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浜小清水〜網走〜サロマ湖 1997年8月

   今日の走行ルート:浜小清水〜網走〜能取岬〜湧網線廃線跡〜常呂〜キムアネップ岬(104.5キロ)

 網走で網走刑務所、オホーツク水族館、能取岬に立ち寄った後、旧国鉄・湧網線跡のサイクリングロードを走り、常呂町の栄浦でサロマ湖に出ます。サロマ湖南東部のキムアネップ岬キャンプ場がゴール。

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     網走へ

 涛沸湖畔のオホーツク小清水ユースホステルを9時過ぎに出発。すっきりしない空模様。
 国道244号線を網走に向かう。ちょうど海岸線が天気の分かれ目になっていて、陸地の上空は陰鬱な雲が立ち込めているが、海上には少し青空も見える。曇天と晴天の境目を右にオホーツク海を見ながら釧網線の線路に沿って走る。網走まで20キロほどの道のり。

(北浜駅でちょっと休憩)

 砂浜で釣り人が大きな魚(マスだろうか)を釣り上げたのに気づいて自転車を停めたほかはスイスイ走って、1時間ほどで網走市街にさしかかる。
 ちょうど夏祭りをやっていて、繁華街には縁日の露店が並んでいる。売られているものは先日の根室のお祭りと全く同じで、露店商の顔ぶれも同じであるような気がした。

     網走刑務所のコスプレ・チャリダー

 とにかく網走まで自転車でやってきた。網走駅の大きな表札の前で愛車の記念写真を撮ってやり、それから網走刑務所へ行ってみる。
 駅前から網走川に沿って2キロほど行くと、橋が架かっており、その向こうがレンガ塀に囲まれた刑務所である。こんなところが観光地になるのは変なわけだが、観光客やライダー、チャリダーで大変な賑わいだ。橋の袂には土産物屋まである。
 そんな中で橋の向こうから白衣を着て聴診器をぶらさげた医者と、これも白い帽子に白衣姿の看護婦が現われた。しかし、なんか変だ。どうも嘘くさい。ニセモノだな、あれは。
 しばらく観察していると、あまりに人目を引くので、土産物屋のおばちゃんに「本当にお医者さんなの?」などと聞かれている。聞こえてきた会話によれば、彼らはいろいろな衣装を身につけて楽しみながら旅をしているということらしい。うーん、いわゆるコスプレ(コスチューム・プレイ)ってやつか。しかも、彼らはなんと自転車で旅をしているのだった。自転車旅行者にもさまざまなタイプがいるが、まさかこんな流派が存在したとは驚いた。荷物がかさばって大変だろうに。

     網走刑務所

 ニセ医者とニセ看護婦のカップルが自転車で走り出すと、追跡してみたい気もしたが、アホらしいので止めて、とりあえず、網走川を渡って刑務所の門前まで行ってみた。
 人権保護のため出所者や受刑者の撮影は禁じるという立て札があって、やっぱりここは刑務所なのだと実感するが、それにしても観光客が多い。みんなレンガ造りの門の前で無邪気に記念写真を撮って嬉しそうだ。花壇には赤いグラジオラスやサルビアが咲いて、陰気な感じはなかった。

     オホーツク水族館

 網走の街の回転寿司店で早めの昼食を済ませ、今度は能取岬方面へ自転車を走らせる。能取岬は網走市の北端に位置する岬で、駅から10キロほどの距離である。
 海沿いの道を行くうちに空がだんだん明るくなってきて、薄い青空も広がってきた。
 やがて、オホーツク水族館の前に出る。二ツ岩という景勝地のそばにあり、駐車場はほぼ満車状態。かなり混んでいるようだが、水族館好きとしては寄らぬわけにはいかない。入館料750円。
 館内には獰猛そうな顔つきのオオカミウオのほかサケやタラ、ホッケなど北海の魚が数多く展示されているが、南海の魚と違って、いかにも地味な印象の魚が多い(美味そうだけれど)。
 そんな中で観客を集めているのはラッコやゴマフアザラシ、それに「流氷の天使」の愛称を持つクリオネなど。いずれもマスメディアを通じて「かわいい」イメージが世間に流通している生き物たちである。クリオネなどは確かに小さな天使が水中を健気にはばたいているみたいで、思わず見入ってしまう。でも、こいつらはこのちょっと不思議なネーミングで得をしている面も多分にあるのではないか。クリオネは巻貝の一種なのに殻を持たず、和名をハダカカメガイというが、こんな身もフタもない名前では情報メディアにも乗りにくいし、やはり「クリオネ」である点がミソなのだろう。
 ここにはまた毛ガニやタラバガニの水槽もある。我々にとってカニといえば食欲の対象でしかないけれど、彼らだってべつにグルメなニッポン人の胃袋を満たすために生まれてくるわけではないのだ。そんな当たり前のことを改めて考えながら、やっぱり美味そうだな、と思う。

