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プラハ-04・共産主義博物館・書店   (プラハ市・チェコ)









プラハ-04・共産主義博物館・書店  (プラハ市・チェコ) 

街の中心部の建物の奥にひっそりと在るのがこの共産主義博物館です。予想以上に小さく目立たないものでした。確かに日本に「軍国主義博物館」など無いのと同じで余り思い出したくない過去なのでしょう。


住所  :Na Příkopě 10, 110 00 Praha 
最寄駅 :地下鉄A/B線 Mustek駅
開館時間:朝9時~夜9時(例外あり)



チェコスロバキアの共産主義政権に関して
1945年ナチスの敗北でソビエトがチェコに入り以降1989年までソビエトの影響下で共産党が政権を担っていました。第二次世界大戦後、米国が用意した欧州復興計画いわゆるマーシャルプランに参加を希望し代表団をパリに派遣までしたのですが、ソビエトの圧力で不参加、その後は共産党が政権を担いました。1968年には当時の書記長ドプチェク氏を中心に所謂「プラハの春」で「人間の顔をした共産主義」を掲げ、自主、自由を模索したのですがソビエト軍を中心とするワルシャワ機構の軍事介入、いわゆるチェコ事件によって封じ込まれました。当時米国はソビエトとの核拡散条約の問題等の懸案事項を抱えていたのとベトナムが泥沼化する状況にあったので手を出せない状況にあった。

チェコ共産党年表
1945年 ナチス・ドイツの敗走の結果、ソ連軍によって国土の大半が「解放」される。
1946年 選挙で共産党が第1党になるが、単独で過半数を得るには至らなかった
1947年 マーシャル・プランへの参加を表明するが、ソ連の圧力で撤回する事態が生じた。
1948年 共産党と社会民主党左派からなる政権が成立し、チェコスロヴァキアにおいて共産化が完了した、大統領に共産党の指導者クレメント・ゴットワルト
1953年 ヨシフ・スターリンの葬式から帰国したゴットワルトがその後を追うように死去。
1968年 ノヴォトニーに代わって、アレクサンデル・ドゥプチェクが党第一書記に就任。プラハの春とチェコ事件
1969年 ドゥプチェクは党第一書記を解任され、代わってグスターフ・フサークによる「正常化体制」
1977年 哲学者ヤン・パトチカや劇作家ヴァーツラフ・ハヴェルなどが憲章77を発表し、政府の人権抑圧に抗議する運動を起こす。
1989年 ビロード革命により共産党体制が崩壊した。

1945-1948  ナチスの敗北から共産政権樹立 (3年間)
1948-1968  共産化の推進からプラハの春  (20年間)
1969-1989  再度共産体制から崩壊      (20年間)

この共産主義博物館は本当に小さいものでそれも目立たない建物の奥にひっそりとありました、共産政権崩壊から28年が経過しましたがまだ「過去」になっていないように見えます。40年間に及ぶ共産主義の時代の丁度真ん中にプラハの春とチェコ事件があるのですね。無抵抗の市民とソビエト軍を中心とするワルシャワ機構の戦車、軍事介入後は一層厳しい管理体制がひかれて抑圧されたようです。特にチェコ事件以降、弾圧された人、体制側に付いて特権を持っていた人などがまだ普通に生活している訳です。



共産主義博物館入口・受付 (2017年 1月)  
大きな繁華街の一角ヴァーツラフ広場の近くハンバーガー店やカジノ等がある建物の奥にこの博物館があります。2001年に開設されたのだそうで、それほど広くないスペースに当時の物がノスタルジックな雰囲気で日常生活の品などが並んでいます。





(写真:博物館の前の通り)



(写真:博物館建物入口)

余り博物館がありそうな感じでは無いカジノなどを通り奥に進みますと「共産主義博物館」の案内があり、ここで間違いないと分かります。



(写真:博物館へ)

建物の奥に進んでもどこが入口なのかよく分かりません、ようやく辿り着きました。



(写真:入口)

