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北海道自転車紀行*1997年夏
釧路〜厚岸〜霧多布
初めての自転車による北海道旅行。昨日の朝、釧路に上陸し、釧路市と阿寒町を結ぶ自転車道を足慣らしのつもりで走ってみた。夜は釧路駅に開設された旧型客車利用の簡易宿泊施設「ツーリング・トレイン」に泊まり、今日からいよいよ本格的な自転車旅行の始まりである。人口の少ない地方で、途中に町らしい町もあまりないから、誰にも頼ることはできない。ちょっと緊張気味のスタート。どんなことになるのやら…。
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駅の朝は早い。窓の外を通り過ぎるディーゼルカーのエンジン音で目が覚める。まだ寝ている周囲の人たちを起こさないよう静かに準備を済ませ、5時45分に釧路駅を出発。
どうせ今日も雨だろうと思っていたら、意外にも青空が広がっていた。気温は18度。まだ8月になったばかりなのに、秋のようにさわやかな朝である。
いよいよこれから北海道の大地を本格的に走り始める。とりあえずは海沿いに根室方面へ向かうつもりだ。
旧釧路川にかかる幣舞橋を渡ると「根室122㎞」の標識。釧路と根室の間は列車で何度も通ったが、途中に町らしい町といえば厚岸くらいしかなく、あとは荒涼とした原野と森林ばかりといった印象がある。ほとんど無人地帯で、何があっても誰も助けてくれないと覚悟しなければならない。何よりも釧路の街を出る前に食料や水などを充分に用意しておかねばならない。
(幣舞橋にて愛車の記念撮影)
(注)このページ前半の写真が奇妙に変色しているのは、旅の途中で大雨に降られ、フィルムが浸水してしまった影響です。
コンビニエンスストアで水やおにぎりなどを買って、春採湖を見下ろす高台のベンチで朝食。春採湖は釧路市南東部の丘陵に囲まれた小さな海跡湖で、天然記念物のヒブナの生息地として知られている。湖の向こうには真っ青な太平洋も見え、眺めのよいところである。
さて、釧路から東の海岸線にはずっと丘陵地帯が連なっている。その尾根上を続くのが道道142号線。右手に太平洋を眺めながら上ったり下ったりのサイクリング。眼下に広がる海辺の郊外住宅地からラジオ体操の音楽が聞こえてくる。
釧路市の東隣は釧路町。同じ名前の市と町が隣り合っている珍しい例である。
又飯時(またいとき)というバス停があり、「海の瀬の荒い所」の意味であるという説明板が立っている。北海道を旅しているとアイヌ語の地名が次々と現われるので楽しい。
昆布森の手前で内陸に入り、釧路町深山で釧路市と根室市を結ぶ国道44号線に出会う。
沿道には鬱蒼とした森林が続き、シカの絵が描かれた「動物注意」の警戒標識が立っている。近年、エゾシカの数の増加に伴って列車やクルマとの衝突事故が激増していると聞く。事故だけは勘弁願いたいが、この旅の間にシカやキツネに出くわす機会はきっとあるだろう。
ところで、自転車にとって危険なのは、言うまでもなく動物ではなくてクルマである。特にこの44号線は釧路と根室を結ぶ幹線道路で交通量が多く、しかも、どのクルマも高速道路かと思うほど飛ばしている。大型トラックが猛スピードで走り過ぎれば物凄い風圧でバランスを崩しそうになる。危ない、危ない。北海道の交通事故死者が全国一多い(当時)ことを常に肝に銘じておかねばならない。旅立ち前にも自転車で北海道一周中の男性がトラックにはねられて死亡したという記事を新聞で読んだし、東京からのフェリーでも船客の情報交換コーナーには釧路・根室間の国道は飛ばすクルマが多いので事故に注意すべし、とのメッセージが貼られていた。走っていても、一瞬たりとも気を抜けない。特に後方からトラックの轟音が接近してくると緊張する。もっとも、ドライバーの方でも自転車は危ないと感じているらしく、ほとんどのクルマが少し離れて追い抜いていく。
というわけで、低い峠を越えてもホッとするより一層慎重に長い坂を下って厚岸町に入った。地図によれば、このあたりにはルクシュポールというとても日本とは思えないような地名がある。
丘陵地帯を抜けると、周囲は緑一色の牧草地に変わり、広々としてきた。しかも、素晴らしい晴天である。陽射しを遮るものは何もなく、予想外の暑さ。自転車を止めてペットボトルの水を口に含む回数も増えてくる。
路側帯が若干広くなり、ようやく心にもゆとりが出てきた。道はどこまでも平坦で、森や草原がいろいろな緑色に輝いている。道端には大きな蕗の葉が重なり合い、どこかにコロボックルが潜んでいるのでは、と思わせる。「ポンノ沢入口」なんていうカタカナ交じりのバス停も、サイロのある牧場も、ホルスタインの群れも、すべてがいかにも北海道という感じ!
