「お米を作ったり、お魚を取ったりする人が一番偉い。我々は“第2産業”。お米作っている人より負けないように努力をしなければいけないとオレは思っている」

私がストーブを扱う時は、どの道具が偉いかを順番にすると
小枝で湯が沸せるネイチャ−ストーブ、再生可能な燃料であるアルコールストーブ、化石燃料を使うガス、ホワイトガソリンのストーブである。

では、ガス、ホワイトガソリンのストーブは偉くないのか?
違う・・偉くないわけではない。

ただ偉いな〜と思えることが偉いと思える。

「全ての人間は2種類に分けられる、偉い人と偉いな〜と思える偉い人」

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05/10/30 『時間の発見』

送られてきたナショジオ誌と一緒に入っていた小冊子に時間の概念と時計について書かれてありました。

・・イギリスのストーンへイジ、メソポタミアのジグラット、マヤの「太陽のピラミッド」などは天体装置であり、同時に神殿や祭壇としての役割を果たしていた。なぜなら「時間」は神のものであり、それを計る「時計」は聖なるものでなければならなかった。

そういえば昔、「零の発見」という本を読んだことがあります。名もなきインド人が零を発見して世界に広まったという内容でした。
「時間」にしろ「零」にしろ、我々の生活には不可欠ですね。

午前零時・・は我々にとってどのような意味があるのだろうと考えるのもいいのかもしれません。

たまには祭壇(?)に、時計や一万円札などを手向けたりするのもいいのかなあと思ったりもするのでした。

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05/10/16 『パパラギ』

本の題名です。副題は「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」。パパラギとは白人のことです。
昔、読んだ本ですが図書館で借りてきました。

その中の章に「考えるという重い病気」というのがあります。

現代社会というのは、考えることが多すぎるくらいあるのですが、それが果たして人にとって幸せなのだろうかと思います。
反文明的な本ですが、現在との違いなどを考えてみるというのが本当の考えることなのかなあと思ったりします。

ワーズワ−スの 有名な詩に「生活は質素に社会は豊かに」というのがありますが、この詩の意味は極力考えない生活を考えようという意味なのではないのか・・

世の中が複雑になればなるほど考えることが増えていく。
そして病気なっていく人も増えていく。

何も考えないで旅がしたいな〜。

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05/10/15 『遠い空の向こうに』

深夜のテレビで「遠い空の向こうに」という映画を録画をして観ました。
1999年製作のアメリカ映画で面白かったので感想を・・

1957年ソ連の人工衛星を観て誘発された4人の少年たちがロケットを作るという話です。

炭鉱での生活、応援してくれる女先生、そして父親との確執。
ラストは 誰もが思うような展開で終わます。
でも分かっていても涙腺をいじめてきます。

実話ということが臨場感をさらに盛り上げてきます。

青春時代にこのような体験ができるというのは幸せなことだなあと思ってしまいます。
それだけで充分すぎるとさえ思います。

なぜなら青春の輝きを持った人には、遠い空の向こうを見る勇気も持っているからね。

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05/10/14 『センソウナンテキライダヨ』

夏頃のニュース番組で原爆で被爆された方々と原爆の開発に携わった科学者との対面する場面がありました。

被爆された方々は、謝って欲しいと言ったに関わらず科学者は謝りませんでした。
理由は、パールハーバーで友人を亡くしたこと、戦争は日本全体の責任であるということ・・

先日、沖縄地上戦の番組がありました。
10万人の人がなくなり、沖縄は日本にとっては捨て石。
集団自決、日本軍による住民虐殺もありました。(住民虐殺の理由は、スパイ行為を行っているのではないか・・ということです)

憲法改正の動きもあります。
故後藤田正晴氏は、私が生きている間は改正してくれるな・・と漏らしていたという。

センソウナンテキライダヨ・・そうつぶやくことも大切なのかなあと思うのでした。

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05/10/11 『善人』

そういえば今夜、日本のシンドラ−と言われている杉原千畝のドラマがあります。
知っている方も多いと思いますが、戦中にユダヤ人に個人的にビザを発行した人です。
口の悪い人は、地位が偉くなかったから出来たんだといいますが、出来る訳ないじゃないか!

人はどうして年を重ねると醜くなるのかな〜と思うこの頃なのですが(自分も含めてなんですけどね)、この方のように気高く生きることができる人はどのくらいいるのだろうか・・

じゃあどうして醜くなるのか・・と考えていたら吉野弘の「夕焼け」という詩を思い出しました。
(詩は お気に入りの缶詰 さんの こちら を・・vol 1にあります。吉野さんて著作権に関しては寛大なのですね)

善人でいることの難しさを痛感します。

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05/09/21 『経済』

「プロになるための経済的思考法」中谷巌著を読んでみました。
難しそうな題名の本ですが、私みたいなド素人でもすんなり読めてしまう本です。

この本によると経済というのは成長し続けないといけないそうです。
そして日本にとっては人口減少というのが大きな問題で、減少すれば無駄なものが生まれ街はゴーストタウン化してしまうそうです。
一つの手としては移民を受け入れる、人口減少に歯止めがかかるように制度、環境を整備するということでしょうか。

なによりもこれほど大きな借金を抱えてしまったことのデメリットというのは計り知れないのでしょうね。
小さな政府というのは選択の余地なくそういう方向性にしなくてはならないそうで、借金を返すには増税という形になるでしょう。

では私たちには何ができるのでしょうか?

