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戦場跡といっても戦闘が行われたのが1954年と遠くない過去であり、武器や兵器などは現代でも使われているもので、生々しい感じがする。
2008年4月30日 | |
Orchid at Pass (N21 33.817 E103 31.804) の標高1430mの峠の茶店に咲いていた蘭。 この茶店も道路がよくなったらみな通り過ぎてしまうのだろう。 | |
080430-01s.JPG | 080430-02s.JPG |
ディエンビエンフーの英雄墓地 遠い昔の城郭の入り口のようである。 | |
080430-03s.JPG 英雄墓地入り口 入り口の両翼の壁には数千人になろうかとおもう戦死者の名前が書かれていた。 | 080430-04s.JPG 慰霊碑 |
080430-05s.JPG 慰霊碑から入り口を見る | 080430-06s.JPG Nguyen Long Vanという8歳の時この戦闘で亡くなった人の霊が呼びかけてきた。 何を問いかけてようとしたのかはわからなかったが、冥福を祈っておいた。 このウエブサイトを見た誰かがそれと気がつくかもしれない。 |
戦争博物館 | |
080430-07s.JPG 戦争博物館入り口 | 080430-08s.JPG ベトナム軍側兵器 |
080430-09s.JPG ベトナム軍側兵器。 左端はやたらに旧式だと思ったら帝国陸軍の山砲だった | 080430-10s.JPG 破壊されたフランス軍側輸送車 |
080430-11s.JPG フランス軍側兵器 | 080430-12s.JPG フランス軍側兵器 |
小さい頃から戦争映画にたびたび登場する各種の兵器や輸送車が展示されていた。 | |
A1 ポイント | |
080430-13s.JPG ベトミン側が陣地の下にトンネルを掘って1トン爆弾を破裂させたクレーター ベトナム人は戦争用にトンネルを掘るのが得意だが、道路トンネルというものがない。 | 080430-14s.JPG A1 ポイントから 延々と水田が広がる盆地にある丘の一つにこの陣地を仏軍は構築した。 |
080430-15s.JPG A1 ポイントから この火焔樹は何を見ていたのだろうか。 | 080430-16s.JPG A1 ポイントから 右側に深い塹壕がみえる。 |
080430-17s.JPG A1 ポイントから この丘の麓にはチークの木が植えてあった。樹齢は50年くらいだった | 080430-18s.JPG A1 ポイントから |
フランス橋 (N21 23.211 E103 00.706) | |
080430-19s.JPG 許容荷重5ton程度の軍用橋ベリー橋に似ている工兵隊がかける橋。横に対空機関砲の台座だけがのこっていた。 |
第二次大戦中ナチスドイツに占領されてしまったフランスはその軍隊も帝国陸軍に対して戦闘を仕掛けなかった。それゆえ、この当時まで近代的な兵器や砲弾などがたくさん残っていたのだろう。それに対してベトミン軍は中国やソ連からの軍事援助を受けて貧弱な武器しかなかったが、「203高地」式の人海戦術でついにフランスをベトナムから追い出したのである。 この戦争中にフランスは「第二のベトナム化」を恐れて、ラオスやカンボジアに独立を許したのである。
この戦争は、ベトナム一国だけではなくインドシナ諸国の独立のきっかけになったのである。
この旅行中気がついたことは、東南アジア諸国で旧宗主国と戦争して独立したのはベトナムとインドネシアだけであるということであった。
2008年5月1日 | |
ホテル近くの市場にて 戦場めぐりはどうしても肌に合わない。こういう平和な雰囲気が一番である。 | |
080501-01s.JPG | 080501-02s.JPG 果物屋 |
080501-03s.JPG ここいら辺ではよく食べられている小さなプラムを売っているタイ人のおばさん | 080501-04s.JPG 沢蟹と大きな貝を売っていた。淡水産の貝にしては大形である |
080501-05s.JPG うなぎはまだ理解できるが蛙までたべちゃんうだ! | 080501-06s.JPG 野菜のいろどりがきれいだった |
080501-07s.JPG 袋に入ったわけの分からないものを売っているおばさん | 080501-08s.JPG 海岸から500km以上もあるのにハマグリ! |
080501-09s.JPG 揚げパン屋 | 080501-10s.JPG 投宿した「ホテル・ハノイ」の入り口B&B US$20だった |
街中の市場にて | |
080501-11s.JPG 調味料屋の店先 | 080501-12s.JPG 乾物屋の店先 |
080501-13s.JPG 080501-14s.JPG 市場で物売りをしているのはほとんど女性だ。オトコはどこに行っちゃったのか?朝からビールでも飲んでいるのかな? ムオンラの市場と同じように肉屋のおばちゃんたちが一番愛想が良い。あ、そうか、筆者がダンディーでハンサムだからだな! そう考えておけば世界は自分のものなのである。 | |
080501-15s.JPG トッケか? 食べちゃうのかなあ、かわいそう。 |
April 30, 2008 (晴) | |||
着 | 発 | ||
Muong La | 07:53 | ||
Son La | 08:44 | 通過 | |
Chieng Pac | 09:27 | 通過 | |
Tuan Chau | 09:37 | 通過 | |
峠の茶屋 | 10.31 | 10:55 | 小休止 |
Tuan Giao | 11:40 | 12:25 | 昼食 Thanh Tuy Restaurant |
Muong Ang | 13:18 | ||
Dien Bien Phu | 14:41 | ||
May 01, 2008 (晴) | |||
Dien Bien Phu | 09:20 | ||
Muong Ang | 10:30 | 通過 | |
Tuan Giao | 11:23 | 12:08 | 昼食 |
峠の茶屋 | 12:50 | 通過 | |
Tuan Chau | 13:34 | ||
Chieng Pac | 13:51 | ||
Son La | 15:03 | 16:14 | 食料などの買出し |
Muong La | 16:54 |
今回の旅行経路のほとんど全ての区間で道路工事が行われていた。我々はランドクルーザーを利用したので少々の道の悪さはあまりこたえなかったが、乗用車やバスで行くと疲労困憊するだろう。
工事が完成すればソンラからディエンビエンフーまで二時間は短縮できるだろう。
それらにしてもハノイから陸路でディエンビエンフーに行くには自家用車で10時間はかかる。バスなら14時間はかかるだろうし、屈曲が多い山道がほとんどなのでバスの中でゆっくり眠ってはいられない。いやはや。
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2008-05-11 作成
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