受付で入場料を支払います。絵葉書などお土産も販売しています。



(写真:受付-01)



(写真:受付-02)



(写真:受付-03)



(写真:受付-04)



レーニンとマルクス(2017年 1月)  
最初に目に入るのが懐かしいソビエト国旗とレーニンです。手前には当時のチェコスロバキアの地図があります。象徴の赤い星が天井に在ります。マルクスとレーニンこの二人がやはり主役ですね。



(写真:レーニンとソビエト国旗-01)



(写真:レーニンとソビエト国旗-02)



(写真:地図と自転車)



(写真:展示室から入口方向)



(写真:レーニン)



(写真:マルクス)



(写真:更に先の展示へ)

天井を見ますとシンボルマークの鎌と槌がぶら下がっています。



(写真:鎌と槌-01)



(写真:鎌と槌-02)



(写真:鎌と槌・地図)



肖像と胸像、ポスターと絵画(2017年 1月)  
当時の共産党政権は為政者の偶像化を図り、ポスターや絵画などで共産主義の優位性を宣伝していました。今でも朝鮮ではこの手法を使っていますね。

共産主義が悪いナチスを駆逐するというプロパガンダですね、ナチス・ドイツからスターリン・ソビエトに支配者が交代したのですね、いずれにしても苦難の歴史ですね。



(写真:共産主義がナチスを駆逐する)

スターリンとそれを信奉したドットワルトの肖像。スターリンの時代、独裁的な政治を行い現代の世論調査では最悪のチェコスロバキア人と称されている。



(写真:スターリンとゴットワルト)

マルクス、スターリン、ゴットワルト等の肖像や胸像が並べられていました。後ろの絵は如何にも共産主義という感じですね。



(写真:肖像画や胸像-01)



(写真:肖像画や胸像-02)

チェコスロバキアの国旗と赤旗を手にした労働者達、トラクターがあり、後ろには工場から煙が出ている、如何にも理想的な共産国という絵ですね。



(写真:絵画)

大きな共産主義を賛美するモニュメントがあったのですね。



(写真:当時の様子)



(写真:スターリン)

働く幸せな国民と米国の堕落した青年が比較されています。



(写真:反米キャンペーン-01)



(写真:反米キャンペーン-02)



共産主義博物館展示  (プラハ市・チェコ)(2017年 1月)
当時の教室の再現がありました。まだそれ程昔の事では無いので現在のチェコ人の多くの大人もこのような教室で勉強したのでしょうね。



(写真:当時の教室)

備品なども如何にも共産主義ですね。



(写真:当時の教室備品)

当時の理想的な教育を描いているのでしょう。



(写真:絵画)



(写真:工房-01)



(写真:工房-02)



(写真:宇宙開発-01)



(写真:宇宙開発-02)



(写真:バイク)

集団化が進められていたのでしょうね。



(写真:農業)



(写真:測量機器)



(写真:オフィス-01)

デスクの後ろにはスターリンの肖像



(写真:オフィス-02)

朝鮮・平壌の商店によく似ていますね、後ろに中国の五星紅旗があるのは何故なのでしょう。



(写真:商店の様子-01)



(写真:商店の様子-02)

明るい家庭のポスターと一緒に写真がありました。ぎっしりと売られている卵のケースの中は空という現実を写したものです。



(写真:宣伝ポスターと現実)

当時の生活が分かるような品々が並べらえています。



(写真:生活空間-01)

後ろのポスターは人間機関車と呼ばれた英雄・ザトペックですね、1952年のヘルシンキオリンピック・マラソンで優勝するなどオリンピックで5つの金メダルを獲得しています、その後プラハの春では改革に賛同し共産党政府に目を付けられたそうです。



(写真:生活空間-02)



(写真:社会主義リアリズムの絵画)



(写真:展示室の様子-01)



(写真:展示室の様子-02)



(写真:展示室の様子-03)



(写真:展示室の様子-04)



