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「赤い華」
遠き夕日に—その1
賢次は早めに喫茶プチへと向かう事にした
プチの近くまで来ると、既にコーヒーを飲みながら母と雑談中の部長がいた
「あら、部長さんはもうおみえだわよ」
母がにこにこしながら賢次を迎えた
「おう、ママさんのコーヒー恋しさに早めの訪問をさせてもらった。どう?食事、ここで?」
「ええ、僕はいいですけれど」賢次は少しの緊張感で部長の顔を見た
「それがね、中国での交渉が順調にいったから、上司から君にご褒美をとの会社命令を受けてね」
「そうですか。それなら、ひと安心です」
「で、料亭へでも行こうかって思ったけどね、それより、君のママさんのお袋の味。どうかなって、思いついちゃって」
「僕は毎日・・・・・(T_T)」
「あははははは、そうだよね。今回はここにして、又改めての事にしようか」
「ええ、いいですよ。」
「わたしの味でよろしければ、どうぞ」母は温和な性格
賢次は幼い頃からゆったりと育った
その性格が店の顔となって、結構人気の喫茶だった
オープン喫茶にしてからは、女性客が増え、店はおしゃれな装いになった
お花をより多く飾り、手作りケーキ、クッキーを主としていた
けれど、昔からの一番の人気メニューは、カレー風のオムライスだった
「インデアン」
カレーをライスに混ぜ、卵で包んだオムライス
お昼に軽く頂くにはもってこいの定番
部長と賢次は食事をしながら、楽しげに話しをしていた
プチには、新装開店のお祝いにと、春樹の母である静子からの花が飾ってあった
かなこが間もなく閉店の準備をしていたその時・・・・・
ピンポン〜
駆け寄って見たその人は・・・・・
遠き夕日にーその2
静子であった
「閉店なのね?遅くにいいかしら?」
「静子さん、よくいらしてくださったわね。何か召し上がる?」
「あらら、歓迎を受けてありがたいけど、いいの?」
「勿論よ、あなたは家族同然よ。遠慮しないで」
「じゃ^軽くサンドイッチとコーヒーはアメリカンで」
「今日は賢次がいるんだけど、あの子も今日は気を使ったようだから、お腹がすいているかもしれないよ。呼んでみるね」
「かあさん、僕、いるよ」
どこにいたのか、すぐ傍から賢次の声がした
「なーんだ、びっくりするじゃないの?」
「かあさん、今日は部長から栄転のお話があったよ」
「そう、その話は、又、後にしようね。あなた、疲れたでしょう。それに静子さんがおみえだし、プチの大切なお話を聞いていただきたいのよ」
「そうだね、いいよ。僕、居ていいの?」
「いいよ。」
静子は成長した賢次を見るのが楽しみで、時々「プチ」を訪れる
今日は急の用事で春樹に送ってもらったのだった
「静子さん、お一人で?」
「いいえ、春樹がそこまで用があるらしくて、それなら、プチに行くからって。」
傍に居た賢次は思わず言った
「春樹君そこまで来ていたの?〜寄ってくれればよかったのに。」
「それがね・・・・・春樹は、難しい事になってね。」
「おばさん、春樹君がどうかしたの?」
プチで流れていた「ユーモレスク」のメロディが、なぜか悲しく聞こえた、そんな瞬間だった
季節は秋
静かに流れる時間の谷間に、三人は誰か沈黙を破ってくれないかと、じっと待っていた
そんな秋の長い夜のはじまりだった
遠き夕日にーその3
「そうそう、静子さん。」かなこが口火を切った
「なに?かなこさん。」
「喫茶・プチの事だけれど、新装開店をしてから、ほら、お店を広げたでしょ?忙しいのよ。あなたのお勤めに差し支えなければ、土・日・祝日に応援にきてほしいのだけど、いいかしら?」
「まぁ、それはおめでたいわね。忙しいなんて、この不景気時に、嬉しい事よね。」
「ありがとう、静子さん。どう?」
「そうね、急のお話だから、考えておくけれど、いいかしら?」
「勿論、時間は急がないから、お返事はゆっくりで結構よ。」
「あの〜それより、春樹君がどうかしたの?」
「あら?賢次さん、ご存じなかったの?」
「ん?」
「あの子、5月の健康診断にひっかかってね。」
「それで?」
「再検査に行ったのはいいけれど・・・・・難しい病気になって〜」
「それで?」
「血液の癌で、骨髄移植で適応する人を探しているのよ。」
「じゃー仕事は休んでいるの?」
「ええ、急遽入院という事になったのよ。」
「おばさん、僕に出来る事があれば、言ってよね。」
「嬉しいですよ。ありがとうね。」
「静子さん、大変ね。私にも何かあればお手伝いさせてね。」
「かなこさん、それでね・・・・・又、相談に乗っていただきたい事があるの。」
「承知しています。」
時の流れが三人を包み、そして、止まった
秋、人々は静かに流れる時を楽しんでいた同じ時間に、ここ「プチ」では、重く深い時がただ流れるばかりであった
この時から、春樹の運命は、賢次に託されたのだった
運命と言うにはあまりに残酷ではないかと筆者は思うのである
遠き夕日にーその4
季節は冬
それからの春樹は、急性白血病と闘い続けていたのだった
