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北海道上陸〜釧路を走る 1997年8月
1995年夏に突然思い立って房総半島を自転車で旅した。調子に乗って1996年にはフェリーを利用して北九州、対馬に遠征した。となると、次は北海道を走るしかない! というわけで、1997年の夏、ついに自転車による北海道旅行を決行することにした。しかも、今回は初めてテントや寝袋などキャンプ道具一式を揃えての本格的なツーリングである。もともとアウトドアとは縁のなかった無体力派ブンカ系自転車乗りとしては信じられないほどの大進歩である。
とにかく、緑かがやく、さわやかな夏の北海道に憧れて、でも、ちょっぴり不安な気持ちも抱えて、東京発釧路行きのフェリーに愛車とともに乗り込んだのだった。
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31時間半のプロローグ〜近海郵船フェリー「サブリナ」
深夜の東京・有明フェリーターミナル出航(23時55分)。
房総半島沖で最初の夜明けを迎える。日の出は4時46分。
夏の海を行く。のどかな航海。
10時頃、釧路発東京行きの姉妹船「ブルーゼファー」とすれ違う(茨城県沖)
どこからかカモメが現われ、しばらく翼を休めて、また飛び去る。
岩手県沖で夕暮れを迎える。北上山地に沈む夕陽。日没時刻は18時42分。夜は満天の星。
いよいよ明日は北海道だ!
北海道上陸
北の海はすっかり霧の中であった。
東京発釧路行きの近海郵船フェリー「サブリナ」船上で迎える2度目の朝。
日の出は昨日より30分も早まって4時16分とのことだが、朝日が輝くこともないまま、白々と夜が明けた。
「サブリナ」は濃霧をかき分け、のっぺりとした海面を切り裂くように黙々と進んでいる。いつしかぽつぽつと雨も降り始め、夏とは思えないほどに風は冷たく、肌寒い。
昨日は終日真っ青な夏空の下の航海で、夜にはきれいな星空が広がり、天の川もくっきり見えていた。しかし、それも遠い過去のものとなり、全くの別世界へ運ばれてきたのを実感する。まだ、めざす大地は見えないが、出迎えに現われたカモメが港の近いことを教えてくれる。
6時40分に船長自らのアナウンスがあり、船は現在釧路の沖合10キロ地点を航行中で、釧路港には定刻通り7時30分に入港予定と告げられる。
テレビの天気予報に人だかり。今日の北海道は全面的に雨模様だそうだ。船内で顔なじみになった自転車旅行のおじさんが、
「最悪の天気だなぁ」
と呟く。まったく、である。おじさんは今日は摩周湖方面まで走るらしい。僕の予定はまだはっきりしないが、この雨では気勢が上がらない。
甲板に出てみると、いつの間にか釧路の港が間近に見えてきた。すべてが灰色で、これでは冬の北海道と何ら変わりがない。夏の北海道は全く初めてで、緑輝く爽やかな大地を走りたいと憧れていたのだけれど。
団体ツアーのおばちゃんに、
「あら、自転車なのぉ? 大変ねぇ」
と言われる。本人もまだどのぐらい大変なのか、あまりよく解かっていないのだが。
7時15分頃に車両デッキへの通路が開放され、自転車のもとへ。重い荷物を積んだままの愛車の固定ロープを解いてやる。いよいよ北海道の大地を走り出すのだ、という気分にはなってきた。ほかのサイクリストたちもそれぞれに自転車や装備のチェックをしつつ、接岸作業の完了を待っている。これから始まる旅への期待と不安が交錯して、胸が高鳴るようなひととき。
いつ接岸したのか分からないうちに7時半を過ぎ、さらに10分ほど待って、ようやく下船開始。係員の指示で自転車を押したままスロープを下ると、真っ先にカモメの金属的な鳴き声が耳に届く。倉庫の屋根にオオセグロカモメがずらりと並んでいて、陰鬱な空模様と相まって、いかにも北国の港だな、と思う。寒々とした眺めであるが、寒くはない。もちろん、暑くもない。
ターミナルビルの玄関口でサイドバッグにレインカバーを掛け、荷台に積んだテントや寝袋、マットを半透明のビニール袋でくるみ、Tシャツの上にレインウェアを着込んで、雨の中を8時前に出発。
(フェリーターミナルをあとにいよいよ北海道の大地を走り出す。)
釧路駅へ
さて、とりあえずは釧路駅へ行ってみよう。
