このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

毒ガスの島、大久野島。

〜島に棲息する動物達の現在と過去〜

 

Ohkunojima Island

 

 

 

 

 

 

桟橋付近の木陰で警戒する事無く寝転ぶウサギ。

島内には至る所でウサギの姿を見る事が出来る。

 

 

 

 

 島内には多くのウサギが生息しており、至る場所でその姿を見る事が出来る。桟橋・国民宿舎周辺のウサギはとても人に慣れており、餌をねだりに足元へやってくるものもいる。訪問する際は味付けされていない生のキャベツや人参・ペット用の餌等を持っていくと良いだろう。但し、餌を与えた後は素早く立ち去らないと図々しくねだりに来るのもいるので要注意。

 逆に砲台跡や火力発電所の廃墟周辺を縄張りとするウサギは本来あるべき野生の姿に程近い性格であり、警戒心が強く人前には滅多に姿を現さない。但し、近年は土壌汚染された場所の木の実等を口にしたウサギは中毒に遭っており、又、子ウサギはカラスの格好の餌食に遭っており、年々減少しているのだとか。

 

 現在では画像の様な暢気な光景も頻繁に見られるが、戦時中はそうではなかった…実は、この島のウサギたちは戦時中に実験用として持ち込まれたウサギと、戦後になって地元の小学校から持ち込まれたウサギの子孫であり、前者の先祖達は幾度となく残酷な実験に使用され次々と殺されたのだ。

 

 

 

 

 

 

桟橋から国民宿舎方面へ向けて暫く歩くとこのような案内板が立っている。

島内にある廃墟・遺構の管理は環境省が行っているが、

現在使用されていない廃施設は修復される事も無く荒れるがままとなっている。

 

 

 

 

 持ち込まれた動物はウサギのみならず、十姉妹も持ち込まれていた。1933年、工員の一人が製造工程にて被毒してしまい、懸命の処置の甲斐も無く帰らぬ人となった。これが工場に於ける最初の死亡事故で、それ以降、毒物漏洩の有無の確認を籠に入れた十姉妹を用いて行う事となる。未だに記憶に新しい、地下鉄サリン事件でも自衛隊員によるサリンの検出に於いて同様の手法が使用されている。但しこちらは用いられたのは十姉妹ではなく、カナリヤであったが…。

 

 

 

 

 

     

 

動物への残酷な実験の舞台となった研究室(写真左)と、検査工室(写真右)。

研究室はその後、ネイチャーセンターとして、検査工室は宿泊施設として転用されていたが、

現在は両者共に閉鎖、休暇村職員の詰所となっている。

 

 

 

 

 当時ここで勤務していた工員にはこの島全体の施設は人道的な新型化学兵器の製造施設であると説明されており、又、島の関係者全員、島の事については一切の機密を厳守しなければならなかった。勝手に欠勤する事も出来ず、欠勤すれば憲兵が自宅まで押しかけて来るほど厳しかったという。それどころか、退職命令(殆どが健康上の理由による)が出された後も憲兵達が転職先も徹底的に追跡調査していたそうだ。病院も絶対機密の厳守の為、島内の診療所のみでの対応を取らざるを得なかった。

 

 軍が民間人である工員に説明した人道的な新型化学兵器の定義とは…死に至らせる事のない化学物質で敵の戦意を喪失させ、容易に捕虜にする事が可能にする為の化学兵器であり、毒性は一時的なものなので時間の経過と共に体内で分解、体外に排出され回復していく…という物だったそうだ。

 では、実際に製造されていた物は本当にそうだったのだろうか…?!

 

 

 

 

 

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