このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

毒ガスの島、大久野島。

〜暗い大日本帝国時代の生き証人〜

 

Ohkunojima Island

 

 

 

 

 

 瀬戸内海に浮かぶ小さな島、大久野島。現在は多くの観光客やカップルで賑わうこの島も、嘗ては大日本帝国の陰謀により使用された暗い過去があった…。

 村上水軍の末裔を中心とする島民が住み着いていた大久野島は、日露戦争に入ると大陸から大都市、大阪・東京方面へのへの最短ルート上の島でもあり、呉には軍港が存在した事から芸予要塞建設地の一つとして選ばれ、南北・島の中腹部に砲台が築かれた。しかし、実際に要塞として稼動する事はなく、装備されていた大砲の一部は取り外され、日露戦争の最前線に送られたり、第一次世界大戦時に使用されたりした。要塞として有効ではないと見なされた大久野島は一旦、全ての武装が解除される事となる。

 

 一時的に軍用施設としての島ではなくなったが、それから永久に…という訳にはいかなかった。大久野島が再び軍事施設としての島として復活するのは武装解除されてから間もない頃で、陸軍の工場が建設される事が決定し、島民全員に退去命令が発せられた。退去命令の理由については、住民には軍事施設・工場の機密を守らなければならないという説明のみで、何が製造されるかは一切説明されなかったが、当時不況だったのもあり住民は軍の施設=「お国」の管理する工場・施設というだけに大いに賛成、全員信用・納得せざるを得なかったのだ。

 

 

 

 

 

 

呉線に使用される2両編成の105系。103系時代の面影をよく残している。

この車輌は可部線でも使用されている。

 

 

 

 

 大久野島まで定期船が出ている忠海港の最寄の駅、忠海駅までJR呉線で目指す訳だが、広島方面からだと殆どの列車が広止まりで、広から三原方面への列車は本数が少ない。広から三原までは2両編成のワンマンカーが運行されている事が多く、少々戸惑うかもしれないが忠海までの切符を持っていればそのまま乗る事が出来、整理券を取る必要もない。切符が忠海の手前の駅までのものであっても到着時に料金箱前に乗務員がいるので乗り越し清算も可能である。

 

 

 

 

 

クュュュッ!!(萌     呉線の105系車内にて撮影。

 

ラティアスに加え、ジラーチも参戦…ジラーチは初の広島入りだったりします…^ ^;

 

 

 

 

 単線の為、列車ものんびりと走る…海岸方向を眺めるもよし、窓を開けて潮風に当たるもよし…しかし、大久野島に再び軍事施設が建設された頃にはそのような事は出来なかった。忠海に近づくと窓にはブラインドが下ろされ、海側を眺める事も出来なかった。何しろ、大久野島では新型兵器という名の化学兵器が一般人に知らされる事なく「密造」されていたのだから…。

 それどころか、当時は少しでも高い場所から大久野島の方向を見る事も禁止されており、周辺では警察・憲兵だけでなく、地元住民も目を光らせていた。

 ある日の事、この近辺に住んでいた児童が不審な男性が海側を眺めているのを発見、通報…報酬として褒美が授与されたという。子供にまで密偵の様な事をさせていたのだ。

 

 

 

 

 

     

 

忠海港から定期船で約12分程度で大久野島の桟橋へ到着出来る。

許可車輌以外の島内への車輌の乗り入れは禁止されているので忠海港周辺迄の移動は公共の交通機関を利用する事をお勧めする。

 

 

 

 

 では、何故大久野島が化学兵器製造工場の建設地として選ばれたのか…製造にふさわしい場所として、中国大陸に近く、大地震に縁のない西日本(当時はそのように考えられていた)で人員・物資の供給・製品の輸送費用が少なくて済む程近く、且つ事故が発生しても本土の住民に影響が出ない程離れた島であり、施設の機密を厳守する目的で一般の地図から消去しても違和感のない島を選定する必要があった。大久野島はそれらの条件を満たしており、又、芸予要塞の一つとして存在していた島でもあり軍の土地は多く存在していた為、土地の確保は容易であったと思われる。

 

 島民全員が退去を終え、製造施設が完成すると一般の地図からは姿を消す事となる…そして、暗い時代の幕開けとなっていったのである…。

 

 

 

 

 

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