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《ドン行自転車最果て行き》 2001年8月
 室蘭〜洞爺湖 

 東京から茨城県の大洗まで自転車で走り、そこからフェリーに乗って、昨夕、夏なのにうすら寒い室蘭に着いた。今日から北海道自転車旅行の始まりである。

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     雨の室蘭

旧室蘭駅舎 北海道の室蘭で迎えた朝。安ホテルで部屋に窓がないので外の様子は分からないが、テレビの気象情報によれば、室蘭の6時の気温は16.4度。今日は曇り時々雨で、予想最高気温は18度。天候の回復は早いだろうというのが、わずかな救いだ。
 7時過ぎにホテルを出発。外は雨で、最初からレインウエア着用である。

 駅の移転でぽつんと取り残された旧室蘭駅舎(いまは観光案内所になっている)を眺めただけで室蘭の街をあとにする。
 今日は洞爺湖方面へ向かうので、室蘭港を跨ぐ白鳥大橋を渡れば、それが最短経路だが、あの橋は自動車専用らしいので、自転車は港の周囲をぐるりと遠回りするしかない(この旅行中に新聞で知ったのだが、白鳥大橋を自転車で渡ろうとする不心得者が跡を絶たず、問題化しているらしい)。

(雨の室蘭をあとに。写真中央は現在の室蘭駅)

雨の東室蘭駅 とにかく、まずは札幌へ通じる国道36号線を行く。風が強く、レインウエアがパタパタと音を立てる。製鉄所を左に見ながら室蘭本線に沿って8キロ余り走って8時に東室蘭駅前に着いた。雨足が強まり、ここで早くも雨宿り。
 駅の軒下に愛車を止め、とりあえず駅の中へ避難。売店で買ったアンパンとコーヒーの朝食。観光案内板でムロランとはアイヌ語のモ・ルエランで、ゆるやかな坂を下る道という意味だとの知識を得る。
 雨は一向に止む気配がない。駅の屋根からしたたる水滴が強風で吹き飛ばされている。なんだか走る意欲も失せるではないか。うすら寒くて、駅を利用する人々もみんな長袖姿である。

 結局、無為に2時間も過ごしてしまい、いくらか雨が弱まったのを見て、ようやく10時に東室蘭駅をスタート。ここからは室蘭と長万部を結ぶ国道37号線を行く。
 45分ほどで白鳥台に着いた。室蘭港を一望できる展望地だが、悪天候のせいで海も街も陰気で、白鳥大橋も雨に煙っている。もとより室蘭は工業都市なので、無骨な製鉄所の煙突ばかりが目立ち、殺風景な印象が強い。

 丘陵地帯を左右にカーブしながら下っていくと、「トッピンカケタカ」とエゾセンニュウの澄んだ声が耳に届き、さらになんと大柄なエゾシカが1頭、左手から現われ、ピョンピョン跳ねるように目の前を横断して、右手の茂みに姿を消した。まさかこんな都市近郊の幹線道路でシカに会うとは思わなかったので驚いたが、これでようやく北海道にいる実感が湧いてきた。沿道にはノラニンジンやオオハンゴン草が白や黄色の花をたくさん咲かせている。

     黄金駅

 シカに遭遇してすぐ室蘭市から伊達市に入ると、黄金という、ありがたい名前の集落がある。並行する室蘭本線にも黄金駅があり、そこでまた雨宿り。時刻は1115分。
 三角波の立つ内浦湾に面した無人駅で、時折、貨物列車や特急列車が通過していく。ホームに立つと、風がピューピュー、ゴーゴーと鳴り、踏切の遮断機の竿が揺れている。花壇に咲くマリーゴールドやコスモスも揺れている。一瞬、雲間から薄日が漏れたが、なおも雨は降り続いている。それでも、いくらか空が明るくなってきた。

