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《ドン行自転車屋久島行き》2002年8月
     縄文杉登山 (番外編…もちろん徒歩です)

 屋久島といえば「縄文杉」です。というわけで、今日は愛車は留守番させて、縄文杉登山にチャレンジしました。

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     宮之浦〜荒川登山口

 屋久島で迎える最初の朝は4時起床。北海道ならもう明るいが、こちらではまだ真っ暗で、空にはオリオン座が光っている。
 テントは張ったまま、大きな荷物も残して、朝食をとらずに自転車で出発。自転車は宮之浦港の入口に置いて、5時のバスに乗車。縄文杉登山の拠点となる荒川登山口へ向かう。
 バスは途中で乗客を拾いながら、だんだん明るくなるなか、南に20キロほど走って安房に着き、ここから山の中に入る。きのう知り合ったT君が乗ってくるかと思ったが、姿は見えなかった。車内はほぼ満員である。 標高が増すにつれて、眼下に太平洋が広がり、沖合に横たわる種子島の向こう側にも海面が見えてきた。その上空に昇ったばかりの太陽が輝いている。
 しばらく上ると、朝日のあたる道端にサルが群れていた。今回はすでにサルはずいぶん見ているし、屋久島にはサルとシカが多いことも知っていたので、あまり驚かないが、やはり野生動物に会うとそれなりに嬉しい。屋久島のサルはニホンザルの亜種でヤクザルといい、やや小型で体毛が長いのが特徴だそうだ。きっとこれからもあちこちで会うだろうし、シカにも会えるだろう。
 バスは鬱蒼とした山林の中に入る。南国らしい照葉樹に混じって、杉が増えてきた。屋久島で杉が生えるのは、だいたい標高500メートル以上だという。運転手さんの解説によれば、地元では樹齢千年を超えるものを「屋久杉」と呼び、それより若いものは「小杉」と呼ぶそうだ。このあたりはまだ小杉ばかりである。
 さて、ようやく荒川登山口に着いた。時刻は6時20分。運賃は1,380円だった。

     トロッコ道

 駐車場一帯はすでに登山者でごった返していて、特に女子トイレには順番待ちの行列ができている。僕もとりあえず用を足して、6時25分には歩き出す。

 スタート地点の標高は600メートルほど。ここは木材運搬用に敷設された森林軌道の拠点になっていて、しばらくは線路上を歩く。枕木の間隔と歩幅が合わず、歩きにくい。屋久島に来たことのある友人Sの話だと、これが結構長いらしく、その後に険しい登山道が待っているということだ。なにしろ往復10時間だという。
 とにかく、久しぶりの山歩き。自転車とは勝手が違うので、どんなことになるか見当がつかないが、最初から気合を入れすぎないように、楽な気持ちでのんびり歩こう。

 線路はすぐに荒川(安房川の支流)を渡って、短い素掘りのトンネルをくぐり、あとは安房川の本流を右下に見ながら細々と続く。左手の崖から湧き水が滴り落ちたりして、全体的に湿っぽい印象で、線路際にはシダが葉を広げ、頭上には木々が緑のトンネルをつくっている。途中で打ち棄てられたディーゼル機関車の残骸を見かけたが、この線路は現在も利用されているそうだ。

 ガイドに引率された一団に追いついた。「屋久島は全体が巨大な花崗岩のかたまりみたいなものです」などと説明している。こういう道は専門のガイドと一緒に歩くと、ひとりでは気づかない発見も色々あって楽しいものだ。
「後ろから人が来ましたので、ちょっと道を開けてあげてください」とガイドさん。「後ろから来た人」というのはつまり僕のことである。みんなが線路の左側に寄ってくれるので、「あ、すみません」といって、やむなくその一団を追い抜いた。
 そうやって、次々と道を譲られるので、のんびり歩くつもりだったのに、各駅停車をどんどん追い抜く急行列車みたいに進む。「元気がいいなぁ」などとおじさんのグループに感心されたりもする。

 

