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更新日 2009/2/14

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美鉄バス時代2 スケルトン貸切車


1983年から導入が始まったスケルトンタイプの貸切車は新車23両,移籍3両,延べ数で26両の在籍がありました。こちらでは府川文彦様,徳田潤様からご提供いただいた写真を中心に掲載します。

1.新製貸切車(1983−2002)


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美鉄バスNO.85(札22あ3553) 1984年頃 美鉄バス本社車庫
美鉄バス時代初の新車は初のスケルトン貸切車で,1983年春に導入されたふそうK-MS615S(57人乗り,呉羽自工)。美鉄バスはこの年に札幌近郊圏貸切7社で設立された「ブルーバスグループ」設立メンバーで,初期〜90年代初頭のスケルトン貸切車は新製時にブルーバスカラーを持つものが多かった。なおこの85号車はまもなくTDA契約色(通称レインボーカラー)に塗り替えられ,98年の引退まで同カラーで活躍した。
(写真提供:府川文彦様)


美鉄バスNO.86(札22あ3881) 1990年代? サッポロビール園
85号車と86号車は初代エアロバス(三菱自工)誕生のころ呉羽自工で一時期時期平行生産された「サンシャインデッカ」で,札幌圏ではじょうてつ(株)などで導入実績がある。こちらは1984年式P-MS715Sで,エアロバスと共通シャシ。外観も「サンダーカット」の開始位置(86号は第3柱から)やバンパー下裾部の幅など細部が異なっていることがわかる。同車はブルーバスカラー時代が長かったようで,90年代中頃まではオリジナルの姿を見ることが出来たと思われる。
(撮影:坂井)


美鉄バスNO.86(札22あ3881) 2000年頃 美鉄バス本社車庫
86号の東急色時代。ブルーバスグループ脱退後,ブルーバスカラー車は全車東急色(マーキュリーカラー)に塗り替えられた。色の違いだけでずいぶん印象が異なって見えることがわかる。写真は晩年の姿で,上の写真と比べてサイドモールやロゴなどが撤去されている。同車は美鉄バス事業廃止を待たずに廃車となった。
(写真提供:府川文彦様)


美鉄バスNO.87(札22あ4173) 2002.3.31 桂沢湖畔
1985年から採用された車輌はシャシは同じながらボデーは富士重工「R3型」に切り替わった。87号は美鉄バス解散時の最古参貸切車で,写真は「美鉄バスさよならツアー」の時のもの。年式のわりには車輌の状態もよく,このまま引退するのは惜しいくらいである。なおこの車輌も新製時はブルーバス色。
(写真提供:徳田潤様)


美鉄バスNO.89(札22あ4408) 1990年代 美鉄バス本社車庫
1985年〜89年まではすべてR3型フルデッカであるが,翌1986年の車輌はバンパーの加工(サイド部分がメッキ→黒へ)など細部が異なっていたようである。ホイールカバーがついていることから90年代の早い時期の写真か。末期のラジアルタイヤ時代はホイールカバーは略されることが多かった。
(写真提供:府川文彦様)



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美鉄バスNO.92(札幌22か・165) 2000.6.25 千歳空港ターミナル
残っている記録によると,1988年式はNO.91(札幌22か・166)がマーキュリー(東急)色で,写真のNO.92はブルーバス色で導入されたことになっている。貸切契約の違いにより二つのカラーを使い分けていたようで,運用形態として興味深い。写真はブルーバスグループ脱退後で92号も東急カラーに変更されている。なおベゼル中央部の「美鉄バス」表記が前年車までと異なっている。
(写真提供:徳田潤様)


美鉄バスNO.93(札幌22か・500) 2000年頃 美鉄バス本社車庫
1989年式も写真の93号がブルーバス色,94号(札幌22か・501)が東急色と異なるカラーだった模様である。なお富士重工では1988年にHD-I型が発表されているが,89年車は従来のR3型で導入された。
(写真提供:府川文彦様)


美鉄バスNO.95(札幌22か・893) 1999.12.28 千歳空港ターミナル
1990年式からボデーが富士重工HD-I型となる。「サンダーカット」と呼ばれた側窓下部の傾斜処理は,HD-I型では独特の形状となっている。同じブルーバスグループのエクセルバスも同仕様のボデーを採用していたようで,ブルーバス時代は社名を見ないとどちらのバスか区別がつかなかったかも知れない( [参考] (註1))。窓配置は従来の逆T窓からT窓タイプへ改められている。
(写真提供:徳田潤様)



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美鉄バスNO.98(札幌22か1185) 2000.6.24 千歳空港ターミナル
1991年は3両の貸切新車(廃車代替2,増車1)が導入されたが,シャシは新公害規制・独立サスのU-MS726系となった。外観上は90年車と余り変わらないが,公式側クーラーエンジン部に細長いルーバーがつくなど細部が異なるようだ。なお富士重工ではこの時期すでに7HD型が発表されているが,HD-I/II型もかなり後まで並行生産された。
(写真提供:徳田潤様)



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美鉄バスNO.104(札幌22か2718) 2000.6.24 千歳空港ターミナル
1993年から1997年まではスーパーハイデッカのベストセラー「(ニュー)エアロクイーンI」が採用されたが,三菱製のボデーは新三菱時代のR380型以来,実に34年ぶりである。写真の104号は読売旅行の契約色だが,マーキュリー色車も存在した( [参考] (註1))。全車道内の各貸切事業者へ引き継がれ,現在も活躍中である。
(写真提供:徳田潤様)


2.移籍貸切車(1998−2002)

美鉄バスNO.83-2代目(札幌200か・・61) 2000年頃 美鉄バス本社車庫
美鉄バス唯一の初代「エアロバス」は系列の東急バスから斜里バスを経て購入された中古車で,三番目の活躍場所。1986年式で東急時代でもマーキュリーカラー車初期のグループだったことになる。東急色は道内でも系列のじょうてつ,函館バス,あつまバス,宗谷バス,北見バスなどでよく見ることが出来た。
(写真提供:府川文彦様)


美鉄バスNO.108(札幌200か・320) 2000年頃 美鉄バス本社車庫
こちらも他事業者ではおなじみの日野ブルーリボン+東急色車であるが,美鉄バスでは唯一の存在。1990年式P-RU608系で側窓「サンダーカット」仕様のミドルデッカ。廃業までわずか2年の在籍だが,末期の移籍貸切車は三菱〜美鉄時代唯一の日産ディーゼル(UD)車( [参考] (註1))など,美鉄バスとしては珍しい車輌が多かった。なお移籍車の社号は廃車代替の欠番を引き継ぐのが通例だったが,この車輌のみ例外的に新規採番の108号が与えられている。
(写真提供:府川文彦様)


【参考】 もと美鉄バス 新たな活躍

網走交通バス 札幌200か・327 (旧美鉄 NO.109) 2002.11.3 子どもの国(砂川)
最終期の美鉄新製貸切車はオーソドックスなフルデッカ仕様で107号,109号の2両があった。109号はわずか2年の在籍で,美鉄解散後(2002.4)は東急カラーのまま親会社である網走交通(株)へ移籍した。同年の7月に同社からバス部門が分離し網走交通バス(株)所属となる。東急系列ながら奥の車のようにBUS CENTER色(「バスセンター」は道東地区の貸切バスグループで他に阿寒バス,斜里バスなどが加入)を持つ車輌が多く,東急色は珍しい。近年はスーパー車などでオリジナル色が増えているようである。
(撮影:栗山)

註1
本文中の[参考]は,そうけん様の 『北海道バス総合研究所』 所蔵の車輌説明より引用させていただきました(ありがとうございます)。

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