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プラハ--03・新市街地・繁華街 (プラハ市・チェコ)
プラハ--03・新市街地・繁華街 (プラハ市・チェコ)
プラハの新市街は、モルドウ川の東岸旧市街を取り囲むように新市街地が広がっています。旧市街とは異なり道も比較的真っ直ぐで、生活感があり、市民の街という印象です。
ヴァーツラフ広場とその周辺 (2017年 1月)
新市街の中心地には、大通りのようなヴァーツラフ広場があります。歴史的には1968年、ドプチェク氏率いる政府はいわゆるプラハの春を主導しこの広場、特に像の周辺で人々がデモをし、演説をしました。ソビエトを中心とするワルシャワ機構の介入によってソビエト軍を中心とするのワルシャワ機構の戦車が広場に入り込む事態になり、抗議するヤン・パラフ青年はヴァーツラフ像の元で焼身自殺しました。現在は市民や観光客で賑わう平和な広場になっています。
(写真:ヴァーツラフ広場-01)
なお、正面の国立博物館は全面改装中です。
(写真:ヴァーツラフ広場-02)
(写真:ヴァーツラフ広場-03)
繁華街になって賑わっています。
(写真:ヴァーツラフ広場-04)
(写真:ヴァーツラフ広場-05)
(写真:ヴァーツラフ広場-06)
(写真:ヴァーツラフ広場-07)
(写真:ヴァーツラフ広場-08)
(写真:ヴァーツラフ広場-09)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-01)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-02)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-03)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-04)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-05)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-06)
ユーロ導入が遅れているチェコ、市内各所に両替商があります。見掛けのレートは良くても手数料が高いお店も多く在ります、手数料を取らないお店はゼロ%の表示があります。
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-07)
(写真:ヴァーツラフ広場周辺-08)
ヴァーツラフの像があります。
(写真:ヴァーツラフ像)
(写真:夜のヴァーツラフ広場-01)
(写真:夜のヴァーツラフ広場-02)
ナーロドニー・トリダ付近 (2017年 1月)
賑やかな停車場があり、多くの人が行き交っています。
(写真:ナーロドニー・トリダ停車場付近-01)
(写真:ナーロドニー・トリダ停車場付近-02)
(写真:ナーロドニー・トリダ停車場付近-03)
(写真:ナーロドニー・トリダ停車場付近-04)
(写真:ナーロドニー・トリダ停車場付近-05)
(写真:ナーロドニー・トリダ停車場付近-06)
ヘンリーの塔付近・インドジシュスカー通り (2017年 1月)
インドジシュスカー通りを行きます。
(写真:ヘンリーの塔)
(写真:インドジシュスカー通り-01)
(写真:インドジシュスカー通り-02)
(写真:インドジシュスカー通り-03)
(写真:インドジシュスカー通り-04)
(写真:インドジシュスカー通り-05)
(写真:インドジシュスカー通り-06)
(写真:インドジシュスカー通り-07)
共和国広場・パワー塔周辺 (2017年 1月)
街の門であったパワー塔から共和国広場方面に路面電車に沿って歩きました。路面電車の本数が多くまた色々な型の車両が来るので楽しく見ていました。
(写真:パワー塔付近-01)
(写真:パワー塔付近-02)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-01)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-02)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-03)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-04)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-05)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-06)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-07)
(写真:ナ・ポジーチー通り・路面電車の路線に沿って-08)
(写真:夜のパワー塔付近-01)
(写真:夜のパワー塔付近-02)
フロレンツ付近から聖シリル・メソディアス教会周辺 (2017年 1月)
(写真:フロレンツ付近)
(写真:プラハ市博物館)
古い街並みの中に高架の道路があります、周囲の雰囲気とはそぐわないですね。
(写真:高架)
(写真:高架と路面電車)
(写真:フロレンツ駅前)
路面電車の道、ソコロヴスカー通りを進みます
(写真:ソコロヴスカー通り付近-01)
新しい建物が在ると驚いてしまいます。この辺りになりますと歴史保存地域では無いので建替えも可能なのでしょう。
(写真:ソコロヴスカー通り付近-02)
(写真:ソコロヴスカー通り付近-03)
(写真:ソコロヴスカー通り付近-04)
(写真:ソコロヴスカー通り付近-05)
(写真:ソコロヴスカー通り付近-06)
この辺りになりますと新しい建物が結構多く在ります。
(写真:ソコロヴスカー通り付近-07)
表通りはまだほとんどが昔ながらの建物です。表通りには何らかの規制があるのかも知れません。
(写真:ソコロヴスカー通り付近-08)
大きな公園が在り、その奥に聖シリル・メソディアス教会がありました。
(写真:聖シリル・メソディアス教会-01)
18世紀建造の建物で後期ネオロマネスク様式なのだそうです。市の中心部、旧市街地に在るより古い時代の建物とはかなり雰囲気で違います。
(写真:聖シリル・メソディアス教会-02)
表通りから一本入った教会の前のクジジーコヴァ通りを行きます。同じような建物がずっと向こうまで続いています、この光景は相当昔から変化が無いのかも知れませんね。
(写真:クジジーコヴァ通り-01)
(写真:クジジーコヴァ通り-02)
その先を行きますと新しい建造物も見えて来ました。
(写真:クジジーコヴァ通り-03)
(写真:クジジーコヴァ通り-04)
(写真:クジジーコヴァ通り付近-01)
工場なのでしょうか?
(写真:クジジーコヴァ通り付近-02)
(写真:クジジーコヴァ通り付近-03)
(写真:クジジーコヴァ通り付近-04)
路面電車の道、ソコロヴスカー通りに戻ります。この辺りになりますとかなり新しい感じですね。
(写真:ソコロヴスカー通り付近-09)
(写真:ソコロヴスカー通り付近-10)
モルドウ川西岸・プラハ城の下周辺 (2017年 1月)
カレル橋とその北側に在るマーネスーフ橋との間、西側を歩いてみました。
(写真: カレル橋付近)
(写真: モルドウ川)
(写真:カレル橋とマーネスーフ橋との間-01)
(写真:カレル橋とマーネスーフ橋との間-02)
(写真:カレル橋とマーネスーフ橋との間-03)
(写真:カレル橋とマーネスーフ橋との間-04)
(写真:カレル橋とマーネスーフ橋との間-05)
(写真:マーネスーフ橋付近)
元のユダヤ人地区とその周辺 (2017年 1月)
旧市街地の北側に位置する地域を散策してみました。チェコにはかなり以前から多くのユダヤ人が暮らしていてユダヤを民族として認めたのもチェコが最初と言います。ナチの迫害などの歴史もありますが現在はこの地域は静かで高級、旧市街地広場付近とは異なり道は整然としていて高級店が並んでいて西欧のようなな雰囲気になっています。
(写真:プラハ城を望む)
(写真:旧市街地北側の地域-01)
(写真:旧市街地北側の地域-02)
(写真:旧市街地北側の地域-03)
(写真:旧市街地北側の地域-04)
(写真:旧市街地北側の地域-05)
(写真:旧市街地北側の地域-06)
(写真:旧市街地北側の地域-07)
(写真:旧市街地北側の地域-08)
(写真:旧市街地北側の地域-09)
ただ共産主義時代に建てられたと推測される建物もあります。
(写真:旧市街地北側の地域-10)
少し郊外の方へ (2017年 1月)
プラハの街の周辺部がどのようになっているのか見る為に少し郊外に行ってみました。中心部は第二次世界大戦前には出来上がっていたのでしょうが、その後都市が拡大したのは戦後であったと推測します、共産主義時代に拡大した住宅がまだ多く残っているのではないかと推測していましたが、やはり効率を重視した箱型の建物が多く在りました。この光景を見ていますとかつて共産主義の国であったと実感出来ます。ただ塗装などを変え、改装し手を加えていますので共産主義時代のような無味乾燥な雰囲気はありませんでした。また既に共産主義崩壊から30年近くが経過していますので新しい建物も多く在ります。
(写真:郊外へ-01)
(写真:郊外へ-02)
(写真:郊外へ-03)
(写真:郊外へ-04)
(写真:郊外へ-05)
これらの建物は共産主義の時代に建設されたのでしょう。
(写真:郊外へ-06)
(写真:郊外へ-07)
その後に建設されたと思われる建物も多く在ります。
(写真:郊外へ-08)
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