このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 暴風雨の別海(根室〜尾岱沼) 1997年8月

 少し長い旅をする時には雨に降られることも、ある程度覚悟しなくてはなりませんが、まさかこれほど悲惨な目に遭うとは考えてもみませんでした。“自転車旅行の悲哀”編です。


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     雨の中の出発

 屋根を打つ激しい雨音で目が覚める。嫌な予感が見事に的中してしまった。昨夜はほとんど止んでいたのに、今朝はまた相当な降り方である。ラジオの気象情報によれば、北海道のほぼ全域で大雨になっているようだ。

 今いる場所は根室の街はずれの弁当屋の物置部屋である(どうしてこんな場所で夜明かしすることになったのか、ことの顛末は こちら )。

 それにしても、どうしよう。もう一日、この街にいようか。それとも…。こういう天気の日にほかの自転車旅行者はみんなどうしているのだろう?
 しばらくは雨空を見上げて途方に暮れていたけれど、昨夜の残りのおにぎりで腹ごしらえするうちに、「よし、行ってしまえ」という方向で気持ちが固まってきた。弁当屋のおじさんはお祭りをぜひ見ていけと勧めてくれたけれど、それはもう昨日ので満足することにして、ずぶ濡れ覚悟で先へ進んでしまおう。どうしてこんな結論になるんだか自分でも不思議なのだが。
 荷物はすべてビニール袋でくるんだり、カバーを掛けたりして、雨対策には万全を期す。レインウェアの上下を着込んで、帽子の上からウェアのフードで頭をすっぽり覆う。もう外見なんて構っていられない。

 一晩の宿と食事をタダで提供してくれたおじさんにお礼の手紙を書き置いて6時半に出発。外はザアザア降りで、おじさんがいたら、こんな雨の中を出ていってどうするつもりだ、と呆れられるだろうなぁ、とは思うけれど、とにかく行こう。
 当面の目標は厚床(あっとこ)。太平洋岸を回る鉄道だと45キロもあるが、ほぼ一直線に進む国道なら30キロほどの距離である。
 出発してまもなく向こうから自転車の青年がやってきた。こんな時刻にこんな場所を走っているということは、たぶん郊外のキャンプ場を早々に撤退して根室の街へ避難しようというのだろう。こちらはこれから無人の原野へ出ていくわけで、同じように雨の中を走っていても、向こうは正気、こちらは狂気の違いがある。
 温根沼大橋を渡り、春国岱入口を過ぎると、海岸部を離れ、なおも西へ西へと向かう。ここから根室湾沿いにまっすぐ北上できれば尾岱沼までは近いのだが、風蓮湖があるためにその外周をぐるりと迂回しなくてはならない。もちろん、春国岱をつぶしてまで短絡道路を造ってほしいとは思わないから、喜んで遠回りしよう。

 右手に雨に煙る風蓮湖が広がっても景色を眺めるゆとりはない。無数の雨粒がピチピチと白く弾けるアスファルトの路面だけを見つめ、後方から接近してくる自動車の音には最大限の注意を払いつつ、水溜りを避けながら、ひたすら突っ走る。

 白鳥台パーキングの看板が見えてきた。風蓮湖の絶好の展望地らしい。とても観光する気分にはなれないけれど、とりあえず一息つきたくて立ち寄ってみる。
 早朝なのにカップルがクルマで来ていて、突然現われたズブ濡れの自転車男に驚いた様子である。あまり居心地は良くないので、建物の軒下で汗と水にまみれた頭や顔をタオルで拭いただけで、すぐ出発。

