このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2003-09-22

  

三菱鉱業バス保存会
活動趣意書

三菱鉱業バス保存会 会長 坂井 郁夫

 1947年(昭和25年)、美唄の街に誕生した三菱美唄鉄道のバス部門は、1956年(昭和31年)9月、大夕張地区山内にて全盛を極めた炭鉱街の足として営業を開始しました。

 その後は三菱鉱業バス、美鉄バスと名称を変えながらも大夕張地区では1997年(平成9年)11月に、美唄地区では2002年(平成14年)3月にその生涯を閉じました。

 かつて、国家の最重要エネルギーとしての石炭を採掘するために開発された炭鉱、その炭鉱と共に発展した街並みも、閉山に伴い衰退の道をたどっています。 地域住民の足として大夕張・美唄地区を拠点に運行していた同バスも廃止・廃業となり、地域の歴史とともに記憶が風化しようとしているのが現状です。

 私ども「三菱鉱業バス保存会」は、現南部地区に操業を開始した大夕張炭坑の専用鉄道(後の三菱炭砿、三菱鉄道)と共に、大夕張鹿島・南部、清水沢・遠幌地区住民の足として親しまれてきた三菱鉱業バス42年間の歴史を中心に、美唄地区での55年間の歴史も含めて後生に伝える目的をもって発足しました。

  活動としては、南部地区に個人が保管していた三菱鉱業バス唯一の現存車両を引き継ぎ、車両の修復、保存を目標とし、シューパロダムにより水没する鹿島地区 の故郷をなくした旧住民の心の拠り所として、また観光資源として南部地区の、ひいては世界的規模となった「映画祭の街・夕張」に僅かでも寄与できればと考 えております。

 さらに、地域学習も重要な活動と位置づけ「シューパロ塾」・「三菱大夕張鉄道保存会」等と密接に連携をとり相互に学習議題を提供するものといたします。

 今、ここに同バスの車両の適正保存への道をあらゆる角度から模索し、ふるさとのシンボルとして再度陽の目を見られるように地元住民、旧住民、同バス関係者、バスファン等を中心に全国から会員を募り活動を推進したいと思います。

  


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