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 東京〜大洗 2001年8月7日

 東京から北海道自転車ツーリングに出かける場合、すべて自走で行く、飛行機や鉄道で輪行、フェリーで行く、といったパターンが考えられます。僕は往路はすべてフェリーを利用しましたが、かつて運航されていた東京発の北海道行きフェリー(東京〜釧路、東京〜苫小牧)はすべて廃止されてしまいました。現在、北海道行きフェリーの出発地で東京に一番近いのは茨城県の大洗港です。その大洗までどうやって行くか。これも自走と輪行が考えられますが、僕は3回、自走で行きました。ここでご紹介するのはそのうち2001年の旅です。東京から大洗方面へ行く場合、最短経路は国道6号線経由だと思いますが、この道は自動車優先の構造になっていて走りにくい印象があるので、僕はあえて遠回りをしています。

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連日の猛暑がようやく一段落して、暦の上でも今日は立秋である。それに相応しく、けさの東京はいくらか涼しい。気温23度。予報によれば、今日は曇りで、時々雨もぱらつくといい、予想最高気温は27度とのこと。これから自転車で長い旅に出ようとする者には有り難い天候である。

今年で5回目になる夏の北海道自転車旅行。往路はまたも茨城県の大洗からフェリーを利用する。毎度の問題は東京から大洗までの移動をどうするかで、鉄道利用も考えたが、キャンプ道具一式を含む大荷物に、分解・袋詰めした自転車まで担いで電車に乗ることを思うと気が重い。何より、それだけの荷物をどうしたら持ち運べるのか見当がつかない。直前まであれこれ悩んだが、幸いにも出発当日は曇りで涼しいとの予報をみて、またまた150キロの道のりを自走で行くことにした。結局、これが一番気楽なのだ。

 早朝5時半に世田谷の自宅を出発し、新宿を経て、6時半に水道橋駅前を通過。上野から国道4号線に入り、8時には埼玉県の草加市までやってきた。
 8時10分、草加市内を流れる綾瀬川の岸辺の公園で15分の休憩。コンビニで買ったサンドイッチの朝食。ついでに自転車のタイヤに空気を補充。散歩をする人が次々と通る。都会では大荷物を積んだ旅の自転車はかなり浮いた存在である。奇異なものを見るような視線を感じる。

 越谷まで日光街道の旧道を北上し、県道の「越谷野田線」に入る。毎度おなじみのルート。本当は国道6号線経由が近道だが、あの道は自動車優先の構造で走りにくい印象があるので、あえて遠回りをしている。
 松伏町の古利根川が寄り添うあたりになぜか数羽のカモメがいて、その金切り声を聞くと、一瞬、北海道の港町にいる気分になった。

9時半頃、江戸川を渡って千葉県野田市へ。ここまでで大体50キロ。猛暑だった去年はすでにこの時点で腕が日焼けで赤くなっていたが、今日はほとんど変化なし。
 東武野田線の愛宕駅前を過ぎて県道「つくば野田線」を5キロも行くと利根川にかかる芽吹大橋。このあたりは大型トラックやダンプカーばかりが轟然と行き交い、真っ黒な排気ガスと熱風に閉口する。

 茨城県岩井市に入って、矢作の交差点で右折。ここからはいつもと違う初めてのルートを選んでみた。地図によれば、土浦方面へはこっちの方が近道のようだ。
 菅生沼の南側を横切り、相変わらず大型車に神経をつかいながら黙々とペダルを踏む。気温はほとんど上がっていないが、走行ペースも上がらない。体調が良くないのか、体が重い。フェリーの大洗出港は深夜なので、急ぐ必要はないが、少し不安になる。
 田圃や雑木林の広がる中、見知らぬ土地の見知らぬ道を、あまり頼りにならない自分の体力だけを頼りにゆっくり走る。地図の上では近道でも、実際に走ってみると、なかなか遠い道のりなのだった。

正午につくば市の中心市街でちょっと道に迷いつつ、国道354号線に合流。これを行けば土浦だ。
 1310分、土浦市役所前の亀城公園で休憩。ここまで92.5キロ。気温は23.5度。相変わらず8月とは思えぬ涼しさだ。空は真っ白だが、雨が落ちてくる気配はない。

