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超能力開発研究所
Supernaturalism

第一話 お化け考

第五章 超常現象とお化けのお礼参りなど

第四章ではお化けの利用状況について考察した。これはこちらの世界に生きている人間の都合によってお化けを利用した例であった。
しかし、お化けだって人(?)の心を持っているのである。なぜなら、この世で生きているときは人間だったからだ。
お化けを一概に非難するばかりではいけない。お化けだって我々を助けてくれるときがあるのである。第五章ではお化けが筆者を助けてくれた例とともに科学的には証明できない超常現象を紹介し考察してみる。


5.1 超常現象その一 お化けに感電

数回遊びに行ったジャカルタ郊外の日本人の友人の家の応接間に、大きなオバケとしても見えるくらいのエネルギーを持った地縛霊がいました。このオバケは二つのものがつながっていてひょうたん型をしていました。この友人夫婦は幸いにしてオバケに感応する能力に欠けていたので、彼らには問題が出ていませんでした。
この友人のみならず、他人の家を訪問する時にはその家の人間だけではなく必ずそこの家に棲みついている地縛霊にも挨拶することにしています。最初のうちは地縛霊の位置を確かめるためにも彼らを両手でそっと囲って挨拶をしていたのですが、何回も同じ友人を訪問していると地縛霊が居るところが分かってきますので、そこに直接手を当てて挨拶するようになりました。
何回目の訪問の時に、間違えて地縛霊の真ん中に指先を突っ込んでしまったところ、指先から腕にかけて感電したような激しいショックがあり、びっくりして手をひっこめました。手の伸ばし方も普通で、筋がつるような体勢を取ってはいないのに、はっきりとした電気のようなショックがあったことは不思議でした。
その後、ダウジングでその地縛霊のエネルギーレベルを調べてみましたが、余り減衰してはいませんでした。これはいったいどういうことなのかいまだに不思議です。 


5.2 超常現象その二 オバケにとっての環境汚染と迷走するパソコン

89年から96年までの五年間にインドネシアのバンテン州のセランという同じ町で瞑想をほとんど毎日やっていて、その間に色々な超自然パワーを感じていました。89年の時点では、この悪霊などの超自然力によるものとおぼしき重量がすぐに手に感じられたのにたいして96年にはなかなか手に感じられなくなったのです。
 この変化の原因を考えてみました。
(a) こちらの受信機の性能(霊的能力)が劣化したので超自然パワーが受信できなくなった
(b) こちらの精進のために悪霊が寄ってこなくなった  
(c) この地域の人たちの所得が増加したことに伴い電子機器や蛍光燈が町中に増え、これらの電子機器から発生する電磁波によってお化けの出てくる自然環境が破壊された。
 この原因をひとつひとつ考察してみるとこんな結論になりました。
(a)の理由はなりたたない。この五年間毎日精進していたので霊的受信能力の劣化はないからである。
(b)の理由はありうるかもしれないが、つぎに述べるパソコンの不自然な動きから見るとそうではなさそう。
(c) 92年にこの町にパソコンを持ち込んだ最初の数日間は、パソコンがロックしてしまい、頻繁にブートする必要がありました。その後、パソコンはなんともなく普通に動くのです。94年に赴任した時は最初の一日だけが調子悪く、その後は普通に動きました。
これは、電子機器の普及による電磁波汚染が拡大したために、善霊や悪霊などの超自然の力が弱ってきていることに関係があるのではないかとの結論に達したのです。
もともとあった自然環境を人間がお化けも出てきにくいように変えてしまうということ自体「環境破壊」ではないでしょうか。
確かに、この二年間でその地域の電化計画の推進と著しい所得の増加があった。町には蛍光灯の照明がつき、町の人たちがテレビやラジオを楽しめるようになったのである。また特にお化けが好みそうな暗い場所には蛍光灯式の街灯が建ってしまった。白熱電球や中波のラジオからは電波がほとんどでないのだが、蛍光灯のバラストやテレビ、FMラジオからは微弱な電波が出ている。この当時、蛍光灯はインバーター式ではなくバラスト式であり、テレビもブラウン管式であったから、微弱ながらも高周波の電波が町じゅういたるところから出ていたのである。


