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房総半島自転車旅行 1995年 晩夏

  上総(自宅〜御宿)  1995.8.23


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     初めての自転車旅行

 自転車に乗るのは好きだけれど、自転車旅行となると、旅というより冒険のイメージが強くて、基本的にインドア派の自分には縁のないものと思っていた。自転車の前後左右に大きな荷物を積んで、北海道一周とか日本一周とか、そんなイメージ。そういうことは超人的な体力と勇気を持ち合わせた人たちがやるものだと思っていた。
 しかし、よく考えれば、そんなに大げさにとらえる必要はないのだった。気軽なサイクリングのつもりで出かけて、その日は家に帰ることは考えずに、走りたいだけ走る。夕方になったら、あるいは疲れて走れなくなったら、泊まるところを探す。それを毎日、繰り返せばいいだけなのだから…。出かけたら、必ず家に帰り着かねばならない日帰りのサイクリングよりむしろ気楽ではないか。

 そう、自転車旅行なんて簡単だ! 自転車に乗れさえすれば、誰でもできる。

 突然、そのことに気がついて、僕も自転車で旅をしてみようと思い立った。
 1日でどれぐらい走れるのか、見当がつかないから、とにかく、走れるだけ走って、疲れたら、宿を探そう、いまは夏だし宿が見つからなければ野宿でもいい。そんな軽い気持ちで、まだ行ったことのない房総半島に行ってみることにした。3日か4日もあれば、一周できるのではないか、という心づもりで初めての自転車旅行に出かけることにした。

 

     多摩川

 空が白々と明けてゆく午前5時過ぎ。街はまだ眠り、見慣れた風景もいつもと違って見える。旅立ちの独特な気分。しかも、初めての自転車旅行。ペダルを踏むごとに世界がどんどん広くなるのを感じる。
 ふだん街なかばかり走っている愛用の自転車にたまには海を見せてやりたい。夏の太陽の下、潮風に吹かれて自転車で旅してみたい。そんなささやかな想いをかなえるべく、まずは二子玉川から朝靄の中、多摩川に沿って川崎へ走る。
 秋の虫がすだく土手のサイクリング道路。散歩やジョギングをする人々を次々に追い抜いて軽快に飛ばす。広い空には雲が多く、朝日も隠れている。
 川崎駅の北側を通過して、やがて工業地帯にさしかかる。大型トラックが轟然と行き交い、化学工場特有の不快な異臭が漂っていたりもする。今年はいわゆる「地下鉄サリン事件」以降、各地で異臭による事件や騒動が多発したので、こうした臭いにはどうしても神経質になってしまう。こんなところを走っていてもちっとも楽しくない。ただ黙々と東京湾をめざしてペダルを踏み続けるのみ。

     東京湾横断航路

 6時40分に多摩川河口、東京湾に面した浮島に着いた。ここまで27.3キロ。
 これからフェリーで千葉県の木更津へ渡る。料金は僕が1,030円で、相棒が300円。次の便は6時55分出港の「オアシス」。小さな船である。(注*勿論、この航路はアクアラインの開通により廃止され、現在は存在しません。)
 切符を買ってすぐに乗船。自転車は僕だけ。ほかにバイク1台、トラックや乗用車が数台。空いている。

(東京湾横断航路)

 さて、フェリーはコンビナートの煙突から噴き上がる炎に見送られて、浮島港の岸壁を離れ、曇天の下、のっぺりした鉛色の海を渡っていく。
 船に乗る時はいつもそうだが、僕は船室でじっとしているよりも、甲板に出て海を眺めているのが好きである。
 もとより、きれいな海ではない。天気も冴えない。しかし、それでも海はいいな、と思う。東京湾でもやはりそれなりに広い。
 東京港に出入りする大型タンカーや貨物船の航路を横切って進む小さなフェリー。川崎と木更津を結ぶべく建設中の東京湾横断道路も海上に姿を現わしつつあるが、開通すれば、このフェリーは廃止、ということになるのかどうか、ちょっと気になる(⇒はい、廃止になりました)。
 木更津が近づいてきた。海に沿って工場や倉庫が並び、海面は汚れ、クラゲがたくさんプカプカ浮いている。空は相変わらず雲が広がり、夏らしくない陰鬱な眺め。

(木更津港に到着)

 8時に木更津港到着。いよいよ房総半島に上陸だ。まずは半島を横断して外房海岸をめざそうというのがとりあえずの考え。丘陵越えになるから、結構きついかもしれない。あまり長距離を走った経験がないので不安はあるが、とにかく走れるだけ走ってみよう。まだ8時だから時間はたっぷりあるし、べつに宿泊地も決めていないから、のんびり走って辿りついた町で泊まればよい。まぁ、なんとかなるだろう。

     房総横断道路

 とにかく新たな気分で木更津を出発。
 市街を抜けて、国道409号線を行く。木更津と茂原を結ぶルートで、「房総横断道路」の標識が立っている。しばらくはこの道に付き合おう。
 まもなく、あたりは田園風景になり、かぼそい鉄道線路が寄り添ってくる。JR久留里線。木更津から山あいの上総亀山へ向かうローカル線で、ちょうどディーゼルカーが走っていく。まだ乗ったことのない路線で乗ってみたい気もするが、今は自転車で走ることの方が遥かに楽しい。

 
(久留里線・祇園駅と神社へ続く踏切)

 10キロあまり走ると東横田という駅がある。小さな無人駅。ここで少し休憩。まだ天気はすっきりしないが、だいぶ明るくはなってきた。やはり暑い。どっと汗が吹き出してくる。
 水分を補給して再び出発。久留里線はここから南へカーブしていくが、僕は409号線に従って、さらに東へ向かう。
 やがて、鴨川方面へ通じる410号線を南へ見送ると、人家が尽きて、いよいよ丘陵地帯にさしかかる。カーブが多くなり、ペダルも重くなってくる。
 しばらく上ると、いったん下って、また上る。その繰り返し。周囲の山林から降りそそぐ蝉時雨の中、ひたすらペダルを漕ぐ。
 途中、養牛場があって、牛舎にホルスタインが20頭ばかり押し込められている。暑さで蒸れた糞尿の酸っぱい臭いが強烈に鼻腔を刺激する。
 競走馬の育成牧場である大東牧場の前を過ぎて、起伏の激しい国道を黙々と走り続け、ようやく下り坂の先に町並みが見えてきた。牛久の町である。なんだかホッとする。

     上総牛久

 養老川を渡って街なかに入り、疲れきってショッピングセンターの駐車場で自転車を止めた。途端に全身から汗が流れ出す。リュックサックの下でTシャツが濡れて、背中がベトつき気持ち悪い。とにかく蒸し暑くて参った。まだ木更津から25キロぐらいしか走っていないのに、この体たらく。時計を見ると9時半。少しのんびりしよう。

 町の中を走ってみる。昔ながらの田舎町であるが、ここも市原市に属している。臨海工業都市の印象が強い市原市の領域がこんな内陸にまで及んでいるとは初めて知った。
 商店街では朝市が開かれている。道端に露店が並び、おばさんやお婆さんが花や野菜、果物、海産物などを商っている。地元民による地元民のためのささやかな朝市である。

(閑散とした牛久の朝市)

 この牛久にはJR内房線の五井から小湊鉄道というローカル私鉄が通じている。その上総牛久駅へ行ってみる。赤茶色の瓦屋根の木造駅舎。駅前にはバスやタクシーが待っていて、町の中心らしい活気がある。
 ちょうど五井からの列車が着いた。朱色とクリーム色に塗り分けられたディーゼルカーの2両連結。昔ながらのローカル線の色が濃い。

 
(上総牛久駅)

