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北海道自転車旅行*1998年 夏
浜小清水〜能取岬〜サロマ湖
浜小清水の海岸にあるキャンプ場。昨夜は流れ星まで見えたのに、未明にはひと雨降って、夜が明けると薄曇りであった。
テントをたたんで、7時半に出発。
(涛沸湖と北浜駅)
釧網本線とオホーツク海に沿って国道244号線を20キロも走れば網走に着くが、駅にちょっと寄っただけで、先を急ぐ。同じ最果ての都市でも、網走には根室ほどの到達感がないのは地理的に「大地の果て」という感じがしないせいだろうか。
(網走駅とオオカミウオ)
ところで、今日は能取(のとろ)岬を回ってサロマ湖まで行こうと考えている。
市街地を北へ抜けて4キロほど行くと、「二つ岩」という巨大な岩が海岸にそそり立つ景勝地で、ここにはオホーツク水族館がある。去年も寄ったが、今年もまた立ち寄って、ラッコやアザラシ、クリオネ、毛ガニ、タラバガニ、オオカミウオなどをじっくり見る。
30分ほど見学して、9時35分に出発。ここから能取岬までは海辺を離れて山林の中を行く。
上空からカッと陽が照って、周囲からはセミやキリギリスの声が聞こえてきた。
途中の農場のフェンスに「発砲注意」という物騒な掲示。作物を荒らすエゾシカを猟銃で駆除しているのだろう。地球史上最悪の有害生物の一員としては、地球上に人間より高等な知能を持つ動物がいなくてよかったとつくづく思う。
水族館から9キロで能取岬。牛や馬が放牧された広々とした草原台地をオホーツク海に向かって緩やかに下ってゆくと白と黒のだんだら模様の灯台が見えてくる。
去年は海の青さも草原の緑も輝くような鮮やかさで、いかにも夏の北海道らしい風景だった。今日もまた、と思っていたのに、いつしか薄い雲が陽射しを遮って、光の色は褪せてしまった。ちょっと残念。
雄大な草原がストンと落ちる断崖の下に広がる透き通った海を眺め、10時45分に出発。
網走方面には戻らず、岬を周遊するルートを反時計回りに辿る。
去年は未舗装区間が残っていたが、確か工事が行なわれていたから、もう完全舗装になっているだろう。そう思っていたのに、ほどなくゴツゴツの砂利道になった。重い荷物を積んだ自転車でこんな道を走ると、パンクするのではないか、と嫌な予感がする。案の定、たちまち後輪からゴツンゴツンという硬い感触が伝わってきた。今回の旅では出発日の東京都内に続いて2度目のパンクである。
オホーツク海岸に面した道端で自転車を倒立させ、後輪を外して、チューブを交換。その間にも観光客のクルマが頻繁に通る。こういう惨めな状況にはもう慣れた。旅をしている実感が湧くのはこんな時であったりもする。
自転車が復活して走行再開。
海沿いにサロマ湖をめざすわけだが、まもなく行く手を阻むように能取湖の湖面が広がる。オホーツク海とは砂嘴によって仕切られた海跡湖で、砂嘴の切れ目で海と繋がっているが、その湖口には橋がかかっておらず、対岸へ行くには周囲32キロもある湖をU字形に大きく迂回しなくてはならない。
まったく平坦な湖畔の道で、しばらくは快適なサイクリングだったが、途中でまた砂利道になり、その区間はタイヤへの負担を軽くするために自転車を押して歩いた。こういう時はタイヤの太いマウンテンバイクだったら、と思う。
なんとか難所を脱出し、能取岬から南へ15キロ。いったん湖畔を離れ、国道238号線(網走市〜稚内市)にぶつかる直前に交差する自転車道路がある。旧国鉄湧網線の廃線跡で、網走市からサロマ湖に面した常呂町までのおよそ25キロがサイクリング道路になっているのだ。
湧網線は網走と中湧別を結ぶ89.8キロの過疎ローカル線で、車窓に網走湖、能取湖、オホーツク海、サロマ湖を順番に見せてくれる風光に恵まれた路線でもあった。僕も何度か利用したが、国鉄民営化直前の1987年3月20日に廃止され、それからすでに11年が経過している。その間にレールが撤去され、線路跡が舗装され、サイクリング道路に生まれ変わっていたことは昨年の旅で初めて知ったことである。
