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2010年9月19日
記録的な猛暑続きだった今年の夏は近所への買い物を除けば自転車に乗ることがほとんどないまま、もう9月も半分以上過ぎてしまった。ようやく涼しくなったかな、と思ったら、また暑さが戻ってきたりするが、そろそろどこかへ行こうという気持ちにはなってきた。それでまず心に浮かんだのが、日光いろは坂を自転車で上ってみよう、ということである。数年前に
坂東三十三ヶ所観音霊場
を巡っていて、電車とバスを利用して中禅寺湖畔にある立木観音・中禅寺を訪れた際、「いろは坂」を自転車で走っている人をバスの車窓から目にして以来、僕もいつか挑戦してみよう、と密かな野望を抱いていたのである。あの時も真夏だったが、中禅寺湖の湖面を渡る風の涼やかさも忘れられない。それで今年は自転車での日光ツーリングを決行しようと初夏の頃から考えてはいたのだが、関東地方は梅雨明けと同時に凄まじい猛暑となり、自転車で出かけようなどという気持ちにはまるでならない7、8月だったわけである。
とにかく、3連休の真ん中である9月19日、日曜日、ようやく明るくなりかけた早朝5時過ぎに家を出て、愛車とともに小田急線〜東京メトロ千代田線を乗り継ぎ、北千住からは6時32分発の東武線の快速(特急を除けば一番停車駅が少なく速い)に乗って、8時26分に東武日光駅に降り立った。さすがに連休中なので、行楽客で混んでいたが、その中に自転車を担いだ人たちが予想外にたくさんいて、日光駅前のあちこちで自転車を組み立てる姿が見られるのであった(ただし、若者は少なく、ほとんど中年以上だ!)。もちろん、みんな日光いろは坂に挑む人たちで、車中で隣り合わせた人に聞いた話では、奥日光から金精峠を越えて、群馬県の沼田に抜けるそうだ。これが定番コースらしく、実は僕もこのルートを考えてはいる。あまり寄り道せずに走れば、夕方までには沼田に着き、沼田駅から電車でその日のうちに東京まで帰れる。ただ、「いろは坂」だけでも大変そうなのに、奥日光の湯元から金精峠までの上りもさらにきつそうで、峠を越えれば下り基調とはいえ、沼田までけっこう距離もあるし、途中にもう一つ小さな峠越えがあるというのも気がかりで、今のところ、沼田へ抜けるか、奥日光をサイクリングして、また「いろは坂」を下ってくるか、五分五分といったところである。
とにかく、8時45分頃、東武日光駅前をスタートして、国道120号線を行く。「中禅寺湖20km」の標識がある。ちなみに東武日光駅の標高は540メートルほどで、中禅寺湖の湖面標高は1,269メートルだというから、700メートル以上も上ることになる。このぐらいの標高差なら過去にも上っているから、まぁ、なんとかなるだろう。
駅前からいきなりの上り坂だが、さほど苦労せずに大谷(だいや)川にかかる「神橋」までやってきた。俗界と日光の神域とを隔てる峡谷にかかる朱塗りの橋で、国の重要文化財に指定され、世界遺産に登録された「日光の社寺」の一部でもある。キセキレイの声が聞こえる。
神橋の写真を撮っただけで、輪王寺や東照宮には立ち寄ることなく、先へ進む。「いろは坂」の登り口までは10キロ近くあり、そこまでは軽いウォーミングアップのつもりなのだが、だらだらと上りが続き、意外にきつく感じるという話だ。陽射しも強く、早くも暑さを感じる。今日も気温は28度ぐらいまで上がるという予報である。
最初は快調だったが、だんだんスピードが落ちてきた。この2か月はほとんど自転車に乗っていなかったので、やはり久々というのが応えているのだろうか。休憩がてらコンビニに立ち寄り、スポーツドリンクを買う。すでに汗だくだ。
(ひたすら忍耐のダラダラとした上りが続く)
9時半頃、ようやく「いろは坂」の入口である馬返(うまがえし)に着いた。この地点で標高はすでに832メートルとのこと。古来、日光の山々は山岳信仰の霊場であり、昔は女人禁制、牛馬禁制だったが、馬返という地名もその名残であるらしい。
駐車場とトイレのある馬返でちょっと休憩。トイレのガラス扉には「サルが入るのでドアの開放を禁止します!」の貼り紙。また、サルの絵が描かれ「エサをあげないで」「食べ物を持ってサルに近づくと、噛みつかれたり引っ掻かれたりして、たいへん危険です」と書かれた立て看板もある。ここ数年、日光といえば、サルが観光客からエサをもらうことを覚え、まったく人を恐れずに、やりたい放題で暴れまわっている、というイメージがマスメディアを通じて出来上がってしまったが、僕も自転車で「いろは坂」にチャレンジしようと考えた時、途中でバテて道端にへたり込んでいるところをサルの群れに取り囲まれている図というのを頭に思い浮かべてしまった。まぁ、来るなら来い、と気軽に考えてはいるけれど…。
さて、水でタオルをビショビショに濡らして首に掛け、いよいよ「いろは坂」を上り始める。
そもそも修験道の聖地だった日光が観光地、避暑地として脚光を浴びるようになったのは明治以降であり、中禅寺湖畔には外国大使館の別荘も建てられるなど、訪れる人が増えるにつれて、道路の整備も進められたが、十分なものではなかった。それを全面的に改修した「日光いろは坂」が有料道路として営業を開始したのが昭和29年のこと。これが現在の第一いろは坂である。それでも交通量の増加には対応しきれず、昭和40年には別ルートの第二いろは坂が完成し、それ以来、第一いろは坂は下り専用、第二いろは坂は上り専用と、それぞれ一方通行になっている。
僕が初めて「いろは坂」を上ったのは小学6年生の林間学校の時にバスで、だが、当時はまだ有料道路だった「いろは坂」も昭和59年から無料開放されている。有料道路時代から自転車が通行できたのかどうかは知らないが、当時の僕はこんな山道を自転車で上るなどということは考えてもみなかった。
とにかく、進入禁止の第一いろは坂から左に分かれて、すぐに大谷川を渡って、第二いろは坂へとペダルを漕ぎだす。2車線あるが、どちらも上りの一方通行で「逆走禁止」だから、途中でバテて、やっぱり上るのはや〜めた、と引き返すことは自転車といえども許されない。いったん進入したら、最後まで上りきらなければいけないわけだ。最高地点の明智平まで7キロ余り、中禅寺湖畔までは10キロほどで、標高差は400メートルぐらいだから、まぁ、なんとかなるはずだ。
意外にも最初は下り坂から始まった。しかし、すぐにまた上りに転じ、まもなく最初のカーブにさしかかる。標識に「1」の数字と「い」の文字が書かれている。「いろは坂」の名前はこの区間に全部で48のカーブがあり、それぞれに「い」「ろ」「は」…と順番に割り振られていることに由来するわけだ。僕は上りだけで48のカーブがあるのかと思っていたのだが、実際は上りの第二いろは坂に「い」〜「ね」まで20のカーブ、下りの第一いろは坂に「な」〜「ん」まで28のカーブがあるということをあとで知った。
(最初の「い」のカーブ)
とりあえず、「い」の標識を写真に撮って走り出す。カーブごとに全部の標識の写真を撮ろうか、と思ったが、すぐに「ろ」のカーブが現れ、いちいちカメラを取り出すのは面倒くさいので、そのまま通過。
「標高900m」の標識があったので、ここではまた写真を撮って一休み。先刻からその存在に気づいていた後続のサイクリストの一団に道を譲る。東武線の車中で一緒だった人たちだ。どうせこの先、僕はかなり情けない走りになると思われるので、惨めな姿をさらす前に先に行ってもらった方が気が楽だ。あちらは数名のグループだが、それぞれに自分のペースで走っているらしく、集団は完全にばらけている。
(標高900m地点で後続のサイクリストに道を譲る)
びっくりするような急勾配はないとはいえ、日光駅からすでに十数キロ、ほとんど上り坂だから、けっこうバテてきた。とにかく予想以上に暑い。何度も自転車を停めてはボトルの水を口に含む。まぁ、あまり頑張らずにのんびり行こう。
この時点では上りだけで「い」から「ん」まで48のカーブがあると思いこんでいたので、まだ「と」かぁ、先は長いなぁ、などと考えながら走っていたわけだが、そのうち「明智平3km 中禅寺湖5km」の標識があり、もうすぐだ、と思えるようになってからは、カーブの数はあまり気にしなくなった。
(明智平まであと3km。その先に見えるのは13番目「わ」のカーブ)
(ススキのはえている14番目「か」のカーブ)
そして、山林が途切れて視界が開けた場所があったので、ちょっと自転車を停めて、何気なく道路下に目をやると、そこにシカがいた。栗色に白い斑点のある、いわゆる鹿の子模様の夏毛のシカが4頭、草を食んでいるのだ。急いでカメラを取り出し、写真を撮る。4頭のうち1頭がこちらに気づいて、目が合った。途端にシカは警戒の声をあげ、たちまちみんな斜面を駆け上がって森の中に姿を消してしまった。サルには会うかも、と予想していたが、まさかシカに遭遇するとは思わなかった。クルマやバイクではもちろん、自転車でも普通に走っていたら気がつかなかっただろう。ちなみに「よ」のカーブの下である
(おっ、ニンゲンだ!)
シカを目撃した地点のすぐ上に黒髪平という駐車場があった。海抜1,173メートルの標柱と、日光いろは坂が「日本の道百選」に認定された記念碑がある。もちろん、休憩。あとからロードバイクの3人連れがやってきた。こんな場所で自転車同士だと、ごく当たり前のように「こんにちは」と挨拶を交わす。彼らもやはり今日は金精峠を越えて沼田まで走るそうだ。僕はどうしようか。
(黒髪平にて)
馬返から1時間ほどで明智平に着いた。標高1,274メートル。レストハウスがあり、観光客で賑わっている。途中で追い抜かれた自転車の一団ともここで再会。
(明智平)
明智平からロープウェイで展望台まで登ると、華厳の滝などの見晴らしが良いそうだが、そういうものには乗らず、15分ほど休んで、再び走り出す。
第二いろは坂の上り一方通行は明智平までで、ここからは対面通行となるが、上り坂もまもなく終わり、中禅寺湖畔まで下っていく。延長926メートルのトンネルを抜け、渋滞のクルマをどんどん追い抜いて、中禅寺湖から出た流れを渡って、突き当たりの信号を右へ行くと、華厳ノ滝、第一いろは坂方面、左へ行くと中禅寺湖畔を経て、戦場ヶ原方面。今回は華厳ノ滝はパスしようか思っていたのだが、せっかくなので右折して、ちょっとだけ見てくる。時刻は11時を過ぎたところ。
那智ノ滝(和歌山県)・袋田ノ滝(茨城県)と並ぶ「日本三名瀑」としてあまりにも有名な華厳ノ滝は落差97メートル。小学6年生の林間学校で見た時はもう少し美しい姿だったが、その後、上部が崩落して、滝の幅が広がり、やや荒っぽい印象になった。手元にある『奥日光自然観察ガイド』(宮地信良著、山と渓谷社、2005年)によれば、昔は今より800メートルほど下流にあったが、下部の侵食と上部の崩落が繰り返されて現在の位置になったとのこと。
(華厳ノ滝)
さて、11時15分に中禅寺湖畔までやってきた。約2万年前の噴火で誕生した男体山(2,486m))の噴出物によって川がせき止められてできた湖である。
湖面にはたくさんのボートが浮かび、湖畔はあまりに賑やかな観光街で、まだ昼食にも早いから、ここも湖の写真を撮っただけで、すぐに走り出す。
(中禅寺湖畔にて)
男体山の裾を巻くように湖畔に沿ってさらなる奥地へ向かう。なだらかなアップダウンのある林の中の心地よい道だ。
5キロ余りで竜頭ノ滝に着く。中禅寺湖より一段高い戦場ヶ原との段差を斜めに流れ落ちる滝で、落差は60メートルながら長さは210メートルもある。滝に沿って散策路があり、3年前に歩いたが、今回は自転車なので、滝を下から眺め、紅葉の時期はきれいだろうなぁ、と思っただけで、また走り出す。
(竜頭ノ滝)
ヘアピンカーブを曲がって坂を上っていくと、今度は竜頭ノ滝の上部にかかる橋を渡る。流れ下っていく滝の彼方に中禅寺湖が見える。現在地の標高は1,355メートル。その標識板に赤トンボが止まっていて、よく見ると小さな虫をムシャムシャと食べていた。
(竜頭の滝の上部。標高1,355m。赤トンボは食事中)
男体山を見上げながら、美しい林の中を行くと、いよいよ戦場ヶ原だ。時刻はちょうど正午になるところ。
戦場ヶ原の地名は山の神々がこの場所で戦ったという伝承に由来するそうだが、実際にここに湿原が形成されたのは1万年ほど前のことだという。約2万年前の男体山を生成させた噴火で、ここに中禅寺湖と同様の堰止湖が生まれ、その後も続いた噴火による噴出物や土砂の流入で湖が埋まって、そこに植物が生え、枯れた植物が低温のために分解されないまま堆積して泥炭地と化したのが戦場ヶ原である。