 やがて、線路の分岐点があった。ここは右へ分かれる線路を行く。もう一方は石塚という場所へ通じているそうだ。
 すぐに安房川にかかる鉄橋を渡る。下は渓谷で、大した高さではないものの、橋には手すりもないから、高所恐怖症の人は少し怖いかもしれない。
 左岸に渡ると、そこが小杉谷集落の跡。かつて屋久杉伐採の前進基地として栄え、最盛期には人口540人を数えたというが、昭和45年に営林署の事業所閉鎖と同時に廃村になった。ピーク時には147名もの児童生徒が学んだという小杉谷小中学校の跡地が今は登山者の休憩場所になっていて、弁当を広げている人もいる。僕も朝食はまだだが、さらに進む。

 安房川の急流を今度は左に見ながら、なおも線路上を進んでいくと、右手に白谷雲水峡に通じる登山道が分かれ、その先に小杉谷山荘の跡。ここには仮設トイレがあるが、通過。線路は途中から枕木の上に板を渡した木道が敷かれ、歩きやすくなった。

 まもなく「三代杉」。今から3,500年ほど前に芽生えた杉が樹齢2,000年ほどで倒れ、その上に生えた2代目の杉も1,000年ほどで伐採され、現在はその上におよそ500歳の3代目が聳えている。それで三代杉。

 途中でシカの足跡を発見したりして、右へ左へカーブしながら続く線路をどこまでも辿っていくと、なんと後方から列車がやってきた。いや、列車というのは正確ではないが、とにかく線路を走る緑色の小さなモーターカーがやってきて、あわてて線路脇に避けた我々登山者を追い抜いていった。本当にこの線路は現役だったのだと、ちょっと感動。
 さらに歩いていくと、先刻のモーターカーが停車していた。そこが線路の終点で、その先は崩落した橋の工事が行なわれている様子。その橋の袂から「大株歩道」という登山道が始まるのだ。時刻は815分だから、ここまでで1時間50分。まだ疲労感はない。歩道入口の道標に縄文杉まであと2時間と書いてあるが、この分だと意外に早く着きそうだ。ちなみに、この地点で標高は900メートルとのこと。

   大株歩道    

 いきなり急な木の階段から始まって、「大株歩道」はかなり険しかった。石段や階段、岩の間をよじ登り、小さな沢を渡る。表土が薄いせいか、露出した木の根も多く、足もとをよく見ていないと、つまずく。小さな平成杉を探しながら歩く。

 少し息が切れた頃、「翁杉」に出会った。初めての屋久杉。樹高23.7メートル、胸高周囲12.6メートルの巨樹で、推定樹齢2,000年という。さまざまな植物が着生し、苔に覆われ、まさに「森のおじいさん」といった風情である。
 見上げていると、いつのまにか空が曇って、ポツポツと雨が落ちてきた。屋久島に来て初めての雨。一応、レインウエアと折りたたみ傘を用意してあるが、大したことはなさそうで、実際、すぐに止んだ。
 それにしても、ハイペースで飛ばしすぎたか、少しばてた。だらしない話だが、翁杉の下で5分ほど休んだら、すぐ回復した。

     ウィルソン株

 そこから少し登ると、小杉の林に囲まれて、今度は有名な「ウィルソン株」だ。大正3年に米国の植物学者アーネスト・ウィルソンが発見した巨大な杉の切り株で、その姿は遠い昔、この場所に不時着した謎の宇宙船の残骸といった風にも見える。内部は空洞になっていて、広さが10畳分ほどもあり、そこに湧き水が流れ、神様が祀ってある。この巨大な杉が切り倒されたのは300年ほど前のことだそうだ。

 このウィルソン株にちなんで名づけられた大株歩道はさらに続く。
 あたりには杉だけでなく、さまざまな樹木がはえているが、植物に関する知識が乏しいので、名前はほとんど分からない。ただ、すべすべした赤茶色の樹皮が特徴的なヒメシャラだけはよく目についた。
 また、地形も複雑で、起伏に富み、小さな沢をいくつも渡る。湧き水もあちこちにあるので、ペットボトルの水がなくなっても、すぐ補給できるのがありがたい。