古い地図を見ると、この交差点付近に二見中央という仮乗降場があったようだ。仮乗降場というのは駅間距離の長い区間に地元住民の要望により設置された停留所で、国鉄の中央当局からは正規の駅として認可を受けておらず、全国版の時刻表にも掲載されない日陰者のような存在だった。北海道ではかつて数多く存在し、この湧網線には11もの仮乗降場があった。大抵は踏切の脇に(つまり道路に接して)短いプラットホーム(というか乗降台)をしつらえただけ、というごく簡素なものだったから、今となっては痕跡すら残っていない。ちなみに、廃止を免れた路線の仮乗降場は民営化後に正式の駅に昇格し、ちゃんと時刻表にも掲載されるようになった。
湧網線といえば、遠い時代には蒸気機関車が客車を牽いていたそうだが、僕にとっては朱色のキハ22がたった1両で、どこまでも真っ白な雪原を走っていた印象が強い。昔の線路の路盤とほぼ同じ幅の舗装路を、まるでディーゼルカーの運転士になった気分で快走する。
3キロ余り走ると、再び能取湖が見えてきて、旧卯原内駅に到着。網走から13.2キロ地点の駅で、現在もホームがそのまま残り、駅舎は網走市交通記念館に生まれ変わったほか、構内には大正生まれの蒸気機関車49643号機が旧型客車1両と一緒に展示されている。客車のほうはオハ47-508。僕はこの車両に昭和56年3月26日に釧網本線の釧路〜浜小清水間で乗っている。どうしてそんなことが分かるかというと、元来鉄道好きだったもので、当時は旅先で乗った列車の車両番号をわりとこまめに記録していて、去年の旅の後で調べてみた結果、判明したわけである。その頃走っていた車両の多くは廃車解体の運命を辿ったはずだから、こうして生き残れたオハ47-508は運がよかったというべきだろう。
記念館のほうは1階が休憩室で、2階に湧網線関係の資料などが陳列されている。ざっと眺めた後、駅前(?)のAコープでパンを買ってきて、記念館内のベンチで食べていたら、反対方向からサイクリストがやってきた。関西の人で、フェリーで小樽に上陸後、日本海側を北上し、稚内を回って、オホーツク海側を南下してきたそうだ。今日はサロマ湖から来たとのこと。ベンチで煙草を一服して、また走り去った。
能取湖の最南部に位置する卯原内から10キロほどの区間は湖畔に沿って線路跡が続く。針路は西から徐々に北へと変わっていく。
この辺は秋になると水辺のサンゴ草群落が真っ赤に色づくことで有名な場所であるが、今は平凡な草原にしか見えない。昨夏はここで丹頂鶴のペアを見かけたが、今日は見当たらなかった。
意外に多くの自転車と出会いながら、湖畔の草原や雑木林の中を坦々と北へ進んでいたら、目の前を小型の猛禽類が横切った。こちらもびっくりしたが、やつも思わぬ場所で人間にぶつかりそうになって、慌てて避けたので、バランスを崩したといった感じで、体勢を立て直すために少し離れた木の枝に止まった。おなじみのトビよりはずっと小さいが、猛禽類については知識が足りないので、なんという種類かは不明。
卯原内の次の駅は北見平和であるが、完全に消滅してしまったのか、跡地は確認できないまま、10キロ走って能取湖の北西岸に位置する旧能取駅に到着。
ここにもホームが残り、客車が1両留置というか放置されている。今度はオハフ42-510で、こちらも昭和58年3月21日に根室本線の釧路発根室行き普通列車で乗車したことが判明している。落石駅付近でエゾシカ3頭が線路内に立ち入り、列車が立往生したのが印象深い。あの時、元気に走っていた車両が今はこんな場所で眠っている。車内は物置になっているようだ。保存状態もあまり良好とはいえず、青い車体は色褪せ、ペンキが一部剥げ落ちている。冷厳な時の流れに奇妙な感慨を覚えた。
上空はすっかり雲って、雨がポツポツと落ちてきたので、リュックサックにカバーをかけ、レインウエアも着る。雨の中でキャンプをすることになるのかと思うと、気が重い。