「支配者を支配せよ」という本がありましたが、「支配者を民意が支配する」というのが民主主義なのだろうと思います。
一番手っ取り早いことが、良質な政治家を生み出すことなのでしょう。
政治家は私たちの1票の積み重ねで選ばれるのですから・・

だから選挙の時は、1票を投じ、良質な政治家を生み出す必要性が生まれる。
私が選挙に行く理由というのは、こういった理由でしょうか。

 

本の末尾には、日本の伝統、精神を作り上げていって下さいと結んでいます。
こういったことは「あさましさ」とは対極にあるからなのでしょうね。

権力や権威に媚びるのではなく、民意の力で動かしていきたいものですね。
その力の源は、伝統、精神なのではないかと思うのでした。

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05/09/13 『改革と改善』

ある予測のもとで、それに備える(万全を期す)ということが苦手なのだろうか。
人が持っている「平常であろうとする力」というものが、そうさせるのだろうか。

だから待ったなしの状態になって初めて変革を求めるのだろうか。

 

「一生懸命」と「一所懸命」は、同じ意味として扱われる。
でも私は「一所懸命」の方を使う。

改革よりも改善を求めていたいからだ。
改革というのは最終手段であるし、そういった状況になり行使しなければならないというのは悲しいことだ。

所々の問題は、国家レベル、個人レベルでたくさんあることだろう。
目先の損得を追い求めず、所々のレベルのうちに片付けておけるものは片付けておきたいものである。

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05/09/05『和銅開珎』

日本で初めて使われた通貨ですね。(それ以前にも使われた通貨があったという話も聞いたこともありますが、どうなのでしょう)
その原材料となった銅が埼玉県秩父市で採掘されたそうです。

通貨のメリットは、ブツブツ交換だった社会がお金というものが介在することによって、保存が効き、いつでも交換できるというのが一番の役割なのでしょう。

デメリットとしては、それによって博打などが生まれ、お金が欲望を支配するようになったということでしょうか。

通貨が生まれて以来、人類は通貨とのつき合い方は進歩してきたのだろうか?

金、権威、権力、これらは人を狂わす。

なにげなく水戸黄門や浅見光彦シリーズのテレビ番組が好きだったりする。
権威を持ち、黄門さまのように正義の味方にでもなろうとしているのか? ああなればいいな、と思わせるのが長寿番組の秘けつなのだろう。

原点回帰、迷ったら原点に帰るのがいいのだろう。
最初にお金を手にした人は、どんな気持ちだったのだろうか・・

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05/08/26 『僕は僕を応援しない』

夏の高校野球が終り、久方ぶりにチャンネルを合わせることが多かった高校野球でした。

地元県勢は早々と姿を消し、それでも高校野球を観た訳は、それなりの理由があったのである。

150キロを越す球を投げる超高校級の投手やひたむきな選手達の姿など。

一般的には贔屓のチームがあり、応援するという理由でスポーツは観戦することが多いのだろうと思うのだが、観る側に応援する気持ちがない場合、こうも客観的に野球を観ることが出来るかと再認識した次第である。

ひとつひとつのプレイが明確に評価できるのである。

 

人は感情的な生き物である。
だから時として我を失う。

私は私を応援するのは止めよう。ただしそれには応援しないだけの理由が必要だ。

類い稀なる才能を秘めているとか、ひたむきな生き方をするとか・・

一流のアスリートたちは、自分自身を客観視することができる。
才能を持ち合わせた人への神様の御褒美だ。

私は、ひたむきさを見つめて生きて行こう・・

 

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05/08/23 『晴耕雨読』

辞書で調べると「はれの日は畑を耕し、雨の日は家で読書」といった内容が書かれてあると思います。

でも先人の教えは、そんな単純なものではないと憶測します。

低気圧が近づいてくると人はうつ気味になるといいます。
自殺する人が何曜日に自殺するのか・・といったことが前に発表されましたが、どんな天気かで調べてみると天候が悪い日に多いと思うのですがどうなんでしょう。

古くは、芥川龍之介もそうだったと記憶しています。他の作家にもいますね。


「晴耕雨読」 の意味は、雨の日は無理をしないで、のんびりと過ごそうよ(雨の日でも元気な人は除く)・・といった意味だと解釈をしたいのですが、どんなもんでしょう。

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05/08/23 『環境進化論』

普段、陰口その他は言うことはないのですが、その理由として場の環境、雰囲気が悪くなるからです。

よくサラリーマンが酒場で愚痴をこぼすとと言われがちですが、そうしたことで何かが改善されるとは思われません。
そんなことよりも身の回りの環境をどのように改善するかを考えていた方が、ストレスを解消されると思います。

 

「君子危うきに近寄らず」「逃げるが勝ち」という古人の教えがありますが、環境を進化させるにはこの言葉が的を射ていると思います。

世の中には、鬼畜みたいな人も存在しているのも事実だし、そんな人とは関わってはいけない。

頭にくることはない、逃げるのさ、もしくは逃げる準備をしておくのさ!
これが私のストレス解消法!!

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