 風蓮湖が視界から消えると牧草地や原野、森林が広がる根釧台地の広漠とした風景に変わっていく。もう人家もほとんど消え、逃げ込む場所もない。激しく降りしきる雨を衝いて、とにかく走り続けるしかない。
 まぁ、いったん濡れてしまえば、あとはいくら濡れても同じ。牧場の牛だって雨を気にする風でもなく、のんびりと草を食んでいるではないか。
 ただし、猛スピードで走り去るクルマから全身に水飛沫を浴びせられた時だけはさすがにムカッときて、石でも投げつけてやりたい気分になったが、そのまま逃げられた。
 道路際にいた6頭ばかりのエゾシカの群れが森林の奥に逃げ込むのが見えたが、それでも立ち止まる気にはならず、そのまま走っていると、向こうからチャリダーが2人やってきた。
「がんばって!」
 声援に手をあげて応え、スピードを落とさずにペダルを漕ぎ続ける。

 やがて、「厚床跨線橋」の標識がある陸橋を渡る。橋下には平成元年に廃止になったJR標津線の草むした線路跡が見える。しばらく北海道に来ないうちに、ずいぶんたくさんのローカル線が消えてしまったが、これもそのうちの一つ。僕も一度だけ乗ったことがあって、春先の真っ白な丘の裾を縫って、たった1両のディーゼルカーが走っていた印象がある。

     厚床

 左側の林の向こうに根室本線の線路が現われ、厚床のほんの小さな集落にさしかかったところで、またエゾシカを1頭見かけて、まもなく厚床駅前に到着。ここまでちょうど30キロ。時刻は8時10分になっている。もう1時間半以上も走ってしまったのか。白鳥台を除けばノンストップ。無我夢中だったので、そんなに走った気がしない。ちなみにここはまだ根室市内である。
 記憶ではちっぽけな木造駅舎だった厚床駅はいつのまにか真新しい三角屋根の白い駅舎に生まれ変わっていた。待合室には列車を待つ人々の姿も見える。少し中で休憩したいが、さすがにびしょ濡れのままでは入りにくいので、やむなく駅前バス乗り場の屋根つきベンチで小休止。露出した顔や手はもちろん、靴の中まで濡れて、走るのをやめると、却って不快感が増すようだ。

     根釧台地

 厚床に用があるわけではないから、しばらく休んだだけでまた走り出す。雨はいくらか弱まったようだが、まだ油断はできない。
 駅前の交差点で根釧国道44号線に別れを告げて、ここからは国道243号線を北へ向かう。尾岱沼まではあと50キロほど。ひたすら原野の道のはずである。
風蓮橋を渡ると別海町 厚床の集落をすぐにはずれて、あたりは再び無人の根釧台地。大きく波打つような牧草地が地平線の彼方にまで続き、天空を灰色の雲がゆっくり流れていく。なんてスケールの大きな眺めだろう。
 いつしか雨は小降りになって、遥か遠い西の空が少し明るくなってきた。ほんのわずかながら青空も覗いているようだ。意外に早く天候が回復しつつあるらしい。フードを払いのけ、帽子も脱いで、湿った風を切って、疾走する。シャーッというタイヤの摩擦音も耳に心地よい。

 厚床から5キロほどで風蓮湖にそそぐ風蓮川にかかる風蓮橋。ココア色に濁った水がゆったりと流れている。これを渡ると別海町だ。橋の袂にホルスタインのイラストをあしらった別海町の看板が立っている。
 走っても走っても牧場や森や湿原が続き、人影は全く見られない。それもそのはず、別海町は東京23区のおよそ2.3倍に相当する1,320.2平方キロという途方もなく広い面積を持ちながら、人口はわずか1万8千人たらず。散在するいくつかの集落を除けば、町域の大部分は人口密度が限りなくゼロに近い無人地帯なのだ。
 しっとりと濡れた緑の大地に散らばる白と黒の牛たち。彼方に小さくサイロが見える。遮るもののない風景の中をうねうねと続く道。これで青空が広がってくれれば、どんなに素晴らしいだろう。雨だけはどうやら上がったようだが、上空はまだ重苦しい雲に覆われている。さっきは天候回復の兆しが確かに見えたはずなのに、それも怪しくなってきた。