能取湖に別れを告げ、左にはポント沼を見ながら線路跡は左へ左へとカーブして、ジャガイモ畑がなだらかに起伏する中を上っていく。力行するキハ22の唸るようなエンジン音が聞こえてくるようだ。去年はエゾシカやキタキツネに相次いで出会った地点でもある。
高台に上れば、やがて右手にオホーツク海。湧網線が海を見せてくれるのはここだけで、流氷の季節のハイライト区間でもあった。ただ、僕が湧網線に乗ったのはいつも納沙布岬や浜小清水付近でさんざん流氷を眺めた後だったので、ここでの印象はさほど強くはない。振り返れば、海岸線の彼方に能取岬の灯台が小さく望まれた。
眼下に常呂漁港が見えてきたところで、線路跡はプツリと途絶えてしまう。列車は常呂川の鉄橋を渡り、海辺の常呂駅に停車したのだが、今はもう鉄橋は消滅し、駅の跡地は新築のバスターミナルに変貌している。サイクリング道路は行き場を失ったかのように国道に合流し、家並みを見下ろしながら高台の上を行く。
常呂の街を過ぎて、国道を左に見送り、線路跡も見失って、畑作地帯の一般道をひたすら西へ走ると、やがてサロマ湖が見えてきた。まもなくサロマ湖観光の拠点、栄浦に到着。ここにはキャンプ場からリゾートホテルまで揃っていて、観光客の姿も多い。
しかし、雨がだんだん本格的な降りになってきた。のっぺりとした湖面は灰色で、遠くは霞んでいる。周囲90キロ、面積150平方キロに及ぶ北海道最大、全国でも3番目に大きなサロマ湖はいつも茫洋として、とりとめのない印象である。
湖畔に設置された電光式温度計の数字は「+19℃」。このぐらいだと、気温が高いな、と感じるようになった。すでに本州の夏の暑さを忘れつつある。
(サロマ湖。気温19℃)
それにしても、この雨。どうしようか。このままでは全身ズブ濡れ状態になるのも時間の問題だ。キャンプの意欲が急速に萎えていく。こうなったら今夜は浜佐呂間のユースホステルに泊まろうか、予約はしていないけれど飛び込みでもなんとかなるだろうか、などとあれこれ思いを巡らす。とりあえず、浜佐呂間まで行ってみよう。
栄浦をあとに湖岸の道を南へ下り、湖畔を離れて再び国道238号線に入り、水飛沫を上げながら6キロほど突っ走ると、佐呂間町の浜佐呂間に着く。ここにも湧網線の駅があったが、今は跡形もなく、線路がどこを通っていたのかも定かではない。
いずれにせよ、ユースホステルまではすぐだが、それより先に集落の中に民宿の看板が目に留まり、結局、今晩はその民宿に泊まることになった。
オーナーは自宅の一部を民宿として開放しているほかに近所で商店やレストランも経営していて、食事はそのレストランでとるようだ。そういう事情で、昼間は民宿(自宅)の方は留守にしているため、素性の分からない飛び込み客は原則的に断っているということだったが、僕はいきなりオーナーに面と向かって宿泊を申し込んだので、一応OKが出た。
というわけで、部屋に案内してもらったら、オーナーはまた店の方へ出てしまい、僕はひとりで留守番という具合になってしまった。とりあえず、信用してもらえたらしい。
時刻はまだ16時になったばかりだが、窓の外は雨が降りしきり、何もすることがない。部屋でパンクしたタイヤチューブの修理をしたりして過ごす。
暮れなずんだ18時頃、傘をさして国道沿いのレストランに夕食に出かけたら、店の前にキャンプ装備の自転車がずらっと並んでいた。どこかの大学のサイクリング部らしき面々が食事中である。これからこの先のキムアネップ岬のキャンプ場へでも行くのだろう。
サロマ湖特産のホタテやシマエビ、カレイなどが並んだ夕食を済ませ、そこで1食付きの宿泊費5,500円を支払って、店を出て、浜佐呂間の集落をぶらついていたら、ガソリンスタンドの物陰にキツネらしきシルエットが見えた。
今日の走行距離は91.3キロ。通算では899.5キロになった。天気予報によれば、明日のオホーツク沿岸地方は一日中、雨が降ったり止んだりの天候だそうだ。今から憂鬱である。
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