ここへ来るのは3度目。ただし、林間学校では戦場ヶ原散策が予定に入っていたのに雨で中止となり、バスの車窓から眺めただけ。3年前の夏に初めて広大な湿原の木道を歩いた。ノビタキがさえずっていたり、ホザキシモツケやワレモコウ、ツリガネニンジンなどの花が咲いていたり、気持ちのよい散策だったが、木道上では小学生の団体が次々とやってきて、全員がすれ違う時に「こんにちは!」と挨拶していくので、いちいち挨拶を返すのが大変だった。べつに嫌ではなかったけれど…。
3年前の夏の戦場ヶ原の写真を何枚か紹介しておく。
(2007年・夏の戦場ヶ原)
3年前は夏の盛りだったが、今日の戦場ヶ原はもうすっかり秋色に染まっている。また湿原の中をのんびり散策したい気持ちは大いにあるし、さらに奥地の小田代ヶ原にも足を延ばしてみたいが、今日は戦場ヶ原を貫く道路を自転車で突っ走り、爽やかな風を感じるだけにする。
(初秋の戦場ヶ原と男体山)
戦場ヶ原展望台のある標高1,395メートルの三本松のレストハウスで昼食。時刻は12時15分。有名無名の芸能人・レポーターなどのサイン色紙が多数飾ってある店で、お昼時だから大賑わいだ。ほかの人たちは涼しいのだろうが、店内の客でたぶん僕だけが自転車で、従って、ひとりだけ汗だく。熱いものは食べたくないので、ざるそばを注文したら、意外に美味かった。
さらに奥地へ進む。広大な湿原風景が途切れ、林の中を上っていく。次の目的地は湯滝。前回は訪れなかったので、6年生の時以来だ。
国道から左に逸れて、坂を下ると、12時40分に湯滝に着く。戦場ヶ原よりさらに一段高いところに位置する湯ノ湖の水が急斜面を勢いよく流れ落ちてくる滝で、落差60メートル、長さは110メートルとのこと。べつに温泉が流れているわけではないらしい。滝の姿は林間学校の時の記憶と同じだが、思った以上に迫力がある。あの時は雨で戦場ヶ原ハイキングが中止となり、湯ノ湖と湯滝を見物した後、確かこの滝のそばで、雨の中、傘をさしながら弁当を食べ、バスで中禅寺湖畔の旅館に帰ったのだった。
(湯滝)
湯滝のそばから戦場ヶ原を縦断する散策路が始まるが、戦場ヶ原一帯はすべてフェンスで囲まれており、出入口にはゲートが設置されている。近年、シカの増加により湿原の希少な植物が食べられ、絶滅の危機に瀕しているので、シカの侵入を阻止するための措置だ。自然破壊の原因と悪者扱いされるシカにしてみれば、「アンタら人間には言われたくないよ」ってところだろう。
湯滝をあとに坂を上って国道に戻ろうとしたら、いろは坂の黒髪平で会った自転車3人組が湯滝になど目もくれず金精峠をめざして走っていくのが見えた。埼玉県からという彼らは今夜は沼田に泊まり、明日は赤城山を走って、できれば自走で家まで帰ると言っていた。けさ東武線で一緒だった人たちは今頃どの辺を走っているだろうか。明智平では僕の方が先発したが、その後は姿を見ていない。たぶんこちらが華厳ノ滝などに寄り道をしている間にまた先を越されたはずだ。
かなりバテて、国道の坂をのろのろと上っていくと、湯ノ湖が見えてきた。奥日光の中でも最奥部に位置する山上の小さな湖で、湖面標高は1,475メートル。三ツ岳の噴火で流れ出た溶岩により湯川がせき止められてできた湖で、この湯ノ湖の水が湯滝となって流れ落ち、戦場ヶ原の中を流れ、竜頭ノ滝を経て中禅寺湖に注ぎ、さらに華厳ノ滝となって落下し、大谷川となって日光市街へと流れていくわけだ。ちなみに大谷川の水は鬼怒川に合流して、栃木県から茨城県へと流れ下り、最後は利根川となって銚子で太平洋に注いでいる。
現在地は湯ノ湖の南端部で、湖水が流れ出し、湯滝となって落ちていく場所だが、湖の彼方には金精峠へと上っていく金精道路が見える。すごい急勾配。これからあの坂を上って峠を越えよう、という意欲が急激に萎んでいく。ということで、今回は湯ノ湖まで、ということにして引き返すことにする。現在の時刻は13時を過ぎたところ。