別海の大平原 厚床から約10キロで奥行パーキング。ここで弟子屈・美幌方面へ向かう国道243号線と標津方面の244号線が分岐する。かつて標津線に奥行臼という駅があったが、このあたりだろうか。跡地を探してみようかとも思ったが、ペダルを踏む足は止まらず、まっすぐ北へ伸びる244号線に入る。
 (奥行臼駅がほぼ原形のまま文化財として保存されているのは翌年確認済み。レポートは こちら 。) 

     
ヤウシュベツ川

 寂しげな湿原を細々と流れるのはヤウシュベツ川。この名前からピンと来るのが別海・厚岸・浜中の3町にまたがる陸上自衛隊矢臼別(やうすべつ)演習場である。これまで沖縄で実施されていたアメリカ海兵隊の実弾射撃訓練の矢臼別への一部移転が決定したことは報道で知っている。
 米軍受け入れについては、地元への経済効果を期待する声がある一方で、当然、反対運動もあって、厚岸や浜中あたりでは「海兵隊はアメリカへ帰れ!」というような立て看板をずいぶん目にした。
 基本的にこの手の問題にはすべての暗雲がすっかり晴れてスカッと青空が広がるような見事な解決策などないのだし、米軍の完全撤退が現状では困難だとすれば、米軍基地が集中する沖縄の負担を軽減するためには、どこかほかの自治体がその負担の一部を引き受けなければならない、というのは一応理解できる。
 ただ、この湿原の川の奥地に広がる原野で(それが米軍にせよ、自衛隊にせよ)無数の砲弾をぶっ放し、戦車が走り回るような光景を想像すると、人間というのは悲しい動物だなぁ、としみじみ思う。まぁ、考えてみれば、そもそも人間というのは自然から逸脱した「狂ったサル」なのだと考えた方が理解しやすいことが世の中にはたくさんあるものだ。
 ヤウシュベツ川を渡ったおかげで、しばらくは小難しい考えごとをしながら走るはめになった。

風蓮湖     風蓮湖

 やがて、右手の草原の向こうに風蓮湖の銀色の湖面が見えてきた。地図はバッグの中にしまったきりなので、今どの辺を走っているのか、よく分からないのだが、たぶん風蓮湖の最北部あたりだろう。ちょっとした駐車スペースが整備され、「別海十景・風蓮湖」の看板が立っている。絶景というにはあまりに茫洋として、つかみどころがないが、雨も止み、心にも余裕が出てきて、しばし小休止。ほかにもクルマがやってきて、旅行者風の男性が風景の写真を一枚撮って走り去った。

     本別海

 奥行から13キロほどで本別海。風蓮湖の北側、西別川河口にある根室海峡に面した集落である。
 ここから南へ風蓮湖と海を隔てる砂州が伸びて、ちょうど根室側の春国岱と対峙している。春国岱は自然の聖域だが、別海側は砂州の先端まで道が通じ、途中には走古丹という集落もあるらしい。どんなところか興味が湧くが、本別海に入る寸前からまた大粒の雨が落ちてきて、たちまち本降りになった。海が近いせいか、急に風も強くなってきた。
 集落の中心部に「町営バス待合所」というのがあった。これ幸いと雨宿りしようとしたら、扉には鍵が掛かっている。今日は日曜日で、時刻表を見るとバスは運休らしい。あまりに立派な待合所なので、開放しておくとビンボー旅行者にとって格好の宿になるのは確実。僕も一目見て、ここなら泊まれそうだ、と思ったほどである。それでたぶん夜間やバスの運休日は施錠しているに違いない。
 というわけで、仕方なく待合所のそばのシャッターが下りたままの商店の軒下で雨宿り。
 自動販売機があるので缶コーヒーでも飲もうと思ったら、財布の中に小銭がなくて買えない。
 人口の少ない別海町の中ではそれなりの規模をもった集落だが、時折、クルマが通る以外に人の姿もない。まるで自分ひとりが雨に降られているような気持ちになって、重い荷物を積んだまま濡れている愛車までがとても健気でいじらしく思えてくる。なんだか自分でも信じられないぐらい遠いところにまで自転車に乗ってきてしまったなぁ、と思う。さぁ、走るか。

