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飯泉観音、大雄山と足柄峠 2006年3月5日
小田急線で小田原の1つ手前の足柄駅で下車。誰もいない駅前で自転車を組み立て、11時過ぎに走り出す。
今日の目的はまず
坂東三十三観音霊場
の第5番札所、飯泉観音・勝福寺(小田原市)を訪ねてから、大雄山・最乗寺(南足柄市)にも参拝して、その後、足柄峠を越えようと考えている。出発が遅かったので、ちょっと忙しくなるかもしれない。
さて、足柄駅をあとに伊豆箱根鉄道大雄山線の踏切を渡り、すぐ国道255号線に出る。すぐに渡るのが酒匂川にかかる飯泉橋。山並みの向こうに真っ白な富士山が見える。
橋を渡ると、すぐ左折して、道なりに行けば、あっというまにめざす勝福寺に着いた。
飯泉観音
飯泉山勝福寺。真言宗の古刹で、唐の高僧・鑑真和上が招来した観音像を孝謙天皇に献上し、それを下賜された、あの道鏡が下野国に下る途中、この地に安置したのが始まりだという(当初はここから北東に2、3キロの千代という土地にあったが、その後、本尊のお告げにより、現在の位置に移されたそうだ)。
朱塗りの仁王門をくぐると、まずは青銅製で船首が竜の姿をした船形の水鉢が目を引く。船尾には仏様をのせていて、花が供えられている。
手を清めてから本堂を参拝。本尊の十一面観音像は秘仏で、33年ごとに開帳されるという。
境内には二宮金次郎(尊徳)の像もある。あの薪を背負って本を読んでいる像ではなく、本堂に向かってひざまずいて手を合わせている姿。二宮尊徳生誕の地もここから近い。
ほかに県の天然記念物の大イチョウを見上げたりしてから、御朱印をいただき、お寺をあとにまた走り出す。
大雄山へ
再び酒匂川を渡り、県道74号線を北へ走る。大雄山線とほぼ並行していて、ローカル線の小駅のたたずまいなど眺めながら快調に飛ばす。道も平坦で、走りやすい。まもなく小田原市から南足柄市に入った。
10キロほどで南足柄市の中心部の関本に着いた。大雄山線の終点・大雄山駅もここにあり、その駅前に熊にまたがった金太郎の銅像があった。時刻は12時。
ここから大雄山・最乗寺までは3キロ余り。酒匂川の支流・狩川を渡ると、すぐに上り坂となる。しかも、かなりの急勾配。思っていたより大変そうだ。たちまち額から汗が流れ出す。ちなみにいま上っているのは箱根外輪山の北東斜面ということになる。
1キロほど上ると、仁王門が現われた。ここから先は境内で、鬱蒼とした杉並木となる。花粉症の人にはつらい道かもしれない。
急坂の連続でヘロヘロになりながら、ようやくバスの終点である道了尊停留所に着く。売店が並び、観光地っぽい。さらに少し上ると、駐車場があり、そこに自転車を止めた。
天狗の道了尊
1394年に開かれた大雄山最乗寺は鬱蒼とした山林の中に広がる曹洞宗の巨刹で、福井の永平寺、横浜市鶴見の総持寺に次ぐ格式を持つ大道場だそうだ。
石段を登って、門をくぐると、ぐるりと伽藍に囲まれた広場に出た。そこだけ、陽射しが明るく、山上の別天地といった雰囲気。予想を遥かに上回る立派なお寺で、老若男女、参拝者も多い。
開山の了庵慧明禅師の弟子で、この寺院の創建に五百人分の働きで貢献したという道了尊は師の了庵が亡くなると、みずから大天狗となって山中深くに身を隠し、以来、当山の守護となったのだという。そのため、境内には天狗の下駄がたくさん奉納されている。バス停の名がそうだったように、「道了尊」はこのお寺の通称にもなっているのだ。
本尊の釈迦牟尼仏を安置する本堂をはじめ、道了尊を天狗として祀る御真殿、清瀧不動尊と天佑不動尊、愛染明王を祀る不動堂(関東三十六不動霊場の第二番)、三面大黒天を祀る大黒堂などを拝みつつ、どんどん登っていくと、かなり疲れた頃に長くて急な石段が現われた(右写真)。両脇に大天狗と烏天狗の像が立つ登り口に賽銭箱があるのは、ここで引き返す人のためのものだろう。このあと峠越えが待っていることを思えば、僕もあまり体力を消耗したくないのだが、最後まで頑張ろう。
ヘトヘトになってなんとか奥の院にまで辿りついた。あとで地図で確認すると、標高が400メートル以上はあり、麓の仁王門との標高差も300メートル余りあるのだった。高齢の参拝者にはかなりキツイ寺ではある。
足柄峠への道
おにぎりの昼食を済ませて、自転車に戻る。途中でミソサザイの声を聞いた。
さて、いよいよ足柄峠をめざすわけだが、ここから峠に道路が直接つながっているわけではない。麓の関本を起点にすると、道了尊は南西方向で、足柄峠への道は北西方向に伸びているので、いったん麓まで下って、改めて上りなおさねばならないのだ。足柄峠の標高は759メートルと記憶しているが、せっかく300メートルぐらいまで自転車で上ってきたのに、また振り出しに戻ってしまうのは、悲しすぎる。 短絡ルートがないものかと、地図を見直すと、あった。しばらく下って左折して北上すれば、関本から足柄峠への道に出られそうだ。
とにかく、来た道を途中まで下るが、、これが結構怖い。道幅は狭く、急勾配、急カーブの連続で対向車も来る。重力に任せれば時速は軽く50キロを超えてしまうが、実際はほとんどブレーキをかけっぱなしだった。
2キロほど下った仁王門の前が左折地点だった。
南足柄広域農道の標識がある新しい2車線道路で、山腹を巻くように続く明るい道である。交通量もきわめて少ない。しかし、アップダウンが激しく、せっかく上っても、すぐまたダーッと下ったりで、なんだかもどかしい。
そんな調子で6キロほど走ったろうか、ようやく関本から足柄峠を経て御殿場方面へ抜ける県道78号線にぶつかった。苅野という土地である。
ところで、足柄峠である。箱根カルデラを取り巻く外輪山の北端にそびえる金時山(1,213m)の北方に位置する759メートルの峠で、神奈川県と静岡県の境界となっている。
言うまでもなく、また延々と上り坂である。
酒匂川の支流の狩川の谷に沿った日当たりのよい道をどこまでも上っていく。
昔、関所があったという矢倉沢で山北方面へ抜ける道を右に分岐して、さらに上る。さすがにキツイ。額から流れる汗を拭いながら、とにかく、重いペダルを踏み続ける。
やがて、地蔵堂トンネルという僕の地図にはない新しいトンネルが現われ、これをくぐると、まもなく地蔵堂の集落がある。関本からのバスの終点で、ここには名前の通り、木造地蔵菩薩像が祀られたお堂があるそうだが、どうやらこの区間は新ルートが建設されたらしく、バス停も地蔵堂も脇道に逸れたところにあるようだ。わざわざ立ち寄る気力はなかった。
標高がだいぶ高くなって、日陰にはほんのわずかながら雪も残っていた。しかし、それも今日か明日には消えてしまうに違いない。ここまで上ってきても、寒さはまったく感じず、汗が止めどなく流れる。
やがて、道は幅が狭まり、曲がりくねってきた。勾配もますます急になって、「12%」とか「13%」、さらには「14%」などという標識が現われる。ヘアピンカーブでは内側ほど勾配がキツイので、比較的緩やかな外側を回るようにする。
見上げた先にあずまやが見えてきて、そこが峠かと思ったら、見晴台というバス停があった。ここでしばらく休憩。眼下に足柄平野が広がり、遠く霞んだ相模湾まで望まれる。
この区間には足柄古道というのが県道を縫うように続いている。奈良時代に東国と西国を結ぶ官道として整備された道で、万葉集にも詠われているそうだ。坂東三十三ヶ所など、関東地方を指す「坂東」という言葉は足柄峠の東側を意味しているのである。その後、平安初期に富士山の噴火によって道がふさがれ、代わりに開かれた箱根越えの道にメインルートの地位は譲ったものの、その後も裏街道として利用されたという。
足柄峠
見晴台から1キロほどで、ついに足柄峠に着いた。苅野から8キロ、時刻は15時。