やがて、左手に踏切が見えた。根室本線の線路である。あ、アレがあった。アレというのは「踏切注意」の標識のことである。
一番好きな道路標識は何ですか?
そう訊かれたら、僕は「汽車の絵のついた『踏切注意』の標識」と答えることにしている(残念ながら、まだ一度もこんな質問を受けたことはないけど…)。
イベント列車は別にして、日常風景から蒸気機関車が消えて久しいが、現代までしぶとく生き延びているのが、この踏切の標識の中の汽車である。黄色地に黒のシルエットで描かれた小さな汽車がモクモクと煙を吐いて走る様はとても可愛らしくて、ノスタルジックで、なんとも言えない味わいがある。個人的には道路標識の最高傑作であると思っているが、これが最近姿を消しつつあるのではないか、と密かに危惧している。当局も今の時代に汽車のデザインではそぐわないと思ったのか、いつのまにか汽車から電車の図柄に変更されてしまったからである。僕自身がそのことに気づいたのはわりと最近のことであるし(1997年当時)、汽車と電車の勢力分布の現況がどのようになっているかは知らない(すでにこの問題に着目している鉄道マニアないし標識マニアがいるのかどうか)。東京都内でも電車タイプの進出が著しいとはいえ、汽車もまだまだ見かけることはある。たとえば、ピカピカのロマンスカーや通勤電車が颯爽と行き交う小田急線の下北沢駅のそばの踏切の脇にひっそりと汽車の標識が立っている、なんていうのは僕の珍重する光景である。しかし、それもやがては消えていくに違いない(2007年現在、落書きされながらもまだあります。ただし、下北沢駅の地下化工事が進行中で、いずれ踏切ごと消える運命です)。
その汽車の標識が緑の中にぽつねんと立っていた。嬉しくなって写真を1枚。
単線の踏切に立ってみると、すぐ東に小さな駅が見えたので、訪ねてみた。
尾幌(おぼろ)駅。釧路から5つめ、32.5キロ地点にある駅である。単線にごく短いホームを添えただけの小さな駅で、もちろん無人。駅舎のかわりに貨車(正確には貨物列車の車掌が乗務する車掌車)が車輪をはずして設置されている。白く塗られた車体には動物たちの楽しいイラストが描かれているものの、どこか侘しい感じである。
そこへちょうど8時52分発の根室行きがやってきた。ディーゼルカー1両きりのワンマン運転。カメラを構えると学生風の乗客が2人、窓からVサインを出した。
(尾幌駅)
尾幌駅をあとに再び国道を走り出す。鮮やかな緑の牧草地の中、道は根室本線とつかず離れずどこまでも続く。
相変わらず肩身の狭い思いで左端を走っていると、バイクツーリストが追い抜きざまに「がんばれよ」とばかりに左の拳を横に突き出し、親指を立てるサインを出して走り去った。こちらも慌てて彼のミラーに向かって手をあげる。
対向車線を走ってくるライダーもみなヒョイと手をあげてすれ違っていく。北海道ではツーリストの間でこういう習慣が確立されているらしい。風のように爽やかな一瞬の友情。後腐れがないからこそ成り立つものではあるけれど、気分はいい。
左手にまた踏切発見。横切るのは水溜りの残る土の道で、風情はあるが、標識は電車の図柄であった。ちなみに根室本線は非電化で、電車は走れない。
根室本線を陸橋で越えて線路が右側に移ると、まもなく門静(もんしず)駅。隣の尾幌駅から約9キロ、釧路から41.7キロ地点にある6つめの駅である。人口密度の低い地方なので駅間距離が長いのだ。