(写真:軍隊)



(写真:軍隊の帽子・銃・勲章)

プラハの春、ビロード革命などのビデオを上映しています。外を歩くと明るい平和な市街地、同じ場所が舞台なので不思議な気がします。



(写真:ビデオ上映の小劇場)

1989年のビロード革命の時の写真です。



(写真:ゴルバチョフ)



(写真:ビロード革命-01)



(写真:ビロード革命-02)



チェコ語の言語事情  (2017年 1月)  
昔からチェコ、特にボヘミアの中心都市であるプラハでは言語がどうなっているのか興味がありました。中世の時代、ドイツ民族がまだ大分裂していてそれを束ねる形で存在していた神聖ローマ帝国、その首都が長い間ここプラハにありました。地理的にもドイツに近くドイツに食い込むように在るのがこのチェコで歴史的にも長い間ドイツの影響下にありました。現在国民全員がドイツ語話者であるの国はドイツとオーストリアですが、その両方の首都まで300キロ以内に位置しており、地理的にはドイツの中に存在すると言っても良い程です。

一億人近い経済力の在るドイツ語圏の中に在るので学生時代にはここはドイツ語が主役もしくは二ヶ国語が併用して使われているのではないかとではないかと想像していました。大人になり色々と調べると西スラブ語のチェコ語が公用語でドイツ語が全く使用されていない事が分かりました。以前ルクセンブルクに行った際に民族的にドイツに近いのでドイツが使われている、想像していたのですが、実際には主要言語はフランス語でドイツ語は嫌われているようにも感じました。

ドイツ語はその影響力と長年支配者として君臨していたので排斥され忌避されたのかも知れませんね。1910年のドイツ語圏の地図がありますが、プラハの在るボヘミアがドイツ語圏の中に丸く抜けているのが分かります。圧倒的なドイツ語話者に周囲を囲まれて、ハプスブルクそしてナチスの圧力の中で民族の言語を死守するのは容易ではなかった事でしょう、現在チェコ人の言語への思いは相当強いものがあると拝察します。

ハプスブルク君主国の統治下にあった19世紀半ばのチェコでは,ドイツ語が優勢であり,チェコ語は「下層民の言葉」と見なされていたそうで、教育、特に高等教育はドイツ語で行われていたそうです。チェコの国民的な音楽家であるスメタナもドイツ語で教育を受け、30歳を過ぎて初めて書いたチェコ語の手紙には自分のチェコ語の知識が不十分である事を告白しています。この状況は日本統治下の朝鮮と似ていますね。



(地図:1910年のドイツ語圏)



書店にて  (2017年 1月) 
書店に入りますとまず書籍の多さに驚きました。チェコ語話者は約一千万人、隣国の言語的にも近いスロバキアを入れても1500万程ですがそれにしては本が多いと感じました、多分チェコ人は読書家で文化人なのでしょう。本棚を観ていて内容は全く理解出来ませんが、かなり政治と歴史の本が多いように見えました。トランプさんやプーチンさんの写真入りの本がずらっと並んでいました。後は年号が書かれた本も目立ちました、歴史と政治が生活に直結し、しっかりと理解する事が生きる上で重要だと考えているのでしょうね、経済書が並んでいる日本とは大きな違いを感じました。

話者が2300万人居るオランダでは英語の本が普通に並んでいるのとは対照的に英語やドイツ語などの外国語の本はほとんどありませんでした。EU、シェンゲン条約でドイツ語圏がまた身近な存在になっていますがチェコの人達は用心深く立ち回り、外の人が安易に想像するようなグロバリゼーションによる一体化は起きないかも知れませんね、欧州統合の理想はまだまだ道半ばなのでしょう。



(地図:書店の位置)



(写真:書店前の通りの様子)



(写真:書店入口)



(写真:書店内部-01)



(写真:書店内部-02)



(写真:書店内部-03)



(写真:書店内部-04)



(写真:書店内部-05)




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