 土浦からはまた初めての道。大洗までの最短経路と思しきルートである。
 いきなり土浦市内でまた道に迷ったが、勘を頼りに進み、コカコーラ工場の前に出たところで地図と照合して道を間違えたことが判明した。まぁ、現在位置さえ分かれば、問題はない。道に迷うのも旅の楽しみのうちだ。
 1420分、なんとか当面の目標だった常磐線の神立駅(土浦の北隣)の前に出て、踏切を渡り、ホットスパー(茨城県に多いコンビニ)でアイスを買って一休み。
 ここからは何度も地図を確認しながら走る。この先は幹線道路から外れたローカルな道ばかりで、一度迷ったら、どこにいるのかさっぱり分からなくなりそうだ。
 走り出してすぐにタヌキの死骸を発見。車に轢かれたのだろう。不当な死に抗議するかのように牙をむき、手足を突っ張ったまま、硬直していた。

 二十三夜塔や馬頭観音などの石塔が点在する農村地帯の小道を進み、台地から低湿地に下ると石岡市高浜。霞ヶ浦最北部の水面がちらりと見えた。
 玉里村を縦断し、1540分に鹿島鉄道の常陸小川駅の西側を横切り、県道144号線を北東に進む。
 
16時に小川町営プールの敷地のベンチで10分休憩。すっかり疲れ果てて、ぐったり。プール帰りの子供たちがこちらをちらちら見ながら通り過ぎていく。

 1635分、巴川を渡って小川町から茨城町に入った。近くの百里基地を飛び立った自衛隊機が灰色の空を横切り、あとから爆音が追いかけていく。夕方が近づき、鬱蒼とした杉林の奥でヒグラシが盛んに鳴き出した。
 交通量も少なく寂しい農道をひた走り、茨城町城之内で県道50号線に出会う。ここまで来ればもう迷うことはない。
 1707分に海老沢の交差点を右折。涸沼の南側をアップダウンの繰り返しで進む。道路の真ん中でまたタヌキが死んでいた。

 1735分に鹿島臨海鉄道の涸沼駅前を通過。もうあと5キロで大洗の海だ。
 最後の上り坂の途中で3匹目のタヌキの死骸を発見。一部白骨化している。毎日、どれだけのタヌキがクルマの犠牲になっているのだろう。
 昨年涸沼の彼方に沈む夕日を見た地点を今日はそれより1時間早い1740分に通り過ぎて、丘陵地帯を抜け、いよいよ最後の下りにかかる。

大洗港に停泊中の「ばるな」 1805分、ついに太平洋が視界に広がった。大洗港には今夜乗る室蘭行きの東日本フェリー「ばるな」の姿も見える。茨城県を代表するマリンリゾートだが、今日の大洗海岸は波が荒く、閑散としている。日本列島の南の海上に台風9号があるせいだろう。
 1815分、大洗温泉「ゆっくら健康館」の駐車場に自転車を止める。やれやれ無事到着。
 東京から144キロ。短絡ルートのおかげで、過去2回よりは10キロほど少なくて済んだ。しかも、気温が低かったのに、そのわりには疲れた。クタクタだ。
 とりあえず、温泉でゆっくりとサイクリングの汗を流し、心身をリフレッシュ。

 館内の食堂で空腹を満たし、近所のコンビニでパンや紅茶のペットボトルやバナナなど船内用の食料を買い込んで、2020分にフェリーターミナルに到着。すでに自家用車やバイクで来た乗船客が大勢集まっていた。
 さっそく乗船名簿に必要事項を記入し、乗船手続き。室蘭までの2等運賃と自転車の航送料金は合計8,200円で、これはすでに銀行振込で支払い済み。
 乗船開始は22時前。自転車は僕のほかにママチャリの女の子2名。結局、本日の走行距離は147.1キロだった。
 車両甲板の片隅に愛車を残し、階上の客室へ。豪華客船には及ぶべくもないが、僕には十分にデラックスで、これから始まる船旅を思うとワクワクする。
 割り当てられたカーペット敷きの大部屋に荷物を置き、船内を探検。レストランやバー、マリンシアター、ゲームコーナー、展望浴場、売店など設備も充実している。

 出航予定時刻は2330分だったが、貨物の積み込みに時間がかかり、結局、大洗港の岸壁を離れたのは日付が変わった0時05分だった。35分遅れての旅立ち。遠ざかる街の明かりを甲板から眺める時の少ししんみりした気分が好きである。
 防波堤の突端で明滅する灯台の間をすり抜けて港を出ると、すぐに外海なので、早くも船が揺れ出した。
『本日、低気圧の影響で横揺れいたしております』
 とのアナウンスが流れる。この航路でこんなことは初めてだが、驚くほどではない。昔乗った冬の青函連絡船はもっと揺れた。
 室蘭到着は1845分の予定。飛行機ならあっという間の北海道だが、本当は遥か遠い土地なのである。

   直江津からの「れいんぼうらぶ」が先着している。

  三陸沖で朝を迎える           16時25分頃、北海道恵山岬通過      18時45分、室蘭入港。霧雨、16℃。


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