5.3 超常現象その三 オバケの通り道

お化けの通路というものがある。この通路には地縛霊が数メートルごとにいて、そこを浮遊霊が高速で移動しているようである。2001年11月23日の晩にインドネシアの西スマトラ州のプロウプンジュン村にダム建設のために長期出張していた時の体験を話しておこう。
夜8時過ぎに、この村の一軒の家を訪ねた。次女のイダさん(27子供あり)がデング熱にかかって頭痛がするので、どうにかしてくれということだった。イダさんは皮膚に赤い斑点、デング熱の症状、が出ていて吐き気がするということで、整体療法と呼吸法で吐き気を抑えることができた。
筆者より少し年上のイダさんのお母さんは肥満で脚がいたくてビッコを引いて歩いていたが、あちこちを押しまくってようやく痛みを押さえることができた。
 すると、ちょうどそこに戻ってきたイダさんの末の妹がおかしいのでちょっと診てくださいとのこと。彼女の肩甲骨のちょうど一番狭くなっている背骨の部分に軽く手を当てた途端、背筋をピンと伸ばして、ボクシングのように両手の握りこぶしを何度も突き出すしぐさを何度も繰り返した。この部分には呪いのようななにかがついていたようだった。
そのとき、彼女は歯を食いしばってはいたが、目いっぱいに黒目を開いて自分のまっすぐ前にいる人をにらみつけていたのだった。泡は吹いていなかったが、脚でもなにかを蹴飛ばすようなしぐさをしていた。手の指は第三関節を折り曲げてちょうどクマデのようなかたちをしていた。体中の筋肉が緊張していて、あたかも目の前にいる相手を殴り倒そうとでもしているようだった。ちょうどそこにいた若い男性たち両手両足を動かさないように抑えさせて、顔をのぞきこむと、ちょうど映画の「エクソシスト」に出てきた憑依された女の子のようなこの世のものとも思えない表情をして筆者を睨みつけたのだ。思わず、ぞ、ぞっと総毛立ちましたよ。こんな患者さん初めてでしたから。
そこで、その場にいた十数人に彼らが熟知しているアルファティハの聖句を繰り返し唱えさせました。クルアンの唱和は三十分以上続いたでしょうか。少しだけ落ち着いてきたのです。
最初はテンカンと思い、脳の興奮している部分を沈静化させようとしたが、彼女が暴れると、沈静化したところがまた興奮してきて、元の木阿弥。唱和をはじめてからしばらくして彼女の魂に声をかけてみたところ、魂の声がロックされているようで、聞えなかったかわりに、「悪魔の笑い声」(ホントにヘンな体験でした)が聞えてきた。この彼女の前に立つと体内のエネルギーがすべて抜かれるようだった。ということは、彼女の前になにかがあるのではないかと推定したところ、やはり、十数個のオバケが行列していた。その列は彼女の前からずーっと5メートルさきの扉まで続いていたのである。試しに後ろに回ってみるとやはり続いている。彼女はオバケの行列に串刺しになっていたのであった。
それを見ていたいつものアシスタントのおばさんが、帰り際にそっと、「アタシもオバケがたくさんいたのを見たわよ」なんて告白されましたけど、すでに遅しでした。
この発作は一時間以上もかかって沈静化しました。もう全員クタクタヘトヘトでした。まるでホラー映画を見ているようだった。
この症状は、プサントレン(イスラム学校)にいた15歳の時から始まったとのことだ。彼女が発作を起こし始めたときにはその友人たち20人が一斉に同じ発作を起こして、今でも全員この発作が続いているそうです。ということは、プサントレンで何かの憑依を受けてしまったのかもしれません。この年頃は男女ともホルモンバランスが崩れて精神的にも不安定な時期でもあり、精神病が出てくる年頃でもあります。
これを見ていた女子高生の姉(イダさんの姉・子持ち39歳)も女子高生に睨まれて発作を起こしてしまいました。姉の方は、発作中、5本の指先をすべてくっつけてすぼめたようなかたちで、ひじと膝関節は普段とは逆側に反るような形でした。この2人はどちらも肉体的・精神的疲労が重なるとこの発作が出てくるとのことでした。同じ両親から生まれた七人のうち娘ばかり3人が時々このような発作を起こすとのことです。なお、精神分裂症患者に見かける手相はみかけなかった。
で、ひょっとすると「あれ」かなと思っていたら婿さんの一人が「呪いをかけられているのかもしれない」ということで広い庭に出てみたら、やっぱりいました。あっちこっちに散らばってはいたのですが、あるゾーンに集中していたのです。それは家の前の道からずっと庭を抜けて、居間を貫通して行っていました。「ははあ、これはオバケの通り道だな」と気がついたので、簡単にその道に「臨時通行止め」をしてやり、通り道にあたる家の壁(オバケも入りやすいところがあるようです)と扉を封鎖してやりました。
この家の若い女性たちはそろって、たくさんの黒魔術に使う道具が夢の中に出てくると話していた。この女性たちの夢に出てくる黒魔術に使う道具はどうもジャワ式であることと、女子高生の肩甲骨の中間部分に黒魔術の注入口があるというジャワ独特の方法をつかっていたので、ジャワ風の防御体制で望むのが一番だと気づいたのです。それで、婿さんに「移住民のジャワ人の村に行って、孵化しなかったガチョウの卵を入手して、敷地の四隅に埋める」ように話しておきました。それについてなんだかんだと尋ねてくるので、「詳しくはジャワ人の魔術師に尋ねてくれ」と断ってしまった。
女子高生のお母さんからは「もう少しいてくださいよ」となんども頼まれましたが、明日の仕事もあるからと帰宅したのはほぼ11時だった。


