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超能力開発研究所
Supernaturalism

第一話 お化け考

第四章 お化けを利用する

第三章ではお化けの地域的偏在について考察した。
お化けは怖いだけで何の役にも立たないと現代人は思っているであろうが、世界中で昔からお化けの力を利用することを行ってきたのである。これは笑い話ではない。
昔の人たちは呪いなどの行為でお化けの能力を利用してきたのである。戦勝祈願やお百度参りということをたくさん行っていたことからもそれはいえるのである。
この章ではインドネシアでお化けをどのように利用しているのかを考察する。


4.1 風呂場のおじさん

1992年から96年までセラン町に滞在したうち最後の二年間は、女中さん付きの単身宿舎にたった独りで住んでいた。この宿舎は古い分譲住宅地の中にあり、電話が付いていて、高台にあって建坪は250平方メートルと広かったのだが、約8年間誰も住んでいなかったのでかなり荒れていた。この家にはからっぽで家具やエアコン、井戸ポンプなどの近代的設備が付いていなかったので、家賃は二年間で約35万円。こんな点が気に入って思い切って二年間借りることにした。この家は途中で建て増ししていたので、トイレ付き風呂場が三つとトイレが一つある変わった家であった。

インドネシア人はお湯に入る習慣がないので日本のような風呂桶もないし、この家には西洋式のバスタブも付いていなかった。ただバクと呼ばれる水溜が風呂場の奥にあり、そこに溜めた水を手桶で体にざーざーとかけて洗っていた。
1994年5月末に引っ越ししてから暫く経った時に、風呂場でシャンプーをしていると、左の首筋に天井からの視線を感じたのである。「ははぁ、人間が長いこと住んでいなかったので『マックロ・クロスケ』が巣をくっているんだな。そのうち出て行くさ」とたかをくくっていた。
数ヶ月もすると、おぼろげながら段々とその「視線の主」の容貌が分かるようになってきたのである。入浴している私をじーっと上から斜めに見つめていたのは首から上だけの中年の男性だった。容貌から想像するにジャワ島の部族ではなく、スマトラ島の人らしかったがそれ以上のことは分からなかった。この「視線の主」がいることに最初のうちは驚いたが、毎日彼に挨拶をしているうちに「視線の主」の存在にも慣れてしまった。そのうち、あの「視線の主」は、面影が似ている亡くなったスマトラ出身のバタック人の親友であろう、彼が私のことを心配して毎日見に来てくれているのだろうということで勝手に納得・安心していた。でも、もしこの「視線の主」が親友なら、こんなに冷たい視線を向けることはないはずので、少しおかしいなあとは疑っていたのである。

この家に住んで約一年経った時に、チレゴンという隣り町の病院の医者であるこの家の家主が奥さんと子供を連れてこの家に遊びに来たのである。家の契約をした時には家主の代理人と会っただけで直接家主には会っていなかったから、最初は誰が訪ねてきたのか分からなかったのである。
お茶とお菓子を勧めながらその家主の顔を見ると、しょっちゅう会っている人に良く似ていたのである。
談笑しながらしげしげと家主の顔を見つめ、「誰に似ているのだろう」と考えた。
突然、背中に冷水を掛けられたような感じがして、思い出した。
家主とあの「視線の主」の容貌はうりふたつだった。
借主の監視のために家主がこのお化けを風呂場に植え付けたものであろう。


4.2 ワニの橋

西ジャワ州にはバンドン盆地を水源としたチタルム川という大河が南北に流れ、ジャワ海に注いでいます。今ではたくさんのダムができて、チタルム川の水が水力発電や農業灌漑に使われていますが、そんなダムや橋など一つもなかった約50年前の話です。
この友人はチタルム川沿いにあるプルワカルタという町の警察署長の息子でした。この当時、百メートル以上の川幅があるチタルム川の対岸は人も余り住んでおらず、開けていませんでした。