   大王杉

 やがて、目の前に「大王杉」が現われた。これもかなりの巨木である。樹高24.7メートル、胸高周囲11.1メートルで、推定樹齢は3,000年。とすれば、縄文時代から生きていることになる。一応写真を撮ろうと思うが、あまりに大きくて、ファインダーの中にうまく収まらない。写真を撮るという行為には本物は持ち帰れないけれど、せめて写真という形で持ち帰りたいという一種の所有願望みたいなものが潜んでいるように思うのだが、大王杉はそうした人間心理をあざ笑うかのように、とにかく巨大なのだった。
 大王杉からまた少し登ると、今度は登山道の左手下に「夫婦杉」が並んではえている。2本の屋久杉の枝が完全に繋がって、まるで手を取り合う夫婦のような姿なので、この名前。

     コマドリ

 いよいよ縄文杉まであと少しというところで、コマドリの声がした。鬱蒼とした森の中から突き抜けるように金属的なトレモロが響く。実は先ほどから何度か耳にしていたのだが、今度はかなり近い。というより、すぐそばだ。足を止めて、じっとしていると、いたいた! 近くの苔むした倒木の上。深山幽谷の鳥で、声を聞くことはあっても、姿はめったに見られない鳥である。貴重なチャンスなので、たまたま通りかかった3人連れにも教えてあげたが、もう姿を隠してしまった。
「いま鳴いているのがそうですか?」
 声はするが、人の気配を感じたのか、なかなか出てこない。3人連れはさほど興味がなかったようでやがて立ち去り、僕もしばらく待ってみたが諦めて、また歩き出す。


     縄文杉

 さて、ついに縄文杉に着いた。木の階段を登ると、展望台になっていて、目の前にドーンと巨大な杉が聳え立っていた。さすがにデカイ。感動する。
 とりあえず時計を見ると9時35分。スタートから3時間10分で着いてしまった。まさに朝飯前で、楽勝といえば楽勝だった。Sに自慢してやらなければ、と思う。彼女は縄文杉の周辺だけNTTドコモの携帯が通じた!と、そのことにも感動していたが、僕の携帯電話はドコモではないので、しっかり「圏外」になっていた。

 それはともかく縄文杉だ。高さ25.3メートル、胸高周囲16.4メートル。こんな数字に関係なく、森の長老と呼ぶに相応しい圧倒的存在感がある。
 数字といえば、気になるのは縄文杉の樹齢。ひところ7,200年と言われ、この驚くべき年齢によって樹木界のスーパースターになったわけだが、実はこの数字はかなり怪しいようだ。科学的な厳密さを欠く方法ではじき出された推定値である上に、屋久島は今から約6,300年前に島の北方にある海底火山の大噴火により全島が火砕流で焼き尽くされているからだ。縄文杉だけが奇跡的に生き残ったというのはどうも考えにくい。では、一体何歳なのか。その後、空洞になっている内部から木片を取り出し、考古学で用いる放射性炭素同位体による年代測定法で調べたところ2,170年という数値が得られたそうだ。これでは縄文杉ではなく弥生杉になってしまうが、実際の樹齢は謎に包まれたままだという。観光ガイドブックなどには今でも「樹齢7,200年」とか少し控えめに「7,200年という説もある」などと書かれていたりするが、それはやっぱり景気のいい数字の方が観光客に喜ばれるからだろう。
 まぁ、ゴチャゴチャ言わずに、とにかく縄文杉と向き合おう。杉の木というと真っ直ぐ天に向かって聳えているイメージがあるが、この老木はコブがいくつもあって、複雑怪奇な姿をしている。幹はライオンの顔みたいにも見える。伐採されずに生き延びたのも木材には不適格と判断されたからだろう。見上げると、他の巨樹と同様にたくさんの植物が着生し、杉なのに色々な広葉樹の葉っぱが茂っていて、一体何の木だか分からない。よく見ると、ナナカマドが早くも赤く色づいていた。

(縄文杉!)