ここには古い木造駅舎が健在だが人気はなく、まるで廃線の駅のよう。潮の香りがして、道路沿いにはカニの直売店の幟がはためいている。釧路から根室へ向かう列車は門静で初めて海辺に出るのである。
(門静で海辺に出る)
夏の色にきらめく海は尻羽岬とアイカップ岬に囲まれた厚岸湾。風が強く、波も荒い。浜には昆布の切れ端みたいなのがたくさん打ち上げられ、上空を大きなカモメが風で吹き飛ばされそうになりながら舞っている。
散歩中のおじさんに厚岸の町まで海岸沿いに行けると教えられ、ここで国道を離れて、その道を選ぶ。おじさんの「ウォーキングコース」なのだそうだ。
お礼を言って走り出すが、夏草の茂った砂利道で、小さな起伏が多く、自転車では走りにくい。ほぼ線路と並行していて、ちょうど釧路行きの列車がやってきた。
厚岸(あっけし)駅前に着いたのは10時頃。
釧路〜厚岸間は列車でも1時間ほどかかり、けっこう距離があると思っていたが、意外に早く着いた。まぁ、ここまで50キロ程度で、何度も走っている距離ではあるのだが。しかも、キャンプ道具一式を積んだ荷物の重さにもだいぶ慣れてきた。この調子なら北海道ツーリングもなんとかなりそうだ、と少しは自信も湧いてくる。
閑散とした待合室ではライダーがひとり名物駅弁の「かきめし」を食べていた。カキは厚岸の特産物で、町なかにはカキを商う店も目につく。厚岸を過ぎれば、当分食事ができそうな町はないから、昼食には少し早いが、僕もここで「かきめし」を味わう。
さて、水産業の町・厚岸の市街は厚岸湾と厚岸湖によって南北に分断されていて、2つの市街を結ぶのが厚岸大橋。厚岸湖の湖口にかかる長大な赤いトラス橋で、橋上から左に眺める厚岸湖にはカキの貝殻が自然に堆積してできた島がいくつもあり、弁天様が祀られている。
橋を渡ると厚岸の旧市街。厚岸は北海道にしては古い歴史をもつ町で、古来、アイヌのコタン(集落)として栄え、江戸時代に入ると、幕府による東蝦夷支配の拠点とされたところである。
当時の史跡としては蝦夷三官寺の一つに数えられる臨済宗の国泰寺がある。町の南はずれにある意外に小さな寺で、和人の慰撫とアイヌ人の懐柔を目的として文化元(1804)年に創建されたものだが、当時の堂宇はほとんど残っていないらしい。わずかに山門の門扉の葵の紋が幕府の寺であったことを示すのみである。
国泰寺門前の厚岸町郷土館に寄った後、町の南端のアイカップ岬を訪れる。つづら折りの急勾配をぐいぐい登っていくと、ここには観光客もちらほら。みんなクルマかバイクで、自転車は僕だけのようだ。
駐車場に自転車を残して、原生林の中の散策路を抜けると、明るい草原が広がった。その向こうには逆光にきらめく太平洋。緑の丘が急峻な断崖となって落下し、白い波に洗われている。天気は最高で気分も爽快。これで白亜の灯台が青空に向かってそびえていれば言うことなし、だが、灯台は沖合に浮かぶ大黒島にあるそうだ。海鳥の繁殖地として国の天然記念物に指定されている無人島である。
ところで、アイカップ岬は漢字で「愛冠」と書くせいか、標柱には「愛とロマンの愛冠岬」などと書いてあり、さらに観光客を喜ばせようと、展望台に「愛の鐘」みたいなものまで設置されている。こういう余計なものはいらないと思うのだが、女の子がふたり嬉しそうに鐘を打ち鳴らしている。まぁ、いいか。
いつのまにか正午を過ぎていて、アイカップ岬を出発したのは12時15分。いったん厚岸の町に下る。