(湯ノ湖の彼方に金精道路の急勾配が…)
湯ノ湖の湖岸を行くと、金精峠・沼田方面の金精道路から左に分かれ、まもなく湯ノ湖の北岸の温泉地・湯元に着いた。山奥のリゾート地の風情で、釣りを楽しむ人たちのボートが湖面にたくさん浮かんでいる。ヒメマスやニジマス、カワマスなどが釣れるらしい。しばらく湖を眺めながら、ボーッとする。涼しい。
(湯ノ湖)
さて、帰るか。13時半過ぎに湯元をあとに来た道を戻る。帰りは基本的に日光市街まで下りである。標高差は900メートル以上。
金精道路に多少心を惹かれるものの、金精峠はまたいつの日にか、ということで、ビュンビュン下っていく。上ってきた時はそれほどの急坂とは感じなかった道も、いざ下るとなると、思った以上にスピードが出て、こんな急勾配を上ってきたのか、と改めて思う。クルマもたくさん走っているから、安全第一で行こう。
まだ時間には余裕があるので、戦場ヶ原まで下って、光徳牧場の標識に従って左折。林の中の道をゆるやかに上っていくと、「クマに注意」の標識があり、やがて牧場に着いた。観光牧場で、僕のほかに自転車はいないようだが、クルマやバイクがたくさん来ていて、みんなアイスクリームを食べている。当然、僕も買う。
林に囲まれた牧場にはホルスタインが放牧されていて、なぜか皆同じ方を向いて草を食べている。その中に馬が1頭だけいて、1頭の牛がずっとつきまとっていた。とにかく、いかにも高原の牧場らしい眺めで、立ち寄ってよかったと思った。
(光徳牧場)
光徳牧場をあとにして、再び国道に戻り、戦場ヶ原を突っ切り、竜頭ノ滝を経て、中禅寺湖岸まで下ると、道路が渋滞し始めた。こちらは動かなくなったクルマをどんどん追い抜いて走るが、右はクルマの列、左は側溝で、その狭間を行くから神経は疲れる。後ろからバイクが「どけどけ」とばかりにやってきたりもする。
そんな調子で15時に中禅寺湖畔を過ぎ、右に第二いろは坂を見送り、華厳ノ滝も過ぎる頃から、ようやくクルマの流れもスムーズになる。ここからいよいよ下り専用の第一いろは坂だ。駐車場から観光バスが出てきて、真っ黒い排気ガスを吐き散らしながら前方を走っていく。あんな毒ガスは吸いたくないので、少し速度を緩めて、遠ざかるのを待つ。
さて、あとはひたすら下りだ。しかし、急勾配と急カーブの連続で、後続車にも注意しなくてはならないから、緊張感はある。それでも、けっこうなスピードで下っていくと、先ほどの毒ガスバスに追いついてしまった。下りなので、もう真っ黒なガスは吐いていないが、そのかわり、急カーブの連続で速度を出せないため、自転車でもどんどん追いついてしまう。よし追い抜いてしまえ!
一気にバスを追い越すと、このバスが後続のクルマの流れをせき止めるダムの役割を果たしてくれて、それ以降、数台のバイク以外、クルマがまったく来なくなった。下りの一方通行だから、対向車もない。ということで、まるでクルマの来ない道を安心してビュンビュン下ることができた。最高速度は60キロを超え、中禅寺湖畔から麓の馬返まで15分足らずだった。ただ、一部で路面が荒れた区間があり、そこに高速で突っ込んだ時に、ちょっと怖かったのと、馬返付近で山上との気圧差によりペットボトルがいきなりグシャッとつぶれ、ボトルケージから落ちそうになったりもした(3年前は帰りの東武線車中でつぶれた)。
馬返をノンストップで通過後も快調に走り続け、日光市街に入ると、また渋滞していたが、自転車はほとんど影響を受けず、東武日光駅前には15時35分に到着。本日の走行距離は70キロ。
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