5.4 超常現象その三 ガチョウの一鳴きと広域停電

セランに居た1994-1996年間の後半の一年間、近くの市場でガチョウの幼鳥のつがいを買い込んで飼っていました。インドネシア人はイスラムの教えから犬を嫌いますので、昼間は女ばかりになり不用心な宿舎の番犬代わりになるガチョウを飼っていたのです。ガチョウは日本ではあまり飼われていませんから良く知らなかったのですが、気の荒い動物で、自分より体が大きい山羊なども追い払ってしまいます。もちろん猫や犬も近寄らず、飼い主にもなかなかなつかない鳥でした。
 余りおいしくはありませんが肉も食用になりますし、卵は味がアヒルのものよりも鶏卵に近く、目玉焼きにすると卵一個で直径30cmくらいになります。このガチョウたちは一ヶ月も囲いの中で飼っていると、朝方に散歩に放しても自分たちだけで戻ってくるようになりました。
こんなガチョウと不思議な現象についての話です。
ガチョウは犬とは違い危険な状況以外にはあまり鳴きませんが、たまに夜中にぎゃーぎゃー騒ぐことがありました。外に出てみても誰もいませんし、もうガチョウは鳴きやんでシラッとしてこちらを見るのです。
女中のおばさんに尋ねたところ、ジン(妖霊)が近くを通るとガチョウや犬が騒ぐのだとのことでした。
自室で夜中近くまでパソコンで「ゴクウ」をやって遊んでいた時に、突然数羽のガチョウが一斉にギャーと一声鳴き、それとほぼ同時に筆者の身体の中を左前から右後の方向にぞーっとする大きな波動が面となって、秒速10mくらいの速さで通り過ぎたとたん、「はっ」と思う間もなく停電してしまいました。屋上の物干し場に上がってみると町中全部停電していたのです。ガチョウは私が感じた「波動」を察知して一声鳴いたのだろうと思います。このような大きな波動を感じたのはこの時が最初で最後でした。この時は曇ってはいましたが雨も降っていませんでしたし、風もまったくなく、寒冷前線が通過したとも思えませんでした。
このおばさんがいったように、大きなジンが町中を吹き抜けていったのかもしれません。 動物には人間にない特殊な能力があるのですね。
このガチョウは一度に5から8個の卵を産みました。その内の三分の一が孵化しないものでした。インドネシアの人たちは、魔除けのためにこの孵化しなかったガチョウの卵を珍重しています。四個一組で十万ルピアの値段がついているとも聞きました。この額を日本円に換算するとたったの五千円ですが、インドネシアでは日本で使う三万円くらいの価値がある金額です。
ガチョウを飼っていた友人のはなしでは、白鳥とガチョウは良く似ているのだが、白鳥は気が荒いため家畜として飼うのはとても難しいとのことです。英語ではこの両種類の鳥は、SWANとGOOSEというように全く違う名前で呼ばれています。馬とシマウマも同様で英語ではHORSEとZEBRAというように別な名前で呼ばれています。ケニア人の友人のはなしではシマウマを馬のように飼い慣らすことは殆ど不可能だそうです。