厚岸から先、国道も鉄道も厚岸湖の北岸に広がる別寒辺牛(べかんべうし)湿原を横断して内陸部を根室へ向かうが、僕は厚岸湖の南岸から海岸沿いのルートを辿ろうと思う。
町を東へ抜けると、やがて急激な上りが始まる。今日はまだ60キロ程度しか走っていないが、強い陽射しと暑さのせいで、早くもバテ気味。
ゆっくり走っていると、ハンドルに蝿がとまる。蝿がとまるほどのノロノロ運転かと我ながら情けなくなるが、蝿は飛び立つ様子もなく、前方を向いたまま、じっとしている。ナビゲーター気取りか。
対向車線を自転車の集団が勢いよく下ってきた。みんな手をあげてすれ違っていく。こちらも一人ひとりに手をあげて挨拶を返すが、上り坂では脚力と同時に腕力も重要なので、いちいち手を放すのは大変だ。おまけに「こんな坂はどうってことないよ」と見栄を張って軽々と上っているフリまでしなければならないから尚更である。
ただ、ヘルメットで顔の見えないライダーと違って、自転車の場合はお互いに表情まで分かるし、同類として親しみが湧くのも確か。ちなみに北海道では自転車(ちゃりんこ)旅行者のことをバイクのライダーをもじって「チャリダー」と呼ぶ(徒歩旅行者はトホダー)。こういう安直な造語はあまり好きではないが、言葉の響きとしては自転車旅行者のどこかビンボー臭い風体を表わすのに相応しい気もする。将来は「ウマダー」か「ロバダー」にでもなってみるか。「ゾウダー」とか「ラクダー」もいいな。
(厚岸湖が見える)
長い坂を上りきって、左手の樹林の間から厚岸湖がちらりと見えると、まもなく「あやめが原パーキング」。あたりは鬱蒼とした森林だが、海岸へ下るとヒオウギアヤメの群生する草原があるらしい。すでに花の季節は過ぎているし、ここではちょっと足を休めただけで、再び走り出す。
今まで上ってきた分だけ下るのかと思いきや、少し下っただけで、また上り。しばらくは小さなアップダウンの繰り返しで丘陵上を行くようだ。道道123号「別海・厚岸線」という道路名のほかに「北太平洋シーサイドライン」という愛称がついているようだが、海は見えず、ひたすら森の中を進む。「鹿の飛び出し注意」の標識もたびたび目にするが、これも標識ばかりで、何も出てこない。
沿道に人家はまったくなく、通るクルマも少ない。多いのはツーリングのライダー。すれ違うたびに挨拶を交わす。
挨拶の流儀にも個人差があって、拳を突き出す、敬礼風、軽く手をあげる、手を振る…などさまざま。手を振るのは女性ライダーが多い。
広い大地を自由に旅する者同士、そこにはある種の連帯感が生じるわけだが、考えてみれば、バイクと自転車というのは似ているようでいて、ずいぶん違う。こちらが自分の体力だけを頼りに短パンTシャツで汗をかきながらエッチラオッチラ進んでいるのに対して、ライダーはフルフェイスのヘルメットに厚手のジャケット、手袋、長ズボン、ブーツで全身を包み、風のように走り去る。風景を楽しむというより飛ばす快感に身を委ねているようである。
どれぐらい走ったろうか。森が途切れて草原が広がり、海が見えてきた。
道端に「史跡ルリラン駅逓跡」の標柱が立っている。しかし、それ以上の説明はないし、何があるわけでもないので、それがどのようなものだったか分からない。あとで調べてみると、駅逓とは開拓時代の北海道における道路交通の中継地として各地に置かれたもので、宿泊施設を備え、馬を飼育し、郵便業務も担ったということだ。ついでにこの標柱にある「ルリラン」は誤りで「リルラン」がこのあたりの正しい地名であることもあとで知った。