 30分余り休んで再び走り出し、まもなく国道を離れて道道779号線(旧国道)に入ると、正午のサイレンが聞こえてきた。
 南黄金地区の原野に「売地300坪」の看板。12万円だそうである。
 海辺の原野を行くうちに雨が止んだ。正面には昨年噴火した有珠山昭和新山が見える。あたりにはクサフジやハマナス、ノラニンジン、オオハンゴン草、ムラサキツメクサ、アザミなどが咲き乱れ、エゾセンニュウのさえずりが湿った空気を微かに震わせる。

     紋別駅逓跡

 稀府(まれっぷ)を過ぎて、道端に伊達市教育委員会が立てた「紋別駅逓跡」の説明板があった。

「有珠に会所があった頃より、道南方面から道東方面へ通ずるこの道は、交通の要路として往来しきりであった。会所から会所へ、逓送物を継送する人や旅人は、ここで休憩、あるいは宿泊し、また馬の継立も行なった。駅逓は、昔の郵送業務の重要施設である」

 この駅逓の存在期間については何も書かれていないが、恐らく明治時代に設置され、せいぜい昭和初期までには廃止されたものと思われる。すでに往時を偲ばせるものは何も残っておらず、ただ松の老木だけが遠い昔を知っているようだった。
 北舟岡駅

     胆振線の廃線跡

 上りホームのすぐ下が海岸という北舟岡駅に立ち寄ったりして、1247分に伊達市の中心部にある伊達紋別駅前に到着。ここまで35キロ。すでにレインウエアは途中の路上で脱いでTシャツ短パン姿だが、駅に出入りする人々の中にこんな夏の格好をしている人はほかにいない。僕だけがなんだか浮いている。
起点から2キロ地点 ちょっと休んで、すぐにまた走り出し、昼食をとろうと店を探したが、目ぼしい店が見つからないまま市街地を外れてしまい、まもなくレンガ色に舗装されたサイクリングロードに出会った。昭和61年に廃止された旧国鉄胆振線(伊達紋別〜倶知安)の線路跡で、ここから5.4キロの区間が自転車道として整備されているようだ。これは走ってみるしかない。何より洞爺湖方面へ行くにはとても都合がいい。
 というわけで、しばらくは空腹も忘れて、正面に有珠山昭和新山を望みながら、ホオジロやカワラヒワのさえずる田圃や畑の中をのんびり走る。時折、踏切の警報機や距離標などの遺物もあって、上長和駅跡にはホームが復元されていた。

    昭和新山


 上長和の先で自転車道は終点となり、一般道へ復帰。緑の丘陵の向こうに赤茶色の溶岩ドームをのぞかせているのが昭和新山だ。ここから急勾配の上り。
 再び空腹感が襲ってきて、完全なガス欠状態に陥り、何度も休みながら少しずつ進んで、大有珠トンネルを抜けると、昭和新山はもう目の前だった。

 1355分に観光客で賑わう昭和新山の駐車場に到着。ここまで45キロ。
 それまで平坦な麦畑だった場所で突然噴火活動が始まり、みるみるうちに溶岩が隆起して昭和新山が誕生したという話はよく知られている。昭和18年暮れに有珠山周辺で地震活動が始まり、翌年になるとさらに活発化。19623日に最初の噴火が起こり、以後17回の爆発を経て、噴火口から溶岩が盛り上がり、ぐんぐん隆起。昭和209月に標高407メートルに達したところで活動は停止したという。現在の標高は402メートルとのこと。
 その次の有珠山の噴火は昭和52年。この時も周辺地域に大量の火山灰を降らせて、大きな被害が出た。そして、さらに去年(平成12年)の噴火と、有珠山は今も現役バリバリの活火山なのである。
 しかしながら、たびたび地元に被害を与える恐ろしい火山も当面の危険が去れば貴重な観光資源となる。今も白い噴気を濛々と上げる昭和新山の麓は公園として整備され、土産物屋が軒を連ねて、活況を呈している。そして、ここから有珠山に通じるロープウェイもすでに運行が再開され、観光客を有珠山頂に運んでいる。昨年の噴火は山頂部ではなく、西側山麓が中心だった。昭和新山からは有珠山のちょうど反対側の位置である。いずれにしても、あの噴火で地元の観光産業は大打撃を受けたはずだが、少しは立ち直りつつあるのだろうか。
 噴火亭という名のレストランでカツカレーを食べて空腹を満たし、有珠山の噴火活動を記録した写真の展示を眺めたりして、15時に昭和新山をあとに洞爺湖へ向かう。一時的に霧雨が降ったが、大したことはない。現在の気温は20度。
洞爺湖が見えてきた
     洞爺湖

