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特集 「華の長崎」に見る
大正時代の長崎の電車たち

アルバム長崎百年
華の長崎
秘蔵絵葉書コレクション

ブライアン・バークガフニ 編著
長崎文献社
■A4ワイド判(302×225mm)
■232頁

2005年2月25日初版発行

価格6,090円(税込)
こちら から購入できます

明治から昭和にかけての古き佳き時代。
長崎が最も「華やか」だった当時
長崎市から海外に送られた絵はがきを
編者が10数カ国からインターネットオークションで収集。

当時の長崎の暮らしぶり、外国人居留地、国際港として栄えた港町の繁栄振り
など617点の絵葉書で紹介した本です。
古写真に着彩したものや絵画調のものもあり、その半数以上は初公開。

当サイトではこの本の編者であり、はがきの所有者でもある
ブライアン・バークガフニ氏に転載許可をいただき
この本に掲載されている電車関係の絵葉書23点を
この特集ページ、および各形式のページにて公開させていただく事になりました。

この中でも注目なのが、これまで戦後の写真しか無かった
1形1号電車の大正時代の画像や
当時の電車の色を知ることができる着彩えはがきなどです
今回、初公開となる絵葉書も多数含まれています。
電車開業90周年の今年、
創業当時を知る絵葉書が多数露出する事になったのは大きな成果です。

解説は「華の長崎」の解説文を参考に
当サイトオリジナルの電車の解説を追加しています
電車の番号解読には日本路面電車同好会の梨森武志氏にご協力いただきました。

大波止・五島町
1形 1号 玉江町(現・五島町)
まだ車体や架線柱はピカピカで、ポールは片側設置、唐草模様がはっきり確認できる。大型の救助網も初期のタイプ。
架線柱がかかっているのが残念。
20形 22号 大波止付近
左の絵葉書に比べ、架線柱の広告などが増え、電車もポールが前後設置に変わっている。(大正10〜12年頃)
20形 38号 大波止付近
大波止電停から長崎駅前方面を望む
古町・酒屋町
40形 44号
大正10年頃の古町電停付近。前方は諏訪神社方面、左折すると勾配を上り現在の桜町立体交差の上に至る
20形 (左)33号(右)31号 酒屋町
現在の賑橋電停付近から公会堂方面を望む。左の建物は長崎貯金(長崎無尽)、現在も長崎銀行本店として現存。
長崎駅前
古町支線開通後なので大正8年〜のものと思われる
40形 41号
赤い建物は操車小屋。電車の他は人力車しかなく、現在の車だらけの状況からは想像できない。
(左) 1形 4号 (右) 20形 33号
看板類、建物の色が左とは大きく異なる。彩色は実際の色が必ず反映されていないのかも? ポールは前後設置。
40形 46号
左手の駅舎は昭和20年の原爆により焼失した洋風駅舎(大正元年建築)。
20形 32号
現在のホテルニュー長崎付近から駅前電停方面を望む。
西浜町付近
形式確認できず
洋風建築は不動貯蓄銀行長崎支店(現在のりそな銀行長崎ビル)
40形 60号
西浜町電停付近。長久橋から鉄橋を望む。現在の交通の要所、中央橋(電車の左あたり)はまだ架けられていない。
(左) 40形 (車号確認できず) 
(右) 20形 (車号確認できず)
西浜町(アーケード入口)電停付近。鉄橋上から中央橋方面(船のあたり)を望む。昭和初期。
大浦海岸通り大浦バンド
英国領事館・税関があった当時の大浦海岸通りは長崎外国人居留地の一等地。米、独の領事館の他、著名な外国系商社、銀行が軒を連ねていた。(「華の長崎」より)
それだけに、この地域の絵葉書は数多く発行されている。
形式確認できず
右手のレンガ造りの建物は現存する英国領事館。画面中央の奥には出師橋と電車の姿も。当時の大浦線は全線単線でこの場所に離合点があった。(大正時代)
40形 (左)54号 (ポールは前後設置)
線路の人は保守しているのか、通行人か判然とせず
左写真とほぼ同位置。英国領事館の右隣は米国領事館、両替所、その前の電柱には「電車のりば」の看板が見える
上の写真の逆方向。軌道のすぐ横が海だった。右奥には現存する大型洋館・香港上海銀行長崎支店がみえる。左の写真を逆方向から見る。色が塗られていないので判りにくいが、自転車の男性のあたりが離合点。
40形 (左)56号(右)61号 大正10年頃
更に松ヶ枝橋から見る。電車が並んでいる場所が上の離合点。
20形 33号 大正10年頃
松ヶ枝橋から見る。カーブは現在の複線から単線になるあたり。
20形 35号?(確認できず)
大浦〜弁天橋(大浦天主堂下)間。電車は色づけがツートンカラーに見えるが実際は茶色一色と思われる。
20形 (車号確認できず)
大浦〜弁天橋(大浦天主堂下)間。現在は川の上に県営駐車場が建つ。左端の大きな建物はドイツ領事館。
40形 57号 (レイン・アーンズ氏所蔵)
弁天橋(大浦天主堂下)〜石橋間。電車が走る部分はその後車道となり、軌道は現在川の上を走る。川幅は現在よりかなり広い。

大正10年6月に完成した思案橋終点ビル
手前の欄干が思案橋。洋風3階建てで1階は電車待合室、2〜3階は簡易食堂。当時の長崎では珍しい「ビル」だったのではないだろうか。ビルの左手に線路が伸びる

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