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北海道自転車旅行*1999年 夏

知床半島〜野上峠〜屈斜路湖


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 知床半島は朝から霧雨に煙っている。キャンプ場に隣接する林ではアカゲラが丹念に木の幹をつついている。
 濡れたテントをたたんで、7時半に出発。
 霧をかぶったオロンコ岩を横目に宇登呂をあとにして国道334号線を斜里方面へ戻る。今日は屈斜路湖方面へ行こうと思う。
 2年前にキャンプをした峰浜で知床半島とオホーツク海に別れを告げて、あたり一面にジャガイモや小麦やビートの畑が広がる朱円地区まで来て、「朱円ストーンサークル」の看板が立つ地点を左折。「東1線」という道路に入る。

 まもなく左手に「朱円環状土籬」の遺跡公園があった。いわゆるストーンサークルで、縄文時代の墓地と考えられている。白樺の生えた緑地に大きな円形の窪地が2つあり、ここから埋葬された人骨や縄文土器が出土したそうだ。数千年前からこの土地に人間が生活していた証しである。今は開拓し尽くされてしまったこの大地がまだ豊かな原始の森におおわれていた遠い昔の人々の暮らしに想いを馳せた。

 ここから弟子屈方面へ行くのに、また国道に戻って斜里市街を経由すると遠回りになるので、そのまま東1線を南下。内陸部へ分け入る。このあたりは碁盤の目のように農道が整備されていて、しばらく南下してから西へ向かえば、斜里から弟子屈町方面へ通じる幹線道路に出られるだろう。その方が近道に違いない。
 カラマツの防風林に整然と区切られた広大なジャガイモ畑の中を行く道で、まったくの農道かと思っていたら、意外にも観光バスがよく通る。どうやら知床半島と摩周湖・屈斜路湖方面とを結ぶ短絡ルートとして利用されているらしかった。

 一度は止んでいた雨がまた落ちてきて、しかも、だんだん強くなってきた。畑ばかりで、逃げ場がないから、ただひたすら突っ走るしかない。間近に聳えているはずの斜里岳もまったく姿を見せてはくれない。

 秋の川、猿間川と続けて渡ると中斜里で、ここにはJR釧網本線の駅がある。
 中斜里駅は斜里から真南へ4.6キロ地点の駅で、斜里町内陸部に広がる農業地帯の中心に位置している。駅の構内には貨物側線が残り、裏手の製糖工場に通じる引き込み線もある。しかし、それらの線路はすでに赤く錆びついている。かつては釧網本線にも貨物列車が走っていて、客車と貨車を混結した列車に乗った記憶もあるが、今はもうこの地域では鉄道が貨物輸送を担うことはないのだろう。



 すでに駅員もいなくなった中斜里駅の待合室でしばらく休憩して、再び走り出す。
 雨は一応止んだが、どんよりとした曇り空である。
 ここからしばらくはほぼ釧網本線に沿って道道1115号線を行く。畑の中にポツンと小さな南斜里駅が見えた。

 やがて、斜里町から清里町に入る。沿道にはコスモスが植えてあり、赤や白やピンクの花がちらほらと咲いている。「コスモス街道」などと称して観光の売り物にしようという魂胆ではないか、などと考えながら走る。
 清里町駅でもしばしの休息。斜里岳の登山基地であり、かつては急行も停車した駅だが、今はここにも駅員の姿はない(もう急行も走ってはいない)。駅前の観光案内図を眺めていたら、いま走ってきた道には本当に「コスモス街道」の名前がついていた。
 ところで、駅の近くの真新しいコミュニティセンターには、なぜか「オリンピックコーナー」というのがある。実際に入って見たわけではないので、この土地とオリンピックに何の関係があるのかと思ったのだが、あとで判明したことには、長野オリンピックのスピードスケート女子500メートルで銅メダルに輝いた岡崎朋美選手がこの町の出身なのだった。

 さて、相変わらずジャガイモ畑が広がる中を鉄道と並行してしばらく走ると、レストハウスと「じゃがいも焼酎」の工場がある。道の駅には登録されていないが、似たような施設だ。時刻は11時45分。昼食がてら寄ってみる。
 ヨーロッパの城のような姿をした工場をざっと見学し、(大きな字では書けないけど)焼酎をちょっとだけ試飲して、それからレストハウスで昼飯。12時43分に出発。