 急坂を一気に下ると洞爺湖の湖面が見えてきた。ミンミンゼミの声がする。ちなみに洞爺湖も火山の噴火で出来たほぼ円形のカルデラ湖で、湖水の真ん中に中央火口丘が今は緑の島となって浮かんでいる。

 洞爺湖は高校時代に1度だけ訪れている。まだ健在だった胆振線の壮瞥駅から洞爺湖温泉まで2時間ほどかけて歩き、帰りはバスで室蘭本線の洞爺駅へ出たのだった。当時も観光地化されすぎて、あまり面白みのない湖だという印象を受けたが、それは今回もあまり変わらない。

街の背後で噴煙が上がる 有珠山の麓、洞爺湖の南岸に位置する洞爺湖温泉街には巨大な旅館やホテルが立ち並び、ラーメン屋や寿司屋、スナック、100円ショップ、ストリップ小屋、それに梅宮辰夫の漬物屋などが軒を連ね、噴火に備えた「避難路」の新しい標識が目につくほかは一見何事もなかったかのような佇まいだが、活気はない。噴火の後遺症もあるだろうし、深刻な不況のせいでもあるだろう。
 そして、温泉街を西へ抜けたところで、にわかに様相が変わった。街の背後で数か所から勢いよく白い噴煙が上がっているのだ。その一帯だけ火山灰に覆われて緑がなく、周囲の木々も枯れたのか焼けたのか裸のままだ。洞爺駅方面へ通じる国道も分断され、開通の目途さえ立たない様子。それにしても、噴火口と街があまりに近いのに驚かされる。この新噴火口を見物するための遊歩道が早くも整備され、観光客の人気を集めているという話はあとで知った。

 今夜は温泉街で宿を探すことも考えたが、まだ早いので、湖岸でしばらく休憩した後、さらに湖畔の道を時計回りに北へ進む。
 温泉街を過ぎてしまえば人家も少なく、湖水に沿って右に左にカーブしながら林の中を続く気持ちのよい道で、洞爺湖も悪くないな、と思う。
 虻田町から洞爺村に入り、洞爺湖の北岸まで来ると湖畔に村営のキャンプ場があった。家族連れなどがすでにテントを張っている。今日はここに泊まろう。天気もこのまま回復するようだ。ここまで室蘭から65キロ。時刻は1645分。
 およそ8キロ離れた対岸に洞爺湖温泉街とその背後に濛々と立ち昇る噴煙が見える。温泉街では毎晩花火を打ち上げるというから、それも見物できるだろう。
 テントを設営後、キャンプ場に近い高台にある村営の温泉施設「いこいの家」にて360円で入浴。さっぱりしてから館内の食堂で夕方のニュースを見ながらピラフを食べる。天候不順と低温のせいで北海道の海水浴場はどこも人出が少なく、また家電販売店ではエアコンなどの売れ行きも悪いという。思えば、去年の北海道は記録的な猛暑だった。
 夜になるとキャンプ場は賑わいを増し、9時頃、対岸で光と音のずれた花火がいくつも上がった。
 今日の走行距離は72.8キロ。明日は日本海をめざす。


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