 小湊鉄道はこの先、房総の山間部へ分け入り、養老渓谷を経て、上総中野というところまで続いているが、五井からの列車の半分はこの牛久止まりである。つまり、ここから先は房総半島の中でも本格的な田舎ということになる。

     上総川間駅

 10時前に牛久を出発。町はずれで409号線に別れを告げ、市原と勝浦を結ぶ297号線に入る。当面の目的地は大多喜。牛久から南東方向に16キロほどの距離だが、地図を見ると、この区間の大半は上り坂のようである。とにかく走るしかない。
 緑濃い丘陵の間に開けた田園地帯。元気も回復して、しばらくは軽快なサイクリング。
 並行する小湊鉄道の駅がふと目にとまる。早くも色づいた田んぼの真ん中にポツンとある小さな無人駅。心惹かれて寄り道。
 上総川間駅。単線の線路に短いホームを添えて、青いトタン張りの待合小屋があるだけの簡素な駅である。ほかには何もない。誰もいない。列車も当分来そうにない。草むらからバッタがキチキチキチと音を立てて飛び立つばかり。

 
(田んぼの中にぽつんとある小湊鉄道・上総川間駅)

     上総鶴舞駅

 国道に戻って、さらに行くと、また次の駅が見えてくる。
 今度はわりと大きな上総鶴舞駅。赤茶色の瓦屋根の木造駅舎。草に埋もれた広い構内。昔ながらのひなびたローカル線の風情を今に伝えており、何ともいえない雰囲気がある。ずっと昔から時間の流れが止まっているかのような、まるで全体がひとつの骨董品みたいな駅である。草深いホームには棕櫚が植えてあったり、ノウゼンカズラがオレンジ色の花を賑やかに咲かせていたりして、どこか南国的な香りのする駅でもある。
 なんだか駅探訪の旅みたいになってきた。僕はその土地の自然と生活に溶け込んだ鉄道の風景が基本的に好きなのである。

 
(上総鶴舞駅)

 赤茶けた砂利の上に敷かれた線路。その線路を青々と縁取る夏草。ホームや駅前広場に植えられた木々が陽射しを和らげ、緑色の風が吹き抜ける。毎日毎日、同じ時刻に踏切の警報機が鳴り出し、汽車が来る。それがその土地の生活にのどかなリズムを作り出す・・・そんな風景。いいなと思う。


     長い坂道

 その線路がカーブを描いて夏草の彼方に遠ざかっていき、僕もまた国道を走り出す。両側から丘陵が迫り、道は緑の中を緩やかに上っていく。さぁ、ここからだ。
 セミの混声合唱団が賑やかに夏を歌っている。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ。ニイニイゼミもまだいるようだ。林の奥からヒグラシの幽玄な独唱も聞こえる。しかし、彼らの宴ももうすぐ終わり。路上には力尽きたアブラゼミがいくつも転がっている。
 ペダルが重みを増してきた。雲行きも怪しくなってきた。一旦は明るくなっていた空に再び灰色の雲が広がって、今にも通り雨が来そうな気配。まぁ、天気がどうであれ、とにかく前進あるのみ。
 それにしても、この上り坂は一体いつまで続くのだろう。勾配もだんだんきつくなってきた。ビューンと走り去るクルマの傍らをこちらはカタツムリのようにのろのろと進む。小学生の女の子が好奇の眼差しでこっちを見ている。
 あぁ、疲れた。自転車を押して歩く。バス停のベンチに座り込む。気を取り直して、また走り出す。もう周囲の風景も目に入らない。蝉時雨も聞こえない。ただアスファルトの路面だけを見つめて、ひたすら重いペダルを踏み続ける。

 10キロぐらいは上っただろうか。突然、前方にパーッと視界が開けた。遠くは霞んでいるが、眼下には大多喜の家並みが広がり、それを取り巻くように田園風景が続いている。
 苦しい上り坂から解放されて、つづら折りの道を風を切って下る爽快感。これがサイクリングの喜びというものだろうか。

