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海の道自転車紀行 1996年 夏
浅茅湾


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     竹敷

 対馬・美津島町(当時)の対馬空港近くのホテルを7時半過ぎに出発。
 雨は上がっているが、陰鬱な曇り空。まだ油断はできない。
竹敷湾 今日は浅茅湾の渡海船に乗る予定だが、最初の便が11時半発で、まだ時間があるので、まずは竹敷へ行ってみよう。鶏知の集落を西へ抜けて、すぐ北へ折れると、まもなく見えてくる海が浅茅湾の支湾のひとつ、竹敷湾である。
 竹敷は鶏知から北へ伸びるワカメのような形の半島にある集落で、かつては日本海軍の基地があった。日露戦争の日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を迎撃する水雷艇はこの竹敷港から万関瀬戸を通って出撃したのである。

 どんよりとした曇り空を映す波静かな竹敷湾も今は真珠の養殖筏が浮かぶ平和な海。沿道にはカンナや朝顔、鳳仙花、白粉花、ゼラニウム、松葉牡丹、鶏頭、コスモス、桔梗など夏から秋にかけて咲く花々があちこちで作られている。竹敷の集落には民宿もあって、こんなところで釣りでもしながらしばらく滞在するのもいいなぁ、と思う。ここが軍港だったとは信じられないが、集落のはずれには現在も海上自衛隊の施設が残っていた。

 急にまた大粒の雨が落ちてきた。露草がひっそりと咲くバス停の待合所の小屋で雨宿り。すぐに止んだが、今日もまた降ったり止んだりの一日になるらしい。

山奥の湖のような…     黒瀬

 その竹敷から急坂を上って山を越え、半島の反対側へ下ると黒瀬である。
 坂道を下るにつれて、雨上がりの緑の中に神秘の湖を思わせる水面が現われ、真っ白なボートが一艘浮かんでいる。それが海であることは明らかなのだが、そこだけ写真に撮って見せたら、誰もが山奥の湖水だと思うに違いない。
 その入江に沿って右にカーブすると、峻険な山々に抱かれた黒瀬湾の風景が広がる。浅茅湾から激しく屈曲しながら5キロほども入り込んだ細長い湾である。
 対岸にそびえるのは標高276メートルの城山。数字以上に高く険しい山で、浅茅湾一帯では最も高い山のようだ。そして、この山はその名の通り、全山が金田城(かねたのき)という古代の城址となっている。
黒瀬湾 金田城は667年に白村江の戦いで大和朝廷軍が唐・新羅の連合軍に敗れた後、外敵の侵略に備えて築かれた朝鮮式山城で、今も石塁が残り、城門跡などもあるという。対馬が古代から軍事的最前線であり、戦略上の要地であったことを物語る遺跡である。
 その城山を対岸に見上げる黒瀬は対馬の中でも最小規模の集落。ここの観音堂に奉納された仏像は新羅から伝わったものであるという。大陸と日本との狭間でこの小さな漁村はどんな歴史を秘めているのだろうか。

     通り雨

 道は黒瀬で行き止まりなので、竹敷まで引き返す。豊かな緑の中の道を走っていると、背後で木々がザワザワとざわめき始めた。雨の音だ。雨が後方から追いかけてくる。速度を上げて逃げるが、逃げ切れるはずもない。たちまちシャワーのような雨に追いつかれた。島ノ内というバス停の粗末なトタン小屋に逃げ込み、再び雨宿り。
 停留所の隣の民家の庭先で犬がこちらをじっと見ている。旅先では飼い犬によく吠えられるが、この犬は眠そうな目でただこちらを見ているだけである。犬小屋の上には猫もうずくまっているが、こちらも眠そうだ。要するにのどかな土地ということか。ツバメだけが雨の中、虫を追って盛んに飛び回っている。
 ベンチに座って、非常食として小倉で買っておいたビスケットなど齧りつつ、アスファルトの路面に弾ける無数の雨粒を眺めていると、こんな場所で通り雨をやり過ごすのも、なかなか楽しいものだと思えてきた。元来、日本は雨の国。昔から旅人たちは雨宿りをしながら旅を続けていたのだ。旅のひとコマとして、こんな時間があってもいい。