5.5 超常現象その四 竜神様の引っ越し

インドネシア・スマトラ島にあるウエスカンポン灌漑計画第一期工事の時の話である。
2001年8月23日にインドネシアのランプン州に建設されていたバトゥティギダムの仮排水路を閉塞してダムに水を貯め始めたのである。これはその約一か月前の話である。
とある朝、ダム建設現場の取水口の建物内で機器の視察を行っていたところ、据え付け業者のスタッフの一人が近づいてきて、真面目な顔で「お願いがあります」というのである。このスタッフとはほとんど話をしたことがなかったので不思議に思ったが、真剣な態度に襟を正して聞くことにした。
「ここ数日間、毎晩、鮮明な夢を見ました。毎回この川(カンポン川)の水神様(竜神様)が夢に出てきて、仮排水路閉塞前に自分たちを移してほしいと依頼してきました。私自身は竜神様たちを移動するような能力は持ち合わせていないというと、私の身近にそれができる人がいるというのです。同僚たちにこの話をしたところ、あなた以外にはこの仕事ができる人がいないということになり、今お願いしている次第です。仮排水路を閉塞すると竜神さまたちが住んでいるダムの下流側には水が一滴も流れなくなり、彼らは困ることになります。ですから、この閉塞作業を成功裏に終わらせるために竜神様をダムの上流側へ移動してあげてください」
竜神様たちをダムの上流側に移動できるかどうか自信はなかったが、その日のうちにできる限りの手を尽くして、竜神様達を移動したのだった。
翌朝、このスタッフがまた話しかけてきた。
「昨日はありがとうございました。竜神様がまた夢に現れてこういうんです。『ありがとう。大部分はすでに移動できたがまだ一部が残っている』と。申し訳ないのですが、残りも移動していただけませんか」
瞼を閉じて移転前に竜神様がいたところを心眼で見ると、ことばどおり一部が残っていたので、移動してやった。
その翌日、同じスタッフがやってきて「ありがとうございました。竜神様から移転完了の連絡がありました」とのことで一安心であった。
この期間中、仕事の量は全く変わらず、早寝早起きして健康的な生活を送っていたのだが、その翌日から書類を一時間も見ていると頭痛がひどくなり、吐き気までしてきたのである。視界も暗くなってきた。強度の眼精疲労のようであった。
午後、数日間休養をとったがこの症状は好転しなかったし、もらった市販の頭痛薬もまるで効かなかった。
あちこちに相談してみた結果、このような霊障はやはり超能力者に直してもらうのが良いということになり、このプロジェクトから約200km離れたセラン町にある瀉血師を訪ねたのである。この瀉血師は超能力者でもあり、1990年代から懇意にしていたので、まったく心配はなかった。
症状と経緯を説明すると、やはり霊障であるとのことで、額の左右を二か所メスで切って瀉血治療を施された。切った部分からどす黒い血がすーっと流れだし、その後に透明なゼラチンのようなものが出てきた。瀉血師はそのゼラチン状のものを取り除いたあと、血の色が赤く変化し、やがて止血したところで脱脂綿で傷口を押えた。
一時間ほど休んでいると、頭痛が遠のき、視界も明るくなってきたので瀉血師にお礼を置いて帰った。
その翌日からはいままでの頭痛と眼精疲労はどこに行ってしまったのかと思われるほど快適になったのである。
体力はまるで使っていなかったのにもかかわらず、お化けのために働いてもやはり疲れるということがわかったのである。
このおかげでダムの仮排水路の閉塞は成功し、ダムには順調に水がたまり、2003年頃には満水となり、ダムの安定が確認できたのである。


2001-8-24朝 Batutegiダム全体 刈り排水トンネル閉塞翌日 左が上流側


8月23日 ゲート閉塞。上流側から撮影

8月24日閉塞ゲート下流側のトンネル内から撮影

この川、カンポン川はそれほど大きい川ではなく竜神様の強さもそれほどではなかったが、竜神様がダムの下流側にいたため、移転せずに仮排水路を閉塞すると竜神様が生活に困り、なんやかんやとプロジェクトの邪魔をするのであわや大事故になるところであった。

2008年にベトナムのソンラ水力発電プロジェクトにいた時も水神様からのコンタクトがあった。写真はダー河のダム付近。
2008/3/25 川の中の露岩のあたりが竜神の棲家である。
このプロジェクトの場合は、竜神様の棲家がダムの直上流にあるため、仮排水路を閉塞しても水が枯れないので特に問題はない。したがって、竜神様に特別なことはなにもしなかったのである。