実は、骨髄移植を賢次に哀願した静子は、そのまま姿を消してどこかへ・・・・・
かなこは移植に関してはそれを賢次に勧めたけれど、身元が、つまり、ふたりが二卵性の兄弟である事を明かすのを反対したのだ
かなこの心は頑なであった
明かしたくない、が、明かさなくてはならない時が、こんな形でくるとは、夢にも思わなかった
ひとり病と闘っている春樹を思うと、かなこと賢次は、毎日のように看病に明け暮れた
ある日、ひとりの女性が、病院を訪れた
比呂美であった
賢次は、母かなこから頼まれた洗濯物を春樹に届けようとドアを、すると、同時の速さで比呂美が・・・・・
「け、けんじさん」
「比呂美か、久しぶりだな」
実は、賢次からの移植で、白血病治療の経過が良好なため、今まで別室に面会室があったけれど、今は直接春樹の病室へ入れた
言葉少なに、三人はたわいもない話で一時間が過ぎた
春樹は少しづつ心に余裕を持つようになったのだ
「比呂美君は、相変わらず元気そうだなぁ」
「ありがとう。元気だけは取り得の私。これを失くすと何にもナッシングよ」
「そんな事はないよ。頭の切れもアッシングだよ〜なぁ、賢次」
「ん?そうだな。羨ましいくらいに切れるよね」
「そうそう、甘い物はいいんでしょ?はい、どうぞ」
三人でレア・チーズケーキをほおばりながら、それぞれの生活談義に花が咲いた
行方を言わないまま姿を消した静子の事は、春樹には秘密にされていた
よほど、かなこの言葉が静子の心に傷をつけたのか
賢次はまだ自分が春樹の弟だとは、知らされてはいなかった
春近き午後のひと時であった
窓の外では、今日退院していく患者が花束を掲げて微笑んでいる光景が春樹には眩しかった
遠き夕日にーその5
ここ中央病院の近辺には、高校とその付属中学校がある
桜が咲く頃には卒業式・入学式と人生での区切りを祝う行事がある
春樹の人生の区切り
それは、生か死
若い春樹には「死」それは・・・思わぬ言葉だった
春樹は、難しい病のため、他の患者からは離れている
孤立はしているけれど、病室の窓から四季の流れを感じとる事が出来る
今、苦境に立っている己を、毎日見ている
人間のするすべてが虚しい
病に打ち勝つには精神力しかないとはわかってはいるものの、それは健康な人間の言える事
病以上に辛い副作用との闘いが毎日春樹を苦しめる
死の世界にいくまで、気になる事もある
賢次が弟であるという事を、本人には明かしていない
それには、母との話し合いも必要だ
なぜ?なぜ、母は見舞いに来ないのだろう
春樹は少し楽になった最近の自分が思うのは、母の事であった
母の苦しみを一番よく知っているのは自分
だから、自分がなった病は、他とは異質のものであった
血液の病気は、親族を明らかにして戦うべき
しかし、母には耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶという試練があるのは承知している
息子である自分が重い病で苦しんでいるために言えないのも、承知している
賢次は親友と言うそれだけで移植を承知してくれたのだろうか?
誰からか自分との関わりを示されたのだろうか?
そんな事をあれこれ考えていると、いつしか眠りの世界に入っていくのであった
春近し、昼下がりの病室で、春樹は母を思いながら眠った
その頃、賢次は比呂美と久しぶりに逢う約束をするため、携帯からメールを送っていた
遠き夕日にーその6
賢次には考えるところがあった
部長から栄転と知らされたのは、春樹の病を知ったその直前であった
勿論、それに応じる予定だった
けれど、春樹の母親から意外な話を聞かされてから、賢次は栄転を断る事を決心した
かなこから口止めされていた春樹と賢次の間柄
しかし、春樹の病には、時間的余裕がなく、静子はただひたすら春樹の命を救う事のみ考えていた
けれど、賢次に真実を言うと、当然の事かなこを裏切る事になる
春樹を置いていくわけにもいかない
その事をも含めての話であったのだ
賢次は比呂美との付き合いを復活したいと望んでいた
賢次は自分の人生で、今、大切な曲がり角に来ている・・・そう思った
比呂美との結婚
静子から聞いた春樹との関係
「兄だったのか。」
ぽつりと呟いた
裕福に育った自分とは違って、兄である春樹は、母を助け、今まで明るく生きてきた
それに、小さい頃から何かとかばってくれた
母かなこには静子からの告白をどんな形で言えばいいのかも賢次を悩ませた
春近し
幸い春樹の症状は落ち着いてきた
静子からの連絡は断ち切れたけれど、あの人も苦しいんだ
実の母であったのか
複雑な人間模様は、それぞれの苦しみ模様でもあるのだ
かなこ・静子・春樹・賢次
それぞれが織り成す人生模様
悲しみからは必ず喜びが生まれる
春の足音がそれを感じさせる、そんな今朝の鳥達の囀りであった
静子は故郷で・・・
かなこは喫茶プチで・・・・
春樹は病室で・・・
そして、賢次は・・・己の心の遥かかなたにある「希望」から、春を感じるのであった
<つづく>
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