釧路の中心部へは4キロほど。広い通りを車がひっきりなしに水飛沫をあげて走っているので、こちらは歩道をゆっくり走る。まだ、北海道を走っているのだ、という喜びも実感も湧いてこない。まぁ、夏の釧路といえば、濃い霧のせいで滅多に太陽が出ないという話は知っていたが、それにしても、いきなり雨に降られて気分は冴えない。
釧路駅に着いた。懐かしい駅ビルを目にして、ようやく釧路へやってきたんだなぁ、と実感する。元が汽車旅派なもので、鉄道駅こそが街の玄関口という観念が抜けないのである。
駅前には自転車ツーリストがたくさん集まっているが、どうやらみんな輪行でそれぞれの目的地へ向かうようだ。女の子たちもテキパキと自転車の分解と袋詰めの作業をやっている。日常生活においては輪行をやる女性なんて聞いたこともないが、いるところにはいるもんである。僕も輪行袋は用意してあるが、当面の用途はキャンプ時の枕ということになる予定。輪行はあくまでも非常手段と考えて、できるだけ自力で走りたい。
和商市場
雨は当分やみそうにないので、駅近くの和商市場へ行ってみた。市民や観光客で賑わっている。なんでも新鮮、豊富で、しかも安い。鮮魚、野菜、果物、乾物など多彩な品々の中でもひときわ目を引くのはやはりカニ。毛ガニ、花咲ガニ、タラバガニ、ズワイガニがとりわけ赤く華やかで客を集めている。
「ほら、お兄さん、美味しいから食べてごらん」
おばちゃんの威勢のいい掛け声につられて、毛ガニを試食させてもらい、結局、3匹で3,500円の毛ガニを東京へ送った。
それから朝食。場内の惣菜店でご飯を買ってから、上にのせる具を求めて市場を歩き回るのが楽しい。イクラの醤油付けや好みの刺身を色々とご飯にのせてもらって、ベンチで食べる。しめて861円。デザートに夕張メロンも1パック、100円。
釧路駅を出発
ところで、釧路駅には「ツーリングトレイン」という古い客車を使った宿泊施設がある。1泊600円で15時から受け付けとのこと。面白そうなので、今夜はここに泊まることにして、とりあえず、どこかへ行こう。(注*釧路駅のツーリングトレインはその後廃止されたようです)
フェリーの中でサイクリングおじさんに聞いた話だと、釧路から阿寒方面へ通じる自転車専用道があるらしいので、手始めにその辺から走ってみよう。
霧の釧路
霧雨の中を走り出し、街はずれで新釧路川の土手に出る。ひどい霧で、視界は100メートル以下。クルマはみなライトをつけて走っている。川面もほとんど見えず、カモメの声だけが聞こえる。雨はいつの間にか止んだが、霧は却って深くなったようだ。
宅地化の進む原野の中で道に迷いつつ、ようやくサイクリングロードに行き当たった。「道道835号線・釧路阿寒自転車道線」の標識が立っている。釧路湿原の南縁を仁々志別川に沿って西北西方向にほぼまっすぐ伸びる道で、総延長27キロ。現在の位置は釧路側の起点から2キロの地点である。案内板によれば途中に動物園もあるようだ。
雨はすっかり上がって、道路も乾いてきた。霧も遠くが霞んでいる程度になったが、霧については場所によってかなり濃淡の差があり、海辺や川辺、湿原などで特に霧が濃いようだ。
気温はどうか。今回は寒暖計を持ってきたが、それによれば、只今の気温は22度。先刻、ガソリンスタンドの電光表示でも「22.4℃」となっていたから、概ね正確なようである。
霧の中の風景
曇り空の下、釧路阿寒自転車道を走り出す。
時折、散歩する人に出会うだけの静かな道で、右手には湿原らしき原野が霧の彼方へと広がっている。あちこちで聞き慣れない野鳥のさえずりが耳に届き、ようやく北海道にいるんだなぁ、という気分になってきた。
2キロほど走ると、鶴野という休憩所。ジャングルジムや滑り台があるほか、草に埋もれたプラットホームが残っている。どうやら、この自転車道は鉄道の廃線跡を利用したものらしい。あとで調べてみると、かつて釧路を起点とする雄別鉄道というのが走っていたそうだ。この路線が廃止になったのは昭和45年4月とのこと。
湿原の中のかぼそい鉄路をたどる小さな汽車の姿を空想しながら、さらに自転車を走らせる。
街から離れるにつれて、人の姿も見なくなり、再び濃い霧がたちこめてきた。周囲に広がる湿原の緑は夏の輝きを失ったまま、ミルク色の幻想に包まれ、道の先行きも掻き消されてしまった。日常から離れた旅の孤独にまだ気持ちが馴染んでいないせいか、底知れぬ原野の静寂が心細い気分にさせる。
