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■枇杷島線(旧一宮線一部区間)廃線・廃駅

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枇杷島線(旧一宮線一部区間) 略年表
年月日出来事社名
1910年(明治43年)05月06日押切町−枇杷島開業枇杷島線:押切町−枇杷島名古屋電気鉄道
1911年(明治44年)02月庄内川架橋工事開始※
1912年(大正元年)08月06日枇杷島−西印田開業一宮線:押切町−西印田
1913年(大正02年)11月20日柳橋駅開業郊外線の柳橋乗り入れ開始
1914年(大正03年)09月06日柳橋駅焼失
1921年(大正10年)07月01日名古屋鉄道(初代)に郊外線を譲渡
1922年(大正11年)08月01日名古屋市に市内線を譲渡
11月16日柳橋駅改築工事完成名古屋鉄道(初代)
1926年(大正15年)01月23日名古屋市電 志摩町−那古野 廃止に伴い柳橋乗り入れルート変更
1941年(昭和16年)08月12日新名古屋−枇杷島橋開通 
押切町−枇杷島橋廃止柳橋乗り入れ終了
東枇杷島駅移転 
※1 名古屋鉄道百年史より

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概要

 名古屋電気鉄道(日本で2番目に電気鉄道「路面電車」を開通)の郊外路線拡大として、明治43年 枇杷島線として押切町−枇杷島間1.8kmが開業した。大正元年には庄内川を渡り、岩倉を経由(現:犬山線)して西印田まで延長される。押切町−西印田間を一宮線へ改称する。翌大正2年に西印田−東一宮間が延長された。名古屋から一宮の都市間ネットワークが完成する。
 大正2年に、柳橋に路面電車の線路から引き込み線を敷き柳橋駅を開業する。押切町駅で乗り換えが必要であったが、郊外線の車両を路面電車の線路を使って、柳橋駅まで乗り入れることによって利便性がよくなった。
 大正3年の市内線の運賃値下げ運動で柳橋駅は焼失し、市内線の市営化が進んでいった。郊外線を新設の名古屋鉄道(初代)、市内線を名古屋市へ譲渡し、名古屋電気鉄道は解散した。
 昭和16年の東西連絡線 岐阜−豊橋間の直通運転実現で、枇杷島橋−押切町間は廃線となる。


枇杷島線(旧一宮線一部区間)駅名
    柳橋 大正02年11月20日開業(郊外線の駅)
 昭和16年08月12日廃止(郊外線乗り入れ終了)
   
名古屋市内線
郊外線
押切町 明治43年05月06日開業(郊外線の駅)
    八坂町
平野町
 明治43年05月06日開業 ※2
 大正10年頃改称 平野町へ
 昭和16年08月12日廃止
    東枇杷島
(初代)
 明治43年05月06日開業
 昭和16年08月12日廃止移転
   
枇杷島線
旧一宮線
枇杷島 明治43年05月06日開業 ※3
 大正元年08月06日廃止と推定
      新名古屋
名鉄名古屋
 昭和16年08月12日開業
      栄生 昭和16年08月12日開業

名古屋本線 
    東枇杷島
(2代目)
 昭和16年08月12日移転開業
       
     庄内川橋梁
    枇杷島橋 大正元年08月06日開業
 昭和24年08月01日廃止 枇杷島分岐点となる
     枇杷島分岐点 
名古屋本線
   犬山線
旧一宮線
下小田井 
     西枇杷島 
※2 【名古屋鉄道百年史】より
 【今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図 7号 東海』新潮社2008年】には、明治45年03月29日開業となっているが、これは軌道法から鉄道法に変更になった日である。
※3 【名古屋鉄道百年史】
 【今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図 7号 東海』新潮社2008年】にも枇杷島駅の記載はありませんが、開業時の営業キロが、押切町−枇杷島1.8km、枇杷島−西印田16.5kmの距離から計算すると、庄内川橋梁の東詰の当たりになる。架橋までの仮設停留所があったと推測できる。また、【今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図 7号 東海』新潮社2008年】に距離不明で「惣兵衛川(庄内用水)の記載があり、初代東枇杷島駅近くを流れている。これらのことから、開業時は押切町−惣兵衛川−枇杷島(仮設)であり、延伸時に、惣兵衛川から東枇杷島へ、枇杷島(仮設)は廃止されたと仮定できる。  
 

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