長崎行きYS-11     対馬空港

 鶏知に戻って、今度は対馬空港に行ってみる。国道から800メートルほど坂道を上っていくと、視界が開け、近代的な空港ターミナルが現われた。小高い山の上の空港である。こんな起伏の激しい場所に滑走路を設置するには相当大規模な造成工事を行ったのだろう。ここから福岡まで30分、長崎まで45分。この夏には大阪への直行便も就航したそうである(大阪便はその後廃止になったようです)。
 ターミナルビルの土産物屋をのぞき、屋上からの風景を眺め、ちょうどエアーニッポンの長崎行きYS-11が出発するので、それを見送って、空港をあとにした。

     パンク?

 
それからスーパーマーケットでまたお弁当やお茶などを仕入れて、そろそろ船の時間が迫っているので、樽ヶ浜へ急ごうとしたら、アクシデントが発生。なぜか後輪の空気が抜けている。パンクだろうか。何が原因かは不明だが、今は修理している暇がない。樽ヶ浜はすぐそこなので、とりあえず、そのまま走る。

渡海船に乗る     浅茅湾の渡海船に乗る

 
樽ヶ浜漁港には豊玉町営渡海船「ニューとよたま」が待っていた。自転車を岸壁に残して乗り込んだ船内は前寄りが通路をはさんで2畳ずつの桟敷席、あとは3人がけのシートが両側に4列ずつという座席配置。お客は僕のほかに地元のおばさんが3人と観光客らしい4人家族だけ。乗員は2人。共にサンダル履きで、ひとりはサンバイザー、もうひとりはねじり鉢巻というラフな格好をしている。

 11時30分、船は岸壁を離れた。浅茅湾最南部の樽ヶ浜から最北部の仁位浜まで浅茅湾縦断航路を45分かけて行くのである。相変わらずの曇り空で、海の色も周囲の緑も沈みがちなのが少し残念だが、それでもワクワクする。
 出航後、鉢巻の兄さんが料金を徴収して回る。仁位浜まで820円。

 まるで川のように細長い樽ヶ浜の入江を出ると、竹敷湾である。
 そもそも複雑怪奇な海岸線を持つ浅茅湾は朝鮮海峡に接する外浅茅と、仁位浅茅・濃部浅茅・竹敷の3つの支湾からなる内浅茅とに分けられ、さらにそれぞれが無数の支湾や入江や無人島を抱え込んでいる。とにかく、風景は抜群に素晴らしい。陰鬱な空模様だけが恨めしい。

浅茅湾を行く 大口瀬戸の向こうは朝鮮海峡 

 僕は観光船のつもりで乗っているが、あくまで豊玉町から鶏知、厳原方面への交通機関として豊玉町が運航している渡海船であるからスピード優先である。船はたちまちエンジン全開で水飛沫を上げながら荒っぽく疾走し始めた。
 真珠養殖筏の間を縫って竹敷の沖を通過。灯台のある無人島を左に見ながら漏斗口と呼ばれる狭い湾口を抜けると、外浅茅。それまで鏡のようにのっぺりしていた海面が急に波立ってくる。南北から伸びる2つの半島に挟まれた大口瀬戸の向こうに茫洋とした朝鮮海峡を眺めながら、外浅茅を突っ切り、今度は仁位浅茅湾に進入する。
 美しい風景が次から次へと展開し、いつまでも乗っていたくなるような航海。これで交通の便がよければ大々的に観光開発されて、海辺には巨大なホテルやリゾート施設が立ち並ぶところだが、ここには景観を破壊するものは何もない。時折、秘境めいた入江の奥に数軒の人家がひっそりと身を寄せ合っているばかりである。船はそのうち嵯峨、佐志賀、貝口、卯麦といった集落に寄っていくが、利用客がいない集落は通過した。寄港するのも実に迅速で、桟橋に接岸して、乗降が済めば、ただちに離岸。この間ほんの数秒で、また全速力で入江を出ていく。
和多都美神社の鳥居が見えてきた。
 仁位浜が近づくと、右手に森に囲まれた和多都美(わだつみ)神社が見えてくる。4人家族のお父さんが「あっ、あれだ、あれだ」と興奮気味に指差している。

