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超能力開発研究所
Supernaturalism

第一話 お化け考

第六章 超能力者について

第四章ではお化けの利用状況について考察した。お化けの能力を利用するためには、その分野においてある程度の超能力を獲得しておく必要がある。そのための訓練として昔から行われているのはある種の宗教活動である。
先進国の近代的な社会においては、人々はすでに「君子乱神を語らず」という境地に達しているのだが、開発途上国ではまだまだ「乱神」に頼ることが多い。そこで、お化けを利用する能力を持つ人たちについても記録しておく必要がある。第四章ではこの特殊能力を持つ人たちについて考察する。


6.1 超能力者になるための先天的資質

左の写真のように二本奇麗に分かれているものを手相学では「仏眼」と言い、超能力がある人に現れる相だといわれている。今まで20年間調べてみた結果、「仏眼」のある人は第六感に代表される感覚がきわめて鋭利な人が多いということであった。またこのしわが両手とも一本だけの人は、理知的で論理的な考え方を持っている頑固な人が多いことが言える。
この手相を持つ人はお化けに憑依されやすく霊障が出やすい傾向にある。


6.2 超能力者になるための教育・訓練

インドネシアの超能力者のほぼ全員が何かの信仰を持ち、それを深く信じている。また、遺伝的形質も超能力獲得に必要なようで、父子相伝という場合もかなり多い。
日本でも昔はお坊さんに超能力者が多かった。その代表は弘法大師であり、いまでもその栄光を信じ参詣する人が多い。「ナントカ大師」というのは弘法大師を祀ったお寺のことである。
インドネシア、特にジャワでは、イスラムが入る前から黒魔術などによる呪いなどが盛んであった。その伝統を引き継いでいる人たちをクジャウエン(Kejawen)と呼び、ジャワの文化と深く結び付いているのである。イスラムに改宗したとはいえ、インドネシアは全土にわたり魑魅魍魎が多いため、悪霊祓いが宗教儀式の重要な課題にならざるを得ないという現実がある。
超能力者になるためには宗教的訓練を積まなくてはならないかというと、必ずしもそうではないのである。宗教の教えの中で訓練法が経験的に構築されてきたから、上達が早いわりにリスクが少ないという特色を持っているだけだからだ。
一方、どの宗教でも重要視されてきている瞑想などを用いて超能力開発の訓練を行うことが可能である。旧ソ連でも超能力の開発にはこの方式がとられていたようである。
これはあくまでも基礎教育であり、学校教育でいえば初等教育に相当するものである。
瞑想以外に一般的に行われている方法には宗教的技法としてマントラを繰り返すという方法がある。キリスト教でもイスラムでも同じ単語を繰り返すことによりトランス状態にはいることをやっている。
非宗教的技法には呼吸法がある。「あんた、無駄に息してる場合じゃない」のである。
一呼吸、一呼吸おろそかにせず大事に呼吸することで自律神経を活性化させ、ひいては全身のエネルギー高め、受容器の能力を高めることで第六感を含む超能力を獲得するものである。
日本の仏教では求聞持聡明法という訓練方法がある。この方法は間違えると発狂するといわれるほどの荒行であり、安易な気持ちで始めると必ず失敗するといわれている。空海も会得した求聞持聡明法とは人間の記憶力を極限まで増進し天才的な才能を開花させる秘法であるといううたい文句がウエブサイトに載っているから探してみてください。求聞持聡明法をやってみたい人は指導者の下でやってください。筆者はこの訓練をみなさんにお勧めしない。