     大多喜

 必死の思いで蓄えた貯金をゼイタクにも一気に使い果たしたところが大多喜の町はずれ。再び全身汗だくである。リュックから地図(道路地図帳のコピー)を取り出し、道を確かめてから大多喜の市街へ入る。
 大多喜は古い城下町。背後の丘の上に天守閣が見える。復元されたもので、内部は博物館になっているそうだが、あそこまで登る気にはならない。
 すっかり消耗して、のろのろと街なかを走る。わずかな上り坂でも応える。あちこちに昔風の常夜灯が設置されて城下町の風情を演出しているが、それにも気持ちがあまり感応しない。
 格子窓の古い商家があった。江戸末期の建築で重要文化財の渡辺家。今でも人が住んでいるそうで、内部は非公開。どうでもいい。とにかく疲れた。
 最後の気力を振り絞って坂を上ると大多喜駅。先の小湊鉄道の終点・上総中野と外房の大原を結ぶいすみ鉄道の中心駅である。昭和63年に廃止された旧国鉄木原線のレールを第3セクターのいすみ鉄道が引き継いだ際にこの駅も改築されたのだろう。城下町の玄関口らしく黒と白を基調とするシックな意匠。時計塔のある瀟洒な駅である。構内には黄色のディーゼルカーの姿も見える。その後の経営状態はどうなのだろうか。

(いすみ鉄道・大多喜駅)

 とにかく駅で一休み。べつに駅には何の用もないわけだが、元来が汽車旅派なので、僕にとっては駅こそが町の中心であり、駅を見てはじめてその土地に来たという実感が湧くのである。
 時刻は11時半を過ぎている。走行距離は73.5キロ。かなりバテた。
 洗面所でザブザブと顔を洗い、半ば放心状態で駅前のベンチに座っていると、雨がポツポツと落ちてきた。ついに…。しかし、通り雨だから大したことはなさそう。

     夷隅町

 しばらく休むと、だいぶ元気が戻ってきた。意外に回復は早い。雨も止んだ。さて、太平洋岸の大原までもうひとっ走りするか。
 大多喜をあとに田園地帯を東へ走り出す。大原まで17キロほど。

(夷隅川を渡るいすみ鉄道の列車)

 シラサギのいる夷隅川を渡って夷隅町に入る。いすみ鉄道の線路も大体並行して続いている。周囲は開けた印象で、沿道にも人家が多いが、相変わらず緩やかな起伏が連続する。結局、房総半島というのは、どこまで行っても平坦な場所はほとんどないようだ。
 7キロ走って夷隅町の中心・国吉の集落を過ぎたあたりで、前方にサイクリングと思しき青年を発見。なんとなく追走するも向こうの方が速い。こちらは時速20キロ足らずでちんたら走る。
 ところで、僕の1日の走行距離の過去最高は85キロである。そろそろ未経験の距離に突入する。一生懸命ペダルを漕いでも、もう速度は上がらないが、旅の充実感みたいなものはある。

     通り雨

 大原町に入って、だらだらと続く上りに苦戦しているうちにまた雨が落ちてきた。
 途中、自転車を押したりして、なんとか低い丘陵を越え、再び農村地帯に下ると、雨はだんだん強くなり、たちまち路面が濡れ、自転車は水飛沫を上げるようになった。
 先刻の青年が雑貨屋で雨宿りしているのが見えたが、その前を通り過ぎ、さらにしばらく走る。しかし、雨足は強まるばかり。結局、とある民家の車庫に勝手に逃げ込んだ。
 どうせ通り雨。もう陽が射して、狐の嫁入りだ。アスファルトを叩く雨粒が弾けて水の冠みたいに金色に輝いている。
 出発前には、もし途中で雨に降られたらどうしようなどと気を揉んでいたけれど、実際にこうしてザーッと降られてみると、まぁ、どうにでもなるもんだ。雨の匂いも悪くない。一応持ってきたカッパも必要なさそう。
 結局、20分も雨宿りしてから、再び黄金色の田園風景の中を走り出す。路面が乾くのも早い。

     御宿

 ところで、道なりに行けば大原に出るはずだったが、どうやら道を間違えたらしい。地図を出して付近の地名と照合すると、本来左折すべき地点をすでに4キロも過ぎてしまったことが判明。このまま進むと、大原ではなく御宿に出てしまう。まぁ、外房の海に出られれば、どちらでもいいので、まっすぐ御宿に向かうことにする。
 またまたペダルが重くなってきた。最後の長い上り坂。もうヨレヨレである。
 やっと下りになった、と思っても、一向にペダルが軽くならない。自転車のトラブルかと一瞬不安になったが、そうではない。目の錯覚。上り勾配が若干緩くなったのを下りになったと勘違いしたのだった。精神的な疲労もピークに達している。
 御宿町に入り、短いトンネルをくぐって、ようやく下る。もう一息。もうすぐ太平洋が見えるはず。そうしたら今日はもう終わりにして、のんびりしよう。
 やがて、前方にJR外房線の築堤が見えてきた。やっと着いた、という安堵感と達成感で急に心が軽くなる。ペダルの重みももう感じない。

 ガードをくぐり街なかに入ると、まもなく御宿駅前。
 これまで全く見かけなかった観光客、それも海水浴で日焼けした女の子がたくさん闊歩している。レストランや土産物屋も並んでいるし、バブル経済の遺物のリゾートマンションまで聳えている。陽射しは明るく、空は青く、南国的なヤシの木が大きな葉を風に揺らしている。今まで走ってきた内陸の町とはまるで別世界。光の色も空気の匂いも違うみたいだ。一気に疲れが吹き飛んだ気がする。

 
(外房線・御宿駅)

 まずは宿探し。海水浴客でどこも一杯かと思いきや、すぐに「空室あり」の看板を発見。海に近い小ぎれいな素泊まり民宿。ここでいいか、と即決。
 ここまでの走行距離は95.9キロ。時刻は13時半。まだ早いので、部屋だけ確保して、荷物を預け、スニーカーをビーチサンダルに履き替えて、再び自転車を走らせる。
 とにかく腹が減ったので、まずは食堂を見つけて昼食。チャーハンを注文して、あとでかき氷を追加。夏の旅だと、どうしてもこうなる。

(ビーチサンダルを波に浮かべてみた)

     月の沙漠
 
 さて、午後の残りの時間はのんびりと海辺で過ごそう。
 真っ白な砂丘の向こうにエメラルドグリーンの太平洋。浜辺では、過ぎゆく夏を惜しむ人々が砂の上に寝そべったり、波と戯れたりしている。夏の終わりの海岸リゾート。賑わいの中にすでに秋の寂しさが忍び入っているようでもある。



 砂浜には王子と王女を乗せた2頭の駱駝の像。そして、三日月型の詩碑。

 月の沙漠をはるばると旅の駱駝がゆきました

 抒情画家の加藤まさをは御宿の美しい砂丘に着想を得て、童謡『月の沙漠』の詩を書いたのである。海に面して立派な記念館もある。
 幻想的な月夜の沙漠をどこへとも知れず駱駝の背に揺られてゆく王子と王女。そのどこか心細げで果てしない感じが好きだ。幼い頃の旅への憧憬と不安の心理が呼び覚まされる気がする。
 それにしても、ずいぶん遠くまできてしまった。電車やクルマで来たのなら房総半島ぐらいでそんな風には感じないだろうけれど、今日はふだん使っている自転車と一緒である。こいつに乗ってこんなところまで来たかと思うと、なんだか信じられない気分になる。せっかくなので、旅の記念として海をバックに愛車の写真を一枚撮ってやった。

(海をバックに…)
 

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