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房総半島自転車旅行 1995年 晩夏
外房(御宿〜和田浦) 1995.8.24

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     御宿

 房総半島・御宿海岸の民宿で迎えた朝。遠い波の音と澄んだ虫の声で目を覚まし、7時過ぎに出発。晴天。また暑くなりそうだ。
 昨日は初めて自転車で100キロ以上も走ってしまったが、今朝は疲れは残っていないようだ。筋肉痛などの症状もない。

 砂浜でサンドイッチの朝食を済ませ、ホテルやリゾートマンションの並ぶ御宿の街を離れ、昔ながらの漁港を過ぎると、国道128号線に合流。きょうは外房の海岸に沿って、行けるところまで行くつもり。
 真っ青な海を眺めながら自転車を走らせる、というのにずっと憧れていたので、その夢がかなって今はとても幸せな気分。
 しかし、しばらく走ると国道は海岸を離れて山の中に入ってしまう。この先の海岸線は複雑に入り組んでいて、国道はそうした海岸線に沿うことなく岬の付け根をトンネルで貫き、まっすぐ進んでしまうのだ。なるべく海岸線に忠実に走りたいので、国道から分かれて海沿いの細道を選ぶ。

     勝浦灯台

 走るにつれて、緑に囲まれた小さな漁港や磯浜が次々と現われ、山林からはミンミンゼミの声がシャワーのように降りそそぐ。
 のどかな漁村には昔ながらの民宿もある。御宿のリゾート民宿なんかより、こっちに泊まればよかったと思う。
 岬の先端に近い川津漁港から先、道はもう海沿いには進めなくなり、今度は岬の上へと急激に上っていく。自転車を押して坂を上がり、内壁がデコボコした素掘りのトンネルをくぐって、眼下に外海が見えてくると、勝浦灯台の入口。僕は灯台のある風景というのが好きで、灯台があれば、そばに寄って眺めることにしている。
 太平洋の青海原を見晴らす高台に立つ勝浦灯台は八角形のすらりとした灯台。周辺に人の気配はない。夏の陽をいっぱいに受けた木々の葉がさまざまな緑色に光り輝いて、海風にさわさわと揺れているばかり。こんな美しい風景の中を気ままに走り回れる自転車というのは、なんて自由な乗り物なんだろう、と思う。

     勝浦の朝市

 緑色の風を全身に感じながら、軽快に岬をめぐり、まもなく勝浦市街に入る。千葉県下では銚子に次ぐ漁業の町。この旅では木更津以来の都市で、市内の道路も渋滞気味。
 そんな勝浦で朝市にぶつかった。400年の歴史があるそうで、きのうの牛久の朝市よりもずっと活気がある。地元の人だけでなく観光客も多い。露店に並んでいるのは、やはり花や野菜、果物、海産物の類。スイカとか梨とかトマトとか冷して食べたら美味いだろうなぁ、と思う。見ているだけで喉が渇き、結局、100円のかき氷の行列に並んだ。

     勝浦海中公園

 勝浦からはしばらく砂浜に沿って走り、再び国道と別れて岬へ続く美しい海辺の道を行く。
 幾つ目かのトンネルを抜けると、急にあたりが観光地風になって、勝浦海中公園に着く。ここには海中展望塔があるので、寄ってみる。
 入口に自転車を止め、930円の観覧料を払い、大勢の観光客に混じって岬の突端から長い桟橋を渡って海上に立つ白亜の塔へ。そして、塔の内部の螺旋階段をぐるぐる下ると海面下の展望室である。楕円形の小窓に大人も子どももはりついて、歓声をあげながらガラスの向こうの青い世界を覗き込んでいる。
 水深8メートルの海中風景がゆらリゆらりと揺れ動いて、不思議な感じ。そんななか、大型のメジナやイシダイ、それにアジの群れ、ユーモラスなハコフグ、その他名前不明の小魚たちが窓の外を泳ぎまわっていた。ほかの誰よりも熱心に眺める。

     自転車の旅

 海中公園をあとにトンネルをいくつもくぐって鵜原の町を過ぎ、再び128号線をたどる。
 外房線の線路が寄り添ってきて、ちょうど安房鴨川行きの電車が軽やかに駈けていく。
 ふだんは汽車旅派なので、もしも自分があの電車に乗っていたら、と想像してみる。車窓から夏の緑の合間にちらちらと海を眺めながら、駅弁でも食べて、のどかな汽車旅気分を味わうのもなかなかいいな、とは思う。
 しかし、便利な乗り物を利用するということは、それだけ旅のプロセスを省略することでもある。移動のスピードが速くなるほど風景との一体感が失われていくような気もする。とりわけ、新幹線なんかに乗るとそうだが、車窓を流れてゆく風景と車内の自分との間にどうしようもない距離を感じて、もどかしく思うこともしばしばだ。時には、旅をしているというより、荷物のように輸送されているだけではないのか、という疑念すら湧いてくる。
 その点、自転車はいい。大地の起伏をペダルの重みで感じながら、照りつける太陽の下、まとわりつく暑気をふり払って、風のように走る。旅の実感とはこのことだ。
 頬を撫でる海風。仄かな潮の香り。草むらで鳴くキリギリス。民家の庭先で咲くカンナ。道端にころがるアブラゼミの死骸。すべてが自分に語りかけているようだ。風景の発するメッセージを全身で受け止めて、とにかく走る。

     守谷海岸

 さて、次はたまたま見つけた守谷海岸に寄り道。ちょっと穴場的な海水浴場である。
 岩礁の一部が海上に露出して、そこに赤い鳥居が見える。白い砂浜にはわざとらしく椰子の木が植えてあり、色とりどりのビーチパラソルの花が咲いている。湘南あたりに比べると、ずいぶん田舎っぽい。人もさほど多くない。

 その先には緑色のマッコウ鯨みたいな岬に抱かれた小さな漁港。古びた突堤から眺める海は明るく澄んだ緑色。房総半島というより南の島の海みたいである。東京の近くにこんないい海があったかと思う。


     上総興津駅

 再び国道に戻り、トンネルをひとつくぐると、興津の町。上総興津という駅があったので、寄ってみた。
 茶色い瓦屋根の昔ながらの駅。駅前には南国風の木々が植えられ、実物大のフラミンゴの模型まで飾られている。キオスクにジュースの自動販売機、郵便ポスト、公衆電話、バスの停留所、客待ちのタクシー。町の玄関口にふさわしく、ひと通りのものは揃っている。でも、夏の太陽が駅前広場を照りつけるばかりで、閑散としている。


     興津漁港

 興津の町を過ぎると、国道は山間に入るので、再び国道をはずれて海沿いを行く。まもなく興津漁港。堤防には釣り人もちらほら。

 

 ちょうど初老の漁師が小型ボートで帰ってきた。上半身裸で腰に白いタオルを巻いただけのスタイル。赤銅色に焼けた肉体が逞しい。まさに全身で海の男を体現している。
 ところで、気になるのが、港内に2つ3つ浮いているスイカ。あれは捨ててあるのか、それとも誰かが冷やしているのか。あぁ、スイカが食いたい!

     房総丘陵

 漁港の突堤で道が尽きたので、仕方なく国道へ引き返し、ここからしばらくは山間を行く。
 上総国と安房国を分ける房総丘陵越え。当然、上り坂である。きついのは確かだが、昨日ほど辛くは感じない。坂を上るコツがなんとなく分かってきたような気もする。
 やがて、フラミンゴのショーで有名な行川アイランドの前に出る。しかし、これは無視して、さらにのろのろと上り続け、トンネルを抜けると、国道から左へ逸れていく道があったので、そっちを選ぶ。
 まもなくパーッと視界が広がり、海に出た。房総丘陵が切り立った断崖となって太平洋に落ち込み、黒潮に洗われている。道はその崖っぷちにへばりつくようにうねうねと続き、夏草に埋もれかけたガードレール越しに下を覗くと岩礁が透けて見える。
 午後の陽光にきらめく海のパノラマは素晴らしいが、落石注意の標識がやけに目につく。このあたりが外房海岸で随一の難所であろう。鉄道も国道も険しい海岸は避けて、ひたすら山の中をトンネルの連続で抜けていく。

     安房小湊

 道はやがてまた山林の中へ紛れ込む。木陰は涼しくてありがたい。下り坂がなお一層ありがたい。
 立派な寺が見えてきた。誕生時。日蓮上人生誕の地である。さすがに参拝客が多い。
 道はそのまま安房小湊の町へと入っていく。鯛の群生地として知られる鯛の浦に面した港町で、観光バスがたくさん来ており、活気がある。砂浜の海水浴場も賑わっていた。
 沿道には磯料理の店が軒を連ねている。すでにお昼もだいぶ過ぎて、何か食べたいが、どこも混んでいるし、高そうでもある。おまけに、こちらはTシャツ短パンにビーチサンダル、しかも汗だくときている。あまり立派な店には入れないな、と思う。この辺が自転車旅行の悲哀でもあるようだ。

     安房鴨川

 小湊からは再び起伏に富んだ国道をさらに10キロほど走り、鴨川市に入る。
 あたりが開けて平坦になり、海岸も磯から砂浜に変わった。ただし、防風林に遮られて海はあまり見えない。
 鴨川シーワールド前を過ぎ、市街地に入ったところでハンバーガーショップを見つけて休憩。磯料理とはだいぶ違うが、まぁ、どうでもいい。時刻は14時に近い。御宿からの走行距離は約50キロ。まだ昨日の半分以下の距離で、大したことはないが、とにかく暑い。顔も手足もずいぶん日焼けしてしまった。こんな姿で、はたから見たら、どんな奴に見えるのだろうか。

 さて、もうひとっ走り。
 すぐに安房鴨川駅前を通過。東京からの特急「わかしお」号の終点である。こんなに遠くまで来たか、と思うと感慨深い。線路はここで外房線から内房線に名前が変わるが、千倉までは外房海岸に沿って続く。

     仁右衛門島

 鴨川漁港から再び坂を上っていくと、海を見渡す高台に出る。小島が点在し、ちょっと松島みたいでもある。絶景というほどではないが、なかなかよい。
 まもなく太海。ここには仁右衛門島がある。太海の海岸からほんの目と鼻の先にある小島で、源頼朝の時代から続く所有者・平野仁右衛門さんが一戸だけ住んでいるところから、この名がある。島へは渡船があり、面白そうなので行ってみる。
 島の観覧料金は渡船代込みで820円。麦わら帽子に白いトレーナー姿の船頭さんが2人で操る手漕ぎの船に、数人の観光客と一緒に乗り込み、約5分で島に上陸。
 ほんの小さな島だから散策にはさほど時間はかからない。島主の住居だとか、松尾芭蕉や水原秋桜子の句碑、日蓮上人が朝日を拝したという神楽岩、源頼朝が伊豆で挙兵後、石橋山の戦いに敗れて安房に逃れて身を潜めたと伝えられる洞窟、正一位稲荷大明神に蓬島弁財天など、ざっと眺めながら遊歩道を一巡した。とにかく、海の景色が素晴らしい。これまで走ってきた海岸線も小湊の先の断崖絶壁までずっと見渡せる。
 こんな島でのんびり昼寝でもして過ごすのも一興だが、なにしろ暑い。潮だまりの海水もお湯になっている。冷たいジュースで喉を潤してから、また船に乗って自転車のもとへ戻る。

     和田浦

 さて、太海をあとに国道をさらに南へ走る。そろそろ今日の宿探しもしなければならない。夕方には最南端の野島崎あたりまで行けるかと思っていたが、とても行けそうにない。
 江見のあたりからは周囲が田園風景に変わってきた。冬から春先にかけて一面の花畑になるのはこの辺だろうか。小さな漁村の民宿みたいなところに泊まりたい、と思っていたが、むしろ海辺の農村といった風情である。一段と田舎っぽさが増してきた。

 結局、和田浦の駅に近い昔ながらの民宿を見つけた。時刻は16時過ぎ。
 開け放った1階の部屋で、ムームー姿で団扇片手に夕涼みをしているおばちゃんに、
「今日は部屋は空いてますか?」
 と尋ねると、その人もお客さんであった。失礼しました。
 改めて玄関で声をかけると、30代後半くらいの男の人が出てきた。宿泊OK。2階の部屋に通される。窓からは家並みの向こうにわずかに海が見える。
「暑かったでしょう。そろそろお風呂が沸くから、どうぞ」
 これが一番嬉しい。しかし、いざ入浴となると、焼けた肌がヒリヒリして、湯船につかれない。それより、ケロリンの洗面器にお湯を汲み、水をたっぷり加えて、頭からザブンとかぶるのが一番気持ちがいいのだった。

     ウミガメ

 サッパリしてから海辺を散歩。宿から海までほんの数十メートル。太平洋が力強く押し寄せる砂浜は町営の海水浴場として整備されている。トイレも水洗式である(宿のは汲み取り式)。しかし、人は少ない。わずかに一組の家族連れが帰り支度をしているばかり。
 そういえば、童謡『浜千鳥』の詩はこのあたりの浜辺が舞台になっているそうだ。江見寄りの海岸に詩碑が立っているという。
 それよりも、波打ち際で大変なものを発見した。ウミガメ。正確にはアオウミガメだろうか。ただし、死んでいる。甲羅の一部が剥がれ、腐臭が鼻をつく。ハエもたかっている。
 亀といえば長寿の代名詞みたいなものだが、こいつは一体、いつどこで生まれ、どれだけの海を旅してきたのだろう。悠久の海を目の前にしながら想像してみると、なんだか気が遠くなる。

     和田浦の夕風

 散歩から戻り、あとは部屋でのんびり。冷房はないが、窓から吹き込む夕風のお陰で結構涼しい。波の音や近所の子どもたちの声、時折、電車の音なども聞こえてくる。
「1号室のお客さーん」
 階段の下から声がして、おばさんが夕食を運んできた。まだ早いが、腹は減っている。
 何が出てくるかと思えば、サザエの壷焼きや刺身、焼き魚などに混じって、懐かしや、鯨の竜田揚げではないか。小学校の給食以来のような気がする。世界的な反捕鯨の気運が高まるなかで、ここらではいまだに鯨を捕っているのだろうか。

 夕食後、ひまなので、夕涼みがてら、再び散歩に出る。まだ西の空に明るさが残り、遠い岬のシルエットが浮かんでいる。
 空の青さが深みを増して、夕闇が降りてくると、和田漁港の赤色灯台や青白い常夜灯の光がもの寂しい気分を誘う。
 きのうの御宿はリゾート地らしく、夜になっても若者たちのさんざめきや浜辺の花火の音が聞こえていた。しかし、和田浦にはそれがない。海岸にもはや人影はなく、かわりに野良猫がどこからともなく集まってきた。

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