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宮城県の「丸森学」
第三講 巨石ミステリースポット「立石」
宮城県伊具郡丸森町は阿武隈山系の北端に位置し良質の花崗岩が産出される土地であり、いまでもあちこちの集落で石材店(工場)をみかける。
また良質の石材に恵まれていたためか、町内には石碑が多数存在する。
この町の内川と雉子尾川に挟まれた丘陵の頂には花崗岩の露頭が数多く見られる。その中でも有名なものは「立石」と呼ばれる巨石である。
ウエブサイトで立石の存在を知り、2009年7月に丸森町を訪問した時に西側から立石を遠望し、近いうちに立石まで行ってみようと心に決めたのである。
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五福谷付近から見た立石 2009年7月11日撮影 |
たまたま、2010年1月に所用のため再度丸森を訪問することになった。このような山頂にあるサイトまでは「やぶ漕ぎ」が常套手段であるため、下草がない冬場の方がアクセスしやすいことがわかっていたので義兄とともに登頂を試みた。この義兄は養蚕指導員を長らくやっていて町内なら行ってないところがないほどの「つう」ではあったが、立石にはまだ未挑戦とのことだった。
立石の西側にある羽入集落にいる義兄の知り合いから、登山ルートを聞き出してそれに従って登頂したのである。登山ルートを下の地図に示す。
登山道入口の標識は、羽入集落から南東に300m進んだ林道の南側にある。なお、緯度と経度はGSW84によるものである。
登山口からいったん下がって小川を越えると湿地帯に出る。湿地帯の木道を進んでいき、登山道の標識に従って南下する。すぐに尾根に登る急坂にぶつかるので、それをひたすら上るのである。登山道は整備されているとは言い難いが足元はそれほど悪くない。長靴は不要。登山口から立石までは徒歩約10分であった。
立石からの眺望は良い。
100109-27 立石から五福谷方面を望む | 100109-28 立石から丸森町役場方面を望む |
山頂で一休みしているうちに妙なことに気付いた。
他の地方ではこのような巨石は神格化されてしめ縄をはったり、傍らにはほこらがあるのが一般的なのだが、ここ立石にはそれが一切ない。ということは、村人たちの信仰対象になっていないということである。すなわち、村人の興味の外になっていたということだ。このような巨石はかならず畏敬の対象から信仰の対象に変遷していくのだが、立石がそのように村人に認識されていないのは不思議である。
ウエブサイト上の情報では立石の傍らにある岩くらの中で弥生式土器が発見されたとあるが、それを持ちこんだ人の子孫がこの土地にいるのなら、何かの伝統があってもよいはずである。ただ下のウエブサイトにある神話的な伝承が伝わっているだけである。
さて、上の疑問はどうしたものか。立石を何周かしながら考えた。
100109-27 立石遠景 | 100109-30 立石詳細 |
何周目かに立石から話が聞こえた。それはこういうものだった。
ここの地域は先住民の聖域であり荒神様がすんでいた。移住民が続々と南から東からと入ってきて、先住民は徐々に山の奥に追いやられていった。そのうち荒神様と村人との間で問題が生じ、荒神様の怒りで村人たちに不幸が続いた。
そこに西暦890年代に高僧がやってきてこの荒神様を立石に閉じ込めてしまったのである。それからは荒神様が村人に悪さをすることができなくなったのだ。
荒神様は立石に閉じ込められてはいるが、上右の写真で「目」のように見えるところから、下界を覗き見ている。ここからだけ荒神様と通信できる。
帰京してからウエブサイトで探してみると、この山地にある狛犬で有名な「山津見神社」のヤマツミとは古語で「山の神」の意味であるということから、立石に閉じ込められた荒神様は移住民である古代の和人の神であろう。ただ、祭壇が全く見当たらないから、彼らの崇敬した伝統が伝わっていない。
また、この高僧とは「役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの)」であると荒神様は話してくれたが、wikipediaによれば役 小角は634年(舒明天皇6年)伝 - 706年(慶雲3年)伝)に実在した人物で呪術にたけていて修験道の開祖といわれているので、時代が200年ほど異なるのである。多分この荒神様は修験道者を役 小角と解釈していたのかもしれない。ただ、阿武隈山地には修験道の道場が多いようだから、この立石と修験道とを結び付ける何かがあるのかもしれない。
立石のミステリーはこれだけでは終わらないのである。登山道入り口付近の湿地帯がとても怪しいのである。数十人が何度か殺された場所のようであり、
この悪霊の存在のしかたはペルーのアンデス山中で訪れた「いけにえの岩」とよく似ていたのである。義兄は「子捨て場ではなかったか」と言っていたが、この悪霊は子供の霊ではなく、相当に怨念を抱いて殺された大人の霊だったのである。
先住民のアイヌとの戦いでたくさんの人たちがここで殺されたか、あるいは戦国時代にここで戦闘があったのかは分からないが、とにかく不気味である。
100109-31 怪しい湿地帯 その1 | 100109-32 怪しい湿地帯 その2 | 100109-33 怪しい湿地帯 その3 |
真中の写真に見える割れた石がとても不気味であった。
ここは呪われた土地で悪霊に憑依されやすく危険ですから、小学生以下の子供、精神的に不安定な人たちを連れていくことは絶対にやめてください。また、ここに足を踏み入れる際にはきちんと手順を踏む必要があります。
ちなみに、筆者はお化けの研究家であり、世界のお化けについて こちら に記事があります。アジア、アフリカ、南米のお化けの調査結果があります。興味のある方はどうぞ。
2010-01-25 作成
2010-02-03 訂正
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