風景が最果ての色を増してきた。優美な曲線を描く緑の丘が海を背景にどこまでも連なり、断崖に囲まれた岬には馬が放牧されている。人家はまったく見当たらない。思えば、こんな道を走るのが夢だった。旅の感動が大波のように押し寄せてくる。
(海辺の牧場)
厚岸町から浜中町に入ってすぐ「涙岬・立岩パーキング」。初めて知る地名だが、心惹かれて寄ってみる。時刻は14時。
海風が吹き渡る草原の丘。その稜線のたおやかな曲線美が素晴らしい。まるで鯨の背中のように丸みを帯びた丘がその先端部において急激に太平洋に落ち込むところ、その断崖に涙を流す少女の横顔が刻まれていた。それが「乙女の涙」の別名を持つ涙岬。その胸元を白く輝く首飾りのように波が洗っている。
少し離れて立岩。こちらは海中から立ち上がる岩に必死に岸にたどり着こうとする男の表情が刻まれている。以下は浜中町が立てた案内板の説明。
「涙岬・立岩を訪れると、この地の古老の話が思い出されるのである。昔、鰊漁が華やかなりし頃、厚岸の若者と霧多布の網元の娘が恋に落ちた物語である。ある嵐の日、厚岸から船で霧多布へ向かう時、ここまで来て坐礁し、若者は海の底に消えてしまった。それを知った娘は、この断崖に立って泣きながら、声をかぎりに若者の名を呼び続けていたと云う。今でも、この岬を訪れると断崖に悲しい娘の顔を見ることができる。又、立岩を訪れると、愛する娘の悲しい叫びに向かって一歩一歩、岸にたどりつこうとする若者の姿を思わせるものがある。嵐の夜には、娘の悲しい咽び泣きと若者の恋こがれて叫ぶ声が風と共に聞こえてくると云う」
自然の造形の妙がこうした伝説を生み出したに違いないが、とりわけ涙岬の断崖には確かに少女の横顔が刻まれているように見えるから不思議ではある。
それにしても、あまりに美しい風の丘。どこからか草笛の音が聞こえてくる。草原の小道を歩く少女たちが吹いているのだった。
14時半に涙岬を出発。
しばらく行くと、蕗や熊笹の繁茂する森に「熊出没注意」の看板。この旅で初めて見た。万が一、熊が出てきても自転車のスピードなら逃げ切れるだろうか、などと考えながら走る。
まもなく向こうから大きな荷物を積んだ自転車の女の子が走ってきて、にこやかに手を振り、会釈していく。こちらも笑顔になって「こんにちは」と声をかける。ひとりで走っている女の子を見ると、逞しいなぁ、と感心する。
厚岸から20キロ近く海岸台地の上を続いてきた道がついに海辺に下ると、藻散布沼(モチリップトー)。海と直結した湿原の湖で、湖口に小さな漁港がある。一瞬、昨年(1996年)走った長崎県・対馬の北辺の漁村を思い出したが、こちらの方が寂寥感がより強い。それでも厚岸以来久しぶりに人の生活の匂いを嗅いだ気がする。
散布(ちりっぷ)トンネルをくぐると、今度は火散布沼(ヒチリップトー)。原生林に囲まれ、ひっそりと水面が青空を映している。今回は旅立ち前にガイドブックや地図などで予備知識をほとんど仕入れずに来たので、思わぬ風景に次々と出会えて楽しい。
疲れたので火散布の集落で缶ジュースを買って休憩していると、マウンテンバイクの青年が勢いよく走り過ぎていく。元気がいいなぁ、と思いながら、こちらは軽く手をあげて見送る。
青年のあとを追うように再び長い坂道を上って、しばらくは山林の中をアップダウンを繰り返しながら進むと、急に視界が開けて初めて本格的な観光地風のところに出た。
15時20分、琵琶瀬展望台到着。