時間と空間の感覚が薄れ、目的も見失ってしまったような不思議な気分のまま、ただひたすらペダルを漕ぎ続けていると、右手に牧場が見えてきた。どの程度の広さなのかは霧が深くてよく分からない。ただ、ミルクの海の底に沈殿した抹茶みたいな牧草地に1本の木がぽつねんと枝を広げている。夢幻的な風景の中で凛とした存在感があり、姿もよい。
心惹かれて、牧柵の前まで近寄ると、霞んだ風景の中に馬がいるのに気がついた。親子らしく、牧草に身を沈めた仔馬のそばに母馬が寄り添うように佇んでいる。不審人物の接近を気に留める風でもなく、まるで静寂を破ることを恐れるかのように身じろぎひとつしない。
真っ白な地平を背景に樹木の孤影と馬の親子。旅を続けるうちに、牧場も馬も珍しくなくなるだろうけれど、これほど美しく幻想的な光景に出会うことは滅多にあるまい。
牧柵沿いに歩いていくと牧舎があり、その向こうにも馬がたくさんいた。近寄ってきた一頭の鼻面を撫でてやると、ほかの馬も同じように鼻を突き出してくる。どの馬も前髪が長くて、とても優しく穏やかな瞳をしている。可愛くて、いつまでも相手をしていたい気持ちにさせられた。
釧路市動物園
さて、1台の自転車ともすれ違わないまま原野や牧草地の中を10キロ以上走ると、釧路市動物園に出た。動物園愛好者としては立ち寄らずにはいられない。隣には「山花温泉リフレ」という施設もあり、動物園と温泉のセット券(880円)を売っていたので、それを買う。
雨上がりのせいか、閑散とした園内にはアフリカゾウやシマウマ、キリン、ライオンなど釧路の寒冷な気候に適応できるのか心配になるような動物たちもいて、予想以上に規模の大きな動物園である。
裏手に広がる湿原には非公開の「タンチョウ保護増殖センター」もあって、湿原散策用の木道から鶴の姿もちらりと見えた。また、傷ついて保護されたり園内で繁殖したオオハクチョウの遊ぶ池や、飼育下では世界で初めて繁殖に成功したというシマフクロウ舎、ヒグマの牧場などが自然の地形を利用した広い敷地に点在し、ざっと見物して終わりにするつもりが、ずいぶん時間を食ってしまった。
(シマフクロウと「冬も使える水洗トイレ」。どちらも北海道ならでは)
動物園で僕が最も時間を費やすのはたいてい類人猿の前だが、ここでは何といっても雄のオランウータンである。
赤茶色の長毛に全身を覆われた彼は檻の中の高い位置から見知らぬ訪問者をじっと見下ろしていた。幅の広いグレイの顔に小さな瞳。そこから静かな意思がまっすぐにこちらへ照射されている。安易な解釈を許さない視線の力。あるいは何も考えていないのかもしれないけれど、まるで聖者だな、と思った。本来は熱帯のジャングルで暮らす「森の人」である彼がどんな経緯でこんな寒冷な釧路で生活することになったのか。彼と目と目を合わせていると、人間が動物との間に勝手に設定した不当な上下関係への無言の抗議を受けているような気がしてきた。
ついでにもうひとつ。ホッキョクグマの子育て物語のひとコマ。
昨年(1996年)末に生まれたばかりの子グマ(名前はクルミ♀)が母親に寄り添う姿が可愛くて、しばらく眺めていると、そこで子グマにとっては思わぬことが起きた。コンクリートの運動場で歩き回っていた母親がおもむろに石段を下り、ザブンとプールで泳ぎ始めたのである。子グマもあとを追って水辺まで行くが、どうやら、この子は水に入った経験がないらしい。水際で躊躇している。水が怖いのだ。何度も手先を水につけたり、鼻先を近づけたりしているが、その先の勇気が出ない。母親との間に突然生じた隔たりに子グマがパニックに陥っているのが傍目にも分かるのだが、母グマはあえて無視するかのように気持ちよさそうに泳いでいる。母が子に与えるひとつの試練。水辺を右往左往するばかりの子グマは何度も水面をのぞき込んではグッと身を乗り出して飛び込もうとするものの、ギリギリのところでどうしてもダメ。結局、今日のところは子グマが幼い勇気を発揮するより先に母グマが水から上がってきて一件落着。まぁ、親子揃って泳ぐ姿が見られるのも時間の問題だろう。
ところで、子どもが生まれたからには父親がいるわけだが、彼はどうしているかといえば、哀れにも狭苦しい檻の中に隔離されているのだった。子グマにとっては危険な存在なのだそうだ。人間界では「父親不在」が問題視されたりしているが、シロクマ界では子どもにとって「親」と呼べるのはもともと母親だけのようだ。
襲撃
動物園見物を終えて自転車のもとに戻ると、明らかな異変が起きていた。自転車は倒れ、しかも、よく見ると、寝袋やテント、マットを包んだ半透明のビニール袋がズタズタに切り裂かれている。さらに周囲に散乱している銀色の小片…。あっ、マットがやられた。ロールマットの表面のアルミ箔の破片が散らかっているのだ。