6.3 超能力者になったら何ができるか

(a) 手指の感覚が鋭くなる
手のひらと指先の感覚が鋭くなる。触覚のみならず温度変化にも敏感になる。また目に見えない遠赤外線なども手のひらで感じることができるようになる。さらに修行を続けると手のひらにエネルギーの球を作ることができるようになる。これは光の玉のように見える。神像や仏像の手のひらに載っている球は、このエネルギーの球なのである。
体の調子が悪い時は体表面の温度が微妙に異なるのである。一部分が熱かったり冷たかったりするので、その部分に手を置いておくと、その部分の温度がそのほかの部分と同じになる。手を置いておくと、熱い部分は温度が下がり、冷たい部分は温度があがるのである。そうなると体の調子が良くなるのである。体内の故障である骨折や内臓疾患にも有効だから試してみるとよい。

(b) 第三の目
目で見えないものが見えてくるのである。「見える」というと眼球と視神経、視覚中枢などの視覚担当部位を想像するだろうが、普通の光で見えないものが見えてくるのである。眼を閉じていても第六感で「見える」、すなわち「わかる」のである。
第六感で「見える」ということについて筆者は以下のように考えている。

洞窟など暗黒の世界に住んでいる下等動物には脳の中にある松果体が光を感じるものもあるといわれている。人間の場合には松果体は脳の奥深くに位置していて、脳の組織や頭蓋骨が邪魔をしてここまでは光が到達しないのである。

しかし、「第三の目」と呼ばれているように、長期にわたる訓練により松果体を活性化すると、視覚では見ることができえない微妙なイメージが見えてくる。それを古人は「第三の目」と呼んだものであろう。インド人が眉間に赤い印をつけている、そうそれである。あるいは手塚治虫の「三つ目がとおる」を思い出していただければよいであろう。

しかし、松果体は一つしかないので、受け取ったエネルギーが放出された方角がわかるだけである。エネルギーの発射地点を確定するためには二点から三角測量を行えば、発射地点は幾何学的に特定されるものである。

(c) 動物的感覚が鋭くなる。
理性で感覚をコントロールしなくなる、すなわち自然児に近くなるのだから、動物的感覚が鋭くなることは当然である。
危険を予知することから、相手が何を食べたか胃の中まで見えたりする。
また、相手が考えていることがだんだんとわかるようになる。

(d) 無生物からの信号を受け取れるようになる。
筆者は鋼構造物のエンジニアであり、品質管理もその仕事に含まれている。溶接欠陥やボルトなどの機械部品の緩みあるいは締めすぎなどが一見してわかるようになったから、他人でも同じようにできるようになる。
機械やプラントの故障個所、あるいは危険個所を図面上から発見できるようになる。

(e) お化けと会話できるようになる
地縛霊にインタビューができるようになり、彼らがこの世に残った理由などを尋ねることができるようになる。

(f) 遠隔から心霊治療ができるようになる。
どんなに距離が離れていても心霊治療ができるようになる。1998年にペルーのリマ市から静岡の友人の除霊をしたことがある。これはまさしく、パソコンとインターネットのシステムとよく似ている。

(g) 信仰を今までとは別な面から理解できるようになる。
世界の宗教の教えに関して、超自然現象の面からその聖書を理解できるようになる。
聖書が刊行された当時の人間たちはわりと超常現象に敬意を払っていたし敏感だったから、聖書はこのようなタイプの人にわかるように書かれている。したがって、我々が超能力を得ると、聖書に書かれていることをより深く理解できるようになる。ただこの理解がその人の信仰をより深くすることになるかどうかは保証できないのである。なぜならば、信仰というものは主観的・個人的なものであるからだ。
2006年5月にジャカルタの友人宅で偶然「聖書勉強会」なるものに投入されてしまった。牧師が勉強会参加者に「なぜ我々は毎日神に祈らなくてならないのか」と尋ねた。数分間の沈黙が続いた後、筆者が答えた。「神とコンタクトするためです」と。
牧師はさらに「なぜ神とコンタクトしなくてはならないのですか」。「我々の持っているソフトウエアをアップデート、バージョンアップするためです」と答えた。約20人の参加者のうちこの回答を理解できたのは二、三名だったし、牧師もその理由を理解できたかどうかは不明であった。

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2009-09-04 作成
2009-09-05 追加修正

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