このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2000/7/31作成 8/5訂補 8/26訂補 2003/3/22訂補 もともとデハ80形は全28両あり、新製車が6両、ついで大正時代に作られた木造車を更新して22両生まれました。 玉川線廃止時に10両が世田谷線用として生き残り、残りは廃車に。しかし生き残りのうち4両が使用されず、江ノ電への嫁入りが決まったとのことです。ちなみに江ノ電に来たのは新製車でない方。この4両は、世田谷線移籍時に車番を104〜107から87〜90号へと改番。廃車にして空いた番号を詰めています。 江ノ電は乗客が多い時間帯は4両編成を組むことがありました。でも、600形の4両編成は見たことが一度もありませんでした。あったけどたまたま見ることが出来なかったのかなと思ったら、車長が長いために2両以上は組めなかったようです。 連結器は写真のようにいつも変なところにありました。これは、台車中心から車端までの距離があるので連結器が長く、こうなっちゃうみたいです。 ようするに、他形式との連結を考慮した仕様となっていたわけで、600形だけだったらオリジナルのままでよかったはず。 1981年当時、江ノ電の連接車ではない車輌は、あと800形がありました。(タンコロこと107と108は廃車になっていました。動態保存する前の話です。)その800形と600形は、ドアの数が3枚。江ノ電の他形式はすべて2枚なので、ホームに到着しても、ドアの位置が違いました。わたしの記憶が確かなら、600形入線時に、駅アナウンスでドアの位置を放送していたと思います。 場所は駅改良工事前の鵠沼駅、江ノ島寄りです。 この急なカーブを曲がったところに橋がありました。当時の江ノ電はポイントがスプリングポイント。今でもそうなのかなぁ。 ちなみに、フィルムはサクラカラー2のASA100を使用。カメラはキャノンの小型のモノで、ハーフサイズに写すものでした。さすがに20年前のフィルムは褪色がはげしいです。なんとかせねば。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |