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《ドン行自転車 屋久島行き*2002年 夏》
屋久島上陸(鹿児島〜屋久島・宮之浦)
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屋久島行きフェリー
6時にホテルを出発。桜島の上に朝日が昇っている。
屋久島行きのフェリーは桜島フェリー乗り場のすぐ隣から出る。出航時刻は8時45分だが、予約も何もしていないので、とりあえずターミナルへ出向くと、乗船券の発売は7時45分からとの掲示があった。新旧さまざまな路面電車がガタゴトと行き交う市内を自転車であてもなく走り回って時間つぶし。
7時過ぎに改めてフェリーターミナルへ行くと、すでに窓口の前に数名が1列に並んでいた。僕のあとからも人が次々とやってきて、列はどんどん伸びていく。
7時半、予定より早く窓口が開いて、乗船券の発売開始。少し遅れて隣の窓口も開くと、列のずっと後方に並んでいた人たちが、そちらに殺到するではないか。東京人の感覚からすると、マナー違反のような気がするのだが、鹿児島ではこれが普通なのだろうか。
とにかく、屋久島までの切符(2等で5,200円)を買い、自転車とともにターミナルビルの脇を通って、埠頭へ回ると航送貨物の事務所があり、そこでさらに900円を払って自転車の航送手続きをする。乗船は一般客より早い7時45分だった。
折田汽船の「フェリー屋久島2」は全長122.4メートル、総トン数3,392トン、旅客定員494名の新しくて立派な船である。これが屋久島との間を片道4時間近くかけて1日1往復しているのだ。ほかにジェットフォイル(高速船トッピー)が5往復運航されていて、こちらの方が断然速いが、料金も高く、車両航送もしていない。まぁ、フェリーでのんびり行くのが僕の好みに合っている。
カーペット敷きの2等室に荷物を置き、さっそく船内探検。とにかく、予想以上にデラックスで、うどん・そばコーナー、喫茶室、多目的ホール、カラオケ、ゲーム、売店、展望室、娯楽室などが揃い、有料ながらサウナ付きの浴場まである。客室も2等の上に1等、特等、特別室、貴賓室があるらしい。まるで長距離フェリー並みの設備だ。しかも、新しくてきれい。こんな船で夏の海を渡っていくのかと思うと嬉しくなる。
(鹿児島港と桜島)
8時45分、屋久島・宮之浦港をめざして、「フェリー屋久島2」は鹿児島本港の岸壁を静かに離れた。船には小学生の団体も乗っていて、母親たちが埠頭で手を振って見送っていた。
しばらくは鹿児島湾内なので、大隈半島と薩摩半島を左右に見ながらの航海。左舷に見上げる桜島は頂を雲に隠している。
朝食がまだなので、船内のうどん・そばコーナーで月見そばを食べる。だしは関西風で、美味い。関東だとそばを注文する人が多いが、ここでは僕のほかはみんなうどんを食べている。「そば・うどん」ではなく「うどん・そば」コーナーなのだ。
あとはほとんどの時間を海風に吹かれながら、甲板で過ごした。
(右舷前方を進む種子島行きフェリーを追い抜く)
15分先発した種子島行きフェリー(屋久島行きよりだいぶ古い)が右前方を進んでいるが、どんどん追いついて、9時20分頃、ついに追い抜いてしまう。のんびりした旅が好みだが、抜かれるよりは追い抜く方が気分はいい。石油の備蓄基地がある喜入町の沖である。左舷には昨日休憩した鹿屋港が見える。
右に小さな島(知林ヶ島)が近づくと、まもなく旅館やホテルの立ち並ぶ温泉地・指宿の沖を通過。開聞岳も見えてきた。薩摩半島の南端が近い。
右舷の陸地が尽きても、左舷にはなおも大隈半島の海岸線が徐々に険しさを増しながら続き、その末端が本土最南端の佐多岬。白い灯台が陽射しを浴びている。
(右舷に薩摩富士・開聞岳)
(左舷に本土最南端・佐多岬)
船はいよいよ鹿児島湾を抜け、見渡すかぎりの大海原へ出た。トビウオがたくさんいる。左前方には平坦な種子島が横たわり、右前方にも遠く小さな島が浮かんでいる。竹島と硫黄島らしい。
そして、船の針路、遥か前方にも大きな島がうっすらと見えてきた。屋久島だ。妙に感動する。この感動は船で渡ってこそ、だろう。
初めはうすぼんやりしていた屋久島の島影が近づくにつれて、緑の豊かさがはっきりしてきた。「洋上アルプス」の異名通りに高く険しい峰々が聳え、その上空にだけモクモクと雲が湧いている。あの山の奥で巨大なヤクスギが数千年もの年月を生き続けているのだ。
今回は島を自転車で走るだけでなく、あの山中深くに分け入って、屋久島のシンボル「縄文杉」を見てくることを一つの目標にしている。
屋久島上陸
さて、「フェリー屋久島2」は12時40分に屋久島・宮之浦港に着岸した。下船は12時50分。ついに世界遺産の島に上陸である。港には豪華客船「おりえんとびいなす」も入港していた。
自転車はもう1人いて、名前はあとで知ったのだが、K君という。彼も東京からだが、出発はなんと2ヶ月前。東京からまず北上して、北海道を一周。それから日本海側を南下して、ついにここまでやってきたのだという。無精髭のせいで、とてもワイルドな風貌になっている。僕も今回はちょっとワイルドになってみるかと旅立ち以来ずっと髭を剃らずにいるのだが、ちっともワイルドには見えない。
屋久島の概要
ここで屋久島について、一応の概要をまとめておこう。
九州の南海上に地図上ではサツマイモとジャガイモが並んでいるように見えるのが種子島と屋久島で、左(西側)のジャガイモの方が屋久島である。
ほぼ円形に近い島の周囲は132キロ、面積は503平方キロ。人口は1万3,000人ほどで、行政上は北部の上屋久町と南部の屋久町に分かれている。いま僕がいる宮之浦は上屋久町の中心集落で、島の北端から少し東寄り(時計でいえば1時の位置)にある。
島の周回道路は一周105キロ。このうち西側の地域は世界遺産に登録された無人地帯を通り、「西部林道」と呼ばれている。もちろん、自転車で一周するつもりである。
島の大部分は険しい山岳地帯で、平地は少ない。気候的には海岸部が亜熱帯なのに対し、山頂部は札幌とほぼ同じ気候で、冬は2メートルを超す積雪があるという。この間に植生の見事な垂直分布が見られるわけだ。ちなみに有名な縄文杉は標高1,300メートルほどの地点にあるそうだ。
また、屋久島といえば、雨が多いことで知られる。「ひと月に35日」とか「週に10日、雨が降る」などと言われるほどで、世界的にも屈指の多雨の島である。周辺の暖かい海で盛んに発生する水蒸気が屋久島の高い峰々にぶつかって、島の上空には絶えず雲が発達し、大量の雨を降らせるのだ。年間降水量は平地で4,000ミリ前後、山岳部では7,500ミリから1万ミリに達するという。東京の年間雨量が1,500ミリ程度だから、驚くべき数字である。今は上空に夏空が広がっているが、海上から見ても高い山々は雲をかぶっていたから、島のどこかでは雨が降っているのかもしれない。
宮之浦
さて、反時計回りに島を一周するというK君と別れ、フェリーターミナルの2階の食堂でチャーハンを食べて、僕も港をあとに走り出す。といっても、明日は宮之浦を拠点にして、縄文杉を見に行く予定なので、今夜はここでキャンプをしようと思っている。
港のすぐそばに屋久島環境文化村センターというのがあり、その入口で今度は麦わら帽子の自転車青年に会った。神奈川県から来たT君といって、彼もきょう種子島から渡ってきたばかり。種子島には2週間いたそうだ。僕も屋久島の後、種子島を縦走しようかと思っていたが、坂ばかりでキツイと聞かされ、その気持ちは一気に失せた。その分、屋久島に長く滞在した方が面白そうだ。
しばらく、彼と一緒に特にあてもないまま、宮之浦の街なかを走り回り、観光センターでキャンプ場の情報を得た後、Aコープの屋台で九州名物「しろくま」を食べる。
「しろくま」は練乳のかき氷にフルーツをのせたもので、鹿児島が発祥の地だそうだ。コンビニでもカップ入りのを売っているが、ここのはただの練乳かき氷だった。
屋台のおじさんにT君と並んで写真を撮ってもらい、また、屋久島最高峰の宮之浦岳に登るべきだとか、山の中では悪い虫に刺されないように注意すべきだとか、アドバイスされる。
宮之浦から南へ20キロほどの安房(あんぼう)へ行くというT君と別れ、僕は宮之浦のオーシャンビューキャンプ場にテントを張る。料金は2泊分で1,000円。名前の通り、目の前が太平洋で、水平線上に種子島。敷地内には真っ赤なハイビスカスがたくさん咲いている。
(オーシャンビュー・キャンプ場にテントを張る)
夕方、安房方面に4キロほどの地点にある楠川温泉へ行ってみた。渓流沿いにある小さな共同浴場で、男女別の浴室と休憩室がある。入浴料は300円。地元の人や観光客で混雑していたが、なかなかいいお湯だった。
県道沿いのショッピングセンターで晩飯用の弁当や、あすの登山に備えた食料など買って帰り、宮之浦の海岸で夕焼け空を眺めながら夕食。先刻まで港に停泊していた客船「おりえんとびいなす」はいつのまにか姿がなかった。
日が暮れると、キャンプ場の上をコウモリがたくさん飛び交う。南の島だし、ナントカオオコウモリだったらスゴイが、東京にもたくさんいるアブラコウモリと同じに見えた。実際の種類は不明。
あとは寝るだけだが、まだ8時過ぎなので、天の川の下で、友人Sに携帯メールで屋久島到着を知らせておく。Sは屋久島に来たことがあり、先日、いろいろと話を聞いたばかりなのだ。
「いいな、いいな」という返信がくる。「縄文杉は絶対見るべき」とも書いてある。彼女の話では、登山口から縄文杉まで往復10時間もかかり、とても大変だけれど、すごく感動したそうだ。
改めて言われるまでもなく、明日は縄文杉を見にいくので、4時起きだ。そろそろ寝よう、と思うのだが、テントの中というのは死ぬほど蒸し暑い。寝袋になど入っていられない。出入り口をメッシュにして、扇子でパタパタあおぎながら、睡魔の訪れをひたすら待つ。でも、なかなか来ない。
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