     能取岬

 オホーツク水族館から能取岬までは海辺を離れて山林や牧草地の中を行く。
 岬が近づくにつれて、天気はどんどん良くなって、夏の陽射しが戻り、空の青さも木々の緑も輝きを増し、額に汗がじんわり滲んでくる。セミも盛んに鳴いている。いくら北国といっても、やっぱり8月はこうでなくては、と思う。
 そして、ついに林が途切れると、青空の下に緑鮮やかな草原が広がり、キラキラ光る水平線をバックに黒白の縞模様の能取岬灯台が小さく見えてきた。
 あまりにも美しく爽やかな風景に心が躍り、ペダルもどんどん軽くなって、緩やかなカーブを描く道を夏色の海へ向かって一気に下る。

  

 放牧の牛や馬がのんびり草を食むなだらかな草原のはずれに立つ灯台。
 初点灯は大正6年。それまで根室の納沙布岬と稚内の宗谷岬灯台の2基しかなかったオホーツク海沿岸の航行の安全を守るために設置された灯台で、地上から頂部までの高さは20.7メートル、海面から灯火までは57.2メートル。単閃白光、毎15秒に1閃光。光達距離は20海里(約37キロ)とのこと。ここには釧路・根室地方の岬のような霧笛吹鳴装置はなく、青空がよく似合う岬である。
 緑の中にハマナスやハギ、ムラサキツメクサなど赤やピンクの花が静かに微笑むように咲いている。
 そんな岬の周囲は険しい断崖で、眼下には岩礁が透けてみえる浅い海。冬になるとアザラシがやってくるそうだが、今はいないようだった。

 (能取岬から能取湖・常呂方面を望む)

 (能取岬の牧場。牛や馬がのんびり草を食んでいる)

 (能取岬西方の海岸)


     能取湖

 さて、能取岬からは網走方面へは戻らずに岬を一周する道路をそのまま西へ進む。途端に未舗装の砂利道になって、重い荷物を積んでこんな道を走るとパンクするのではないかと不安になる。
 ここから海沿いにサロマ湖をめざすわけだが、まもなく行く手を阻むように能取湖の湖面が広がる。オホーツク海とは砂嘴によって仕切られた海跡湖で、砂嘴の切れ目で湖と海が繋がっているが、その湖口に橋はかかっておらず、対岸に行くには周囲32キロもある湖をU字形に大きく迂回しなくてはならない。
 とにかく、能取湖東岸の湿原に沿って南へ下る。さいわい、また舗装道路に戻ったのが有り難く、右は湖、左は雑木林の平坦な道で、なかなか気持ちがよい。路上に小さな甲虫、毛虫、バッタなど、やたらに虫が多い。クワガタ(ミヤマクワガタか?)のメスもいた。クワガタだけは車に轢かれないように林の中に投げ込んでやる。
 湖畔を離れ、あたりに畑が増えてくると二見ヶ岡。刈り入れの済んだ麦畑の斜面に干し草ロールがいくつも転がっている。なかなか絵になる風景だが、また陽が翳ってきた。

 (二見ヶ岡の風景)


     湧網線の廃線跡

 まもなくサイクリングロードに出会う。それが昭和62年春に廃止された旧国鉄湧網線(中湧別〜網走、89.8㎞)の線路跡であることはすぐに分かった。消えたはずの鉄道の跡がこんな形で残っているとは知らなかったが、汽車旅派あがりの自転車旅行者としてはとても嬉しい。
 網走と中湧別を結ぶ湧網線はたった1両のディーゼルカーが網走湖の北岸をかすめ、能取湖畔を半周し、オホーツク海岸に出たかと思えば、サロマ湖畔へ回り込むという風光に恵まれた森と湖の鉄路であった。何度も乗ったけれど、いずれも早春だったから、どの湖も全面結氷し、海は流氷に覆われ、白一色の取りとめのない眺めがどこまでも続いていた、という印象がある。美しくも寂しい、そんなローカル線だった。
 昔の線路の路盤とほぼ同じ幅の舗装路を、まるで列車の運転士になった気分で走り出す。左に網走と稚内を結ぶ国道238号線が並行するが、こちらは安全だし、何よりも坂に弱い鉄道の跡だけに一般道路より平坦なのが有り難い。