 札弦(さっつる)を過ぎて、釧網本線の踏切を渡り、線路が左へ遠ざかっていくと、丘陵地帯にさしかかって、やがて小清水町に入り、網走方面と釧路方面を結ぶ国道391号線に合流。これを南へ向かう。
 畑作地帯は尽きて、道路の両側とも山林となり、すでに緩やかな上り勾配が始まっている。
 この先には屈斜路湖のカルデラを取り巻く外輪山が立ちはだかっているが、今回越えるのは標高320メートルの野上峠である。過去2回は標高490メートルの美幌峠と648メートルの小清水峠を越えたから、それよりはずっと低い。まぁ、そんなに苦しまずに越えられるのではないか。陽射しがないのも、自転車には好都合ではある。
 シラカバ、カツラ、ハルニレ、ハンノキ、アカエゾマツ…。樹名を記した名札がついた木が点在する国有林の中をだらだらと上っていく。
 やがて、道路の右側に小さな草地があり、その奥に「野川駅逓跡」の碑が人知れず、という感じで佇んでいた。草地というより湿地に近く、わざわざ近寄る物好きも少ないだろうが、自転車を止めて、道路よりも一段低い草むらへ下り、水の流れを飛び越えて、碑のそばに寄ってみた。
 小清水町教育委員会が立てた説明板によれば、釧路道路の開通に伴い、明治24年に開設されたそうだが、放牧地に恵まれず、川湯、小清水から半日の道程にあったため宿泊客も少なく、経営は極めて苦しかったという。結局、昭和6年の釧網線全通により、この駅逓は廃止され、今となっては石碑以外に何の痕跡も残っていない。
 深い森の中で、あたりに人家はまったくなく、こんな場所に駅逓があったことすら想像しがたい。当時からずいぶん寂しい場所だったのではないか。清里町にも「上斜里駅逓所跡」というのがあったが、駅逓が各地に栄えていた当時の北海道の旅というのはどんなものだったのだろう。具体的なイメージを思い浮かべるのは現代人にはなかなか難しい。

 10キロ余り上ったろうか。道はだんだん急になり、予想外にきつくて、最後の数百メートルは辛かったが、なんとか野上峠に到着。見晴らしは全然よくない。ライダーが駐車スペースにバイクを止めて、大の字になって居眠りしている。

 

 弟子屈町側に下り始めてまもなく視界がパッと開けて、硫黄山や屈斜路湖が見えてきた。ここから阿寒国立公園で、ライダーが風景の写真を撮っている。美幌峠や小清水峠ほどの見晴らしではないが、峠越えの記念に、と考え、僕も自転車を停めて、カメラを取り出すと、「写真、撮りましょうか」というので、お願いした。

 勢いよく坂道を下れば弟子屈町川湯。国道から右折して道道52号「屈斜路摩周湖畔線」に入る。もうこの辺は走り慣れた道である。
 今も盛んに火山ガスを噴き上げ、木々も生えない硫黄山アトサヌプリ=裸の山)もすでに目に馴染んだ風景だが、時間があるから寄っていく。観光バスがズラリと並び、温泉玉子売りの声が飛び交う、やたらに俗っぽい雰囲気の場所で、つい誘惑に負けて、レストハウスでソフトクリームを買ってしまう。それにしても、こんな硫黄の臭いが立ち込める場所で働いていて、、健康に害はないのだろうか。昔、囚人を使った硫黄採掘が行なわれ、多数の死者や失明者を出したという話を読んだ記憶があるのだが…。

  

 さて、アトサヌプリをあとにハイマツやイソツツジの群落にシラカバがまばらに生える荒涼とした地帯を抜け、川湯の温泉街に入る。
 有名な温泉地のわりに閑散としていて、旅館やホテルの玄関先には「空室あります」の札が目につく。キャンプ場がどこも賑わっているのと対照的だ。
 また、ここは名横綱・大鵬の出身地で、相撲記念館もあるが、まだ入ったことはない。今回も素通り。その代わり、というわけではないが、記念館の近くの林の中に川湯エコミュージアムセンターというのがあったので、そちらには立ち寄ってみる。川湯温泉や硫黄山、屈斜路湖一帯の自然に関する展示解説のための施設で、しばらく時間を過ごした。

 結局、この日は屈斜路湖の南部に突き出た和琴半島の湖畔のキャンプ場にテントを張る。過去2回のツーリングでも2泊ずつしている、いわばお気に入りのキャンプ場で、今年もつい「連泊で…」と申し込んでしまった。雨ならどこか屋根の下に泊まることも考えたが、それほどひどい天候にはならないだろう。今は曇りである。
 本日の走行距離は110.3キロ。通算では1,351.4キロになった。



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