5.5 超常現象その五 ジャワ島のヒンドゥー・仏教寺院

読者はご存じかどうかしらないが、宗教寺院からは必ず光のようなエネルギーが一定の方向に放射されている。
筆者は世界中どこでも寺院に参った時にはかならずこのエネルギーの方向を確認することにしている。参詣とはこの聖なる光を浴びに行くことに他ならないと考えている。世界中のどこの寺院でも、エネルギーの強弱や波長の違いはあるにせよ、エネルギーが放射されている方向は必ず寺院の建物の幾何学的中心軸上にある。言い換えると御本尊の額からその向いている方向に約10cmの幅で放射されている。
ところが、ジャワ島のヒンドゥー寺院遺跡や仏教寺院はどこでも放射されているエネルギーの中心線は寺院の中心軸から本尊に向かって右側に約10から30cmずれている。中部ジャワと東部ジャワの十数か所の寺院で調べてみたところ、寺院の向きは寺院によりそれぞれであるがすべての寺院で同じ結果が得られたのである。

寺院の建設時以来被った地殻変動により、地盤ごとずれてしまったためにエネルギーの軸が狂ってしまったというのなら、寺院によりその軸は右や左にずれるはずであるが、実際には一定の間隔でずれているのである。
数年間にわたる考察の結果、ヒンドゥー・仏教施設に敵対する呪いをイスラム側からかけたのではないかという結論に至っているのである。


5.6 お礼参りその一 人形のお礼

セランに滞在している間にあちこちの魔術師と知り合いになって何回も遊びに行ったりしているうちに、彼等の持っている「宝物」を見せてもらう機会がありました。
とある魔術師の倉庫で、たいそうなパワーの出ている箱があり、箱の中を見せてもらうと立派なワヤンゴレックの木偶(ジャワに伝わる人形劇の人形)約20体がはいっていました。ひとつひとつ取り出して見ると、ネズミに齧られたものや白蟻に食われたものがほとんどで、悲惨な状況でした。
持ち主に承諾を得て、このかわいそうな人形たちの修理をすることにしました。
大きくて少々いいかげんでもよいものを作る日曜大工は得意でも、このような小型で細かい細工のものは初めてでしたので、時間をかなり掛けて、ゆっくり計画して丁寧に修理をしてあげました。人形たちを入れる箱も厚手のベニア板を使って、ネズミ除けに蓋がきっちりしまるようにしました。また、この地域は湿気が高いので、木が痛む原因になる鉄釘は一本も使わず、全てエポキシボンドでとめるようにしました。人形とともにこの箱もしっかり塗装してかびが生えないようにしました。
やがて、人形の修理もおわり、新しい箱に詰めてお昼前にオーナーの家に届け、元あった場所に戻しました。
宿舎に帰ると、「ミスター(呼びかけのことば)、11:45頃に家で花の香りがしました。それでお人形が無事届いたことが分かったわ。きっとジン(妖霊)が人形の修理のお礼に来たのよ」と若い女中さんが言うのです。彼女が言った時刻はちょうど人形を届けた時刻だったのです。当時は携帯電話もなくこんなことは若い女中さんがわかるはずもありません。
お化けの世界でも、手伝ってあげるとちゃんとお礼をしてくれるものなのである。


5.7 お礼参りその二 神様からの贈り物

 インドネシアの東ジャワ州マラン市内にブラウィジャヤ大学という有名な国立大学があります。この大学の年寄りの警備員が夜中に巡回していると、教員宿舎の屋根に何かがパチンとあたり、彼の足元に転がってきました。拾い上げてみると指輪に入れるような色メノウでした。その時「その石はスギヤント先生のものだからスギヤント先生に持ってゆけ」とどこからともなく声がしたのです。その声はどちらから聞こえてきたというよりも、自分の中でしたような声だったとのことです。さっそくその先生のお宅に届けていきさつを話しました。その先生は今まで指輪の石を買ったことも無く、もちろんなくしたこともありませんでしたので不思議がりましたが、引き出しにしまっておいたのです。
それから二週間して、同じ警備員が全く同じ状況でまた指輪の石を拾いました。今度は「スギヤント先生の奥さんのものだから奥さんに持っていけ」という声がありました。石はやはり色メノウのようでした。奥さんも指輪の石をなくしたこともありませんし、色メノウを買ったこともありませんでした。このご夫婦は熱心なクリスチャンでしたので、「神様からの贈り物」として大事に指輪にしてあります。
この奥さんは長年の腰痛を患っていて、体が冷えると腰が痛くてたまらなかったのです。
指輪の石が届いて暫くして、このご夫婦の友人がジャカルタから訪ねてきました。この友人はヒーリングが少しできたので、腰痛を和らげる治療をしましたが、一回の治療では長年の腰痛は良くなりません。その友人は奥さんの問いに答えて下の娘さん(22歳)を指差してこう言いました。
 「あなたの娘さんはヒーリングができるから、私が帰った後は娘さんにしてもらいなさい。この『神様からの贈り物』はこのはなしを私にするきっかけを作るために、神様が下さったものなのだろう。娘さんの潜在能力に気付かせるための神様のご意志である」と。