     暴風雨

 本別海をあとにしてすぐ天候はほとんど悲惨ともいえる状況になった。
 この先はずっと根室海峡沿いで、海辺に出た途端に凄まじい向かい風。しかも、雨は叩きつけるような土砂降りとなり、それが風と共に正面から吹きつけてくる。まるで台風みたいな暴風雨。荒れる海は陰鬱な鉛色で、無数の白波を立てて浜辺を襲っている。
 あまりの風と雨でまともに前を見ることもできず、いくらペダルを踏んでもスピードが出ない。これまでの自転車経験で最悪の天候である。右に荒れ狂う海、左に寂しい原野が続くばかりの風景までがとても冷淡なものに感じられる。
 本別海の集落が遠ざかるにつれて、自分がまるで逃げ場がなくて、どうにも救いようのない方向へ進んでいるのではないか、という気がしてきた。引き返そうかとも考えるのだが、自転車は主人の迷いを無視するかのように風に向かって走り続ける。
 レインウェアをバタバタとはためかせて、しばらく行くと沿道に有料トイレの看板。よし、トイレに避難だ。ようやく救われた気になったものの、行ってみると、なぜかここも閉鎖されている。なんだよ、まったく…。怒っても仕方がないが、もう身も心も休むつもりになっている。
 というわけで、海辺の原野にポツンと立つトイレの軒下でまた雨宿り。軒といっても幅は狭いし、雨が横殴りに降っているので、自転車と一緒に風下側の壁にへばりついて、じっとしているしかない。なんとも惨めな状況である。
 
 それにしても、こんな目に遭うとは思わなかった。自転車は列車やクルマのような文明の殻に保護された移動手段とは違うのだと痛感する。
 自転車で旅をしていると、自然の穏やかな優しさと直に触れ合う喜びを味わえる反面、今日みたいにその厳しさに無防備に晒されてしまうこともある。まぁ、旅とは本来そういうものなのだろうけれど、それにしても、ひどいことになった。

 とにかく、ただ無為に時間を過ごしていると、女性ばかり3人のクルマが駐車場に乗り入れてきた。車内からこちらの様子を窺う表情がフロントガラス越しに見えて、女子トイレ側に立っている僕としてはなんだか気まずい。トイレが閉まっていると分かると、クルマはすぐに走り去ったが、彼女たちの目に僕は一体どんな奴に映っただろうか。まぁ、どうでもいいけど。

 30分ほど経った頃、マウンテンバイクの青年が水煙とともに南へ向かって走り過ぎていった。やぁ、がんばっているなぁ。彼にとってはこの強風が追い風になっているせいか、僕の存在になど気づくこともなく、一目散に走っていく。向かい風になる分だけ、こちらの方が不利ではあるが、この雨の中を走っている奴がいるのを目にして、僕もまた走ろうか、という気力が湧いてきた。どうせ雨は当分止みそうにないし、こんなところでいつまでも立ち尽くしていても埒が明かない。よし、行こう。

 意を決して、再び風雨の強い国道を北へ走り出す。なんだかもう破れかぶれという感じになってきた。着ているレインウェアの防水性能がそんなに悪くないらしいというのが、今のところ唯一の救いである。
 すぐに「別海十景・茨散沼(ばらさんとう)入口」の案内板があり、未舗装道路が左へ折れているが、迷わず通過。気軽に寄り道できるのが自転車旅行の魅力ではあるが、さすがに今日はそんな余裕もない。

     床丹

 さらに行くと、床丹(とこたん)という小さな集落にバス停小屋があった。調べてみると、鍵は掛かっていない。これこそ本物のオアシス、という気がして、再び休憩。
 自転車も中に入れて、ベンチにどっかりと腰を下ろす。ふうっ。なんとも言えない安らかな気分。さっきのトイレとは違って、ここなら何時間でもいられそうだ。
 雨宿りをしながらのサイクリングというのも意外と楽しいではないか、と調子のいいことを考えてみたりもする。
 すっかり寛いで、ラジオをつけると、甲子園の高校野球中継をやっているが、あまりにも遠い世界のことに思われる。本州は暑いのだろうか。水の浮いたアスファルトの路面をぼんやり眺めていると、サイクリングには大敵のはずのギラギラした夏の太陽が恋しくなってきた。