 ところで、展望台には僕のほかにも前後して到着した数人がいて、感嘆の声をあげたり、写真を撮ったりしていたわけだが、実はほかにも、ある親子がいた。ヤクシカの母子である。縄文杉の根元の茂みの陰にじっとしていたので、初めは気がつかなかったが、子ジカが座り込み、そばで母親が寄り添うように立っている。野生のシカは北海道で飽きるほど見てきたが、ヤクシカはエゾシカよりだいぶ小柄で、本州のシカよりも小さいそうだ。どこかで会えるだろうとは思っていたが、まさか縄文杉の根元にいるとは思わなかった。

 後続集団が続々と到着し、展望台がだんだん賑わってきた。シカの親子も森の奥に姿を消し、僕は簡単な朝食を済ませ、1015分には下りにかかる。登山道は屋久島最高峰の宮之浦岳方面にさらに続いているが、宮之浦岳まで登ると山小屋で一泊しなければならないし、その準備もしていないので、来た道を引き返す。

 とにかく老若男女が次々と登ってくるので、道を譲ったり譲られたりしながら、大株歩道を下り、再び森林軌道まで下りてきた。
 線路上の木道は歩きやすく、しかも緩やかな下り勾配なので、自然にペースが上がる。もう登ってくる人もおらず、誰にも会わないまま、静かな森の中を快調に下っていく。しかし、あまりに快調すぎる。なにしろ帰りのバスは夕方までないのだ。宮之浦岳までは登らないまでも、縄文杉よりもう少し上まで行ってみてもよかったかな、と今になって悔やむ。
 やがて、仮設トイレのある小杉谷山荘跡まで来ると、そこにディーゼル機関車に牽かれた作業用トロッコが来ていた。

     楠川歩道

 さらに少し下ると、辻峠を越えて白谷雲水峡へ通じる楠川歩道が左へ分かれて険しい斜面を上っていく。白谷雲水峡も友人Sのお薦めの場所である。ただし、宮之浦からバスで行くのが普通で、こちらから山を越えていくのは恐らく健脚向きのルートだろう。少し大変かもしれないが、このまま荒川登山口に下っても時間が余るし、まだ歩き足りない気もするので思い切って行ってみよう。現在の時刻は1215分。白谷雲水峡まで2時間ほどかかるらしいが、昨日の14時頃、宮之浦で雲水峡行きのバスを見たから、その折り返し便には間に合うだろう。
 というわけで、ツクツクボウシが賑やかな、まったく人の気配のない山道を登っていく。この楠川歩道は縄文杉への道に比べると、まるで獣道のように森と一体化していて、しばしば見失いそうになるが、目印のビニールテープがあちこちに巻きつけてあるので、それを頼りに進む。途中、ヤマガラの姿を見かけた。

 さらに登ると前方にヤクシカが出てきたが、突然現われた人間に驚いた様子で、茂みの奥に逃げ込んでしまった。その場を少し行き過ぎてから振り返ると、シカは「アイツ、もう行ったかな?」といった風に茂みの陰から首を伸ばしてこちらの様子を窺っていた。

 シカはさらにもう1頭見かけたけれど、人間にはまったく会わないので、少し心細くなりかけた頃、右手の斜面上でザザザーッと音がして「何だ?!」と思ったら、目の前に青年が転げ落ちてきた。
「大丈夫ですか?!」
 上で何をしていたのか知らないが、途中で足を滑らせたらしい。
「すみません、水、ありますか?」
 あいにく僕もペットボトルが空っぽになってしまって、水場を探していたところである。青年はガッカリしたようだったが、少し行くと沢があり、彼は沢へ下りて水を手ですくって飲んでいた。湧き水もあったので僕もボトルを満たす。
 先を歩く青年のあとを追うように登っていくと、巨大な岩がせり出した「辻の岩屋」があり、ここで白谷雲水峡から来たらしい男性2人組に会い、さらに少し登ると標高979メートルの辻峠に着いた。あたりは鬱蒼として見晴らしは良くない。

     白谷雲水峡

 ここまではシカに遭遇した以外はあまり面白みのない道だったが、峠を越えて下りにかかると、まるで様子が違ってきた。
 樹木も岩も何もかもが緑豊かな苔におおわれ、至るところで湧き水が滴っている。自然石を階段状に配した道を下っていくが、この道は水の流路にもなっていて、道なのか沢なのか分からないほどだ。どうやらこのあたりが白谷雲水峡の源流部にあたるらしい。