ある時、父親の部下たちと対岸にピクニックに行きました。小舟でチタルム川を渡って山に入って、楽しい時を過ごし、夕方近くに小舟をもやってある場所まで戻ると小舟が見当たりません。山に向けて出発した時には確かにしっかりと立ち木に縛っておいたので流されるはずもありません。
何人かが、念のために下流に舟を探しに行きましたが見当たらず、戻ってきてしまいました。もちろんこちら側の川岸には人家もなく、道を尋ねることもできません。どうしようかと手をこまねいているうちに、両岸に高い山が迫っているチタルム川の川岸にどんどん夕闇が迫ってきました。
すると、大人の一人が「ちょっと遠いがこちら岸に住んでいるオレの知っている魔術師に頼もう」と夕闇の中に消えていきました。この人が魔術師を連れてきたのは夜になってからでした。

しばらくすると父親の部下の一人が友人にこう言いました。
「ぼっちゃん、心配しないでいいですよ。魔術師がチタルム川にワニを使って橋をかけましたから、それを渡っておうちに帰ります。私の手をつかんで放さないようにして下さい。私が『もう開けてもよい』と言うまでは絶対に目を開けてはいけませんよ」と。
友人は、その大人の手をしっかりと握り目を閉じたままワニの橋を渡り終え、両親のいる家に辿り着くことができたのです。

彼が大人になってからこの出来事を思い返してみると、疑問が湧いてきました。まず、チタルム川には棲息していないはずのワニをどうして集めたのかが変でした。次に、ワニの橋を渡った時に足の裏に感じたぶよぶよ感と生臭い匂いはとうていワニのものとは思えない、ということだったのです。
帰省した折りにその時に案内してくれた父親の部下に尋ねると、「ぼっちゃん、あの時は安心してもらうためにワニと言ったのですが、実はあの橋はワニではなくて、魔術師が川底に沈んでいる水死体を集めてきたものでつくったのです。ですからぼっちゃんに『絶対に目を開けないでください』といったのです」と答えたとのことでした。


4.3 呪いは家族へ

インドネシアのバンテン州では、自分の思いを遂げるのに少しだけは自助努力をするのですが、ほとんどの部分を黒魔術に頼ることが多いのです。早い噺が「怠け者の神頼み」なのです。
近所に住んでいる小学校の元校長先生と仲良くしていました。このオジイサンは真面目なモスレムで、この地域の「知識人」として、旧時代の遺物のような白魔術も黒魔術も信じない人でした。モスクで五回のお祈りは毎日欠かしませんし、奉仕作業には率先して出てくるような、「手本となる」ような人でした。
このオジイサンは長らく学校の教師としてこの地域の教育界にいましたので、いわれのあるなしにかかわらず、あちこちから恨みを買うことが多かったのです。別な人から聞いた噺では、頻繁に黒魔術を掛けられていたとのことでした。しかし、このオジイサンは真面目なモスレムでしたので黒魔術が彼にはかからず、一緒に生活している奥さんや子供にかかってしまったらしく、彼の家族には病人や怪我人が沢山出ていました。
まともな宗教でまじめに修行していると、黒魔術にもかからにくくなるのだということをこの地域の魔術師から聞いたことがありました。


4.4 トラックを持ち上げる

真夜中近くに寂しい山道を一台のトラックが走っていました。この山道は舗装されておらず、折りから降りしきる雨で路面はぬるぬるの状態でした。荷物を満載して運転手の自宅に向かっていたこのトラックはわだちにハンドルを取られて、道路の脇の側溝に後輪を落としてしまいました。運転手は側溝から出ようと前進・後退を繰り返しましたが、車輪はますます側溝の土の中にめり込んでいくだけでした。側溝といっても日本のように整備されているわけではなく、道路の脇にただ溝が掘られているだけでしたので、数人はいないとトラックを溝から押し上げることができない状況だったのです。運転手一人ではトラックを押してもびくともしませんでした。でも人家も殆どない山の中で、時刻も真夜中です。運転手は人が通りかかる明日の朝までトラックで寝て待つしかないと諦めかけていました。
たまたまそのトラックに同乗していた老人の魔術師が、この窮状を見兼ねて助けに入りました。
魔術師が呪文を唱え、運転手に「トラックを持ち上げてみろ」と言ったのです。トラックの重量は6トンを越えているのですし、押しても引いてもびくともしないトラックを持ち上げられる訳がありません。「さあ、なにモタモタしている。トラックを持ち上げてみろ」とその魔術師は言うのです。運転手は疑いつつもトラックの荷台に手を掛けて持ち上げようと力を入れました。すると、6トンもあるトラックの後輪が楽々と持ち上がったのでした。側溝から後輪を出すことができてようやく運転手は家に帰れたとのことでした。この魔術師はもちろんお化けの力を借りたのである。