     卯原内

 3キロ余り走って、右側に再び能取湖が見えてくると、湖の最南部に位置する旧卯原内駅に到着。網走から13.2キロ地点の駅で、今もホームが残り、駅舎は網走市交通記念館に生まれ変わったほか、大正生まれのSL、49643号機と茶色の客車オハ47−508が保存されている。あとで調べたら、僕はこの客車に昭和56年3月26日に釧網本線の釧路〜浜小清水間で乗っていることが判明した。当時は旅先で乗った列車の車両番号をわりとこまめに記録していたので、こういうことが分かるわけだ。ちなみに、この客車は近所の商店に申し込めば300円で泊まれるらしい。
 記念館のほうは1階が休憩室で、2階に湧網線関係の資料が展示されていた。

 卯原内から10キロほどの区間は湖畔に沿って線路跡が続く。
 このあたりは湿性植物、サンゴ草の群生地で、秋になると真っ赤に色づいて湖畔を彩るそうだが、今は草原も緑一色で、ここからではどれがサンゴ草なのか判然としない。
 そんな湖畔の湿原で丹頂鶴のペアがひっそりと暮らしていた。丹頂鶴の生息域は釧路・根室地方だけかと思っていたが、こんなところにまで広がっているらしい。

     湧網線の印象

 それにしても、このあたりを走っていると、猛然と雪煙を立てて進む列車の窓から眺めた能取湖の風景が鮮明によみがえる。春先の湖はまだ凍りついたままで、雪原には点々と連なるキツネの足跡が無数に交錯していた。
 時とともに、記憶の中の風景は一点の汚れもない白一色の悲しいほどに美しい風景へと純化され、当時の列車はまるで人っ子ひとりいない世界を虚しく行き来していたような印象が残っている。
 今日も能取湖は静かな佇まいを見せ、すれ違う自転車もないまま、林や草原の中を一筋に続く線路、じゃなくて自転車道を坦々と走る。
 卯原内の次は北見平和という駅だったはずだが、完全に消滅してしまったのか駅跡は確認できなかった。

     能取駅

 卯原内から10キロほどで、能取湖の北西岸に位置する旧能取駅に着く(網走から23.1キロ地点)。ここにもホームがそのまま残り、色褪せた青い客車が1両放置されている。今度はスハフ42−510で、旅行後に調べたところ、こちらも昭和58年3月21日に根室本線の釧路発根室行き普通列車で乗車したことが判明した。
 (当時の乗車記録は こちら

     湧網線の幻影を追って

 ここから線路跡はようやく能取湖を離れて、ジャガイモ畑の中を西へカーブしながらオホーツク海に面した海岸段丘への上りにかかる。きっとこのあたりはデーゼルカーもエンジンを唸らせながら上っていったのだろう。その苦闘ぶりを想像しながら僕も力をこめてペダルを踏む。まもなく網走市から常呂町に入った。

 マラソンの練習中らしい学生2名を追い抜き、なんとなく考えごとをしながら走っていて、ふと前を見ると、いつのまにか行く手にエゾシカが2頭いるではないか。そっとブレーキをかけて停まる。距離は30メートルほど。いずれも角のないメスで、右側の茂みの中から出てきたのだろう。大きな耳をピンと立てて、じっとこちらを見ている。思わぬところで人間に出くわしたために足がすくんで身動きが取れなくなったかのようである。カメラを出して、写真を撮ると、シカはやっと呪縛が解けたかのように左側のジャガイモ畑の中に飛び込み、白い尻を見せて跳ねるように逃げていった。

 長い坂道を一直線に上っていくと、右手のジャガイモの丘の向こうにオホーツク海が見えてきた。湧網線の列車はここから次の常呂までのわずかな区間だけオホーツク海を車窓に見せてくれたのだが、流氷の季節にはそれがなかなか感動的でもあった。
 今日は海も青く、振り返れば、白波が打ち寄せる海岸線が能取岬までずっと見渡せる。ずいぶん走ってきたな、と思う。すでに太陽はだいぶ西に傾いている。

(左が常呂方面、右が能取方面)

 再び走り出してすぐ、前方に今度は小柄なキタキツネが姿を現わした。子ギツネだろうか。すぐに野原の中に逃げ込んでしまったが、自転車を停めると、草むらの中で立ち止まって、こちらの様子を窺っている。その姿が夕陽を浴びて金色に輝いて見えた。
常呂の街が見えてきた。 キツネが身を隠した草の葉のざわめきがどんどん遠ざかってしまうと、サロマ湖畔の港町・常呂へ向かってラストスパート。

     常呂

 常呂漁港に近い高台の上で線路跡は姿を消していた。自転車道は国道の歩道に合流。
 国道をしばらく進むと、眼下に常呂の街並みが広がった。雲間から光線が降りそそぎ、遠い丘の陰には鈍く輝くサロマ湖の湖面もちらりと見える。
 この旅をどうやって終わらせるかとずっと考えていて、今回はサロマ湖を北限にしておこうという気持ちがようやく固まりつつあった。その最終目的地が見えるところまでついにやってきた。
 17時頃、常呂の街はずれのセイコーマートでキャンプに備えた買い物をして、内陸部へ向かう国道から分かれてサロマ湖畔の栄浦をめざす(湧網線も常呂からはサロマ湖を避けるように内陸部へ向かっていた)。