 さて、雨はずっと降り続くのかと思っていたら、20分ほどで風雨ともに弱まってきた。まだ安心するわけにはいかないが、今のうちにもう少し前進しよう。ちなみに現在の時刻は11時45分。めざす尾岱沼まではもうあと十数キロのはずである。
 走り出してすぐにチャリダーとすれ違った。雨の中を走る物好き同士、親しみをこめて「こんにちは」と声をかけると、すっぽり被ったフードの中からにこやかな笑みを返してきたのはどうやら女の子らしかった。

     国後島

 ところで、尾岱沼(おだいとう)である。根室半島と知床半島の中間あたりにひょろりと突き出た釣り針みたいな形の野付半島(しばしばエビが背中を丸めたような形とも形容される)に囲まれた野付湾に面した土地である。実はそれ以上の予備知識はなくて、なぜそこをめざすかといえば、単に根室から知床半島への中継地として好都合だから、というだけである。キャンプ場があって、今日はそこに泊まるつもりなので、天気が回復してもらわないと困る。

 その期待通り、雨もほぼ上がって、12時半頃、野付湾の湾口付近にそそぐ春別川の河口にまたもや白鳥台パーキングというのがあった。風蓮湖の白鳥台と同じくここも白鳥の飛来地であるらしい。もちろん、今は白鳥はいなくて、かわりにアオサギがたくさんいる。
 北方展望塔という北方領土返還運動の拠点施設があり、その玄関前には「四島への道・叫びの像」という銅像が立っている。ライダーや一般観光客の姿も見えて、売店や食堂もある。その俗っぽい雰囲気にようやく人心地がついた気がした。
 水も滴る変な男になっているので、レインウェアを脱いで館内に入り、この空模様では霞んで何も見えないだろうと思いつつも3階の展望室の望遠鏡を覗くと、意外にも野付半島の彼方に国後島が横たわっていた。山の麓に森を切り開いた牧場らしきものも見える。あの島でロシア人が暮らしているのだ。
 ここを「国境の海」と呼ぶことは日本国政府の立場に反するわけだが、現実に異国の支配下にある島を海峡の向こうに望めば、やはり「国境」という言葉が心に去来するのは仕方がない。まぁ、元を辿れば、北海道も含めてこの一帯はアイヌの人々が暮らしていた土地であって、ロシア人が侵略者であるとすれば、それは日本人(和人)も同じであるわけだが。
 それにしても、北方領土の島々をこの目で眺める時、いつも感じるのは人間というのは面倒くさい動物だなぁ、ということである。船さえあれば簡単に行き来できる距離にありながら、それができないのだから…。それでも、冷戦が終わってソビエト連邦という国家が消滅し、北海道と北方四島の間の民間レベルの交流は年々盛んになっていることを思えば、いずれはあの島へ渡れる日が来るかもしれない。なにしろ、今では根室の夏祭りでロシア人がたこ焼きを食っている時代なのである。

 さて、ちょうどお昼時だし、ここで食事を済ませていこう。もう尾岱沼まではひとっ走り。あまりにホッとして、すっかり気が緩んでしまった。とにかく、さっきまで強い風雨に晒されたトイレの軒下で途方に暮れていたことを思うと、今こうして食堂の一隅で窓の外を眺めているのが信じられない気がする。
 店の名物らしい「大漁ラーメン」を注文すると、具に毛ガニ、花咲ガニ、ホタテ貝、北海シマエビ、アサリ、サケ、ワカメがのっていて、これで840円。実に豪勢。でも、食べにくかった。