一帯は万葉公園として整備され、万葉集の歌碑などがある。土曜・休日にかぎり、ここまで少数ながらバスの便があるらしい。ハイキングのおばさん3人連れがいる。
木立の間から霞んで見える富士山や眼下の足柄平野、箱根連山などの眺望を楽しみ、下りにかかる。
すぐ足柄明神跡の標識があったので、自転車を止めて、立ち寄ってみた。このあたりは鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の建武政府に叛旗を翻した足利尊氏の軍勢が新田義貞を総大将とする朝廷軍を破った、いわゆる箱根竹之下の古戦場である。鎌倉を出た足利軍は相模の側から足柄峠を越え、駿河側の竹之下で宿営していた新田勢に襲いかかったのだ。合戦では足柄明神も炎に包まれたらしい。
今は小さな社があるだけの足柄明神跡を見て、自転車に戻る。神奈川県南足柄市から静岡県小山町に入り、下って上ると、また足柄峠の標識があった。標高759メートルの表示もここにある。こちらには899年に群盗の取り締まりが目的で設置されたという足柄関所跡や茶店、歓喜天(象頭人身の男女神が抱き合っている像で非公開)を祀る聖天堂がある。
さらに進むと、右上の丘が足柄城跡。戦国時代に築かれた後北条氏の出城で、豊臣秀吉の軍勢により小田原城が陥落すると、足柄城も廃城となったという。
自転車を止めて、石段を上ると、目の前にドーンと富士山。ただ、逆光気味で霞んでいる。
さて、あとはもう駿河小山の町まで延々と下るばかり。雄大に裾野を広げる富士山は丸見え状態。足柄峠を越えるなら、朝早く出発して、午前中に峠に着くようにすれば、素晴らしい絶景が楽しめるに違いない。
とにかく風景は素晴らしいけれど、下りも急勾配、急カーブの連続で、一瞬たりとも気は抜けない。
駿河小山と御殿場線の廃線トンネル
ゴルフ場の中を下り、東名高速道路の下をくぐって、峠から8キロほどで山麓の道に突き当たった。「所領」という名前のバス停がある。何やら歴史を感じさせる。目の前はJR御殿場線の線路。左が御殿場方面、右が駿河小山、松田方面。右折して、さらに坂を下っていくと、まもなく駿河小山駅前に着いた。
帰りはどこから電車に乗ってもいいが、まだ時間はあるし、この先も酒匂川の谷に沿って、ずっと下りのはずなので、松田まで行って、小田急線に乗ろうと思う。
小山の町を過ぎて、踏切を渡ると、すぐそこに御殿場線の箱根第7号トンネルがある。その現役のトンネルの横にもうひとつ、廃棄されたトンネルが口を開けている。
御殿場線は東海道本線の国府津から沼津まで箱根の北側を迂回するローカル線だが、昭和9年に伊豆半島の基部を貫く丹那トンネルが開通するまでは東海道本線の一部だった。大幹線なので線路も複線だったが、ローカル線に格下げになると、戦時中に線路が1本撤去され単線化された。廃棄されたトンネルは複線時代の名残りなのだ。御殿場線に乗ると、こうした“遺跡”を至るところで見ることができる。
小山から松田へ
御殿場線が走る酒匂川の谷には東名高速道路と国道246号線が並行している。当然、246号線を行くわけだが、交通量が多く、走りにくい。危険でもある。しかし、あちこちに旧道が残っていて、そちらを選ぶと、車は少なく、しかも風情があって、おまけにずっとゆるやかな下り坂なので、とても快適に走れた。
再び神奈川県に戻って、谷峨、山北の集落に立ち寄りつつ、気分よく走って、松田の街に着き、小田急線の新松田駅前で16時35分に自転車を停めた。松田には早咲きの河津桜が咲く公園があり、ちょうど桜祭りが開かれているらしい。自転車を分解して、ホームで電車を待っていると、西日を浴びた彼方の丘の一部がピンクに染まっているのが見えた。
本日の走行距離は61.4キロ。
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