5.8 お礼参りその三 死者の「生還報告」

 これは1973年の4月に東ジャワ州のマラン市内で実際にあったはなしです。
1973年の3月末に、日本工営のエンジニアがマラン市とブリタル市との間でブランタス川を渡って調査している時に、渡し船が転覆して日本人技師が三人とインドネシア人技師の二人が水死した事故でした。
事故の場所は現在のWlingi(ウリギ)ダムから上流に数百メートルさかのぼった地点でした。3月は雨季の終わりとはいえ、洪水でもなくブランタス川の水量は普通であったとのことでした。この場所は中央事務所があったマラン市からは50kmも離れたところでした。
事故にあった日本人の全員が数日前に自分の仕事を終えてしまっていたのですが、インドネシア政府の高官が現場視察に来るとの理由で帰国しなかったのでした。これも何かの因縁かもしれません。
三人の仲間たちがブランタス川の濁流に飲み込まれたと聞いた同僚達は、仕事を放り出して犠牲者の捜索にかかりました。数人づつ手分けをして、ブランタス川の要所々々にある政府の事務所に陣取り、救助の知らせを今か今かと待っていたのです。余りのショックのため数日間は、誰しも食欲がなくなり、ただボーッとしていただけだそうです。その時にちょうど同伴赴任していた同僚のオー夫人が中心となり、独身寮の女中さんも巻き込んで炊き出しやら、会社の運転手を組織したりしてお弁当の配達の手配などをして、全員の食事や着替えなどの準備をしたのです。
さて、三人のうち二人は数日中に遺体で発見されましたが、残りの一人は二週間たっても見つかりません。
宿舎で全員が黙り込んでいた日の正午過ぎに、独身寮の一番若い女中さんが血相を変えて皆が休んでいる居間に飛び込んできました。「トアン・エスが戻ってきて玄関に立っている、服はあちこち破けていて服は川に落ちたように濡れている」と咳き込むようにいうのです。雷に打たれたように椅子から飛び上がると全員が玄関に飛んでいきました。玄関にはだれもいません。慌てて表の通りに出て左右を見まわしても、中空に昇った太陽がだれも歩いていない通りをただ照らしていて、道には並木の影が落ちているだけでした。
 その時、けたたましい電話のベルが午後の静寂を破りました。そうです、玄関に立っていたエスさんの遺体が事故地点から百数十キロ下流の河原で見つかった、という連絡だったのです。後日談では、女中が玄関で見たとおり、遺体の着衣はぼろぼろだったとのことでした。
エスさんは友人達に最後のお別れを言いに戻ってきたのかもしれません。
この事故のあった地点は今では水底になっていて見えませんが、五つの大きな石を載せたコンクリートの柱がいまでも貯水池の中に記念として立っているのが見えます。ウリギダムは街道筋からだいぶ南に入っているので訪れる人も少ないのですが、ここに青春をうずめた日本人がいたということを覚えておかれるのも彼らにとっての供養の一つかと思います。