4.5 ジャカルタ・ビナリア(アンチョール)公園の悪霊の引っ越し

ジャカルタ市の北海岸にアンチョールという巨大な遊園地がある。海岸の地形を生かした緑が多い公園で、中には映画館、水族館、ホテル、ゴルフ場、遊園地、レストラン街、お土産物屋などがあり、土日はカップルや家族づれでにぎわう。平日の夜もアベック連れなどが沢山訪れている。
このアンチョール公園を造成した1970年代の最初の頃のお話である。
公園ができる前、このビナリヤ地区は一面の湿地帯で人も余り訪れることのない閑散とした場所で、戦前からの古い灯台が海岸線の東の外れに近い所にあるだけの葦とマングローブの林であった。ジャカルタの旧市街からもそれほど遠くはなく、住宅地を作るのにも良い場所であったが、開発が遅れた理由はただ一つ、この湿地帯には悪霊がたくさん棲みついている場所であるということだった。今でも、アンチョール公園の南の橋のたもとには「Simanis Jembatan Ancol =アンチョール橋のかわいこちゃん」と呼ばれる若い美人の幽霊がひんぱんに出没すると新聞や雑誌には出ているほどである。
これらの悪霊たちは、人間が彼等の棲家に入ってくるのを嫌っていたので、公園の造成工事を邪魔したり、完成後に公園に遊びに来る観光客などに悪さをするだろうことが前もって分かっていたのである。
造成工事の業者が工事の着工前に、強力な魔術師を招いて盛大に悪魔祓いを行なった。この悪魔払いの方法が珍しかったので、いまだに語り草として伝えられている。
工事用道路を公園の敷地の奥まで延ばして、ダンプカーをその先端まで入れた。魔術師はダンプカーの運転手に「絶対に後ろを見てはいけない」と指示して、ビナリアに棲んでいる悪霊たちを呼び集め、ダンプカーの荷台に乗せはじめたのである。見えるはずもなく、重さがあるわけではない悪霊たちが音もなく荷台に乗り始めると、ダンプカーのバネがギシ、ギシとたわみ始め、重い土砂を乗せたようにたわんだのである。運転手は恐くて逃げ出したいのを我慢して、じっと耐えるだけであった。
やがて、魔術師がダンプカーの助手席に乗り込んで、「出発! 行き先はムアラカランだ」とひとこと言ったきり黙りこくって、荷台の悪霊たちに神経を集中させていたのである。
やがてムアラカランについた時、魔術師はダンプカーの運転手に、荷台を跳ね上げるように命じた。運転手がそのとおりにすると、ちょうど土砂を下ろす時のように荷台が軽くなってゆき、ダンプカーのスプリングがミシミシと音を立てて元に戻ったのである。
ムアラカランとはビナリアの西側にある海岸の湿地帯だった所で、今では火力発電所が建設されている場所である。ムアラカランに引っ越した悪霊が再度引っ越しをしたかどうかは聞いていない。