犯人は容易に想像がついた。あたりにたくさんいるカラスである。マットには鋭い嘴でつつかれた跡がたくさんついている。まだ、一度も使っていないのに…。救いはテントと寝袋が無傷だったことだが、それにしても、まだ旅は始まったばかりなのに、こんな目に遭うとは…。ちょっとへこむ。
気を取り直して、「山花温泉リフレ」で汗を流す。宿泊もできるようだが、基本的には釧路市民の憩いの場ということのようだ。もちろん、いまどきの温泉には欠かせない露天風呂もある。サイクリングの途上で温泉につかるのは無上の悦楽であるが、走り出せば、また汗をかくことになる。まぁ、仕方がない。
さらに自転車道を行く
再びサイクリングロードに戻り、さらに阿寒町方面へ走り出す。いつしか霧は晴れて、薄日もさしてきた。
道は丘陵沿いに森の中に分け入る。キツネやシカが出てきてもおかしくない雰囲気である。左には仁々志別川にかわって阿寒川が寄り添い、土色の水が蛇行しながら流れている。
森が途切れて、西日を浴びた緑の牧場が広がってきた。サイロのある風景がいかにも北海道らしくて嬉しくなるが、ちょっと疲れてきた。ちょうど終点まであと5キロの地点に桜田休憩所というのがあったので、そこで引き返す。せっかくだから終点まで走ろうかとも思ったが、どうせ明日以降も嫌というほど走らなくてはならないのだ。ここでやめておけば往復10キロ分の体力の節約になる。
(桜田休憩所で引き返す)
復路は強い向かい風。いつのまにこんな強い風が吹き出したのだろう。あちこちで木々の小枝が折れて、路上に散乱している。ペダルが重くて、自転車が進まない。無駄な抵抗はやめて、時速10キロそこそこでノロノロ走る。
強風の吹き荒れる原野の中を走っていると、何やらコンクリートの塊が草原の中に唐突に聳えていた。往路には霧のせいで気づかなかったが、どうやら鉄橋の橋台の残骸のようだ。あとで調べてみると、これは根室本線の新富士駅(釧路の西隣)と釧路湿原の奥の鶴居村を結ぶ鶴居村営軌道の廃線跡で、雄別鉄道とこの地点で立体交差していたそうである(写真は1998年撮影)。
釧路駅ツーリングトレイン
釧路駅前に帰り着いたのは17時半過ぎ。今宵の宿は駅のツーリングトレインである。旧貨物ホームに横付けされた古い客車4両がそれで、言うまでもなく貧乏旅行者向けの施設である。
車内は座席をすべて取り払い、畳を敷き詰めただけ。寝具は一切ないから、各自持参の寝袋で寝る。今までに利用した宿泊施設の中では一番貧相だが、たまにはこんなのも面白い。まぁ、旅先の宿なんてものは寝られればいいのである。
隣のサイクリストは京都の大学生で、小樽に上陸後、道南地方を回り、襟裳岬を経て、ここまで来たという。驚くのは乗っているのがいわゆるママチャリだということ。変速機なし。それでもほかの自転車に抜かれたことはないと豪語している。しかも、今日は十勝の広尾から140キロ走ったと平然としている。テントなしで、野宿しながらの旅。こういうのを豪傑というのだろう。
釧路の夜
駅に近い定食屋で夕食。おばちゃんが一人で切り盛りする店で、ホワイトボードに書かれた献立を眺めながら、メンメという魚の唐揚げを注文する。おばちゃんが冷蔵庫から取り出したのを見ると、赤い魚で、それを2匹揚げてくれる。あとで分かったのだが、メンメは一般にはキンキと呼ばれる魚で、高級魚らしい。知ったような顔をして注文したから、釧路の出身かと聞かれた。ついでにサンマの刺身も追加。秋になると寄生虫が入るので、刺身で食べられるのは今の季節だけとのこと。
そこへ高校生4人組が入ってきて、釧路湿原に関するアンケートを頼まれる。聞けば、神奈川県の高校の情報研究部の合宿旅行だそうで、今夜の夜行列車で札幌へ向かうのだという。
その高校生たちが食事を終えて出ていくと、客は僕だけになった。食後のお茶を飲みながら巨人対ヤクルトのナイター中継を眺めつつ、カウンター越しにおばちゃんと雑談。釧路の街なかの観光名所を尋ねるつもりで、
「どこか面白いところはありますか」
と問うと、おばちゃんは釧路のナイトタウン情報みたいな冊子を取り出して、娘さんがつとめているというナイトクラブを教えてくれた。
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