5.9 お礼参りその四 品質管理の手伝い

 1993年にセランにあるパマラヤン堰の改修工事を行った時のことである。筆者はコンサルタント専門家として水門の工事を担当していた。
この堰には幅15m高さ4.5mの水門が10門設備されていた。輸送上の問題からこの水門は縦に三つ割になっており、水門の両端から約2mのところに桁の高力ボルト継ぎ手があった。この継ぎ手は1か所あたり約30本のボルトで接合されていた。この水門は5本の桁で構成されていたから、すべての水門では約3000本のボルトが使われていた。
この継ぎ手は水門にかかる水圧を受ける水平桁を接続するものであり、施工不良の場合には継ぎ手が変形・破断し水門破壊という致命的な事故につながる危険があった。
一方、据え付け業者の品質管理は極めて劣悪であり、施主側ですべてのボルトの締め付けトルクをチェックしなければならなかったのである。施主といってもプロジェクトのスタッフにはこの種の仕事をしたことがある人がいなかったのみならず、業者からの賄賂で簡単に買収されてしまい、適正な品質管理を行うことができなかった。頼りになる同僚は脳溢血で倒れてしまい、他には手伝ってくれる人は誰もいなかったという最低の状況にあった。

筆者がさすがの百戦錬磨の技師といえども、どうにもならなくなってしまった。ある満月の晩に現場の夜間作業を監督しに行った時に、おもわず観世音菩薩に尋ねてしまった。
「当人が解決不可能な課題は人生にはない、というが、今回の問題は僕ひとりでは解決できない」と。
すぐに回答があった。
「おまえは手のひらでいろいろと感知できるだろう。それを使うのだ」と。

夜間の高所作業で足場が悪く転落事故の危険があるのでその晩は帰宅し、翌朝言われるとおりにボルト継ぎ手の上に手をかざすと、ボルト一本一本からいろいろな信号が出ているのを感じた。チェックハンマーでボルトをたたくと緩んでいるものがわかるので、ボルトを叩きつつ手のひらで一本一本の締め付け状態を調べた。いくつかの継ぎ手を調べた結果、緩んでいるボルトからは一定の信号が出ていることがわかった。翌日からその信号が出ているボルトをチェックしてみるとやはり緩んでいたのである。
緩んでいるボルトの頭にマークをつけておき、それを締め付けるように指示したが、据え付け業者は、このマークを消すだけで締め付けることはしなかった。工程会議の席上でもボルトの締めつけに関して厳しく指示したのだが、現場作業員が怠けていたので、約二ヵ月間の据え付け期間の最後まで筆者自らがボルトの締め付けチェックをする羽目になってしまったが、すべてやり終えることができた。

その後、鋼構造物の溶接線超音波探傷試験をすることになり、現場に検査院が滞在していたので、探傷試験に毎日立会い、手のひらで見つけた溶接線の異常個所の部分をとくに注意して検査させたところ、手のひらで見つけた個所と探傷試験の結果とがほぼ一致したのである。
その後、手のひらで実際の溶接線を調べて溶接線の放射線透過試験フィルムに記録された溶接欠陥の位置とを突き合わせてみると、ほとんど一致していた。

ただ、これらの探傷試験に比べて手のひらの感度は格段に高く、寸法が0.1mm以下の欠陥も検出してしまうので、不合格になった溶接線を何度か手のひらで調べて、手のひらセンサーでの合否基準を体得したのである。

手のひらセンサーは鋭敏ではあるが、手を動かす都合、他人から変な目で見られる。

そこで、松果体が受ける情報が手のひらセンサーからの情報と同じようになるような訓練を続けた結果、目視のみでボルトの緩み、締めすぎ、構造物の応力集中箇所、溶接欠陥などが分かるようになった。特に溶接欠陥は、二点以上の視点から観察することで表面からの深さもわかるようになった。鋳造品の「す」や鋼材の層間?離もわかるようになった。

この松果体が受ける情報は、鋼構造物のみならず、人間の病気や怪我の状態をも含んでいることが分かり、病気の治療に活用している。
もちろんのこと、お化けと関わり合う際にもこの能力を使っている。

昼間、人はお化けが見えない。このことはお化けも知っているようで、明るい昼間にお化けを手のひらの間に挟んでしまうと、お化けが驚くのである。


5.10 ニャイ・ロロ・キドゥル

 ニャイ・ロロ・キドゥル (Nyai Roro Kidul)とはインドネシアのジャワ島で信じられている「南海冥府の女王」である。ジャワ島南海岸に緑色の服を着ていくとこの女王がその人を海に引きずり込み、遺体は上がらないという恐怖の対象になっている。

どういう風の吹きまわしか、ニャイ・ロロ・キドゥルとは十数年前から縁があり、別ページで紹介しているので、 こちら をご覧ください。

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2009-09-04 作成

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