    サロマ湖・栄浦

 ついにサロマ湖が荒涼とした草原の中に姿を現わした。対岸には緑の砂丘。その向こうはオホーツク海のはず。このあたりは湖の最東部で、幅もごく狭く、かつて氷の上を歩いて渡った場所でもある。
 その細長い湖水に沿ってさらに2キロほど行くと栄浦。サロマ湖の常呂町側の漁業基地であると同時に観光の拠点でもあって、キャンプ場や民宿、旅館ばかりかリゾートホテルまで建っている。いつのまにかずいぶん立派になったものだ。

 ところで、サロマ湖はオホーツク海と砂嘴で仕切られた汽水湖で、周囲92キロは北海道最大、日本でも琵琶湖、霞ヶ浦に次いで3番目に大きな湖である。栄浦はその東北端に位置し、岸辺からはその茫洋とした湖水が一望でき、また夕陽の名所でもある。
 折りしも、空を覆う濃淡さまざまな雲の間から光が斜めに射し込み、金色に輝く湖面は神々しいほどで、大勢の観光客がホテル前の浜辺でその荘厳な夕景を眺めている。考えてみれば、今回の旅でこんな夕陽を見るのは初めてではないだろうか。

 今日はここにテントを張ろうかと思ったが、あまりの混雑ぶりに嫌気がさし、もう少し走ることにした。
 何度も泊まったサロマ湖畔ユースホステルのある浜佐呂間の少し先のキムアネップ岬とかいうところにもキャンプ場があるらしいので、とりあえず、そちらへ行ってみよう。10キロ近くはありそうだが、願わくば、夕陽にはもうしばらく沈まずに持ちこたえてほしい。
 日没までに岬のキャンプ場に着くべく湖畔の道を急いでいると、左側の林に「熊出没注意」の標識。こんなところでも熊が出るのだろうか。ヒグマは日の出や日没の前後に活発に活動するそうである。

     浜佐呂間

 いったん湖畔を離れ、再び国道238号線に合流。畑作地帯を行くと、すぐに常呂町から佐呂間町に入り、栄浦から6キロほどで浜佐呂間の集落にさしかかる。
 ここにはかつて湧網線浜佐呂間駅があり、ユースホステルへの最寄り駅であった。しかし、線路跡も駅もどこかに消えてしまい、眼前の風景が記憶の中の風景とどうにも結びつかず、集落の中で方向が分からなくなった。道に迷って世界が突然よそよそしくなった時の孤独感にこそ旅の魔術的な魅力があるとは思うが、気がつけば、いつのまにか夕闇が忍び寄っていて、少し不安な気分にもなる。
 しかし、それも束の間のことで、佐呂間別川の岸辺に行き当たったところで、やっと記憶と現在の風景が一致。そうそう、この川を渡るのだった。橋の向こうに道道858号「キムアネップ岬・浜佐呂間線」が見つかれば、あとは一本道だ。
 再び渺々としたサロマ湖の岸辺に出て、まもなく懐かしいユースホステル前を通過。窓のあかりを見ると、妙に人恋しくなったが、そのまま通過。
 光を失いつつある湖面を横目に獣が出そうな林間の道を走り抜け、寂しげな湿原が広がると、やがて「網走国定公園サロマ湖キムアネップ岬キャンプ場・これより先200M」の看板が見えてきた。すでに18時半に近く、太陽は没した後で、西空の雲にわずかに残照がさしているばかり。サロマ湖の落日を見届けたかったが、間に合わなかった。

     キムアネップ岬

 キムアネップ岬はサロマ湖南東部の小さな岬で、あたりは瀟条とした草原になっている。こんなところに人がいるのだろうかと訝りながら自転車を走らせると、行き着いたキャンプ場には予想以上にたくさんのテントが並び、家族連れがあちこちでアウトドアクッキングにいそしんでいた。バイクや自転車も多いようで、駐車場にテントを張っている人もいたから満員なのかと焦ったが、奥の方、つまり岬の先端近くには一人分のテントを張る余地はいくらでも残っていた。栄浦のキャンプ場は有料だったが、ここは無料なのが嬉しい。

 湖畔の草地に今宵の宿を設営し、常呂で買った弁当を食べてしまえば、あとはもうすることもない。星空が見えるだろうかと外に出てみたが、やはり雲が多いのか、星はほとんどなく、対岸には、あれほど賑わっていた栄浦の夜景が意外に寂しい感じで瞬いているのが遠く見えた。
 今日の走行距離は104.5キロ。


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