観光バスも来ていて、かなり賑わっている。ここは霧多布(きりたっぷ)湿原と太平洋を一望できる景勝地なのだ。
展望台に登れば、眼下に緑の湿原が広がり、その中を幾筋にも分かれて複雑に蛇行しながら琵琶瀬川が流れている。その川が注ぐ海は琵琶瀬湾で、湾の向こうに突き出た岬が霧多布岬。振り返れば、道産馬(どさんこ)の放牧された草原台地の向こうに太平洋。北海道ならではの広々とした風景だ。霧多布を訪れるのは初めて。文字通り霧が多いところだというが、今日は完璧に晴れている。
いかにも観光地らしく、食堂や売店が並び、美味そうなものをたくさん売っているので、つい誘惑に負けて、揚げじゃがいもと地元製のコーヒー牛乳を買ってしまう。自転車旅行は超俗と世俗の間を揺れ動く旅でもあるようだ。
15時45分に琵琶瀬展望台を出発。
今日は12キロ先の霧多布岬のキャンプ場に泊まろうと思う。
丘を一気に下って、霧多布湿原と琵琶瀬湾の狭間をしばらく走り、浜中湾と琵琶瀬湾を左右に見ながら霧多布大橋を渡ると霧多布市街。浜中町役場もここにあり、コンビニエンスストアなども揃った結構な街である。
街を抜けると岬へ向かって最後の急な上り坂。途中で自転車の女の子2人を追い抜くが、お互いに「こんにちは」と挨拶を交わすのも、ごく自然で当たり前の感覚になってきた。
坂を上りきって、台地上の雄大な牧場の中を行けば、前方に紅白の灯台が小さく見えてくる。湯沸岬灯台。湯沸岬というのが霧多布岬の正式名らしい。岬の突端に立つ灯台の孤独な存在感というのはいいものである。
そばで喉の赤いノゴマがさえずっていた。図鑑でしか見たことのない野鳥にこんな間近で会えるというのも北海道の素晴らしさである。
霧多布岬キャンプ場は灯台に近い、海を見下ろす草原にある。受付で利用者名簿に記入するだけで利用料金はタダというのが嬉しい。
さて、記念すべき初めてのキャンプである。子どもの頃にもキャンプには行ったことがなくて、テントの中で寝るという経験は一度もしたことがないのだ。そのテントも先月買ったきり放置していたので、まだ張ったことがない。あからさまに説明書を読みながら、では恥かしいので、こっそり盗み見しながらやってみる。海からの強い風にあおられて苦労したが、思ったより簡単に“旅の我が家”ができあがった。隣では家族連れが大型テントを組み立て中で、それに比べれば、ささやかなものだが、一応、2人用なので、空間的には余裕がある。居住性は悪くなさそうだ。
一段落してから、3キロ離れた霧多布の街へ買い物と夕食に出かける。自炊道具は持っていないので、食事は基本的に外食か弁当などを買ってくるしかない。
コンビニで明日の朝食用のパンなどの買い物を済ませ、ラーメン屋に入る。
900円の海鮮ラーメンを注文すると、花咲ガニや北海シマエビ、ホタテなどがのっていて、なかなかの豪華版。でも、食べにくい。特に花咲ガニはトゲトゲが多くて、殻を剥くのが大変。同じく海鮮ラーメンを食べていたグループの1人は口から血を出していた。
街灯もない真っ暗な道をキャンプ場に戻ると、アウトドア関係のマニュアル通りにアウトドアグッズを揃えたアウトドアファミリーが賑やかにアウトドアクッキングにいそしんでいる真っ最中。こちらはもうすることもないし、居場所もないので、テントにもぐり込み、8時半には寝てしまった。
本日の走行距離は115.9キロ。明日は最東端の街・根室まで行くつもり。
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