4.6 インドネシアのミイラは人柱に

ある日、事務所でスタッフが新聞の回りに集まってわいわいやっていた。なにを話しているのかと思って尋ねると、墓地に埋めてある遺体を盗掘することで、泥棒達が真夜中に墓地で喧嘩になり、泥棒の一人が刺されて死んだとのことだった。
副葬品を盗掘するのなら、昔からあることなので理由は分かるが、イスラム式の埋葬方法では副葬品はほとんどないはずなので、墓地を掘り返する理由はあるわけがない。さりとて、この事件が起こったのはとんでもない田舎の墓地だから、お金持ちのクリスチャンの副葬品狙いとも考えられないのである。
スタッフのはなしをよくよく聞いてみると、遺体そのものを墓地から盗み出して転売する商売があって、儲けが大きいので泥棒の間で喧嘩になることも時々あるとのことだった。この遺体は、大きなビルなどの礎石の下に安置して、人柱の代わりにすることが今でもひそやかに行なわれているらしい。
どんな遺体でも良いのではなく、ミイラ化したものでなくてはならず、それを探し当てるのに大変な努力が必要だとのことである。一般的に言って、生前には黒魔術師として有名だった人の遺体がミイラになる。神様の教えにしたがって正しく生きている人は、死後しばらくすると遺体は土にかえってしまうのだが、黒魔術師などの悪魔に魂を売り渡した人はその死後、神様が受け取りを拒否するので、いつまでたっても遺体が土にかえることはなくミイラになってしまうとのことである。皆さんがインドネシアで泊まる大きなホテルの礎石の下には、大抵ミイラが納まっていると思ってよいだろう。
インドネシアでは「人柱」のために、生きている人間の代わりにミイラを使う習慣があるようだ。
ちなみにミイラを漢字では「木乃伊」とかきます。中国読みにすると「むういー」となるそうです。英語ではムーミーですから、ほぼ同じ発音になります。辞書を作る時に一行書き間違えて、本来なら「ムウイー」となるはずが日本語では「ミイラ」という読みになってしまったのだそうです。ホントかな?


4.7 バリからの呪いと除去

第一章でお話した古い宿舎に、水谷さんという名前の日本人の独身女性が一時住んでいたことがありました。彼女はジャカルタに来る前にはバリ島で日本語を教えていました。1995年のコレラ騒ぎで日本人観光客が減ったために、生徒が一人減り二人減りして、バリではついに食べられなくなり、ジャカルタの日本企業に就職するはめになったのです。
この会社に入ってからすぐに、独身で東京から赴任してきていた岡村君と恋に落ちて、約一年後にめでたく結婚しました。水谷さんと岡村君の二人の恋愛は、結果としてはめでたしめでたしになったのですが、恋愛中は健康上の色々な問題が水谷さんに出ていました。
 困った水谷さんと岡村君に頼まれて、霊視したところ、バリ島の数箇所から水谷さんに呪いがかかっていて、これが原因で健康上の問題がでていた。喉仏の回りに霊がとりついているからこれを取りはらう必要があった。悪霊を取りはらうために筆者が椅子に座っている水谷さんの喉に指の先を軽く当てて呪文を念じると、水谷さんは突然くらくらとめまいがしはじめ、ついには失神してしまった。
 多数の悪霊が水谷さんの体からいっぺんに退散したために、体内で「気」のバランスが崩れて一時的な貧血状態になったのだろう。


