このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

更新日 2007/9/28

戻る

美鉄バス時代3 最終期の市街路線車
(1997−2002)


美鉄バス最終期の市街路線車(中三方)は系列の東急バスから車体カラーもそのままに移籍された3両です。東急バス目黒営業所で新交通システム用に導入された初期のタイプで,通常の路線車よりデラックスな内装を持っていました。3両とも美唄市民バスに移管されています。

美鉄バスNO.01(札幌22か3071) アルテピアッツァ美唄(2000年頃)
もと東急バスM698号。「駅〜スキー場」タイプの両方向幕は最終期のもの。赤字が旭通り経由,青字が東明通り経由で,どちらもそれぞれ市営球場(旧東明三区)経由,養護学校(旧東明小)経由があるのは美唄炭山線以来の伝統。アルテピアッツァ行きもあわせて最終期でも28往復の便があった。
(写真提供:府川文彦様)

美鉄バスNO.02(札幌22か3073) 美鉄本社車庫?(1998年頃)
もと東急バスM701号。おそらく移籍後最初の冬で,首都圏のファンにとっては豪雪と東急カラーは不思議な取り合わせに見えるかも知れない。旧幕「落合栄町」は現アルテピアッツァ近くにあった旧停留所名で,長らくアルテピアッツァ経由落合栄町行きであった。美唄炭砿があった頃はさらに我路(スキー場)〜美唄炭山駅を経由し常盤台,旭台,三の沢まで路線が延びていた。
(写真提供:府川文彦様)

美鉄バスNO.03(札幌22か3078) アルテピアッツァ美唄(2000年頃)
もと東急バスM700号。こちらは東明通り〜養護学校経由アルテピアッツァ行き。車輌は側面方向幕が撤去された以外はオリジナルとさほど外観が変わっていない。東急時代は「109」のロゴが入っていた場所に「びてつ」の文字があるのは愛嬌か。北海道の地方路線でよく見かける「自由乗降区間」の表記も興味深い。
(写真提供:府川文彦様)

アルテピアッツァ美唄に勢揃いした路線車(2002.3.31)
「美鉄バスさよならツアー」では最終日の演出として路線車3両を並べ,三菱バス〜美鉄バス長年の功労をねぎらった。関係者の話ではアルテピアッツァでの路線車勢揃いはおそらく最初で最後とのこと。車齢17年にもなる車輌は外観も綺麗で,春の美唄市郊外の風景に似合っていた。
(撮影:伊藤)


[参考] 美唄市民バス(2002− )

美鉄バスから路線を引き継いだ美唄市民バスは,現在「市民バス東線」として旧美鉄路線を運行しています。

美唄市民バス 札幌200は・351 美唄駅前(2005.6.18)
2002年4月に美鉄バス路線を引き継いだ「美唄市民バス」は,当初車輌もそのままNO.01〜03の3両が使用された。路線廃止に伴う道路運送法78条(旧80条)バスで,白ナンバーで運行されている。三菱バス=美鉄バスから美唄市が路線を引き継ぐのはこれが初めてではなく,現在の「市民バス西線」(旧美唄市営バス路線)は三菱鉱業バス時代の茶志内,中村,拓北,上美唄などの各線からの移管だった(詳細は現在調査中)。もと中央バス路線(南美唄線,専大線)は美自交バス(美唄自動車学校)が営業運転を行っている。

美唄市民バス 札幌230せ3131 美唄駅前(2005.6.18)
美唄市民バスに登場した新顔の日野リエッセ小型バス。中ドアが広く車椅子の乗り降りにも配慮されている。現在アルテピアッツァ行きは2003年にオープンした「ピパの湯ゆ〜りん館」(東明三区)を経由する。

ページトップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください