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《ドン行自転車最果て行き》 2001年8月
洞爺湖〜ニセコ〜岩内
今日の走行ルート:洞爺湖〜留寿都〜真狩〜ニセコ〜〜岩内(約80キロ)
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昨年噴火した有珠山の噴煙を対岸に見る洞爺湖北岸のキャンプ場を6時45分に出発。上空には薄雲が広がっているが、青空ものぞき、天候に不安はない。気温は18度ほど。
ここから日本海側に出て、積丹半島を回り、あとは稚内までひたすら海沿いに北上しようと考えているが、洞爺湖からまっすぐ日本海に抜けようとするとニセコ山系にぶつかる。ここをどうするかが当面の課題で、まだ決めかねている。要するに越えるか、迂回するか、だ。
洞爺村の中心部を過ぎると、早くも上り坂。洞爺湖はカルデラの底にあるので、外輪山を越えなければ、どこへも行けないのだ。
センダイムシクイやウグイスの声を聞いたり、ゴジュウカラの姿を見かけたりしながら、坂を上っていくと、スタートから4.7キロ地点に武四郎坂駐車場があり、洞爺湖が木立の向こうに広がる。武四郎とは幕末に蝦夷地を踏査し、アイヌ民族のよき理解者でもあった探検家・松浦武四郎のことであろう。彼はまた「北海道」の名付け親でもあり、道内各地でその足跡に出会う。
額からしたたり落ちる汗を拭って、8分の休憩後、7時15分に出発。さらに1キロほど上ると峠を越え、まもなく札幌へ通じる国道230号線にぶつかった。高原のような開けた土地で、あたりにはトウモロコシやジャガイモの畑が広がり、カラマツ林でエゾゼミがジ〜ッと鳴いている。
国道を北へ向かうと、道はいったん急勾配を下って貫気別(ぬっきべつ)川を渡る。この川が洞爺村と留寿都(るすつ)村の境界で、地図によれば標高は233メートル。ちなみにスタート地点、洞爺湖の湖面標高は85メートルである。再び上っていくと、前方に羊蹄山が雲から頭だけ覗かせていた。
留寿都村と「赤い靴」
8時05分に留寿都村の中心部に到着。ここまで17キロ。セイコーマート(北海道のコンビニ)でヨーグルトなど買って少し休憩。
赤い靴公園というのがあり、野口雨情が作詩した童謡「赤い靴」とこの村の意外な関係を初めて知った。歌碑に添えられた碑文によれば、「赤い靴はいてた女の子」のモデルは岩崎きみという静岡県出身の少女であるという。明治38年、未婚の母親岩崎かよと共に北海道へ渡り、母親は留寿都村の開拓農場へ向かうが、幼い娘は函館の米国人宣教師夫妻に預けられた。その後、結婚した母親は札幌で野口雨情一家と知り合い、宣教師夫妻と共に渡米した娘のことを雨情夫人に語ったことが有名な童謡の誕生につながったのだという。
時は流れて昭和48年、きみの安否を気にかけていた妹が童謡「赤い靴」のモデルは実姉であることを新聞に投書。報道機関が協力して調査した結果、きみは病気のため渡米できず、東京の施設でわずか9年の生涯を終えていたことが判明したそうだ。過酷な北海道開拓の歴史にはこうした悲しい話が無数に埋もれているのだろう。
真狩村の「細川たかし像」
留寿都を8時35分に出発。ここで国道から左折して道道66号線に入る。しばらく丘陵地帯のアップダウンが続き、真狩(まっかり)村に入ると長い下りになった。沿道にはユリが植えられている。
留寿都から7キロ余り、8時57分に真狩村の中心市街に到着。羊蹄山の南麓に広がる農村、真狩村は歌手細川たかしの出身地で、記念館や銅像があるらしい。銅像だけ行ってみた。
真狩川沿いの公園の入口に細川たかしグッズの売店(たかしせんべいなど売っている)と駐車場があり、河畔に「熱唱・細川たかしの像」という等身大の銅像が立っていた。タキシード姿で右手にマイクを握り、朗々と歌い上げる細川たかしの像。台座にある手形に触れると「北酒場」や「矢切の渡し」などのヒット曲がスピーカーから流れる仕掛けになっている。思わず手形に触れると、誰もいない静かな公園に細川たかしの歌声が大音量で流れ出し、そそくさと逃げてきた。
「ニセコ11㎞」の方面標識に従って、すっぽりと雲をかぶった羊蹄山の麓を時計回りに西へ3キロほど行くと、「まっかり羊蹄山の湧き水」があり、たくさんの人がポリタンクやペットボトルに水を汲みにきていた。僕もペットボトルに冷たい水を詰めて、15分の休憩後、9時45分にまた走り出す。
(羊蹄山の湧き水)
ニセコ
エゾセンニュウの声を聞きながら10分ほど上るとニセコ町に入り、だんだん雲が切れて、羊蹄山がその全容を現わしてきた。蝦夷富士とも呼ばれる通り富士山によく似た姿で、標高は1,898メートル。今回の旅で初めて夏空が広がり、ちょうどヒマワリ畑があったので、そこで羊蹄山の写真を撮った。
10時10分に国道5号線との交差点にある道の駅ニセコに到着。ここまで洞爺湖から36キロ。しばらく休憩し、この先のことを考える。
すでに行く手にはニセコ連峰が聳え立っているが、さてどうするか。当面の目的地は積丹半島の西側の基部にある岩内で、ちょうどニセコの山々の反対側である。ここまで走ってきた66号線はニセコの山を越えて最短距離で岩内へ通じているが、地図によれば最高点の標高は832メートルもある。景色はよいに違いないが、相当ハードなコースである。これが第一のルート。第二は倶知安経由でニセコの東側を迂回するコース。途中の倶知安峠は250メートルに過ぎない。第三はここからニセコの西側を尻別川に沿って日本海に抜け、雷電海岸を通って岩内に至るコース。このルートに峠越えはないようだが、距離は最も長い。自転車だと一番常識的なのは第二ルートだろう。僕も倶知安経由に気持ちを固めつつあったが、いざニセコの山々を目にすると、よし越えてやろうじゃないか、という意欲が湧いてきた。このルートのニセコパノラマラインという名称にも惹かれる。
というわけで、改めて気合を入れて10時40分に出発。
国道5号線を渡ってまっすぐ坂を下るとニセコ市街で、尻別川の谷あいに函館本線のニセコ駅があった。トンガリ屋根の時計塔を持つ山小屋風の洒落た駅舎で、色とりどりの夏の花がたくさん飾ってある。ちなみにこの駅の標高は101メートルとのこと。
ニセコパノラマライン
5分の小休止後、11時ちょうどに出発して、ここからグイグイと上り始める。岩内まで40キロ。単純計算でも20キロは上りが続くことになる。
陽射しが強く、気温は27度を超えている。数字以上に暑く感じ、たちまち汗だくになった。
尻別川の渓谷と函館本線のかぼそい線路を越える新しく立派な橋を渡って、急坂を上っていくと、あたりは高原風景に変わってきた。ニセコといえば、「東洋のサンモリッツ」などと呼ばれ、スキーのメッカという印象だったが、札幌から気軽に来られる高原リゾートとして四季を問わず賑わっているようだ。
洒落たペンションやレストラン、それにテニスコートなどを横目に必死でペダルを踏み続け、ニセコ駅から7キロ近く上ってスキー場が見えてくると、今度は一転して下り坂になる。しかも、ぐんぐん下る。おいおい、せっかく上ったのに…。すごろくで上がりを目前にして「ふりだしに戻る」のマスに止まってしまった気分で、がっかりだ。
下りきったところが昆布温泉。ニセコアンベツ川を渡って蘭越町に入り、ここからまた改めて上り始める。
ふうふう言いながら急勾配を上っていくと、まもなく森に囲まれた小さなレストランがあった。もうお昼なので、ここで休憩にしよう。ここまでニセコ駅から10キロ、洞爺湖からは48キロ。
ドアを開けるとカランカランとカウベルが鳴り、薄暗い店内には「パッヘルベルのカノン」が流れている。いかにも高原リゾートっぽくて、真狩村の「北酒場」とは雰囲気がまるで違う。サラダとコーヒー付きで1,200円もする「高原カレー」を注文。コーヒーはもちろんアイスにしてもらう。
流れ落ちる汗を拭いながら、どこが「高原」なのかよく分からない、でも美味しいカレーライスを食べて、12時半に出発。外の気温は29度。
ニセコアンヌプリ(1,309m)を主峰とするニセコ連峰のたおやかな山並みを正面に見て、右には青緑色の裾を広げる羊蹄山を眺めながら、重いペダルを踏んで、ちびちびと高度を稼いでいく。
高原リゾートから人里離れた山岳道路の雰囲気に変わってきた。しかし、鬱蒼とした感じではないから空は広く、日陰がなく、従ってクソ暑い。覚悟していたとはいえ、かなりきつい。
延々と続く坂道にあえぎながら、ちょっと進んでは立ち止まって、ぬるくなった羊蹄山の湧き水を口に含み、またペダルを踏み込む。その繰り返しでひたすら上っていくと、反対車線を男女混成7人の自転車集団が下ってきた。彼らは岩内から山を越えてきたのだろうか。ニセコの山に入って初めて自転車に出会い、少し勇気づけられる。
13時22分、湯本温泉バス停で小休止。レストランからの6キロに50分も費やしている。公衆トイレがあったので、洗面所の冷たい水で顔を洗った。
13時30分に再び走り出し、すぐに湯本温泉の旅館や国民宿舎の前を通りかかる。日帰り入浴もできるらしい。その少し先にはキャンプ場もある。身も心もすっかりバテて、今日はここまでにしようか、という思いがふと心をよぎったが、気を取り直して、なおも坂を上り続ける。
再びマウンテンバイクの青年が勢いよく下ってきた。僕の同類が結構いるらしい。彼も反対側から相当苦しい思いをして上ってきたはず。僕ももう少し辛抱すれば、その後は日本海に面した港町・岩内まで長い下りが待っているのだ。それを楽しみにして、もうひと踏ん張り。
道端に帰化植物のタンポポモドキの黄色い花が目立つようになり、道が曲がりくねってきた。あたりは山林から背の低いダケカンバがまばらに生える笹原に変わり、峠が近いことを教えてくれる。アイヌ語で家の形をした山を意味するチセヌプリ(1,134m)がもう間近に迫っている。あの山の東側の肩が最高地点だ。
いよいよラストスパート。なおも急勾配が続くのに妙に元気が湧いてきて、にわかにスピードアップ。
そして、14時18分、ついに標高832メートルの最高地点に到達。サイクリングにおける至福の瞬間である。洞爺湖をスタートしてちょうど60キロ。ニセコ駅前から22キロ。現在の気温は25度。
蘭越町から共和町に入って、ここからは長い長い下り。もうペダルを踏まなくても、自転車が勝手にグングン加速していく。背筋がゾクゾクするような快感!!
神仙沼
雄大な風景の中、風の音だけを聞きながら3.5キロ下ると、神仙沼の駐車場があり、観光バスやクルマ、バイクがたくさん止まっていた。せっかくだから寄っていこう。まだ14時半だから急ぐ必要はない。
というわけで、駐車場の片隅に愛車を残し、他の観光客に混じって散策路を歩き出す。入口に箱があり、「森林環境整備協力金」として100円以上入れるようにと書いてある。見たところ、誰もお金を払っていないが、一応百円玉を入れておいた。
アカエゾマツやトドマツ、ダケカンバ、ナナカマド、チシマザクラ、ツタウルシなどが茂り、キオンやノリウツギが咲く森の中を15分ほど歩くと、急に視界が開けて尾瀬のような湿原に出た。チセヌプリの北側に広がる高層湿原で、このあたりの標高は750メートルほどある。
湿原にはタチギボウシやサワギキョウといった紫色の花が咲き、小さな沼にはスイレン科のコウホネが黄色の花をつけている。食虫植物のモウセンゴケも発見した。
そして、木道をさらに進むと原生林に囲まれた湖水が密やかに広がっていた。それが神仙沼。ミツガシワの群落が手前の水面を隠し、その向こうは水の鏡となって対岸のダケカンバの白い幹を映している。名前通りの美しい沼だが、すぐあとから観光バスの団体がガヤガヤとやってきて、岸辺が人で溢れたので、すぐに退散。
駐車場にはすぐに戻らず、途中で分岐する長沼への遊歩道にも足を伸ばしてみた。こちらは歩く人も少ない。林の中でエゾアジサイが青い花を咲かせている。
あ、海だ!
散策路が樹林を抜けたところで、彼方に日本海が見えているではないか。今日の山登りはすべてこの瞬間のためにあったのだ。征服感の混じった達成感。
(ニセコの山から眺める日本海と長沼)
岩内
チセヌプリの麓のゴツゴツした岩に囲まれた長沼まで往復して、再び自転車の人となったのは15時50分。あとはひたすら重力に任せて下るだけだ。
すぐに眼下に日本海と岩内の町が広がり、積丹半島の山の連なりも見えてきた。ヘアピンカーブの連続する坂道を海へ向かってビュンビュンと下っていく爽快感がたまらない。ニセコの山を越えてよかったと今は心底思う。
山麓まで下って、海が視界から消え、なおもぐんぐん下っていくと、突然目の前をキタキツネが横切った。
最高地点から20キロ、800メートル以上の標高差を下りきって、ようやく岩内市街に入った。
岩内にはかつて函館本線の小沢から岩内線というローカル線が通じ、札幌からの直通急行も運転されていた。しかし、鉄道が消えてすでに久しく、岩内とはもっと寂れた小さな町なのだろうと勝手に思い込んでいたら、意外に立派な町並みである。ダイエーもある。
街の真ん中の公園とバスターミナルになっている場所がかつての岩内駅跡地らしい。隣接して道の駅も設置されている。16時半、その道の駅に着いた。
結局、この日は街なかのホテルに投宿。回転寿司店で夕食の後、岩内港で夕暮れのひとときを過ごす。
今日だけですっかり日焼けして、足にはサンダルの跡がくっきり残っている(サンダルでニセコの山を越えてしまった)。本日の走行距離は83.6キロ。明日は積丹半島だ。
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