4.8 呪いと突然死

1989年から1994年までバンテン地方のセラン町にある灌漑事務所担当のプロジェクトに従事していた。この事務所の所長はジャワ人独特の性格が穏やかな性格が明るい人で、音楽が大好きで、自分でもピアノを弾いたり歌を唄ったりする人であった。また、パソコンいじりも趣味で、毎週土曜日には部下をインストラクターにして自宅でパソコンの練習をしていました。
この土曜日に不幸が始まった。昼前にこの所長が激しい腹痛を訴え、インストラクターが手配した町の病院に緊急入院した。奥さんから後で聞いたはなしでは、所長は今まで健康診断を定期的に受けていて、特にこれといった持病もないとのことだったので突然の発病で驚いたとのことであった。町の病院で検査したが原因が良く分からず手におえないので、ジャカルタの一流の病院に転院した。
この所長が入院したのを我々は日曜日の昼間に聞いて、取るものもとりあえずジャカルタの入院先にお見舞いに行ったのである。私が尋ねた4時頃には容態が安定していて、意識もはっきりしていた。私らが見舞いに来たことを奥さんが知らせると病床から手を出して私に握手を求めるほどの容態だったのだ。病室には奥さん以外にも親戚の人たちがいて、珍しい日本人の見舞い客を見ていました。その後、所長さんが目をつぶって休まれたので、一日も早い回復を祈って、奥さんに「二三日したら、ご主人は病院から歩いて帰れるようになれますでしょう」と元気付けたのです。
その翌日の月曜日は祝日だったので、職員たちは皆それぞれ出払っていて、筆者は宿舎でゆっくりとしていました。午後4時頃に切迫した声で電話があり、所長の容態が急変したから、受験勉強のために自宅に残っている所長の高校三年生の長女を至急入院先まで連れてきてほしいとのことだった。ジャカルタまでの約一時間の道中、娘さんをびっくりさせないように、当たり障りのない話題や冗談で気を紛らわせていました。
入院先に着くや否や、悲痛な奥さんの顔を一目見て娘さんは泣き崩れてしまった。父親はすでに集中治療室に移されていて、息も自分ではできなくなり人工呼吸器を使うようになったとのこと。奥さんも、田舎から出てきた自分の母親の膝に顔を埋めて泣き続けていたのです。小学校四年生の息子さんも、筆者に向かって「おじちゃん、僕のお父さんは元気になるよね」と何度も確かめるのです。「そうだよ、お父さんが一日も早く良くなるように一生懸命に神様にお祈りしようね」と答えるのが精いっぱいでした。
私が懇意にしていた、このプロジェクトを統括している事務所の一人のスタッフのNさんが、こっそり打ち明けてくれた。Nさんはヒーリングが少しできたので、集中治療室に移されたすぐ後に所長に施術してみたところ、彼の出したヒーリングのエネルギーは強い力で撥ね返され、これをやり続けると、Nさんまで悪影響が出るので直ちに止めたとのこと。強い呪いが所長にかかっていて、もう既に手後れであるとNさんは言っていた。前日の日曜日にNさんは所長にヒーリングを行なって、容態が回復したとのことだったが、呪術を解かれたことを知った黒魔術師が日曜日の晩に新たな呪いを掛けてしまったらしいとのことだった。
結局、この所長さんは木曜日に亡くなった。享年46歳でした。医師の診断では死因は急性膵臓炎だったとのことです。
実は、この所長の早い出世をねたんだ同僚からの恨みをかってしまい、同僚たちが依頼した呪いが掛かっていたのであった。


4.9 バリの惚れ魔術

1970年代の初めに数人の日本人がバリ島で仕事をしていました。所長と50代の男性、若い社員とあと数人が宿舎を借りて一緒に住んでいた。
ある時、この50代の男性の顔色が悪いのに所長が気づき、「医者に行ったらどうか」と勧めても、この男性は「どこも悪くない」と、ガンとして拒否するのである。今までは性格が温厚な人だったのになぜここ数週間で性格が突然変わったのか所長は理解できなかった。
ここ数週間、寝静まった真夜中に宿舎の中で人が動いている気配がすることをこの所長は気づいていた。ひょっとすると、と思い所長は若い社員にこの男性を徹夜で見張っているように命じた。
「夜中の11時過ぎにこの男性が自室から音をたてないように出てきて、外へ出て行った。その時の表情は何かにつかれたようだった。気づかれないように男性のあとをつけていくと、海岸に隠しておいた船を引き出し夜の海に漕ぎ出して行った。宿舎に戻ってきたのは午前4時頃だったろう。疲労困ぱいした表情で自室にはいっていった」との報告が翌朝あった。
現地の職員に相談すると、その男性は黒魔術にかかっているのではないかとの答があり、超能力者に相談したところ、この男性を帰国させないと命が危ないとのことで、若い社員をつけて帰国させることにしたのである。帰国させられるのに気づいた男性は、帰国したくないと言って子供のように泣きわめいたが、飛行機にむりやり押し込んだのです。飛行機が滑走路を走っている間じゅうこの男性は声を出して泣きわめいていました。が、飛行機が離陸した瞬間、「なんで俺は飛行機に乗っているんだ。仕事はまだ終わっていないのに」と、我を取り戻して尋ねたのです。同行している社員が今までの男性の行動を話してもこの男性はまったく記憶がありませんでした。
この男性の帰国後、さらに調べてもらったところ、この男性に一目惚れしてしまった女性が隣の島にいて、この男性と結婚するように呪いをかけてもらったために、この男性は二人の新居を作るために夜な夜な出かけて行っていたとのことだった。


4.10 ジャワの惚れ魔術

昔宿舎で働いていた女中の実父はジャワの田舎でも村長をつとめた程、豊かな農民であったとともに地域では有名な超能力者でもあった。自室には先祖伝来のクリス(ジャワの短刀)などのおどろおどろしいものが壁にかかっていて、夜になるとそのうちの一振りが白蛇に化けてベッドの上などをしばしばはい回っていたとのことだ。この人の長姉は村でも評判の色白の美人で言い寄る男性はたくさんいたのですが、彼女の気にそわず、かぐや姫のように全員を袖にしていた。ある時彼女に振られた腹いせから、数人の若者がオ−トバイに乗って取り囲み彼女を襲おうとしたのである。危険を察知した彼女のかけ声でオ−トバイは転倒するわ、指一つ触れないのに殴られたように鼻や口から血を流し、ほうほうのていで男達は逃げ帰った。
 この人の妹である女中はこのような積極的な超能力こそ持ってはいませんが、ひんぴんと幽霊に出会ったり、悪い霊に影響を受けることが多かった。姉とは異なり、妹は顔がまずいうえに幼い頃からいわゆるジャジャウマ娘だったので、親の制止を振りきって一人でジャカルタに出てきて女中として主に日本人家庭や独身寮で働いていた。寮で働いていた時、女好きのジャワ人男性がいて、好きになった他の若い女中のエイちゃんを彼の方に向かせようと、このエイちゃんの部屋の前に何かを置いて黒魔術をかけました。この魔術は、最初にそれに出くわした女性に掛かってしまうものだったのだ。エイちゃんより早く、早朝に偶然それに出くわしてしまったこの「ジャジャちゃん」がその犠牲となってしまった。しかし、その結果、「ジャジャちゃん」の別な場所にその呪いの影響が出てしまった。転んで痛めた骨の古い傷が十数年たっても直らず、頭痛や肩こりなどに影響が残ったのである。最近、民間療法の病院で治療を始めたところ呪いが掛かっていることが分かり、超能力者に調べてもらったところバンドン市南部からと、プラブハンラトゥの東側の山の付近から呪いがかかっていることが分かった。その呪いを解いてもらった結果、彼女の症状が好転し、十数年悩んでいた持病が数週間で完治しそうだとのこと。ついでに、こんな不完全な呪いによって迷惑を被る不幸な女性が二度とできないように、この呪いをかけたふらちな魔術師を始末してもらいました。


4.11 スマトラからの呪い

数年前、お金持ちのジャワ人の親友がランプン州の大学の卒業後ジャカルタの自宅に戻ってきました。帰宅後しばらくして40℃の高熱が続き、衰弱し入院しましたが、病院でも発熱の原因が分からず手の施しようがない状態でした。ある晩この入院患者が病院から忽然と消えてしまいました。親戚中大騒ぎになり、数十人が手分けして車で患者の立ち寄りそうな場所を探し回りましたが見つかりません。深夜近くになった時、ようやく患者が見つかりました。見つかった場所はチェンカレン空港に向かう道のちょうどDKI(ジャカルタ特別市)とバンテン州の州境のあたりだったとのことです。強い風雨の中、患者は裸足で呆然自失の状態でした。車の中で患者は脱走の経緯を話し始めました。
 「病室のベッドに寝ていると、「ランプンに帰っておいで」と繰り返す声が聞こえた。そのあと何者かにあやつられるように病院から抜け出して州境まできたらしいが記憶がまったく無い。州境でふと、我に戻ったところでおじさんたちに見つけてもらった」と。
 その翌日、親類の中のフローレス出身の超能力者がその患者を病室に訪ね、「スマトラから強力な呪いがかかっている。だから病院を抜け出したり、骨髄液からも病原菌が見つからないのだ。この呪いは彼に片思いした女性が依頼したものだろう」とのお告げがあり、この超能力者が患者にお祓いをした翌日、骨髄液の検査で病原性のウイルスがみつかり、投薬の結果この患者はめでたくその後2週間で退院できたのでした。
 この超能力者によると、もし友人がスマトラにいたら直ちに死に至ったほどの強力な呪いで、彼がジャワに戻っていたからまだこれだけで済んだとのことでした。

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2009-09-04 作成

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