このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

更新日 2008/3/30

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常盤の四軒長屋


「常盤」の名を冠する場所は大夕張や美唄にもあり大変紛らわしいのですが,若菜駅付近の鉄道山側一帯の地区をこの名前で呼んでいます。常盤,日吉は夕製職員が住むところで,対岸の平和や千代田とはっきり別れていたそうです。

夕張市内ではどこでも見ることが出来た「炭坑長屋」。戦前は十軒,八軒,四軒などいろいろな種類があったようだが,四戸建ては台所や玄関もつき,戦前の炭坑街としては立派なものだったそうである。戦後は二軒を改造して一軒にするなどして使っていたようだが,常盤の四軒長屋は昔の形のまま残っていた。

夕張は傾斜地が多いので長屋は段々畑状に高さを違えて並んでいる。常盤地区のそれは,まだなだらかな方か。奥の丘も段々状になっているが,幅がかなり狭いように見える。棟割長屋時代のものだろうか。

長屋から道路を隔てて対岸の上側にあった商店と共同浴場。すでにどちらも休業状態だったようである。さらに上にも建物が見える。

日吉方面へ向かう坂から常盤地区を望む。古い常盤の炭住街越しに千代田の目新しい集合住宅が見える。

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