 途中、目印のテープを見失って、道をはずれてしまったりしながらも、とにかく苔の森をどんどん下っていくと、大きな切り株や倒木がある場所で、数人のグループに出会った。ここもすべてが苔にびっしりとおおわれ、木々は枝なのか気根なのか複雑に絡み合い、ジャングルみたいな雰囲気だ。
「この辺が『もののけ姫』の舞台になった場所だよ」などという会話が聞こえてきた。へぇ、そうなのか。

 僕は『もののけ姫』という大ヒットしたアニメ映画を観ていないが、それでも断片的な映像は目にしている。確かにこんな風景が描かれていた記憶がある。うーん、なるほど。映画は観ていなくても、妙に納得してしまう。とにかく森のすべてが「緑色」という言葉ではひとくくりにできないほど色々な色に彩られ、生命のオーラを放っているのだ。世界でいちばん美しい森と言ってしまってもいいのではないか、とすら思う。この道を歩いて本当によかった。


 縄文杉と対面した時に負けないほどの感動を覚えながら、原始の森を下り、やがて白谷山荘に着く。屋久島の山中にいくつかある山小屋のひとつである。ここで少し休んで、さらに下る。
 根元が二股になった「くぐり杉」を過ぎると、道はまもなく二つに分かれる。遠回りの原生林歩道に心惹かれるが、バスの時間も気になるので、距離の短い楠川歩道をそのまま下る。

 それにしても、この道、よくできている。一歩一歩踏み出すところに絶妙に石が配置され、地形が険しいわりに歩きやすいのだ。しかも、森にすっかり溶け込んで、どう見ても観光客向けに整備された新しい遊歩道ではない。途中で知ったことだが、実はこの道、江戸時代につくられたそうである。
 当時の屋久島を支配した薩摩藩は島民に年貢として米の代わりに杉の平木を納めさせていた。平木とは屋根を葺くための板である。山中で伐採した屋久杉を加工して里に運ぶための運搬路としてつくられたのがいま歩いている楠川歩道なのである。歩きやすいのは実用的な道であったせいだろう。

 清らかな渓流を渡り、谷を左下に見ながら歩くと、やがて左へ折れる道がある。それが白谷雲水峡の散策路で、ここを左折。楠川歩道とは違って観光用に整備された新しい道である。
 すぐに吊り橋があった。橋の下は巨大な花崗岩が露出した峡谷で、水は滝のような勢いで流れ落ちている。ここが白谷雲水峡である。
 今度は峡谷を右に見ながら遊歩道を下っていくと、花崗岩の裂け目を奔流が一気に落下する滝がある。「飛流落とし」というそうだ。
 もうゴールも近いので、峡谷にせり出す大きな岩の上で休憩。あまりに清らかで魚も棲めないほど澄んだ水と涼しげな水音をのんびり楽しむ。

 バス停のある白谷広場には1415分に着いた。このあたりで標高は620メートルだそうだ。1440分発のバスがあったが、その1時間後にもう一便あるので、そちらに乗ることにした。
 岩に腰かけ、川に素足を浸してみる。水はとても冷たく、足がしびれるほどだ。魚影はまったくないが、沢蟹が1匹いた。

1540分のバスに乗り、約30分。急に睡魔が襲ってきて、ウトウトするうちに宮之浦に到着。運賃は500円で、荒川登山口に下るよりバス代の節約にもなった。
 港の近くに繋いだ愛車のもとに戻り、スーパーマーケットでアイスなど買って港の見える公園で一服。今日はのんびり山歩きを楽しんだ気分で、宮崎から鹿児島をめざして自転車で走っていた時に比べれば、なんだか楽な一日だった。夕食の買い物をしてキャンプ場に戻る。

夜、Sから「縄文杉見た?」というメールが来たので、縄文杉まで3時間10分で着き、帰りは白谷雲水峡に下りてきたことを報告しておく。「お見逸れしました」という返信が来た。
 さて、今朝は早起きしたので、早く寝ようと思うのだが、今夜も暑くて、なかなか寝られない。
 すると、すぐ隣に3人組がやってきた様子。聞こえてくる会話によれば、大阪の高校生らしく、テントはレンタル。暗闇の中、携帯電話の照明を頼りにテントの組み立てに悪戦苦闘しているようだ。
 しようがないなぁ。助けてやるか。電気式のランタンを貸し、結局、テントを張るのも手伝ってあげた。


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