     尾岱沼

 北方展望塔をあとに、ちんたらちんたら走って、ようやく家並みが見えてくると、尾岱沼市街である。
 尾岱沼といっても、べつにそういう名前の沼があるわけではなくて、これはアイヌ語の「オタ・エトゥ」で、砂の岬、つまり野付半島のことであるらしい。
 とにかく、その尾岱沼の街に着くと、嬉しいことに温泉があった。さっそく寄ってみた。雨と汗に濡れた不快感を吹き飛ばすにはこれしかない。
 尾岱沼温泉・浜の湯という共同浴場。入浴料は340円。ナトリウム塩化物泉とアルカリ性単純泉の2つの浴槽のほか、露天風呂まであって、しかも昼間だから先客はおじさん1名だけ。まもなく完全な貸し切り状態になった。
 最高の極楽気分を存分に味わい、Tシャツも着替え、さっぱりして再び走り出す。
 尾岱沼漁港周辺には旅館やホテルが立ち並び、土産物屋の店先には野付湾名物の北海シマエビやカニ、その他の海産物が並んでいる。観光客の姿もちらほら見えるのに、陰鬱な空模様のせいか、まるで季節はずれのような寂しさが漂っていた。

     尾岱沼青少年旅行村

 国道へ出ると、ちょうど自転車のグループが走り過ぎていくところで、たぶん目的地は一緒だろうと思って、あとを追っていくと、北へ3キロほどで別海町立の尾岱沼青少年旅行村に着いた。
 周囲を林に囲まれ、野付湾に面した芝生のキャンプ場で、ここだけは結構な賑わいである。昨今のアウトドアブームを反映してか、特に家族連れが多く、カラフルな大型テントが目立つ。駐車場にも流行のRV車が並んでいる。
 霧多布や根室のキャンプ場は無料だったが、ここは有料で、管理棟で入村料とキャンプ料の合計400円を支払う。いずれにしても、宿泊費が安く上がるのはとてもありがたい。

 芝生広場にテントを張って、また街まで買い物に出かける。
 片道3キロといえば、東京ではそれなりの距離なのに、北海道だとスグソコという感じだから不思議。全くの一本道で、交差点も信号もほとんどなく、見通しもよいので、横道から車や歩行者が出てこないかと気を遣う必要もない。要するにスムーズに走れるからだろう。
 北海道各地にあるコンビニのセイコーマートが尾岱沼にもあって、そこで夕食の買い物を済ませて、キャンプ場に帰る。
 やがて、日が暮れて、海の向こうに続く野付半島の先端で灯台が光を放ち始めた。キャンプ場のあちこちで夕食の準備が始まっている。こちらはコンビニ弁当なので、夕食もあっというまに終了。
 このキャンプ場は有料だけあって、設備も充実していて、シャワールームやコインランドリーもある。着替えの荷物は極力少なめにしたので、洗濯はできる時にこまめにしておきたい。
 洗濯機の順番はすぐに回ってきたが、3台ある乾燥機はおばさん2名に占拠されていた。家族連れのグループ旅行なのか、やたらと大量に洗濯物があり、しかも、表示された残り時間が少なくなって、やっと終わりかと思うと、また百円玉を何枚も投入して、順番待ちの我々をがっかりさせ、しばらくして、さらに百円玉を追加したりする。他人のことなど全くお構いなし。ひとこと文句を言ってやろうかとも思ったが、何か言うと、ますます不愉快な気分になりそうなので、ここはこらえて出直すことにする。
 暇つぶしにキャンプ場内をぶらぶら散歩していたら、前方から小さな影が近づいてきて、犬かと思ったらキツネだった。大胆にも僕のすぐ横をすり抜けて、闇の中に姿を消したが、恐らくキャンプ場で出るゴミを漁っていたのだろう。近頃のキツネはすっかり世間ずれして、物欲しげに観光客にすり寄ってくる堕落したキツネも珍しくないそうだ。
 上空は曇ったままのようで、星は全く見えず、わずかに雲の切れ目から三日月がのぞいたものの、それもすぐに掻き消されてしまった。明日も青空は期待できないのだろうか。
 今日の走行距離は86.5キロ。明日はいよいよ知床半島だ!



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