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ハノイでの用事はATMで生活資金を下ろすだけであった。サイゴンとハノイにしか国際ATMカードが使える機械がないのである。インドネシアでは相当な地方でも国際atmカードが使えたことを考えると、金融に関してベトナムはインドネシアに10年遅れをとっていると言わざるを得ない。まあ共産党が主導権を握っているからそうならざるを得ないのかともおもう。
閑話休題、
ソンラの現場からハノイまでの道のりは約340kmあり、途中で1200mの峠を越えなくてはならない難所がある。難所というくらいだからがけっぷちを通る道路だと皆さん想像するだろう。そのとおり、急勾配で急カーブの山道を延々と300kmも走らなくてはならないのである。途中で大きな土砂崩れで迂回路になっているところもある。豪雨の際には落石や土砂崩れが頻繁に起きる地域であるので、雨季の走行には充分注意されたい。また交通量も少なく、町と町の間の距離があるので、故障などのトラブルに備えて夜間走行は避けるべきだ。一部を除き街灯はまったくない。
まずは、道路の標高から紹介しよう。断面図は以下のとおりである。高解像度のファイルはこの画像をクリックしてください。もっと詳しいGPSデータは こちら からどうぞ。GPSソフトをお持ちでない方は エクセルファイル でどうぞ。
平面図はこれだ。詳しく見たい人は右クリックして新しいタブで拡大地図を見てください。
筆者が住んでいるMuong Laは紅河の第一の支流であるDa川のそのまた最大支流であるMa川に面している。河口からは約500kmの地点にあるが標高はきわめて低く、約180mしかない。
約35km南に離れた省都のソンラ町までは約400mも急坂を上らなくてはならないのである。
ソンラ町から東に進むとMa川の支流の谷を越えなくてはならず、標高約260mまでさがる。これからは延々と50kmをかけて1000mの上りに入る。これがフンドシのように長いソンラ町の中心である。
途中155km地点に大きな崩落箇所があり迂回路となっている。N20 53.923 E104 31.979の地点である。しかし、大型のトレーラーも楽に通れるので問題はないが、大雨の後は土砂崩れの頻発地帯なので注意が必要。
約130km地点の高原にMoc Chou (モクチョウ)がある。涼しいこぎれいな町でベトナム風のホテルもある。ここはベトナムでも有名な酪農地帯であるとともにお茶や高原野菜でも有名である。ドライブインにはいったらヨーグルトを試してみると良い。とても味が良い。
ここからさらに上ってゆくと約1100mの高原地帯を通過する。涼しいので自動車の冷房は不必要である。
約180km地点の高原地帯に人が造ったと思われるような自然の箱庭がある。京都の石庭をおもわせるようなたたずまいであった。 N20 44.129 E104 56.563である。
同行の土木技師に尋ねたところ、石灰岩地域ではこのような人が作ったように見える自然の景観が時々現れるとのことであった。
約215km地点に、ホアビン町を望む景観の良い場所がある。N20 39.623 E105 08.594。週末の天候がよく交通量が多いときにはここに青空市場が出ていて、野菜や野生の蘭など地元の製品を売っている。写真はないのであしからず。
約235km地点に平地に石灰岩の鋭い山が立ち並ぶ奇勝がある。ここにはAn Lac Hotelがあるが、にぎわっているのを見たことがない。しかし一見の価値がある奇勝である。
約265km地点はHoa Binh町である。ここまでは山岳タイ族の地域であるがここから東側は日本人に似たキン族が大部分を占めているのでなんとなくホッとするのである。 N20 50.495 E105 21.511である。標高は約30mしかない。
この町は紅河の最大支流であるダ河に1970年代に当時のソビエトの援助で建設されたホアビンダムがあり、治水と発電の両方を担当している。しかし、このダムだけでは洪水時の貯水能力が不足していて、豪雨が続くと低地帯にあるハノイの町は大洪水に見舞われてしまう。そのためにも現在建設中のソンラダムが必要となっているのである。
ここからはひたすら平地を走るのみである。交通マナーを守らないオートバイが多く交通量も多いこの道路は運転するのにも神経を使う。
約305km地点の一般道にどういうわけか料金所があり、出入りのたびに一万ドンとられるのである。下がその領収証である。
ここからハノイまでは約30kmである。どういうわけかどろどろになっている狭い舗装道路をひた走ると、オートバイであふれた町、ハノイである。薄暗く、道路整備も不十分、一年中スモッグがかかっている町である。現在道路拡張や立体交差の工事が進んでいるがそれが終わっても交通ルールを守ろうとしない「暴走オートバイ」族はなくならないだろう。いやはやベトナム人が交通事故を防ごうとする意識に達するまではあと数十万人の交通事故死者が必要なのかもしれない。
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2008-06-05 作成
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