     和多都美神社

 仁位川河口の桟橋に上陸すると、家族はあらかじめ呼んでいたタクシーで走り去ったが、こちらは速足で歩き始める。帰りの船は13時40分発だから1時間25分あり、その間に僕も和多都美神社まで行ってこようと思うが、神社へ至る道は川向こうで、対岸へ渡るには仁位川を800メートルほど上流まで遡らないと橋がない。この遠回りのため、神社まで片道2.5キロほども歩くことになり、しかも途中からは工事中の泥んこ道で難儀した。

 さて、小さな入江の奥に鎮まった和多都美神社は海中に鳥居が立つ美しいお宮である。海は周囲の原生林の影を映して緑色に揺らめき、浅瀬には夏草が生えている。その光景は安芸の宮島の厳島神社をずっと素朴にしたようで、苔むした鳥居など、その古色蒼然とした感じは一昨日訪れた鴨居瀬の住吉神社よりも好ましく思われた。
 すでに先の一家の姿もなく、寂寞とした神話的雰囲気に浸りつつ、祭神の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫(海神の娘)に手を合わせた。
海から続く鳥居 和多都美神社


 帰路はヒッチハイクをしようとしたが、通る車もなく、また降り出した雨の中、船着場まで歩いて戻った。船着場の待合所のベンチで弁当を食べ、再び船上の人となる。
 サンバイザーの兄さんが、どこまで行ってきたのか、と問うので、和多都美神社まで、と答えると、烏帽子岳には行かなかったのか、と言う。浅茅湾の眺望が素晴らしいそうだ。
「上見坂には登ったんですけど」
「全然違うよ」
 上見坂なんて大したことない、という口ぶりである。「豊玉町営」の人だから地元贔屓もあるだろうけれど、確かに和多都美神社の背後にそびえる烏帽子岳は仁位浅茅湾と濃部浅茅湾とに周囲をぐるりと取り巻かれているわけだから、それは素晴らしい眺めに違いない。いずれにしても、タクシーを利用しない限り、烏帽子岳に登る時間的余裕はなかった。
「ほら、こんな風に見えるんだよ」
 兄さんは観光ポスターの写真を広げて見せてくれた。

     パンク修理

 樽ヶ浜に着いたのは14時25分。相変わらず雨が降り続いている。その中、パンクの修理をしなければならない。旅先でのパンクは初めてだが、必要な道具は揃っているので心配はない。
 近くの集会所の軒下で雨を避けながら後輪のタイヤをはずす作業をしていると、旅をしているなぁ、という気分になった。面倒なので、チューブごと交換して出発。雨も止んだようだ。

     対馬での最後の夜

 さて、これで対馬の旅は大体終わりである。帰りは厳原から博多へ渡るつもりだが、厳原・博多間のフェリーは1日2往復で、今日はもう間に合わないので、厳原で一泊して、明日の朝の便に乗るつもり。
青い夜が訪れる また対馬へ来る機会があるかどうか分からないけれど、今はもうこの島が大好きになっている。名残惜しい。後ろ髪を引かれる思いで厳原への最終コースを辿る。昨日は激しい雨の中、夢中で走った道だが、改めて走ってみると、途轍もなく長くて急な上り坂があったりして、対馬のサイクリングは最後の最後までハードなのだった。

 結局、この日は厳原の手前の阿須浦に面した民宿に泊まる。海岸の崖っぷちにせり出すような宿で、部屋のベランダの真下が海である。
 藍色の闇が降りてくる頃、眼下の灯台はグリーンの光を放ち始め、港から次々と出漁していくイカ釣り船の幻想的な漁火が対馬最後の夜を印象深いものにしてくれた。


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