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霧多布〜根室 1998年8月
真夜中の侵入者
グシャグシャグシャ…。
午前1時。奇妙な物音で目が覚めた。霧多布のキャンプ場。テントのすぐ外に何かいる。寝袋の中で息をひそめていると、また…。
グシャグシャ…。
音の発生源は1メートル以内か。身を起こして、電灯をつける。音が止む。
少し間をおいて、恐る恐るテントの出入り口のファスナーを開ける。もう何の気配もない。が、小さな異変が起きていた。
僕のテントはテントの上に雨避けのフライシートをかぶせる二重構造になっていて、テントの外側に土間のような空間、いわゆる前室がある。そこには靴やサンダルやゴミ袋などを置いていたのだが、どうもゴミ袋の位置が移動したような気がする。さっきの物音はこのゴミ袋を引きずる音であったに違いない。
この時、また何か気配を感じて、テントから身を乗り出し、フライシートのファスナーを開けて、外を覗く。
10メートルばかり離れたところにキタキツネがいた。闇の中で赤茶色の姿が水銀灯の光に照らし出されている。アイツの仕業か…。
ゴミ袋には弁当のカラ容器など不燃ゴミを詰めていたが、何よりもイワシの味噌煮の空き缶の匂いがキツネを強烈に誘惑したに違いない。奴は大胆にも前室の中にまで頭を突っ込んで、袋を引き出そうとしたわけだ。
全く油断のならない奴だ、と思いながらも、物音の正体が分かって安心し、テントのファスナーを全部閉め、電灯も消して、また寝袋にもぐり込んだら、あっという間に眠りに落ちた。
霧多布の朝
次に目が覚めたのは4時。夜明けとともにカラスどもが騒ぎ出す。また霧が出ているらしく、灯台の霧笛も鳴っている。
もうひと眠りしてから活動開始。いつしか霧は晴れてきたが、空はまだ曇ったまま。ただ雨が降る気配はない。空気はひんやりとして、洗面所の水が冷たい。
あちこちのテントから出たゴミを狙ってカラスやカモメが群がり、キツネもまだうろついている。このキャンプ場にすみついているのだろう。こういうのを自然と人間の共存というのかどうか。たぶん、そうは言わないだろう。
「キツネにインスタントラーメン4つ持っていかれちゃったよ」
札幌から来たという隣のテントのおじさんは苦笑しながら、キツネがなぜか1袋だけ残していったラーメンを作って朝食にしていた。
霧に濡れたテントを乾かしてから撤収。出発の準備をしていると、隣のおじさんがやってきて、僕の自転車の荷台にパイナップルの缶詰とキュウリ2本とソーセージ1本をドカッと置いた。
「ラーメンは盗られちゃったし、これ、残ったからあげるわ」
「あ、どうも…」
もちろん、お礼は言ったが、荷物が増えちゃうなぁ、とも思う。なかでも最も重いパイン缶は缶切りがないと開けられないタイプだ。キュウリもおじさんは「塩かけて食え」というけど、塩も持っていないし…。まぁ、いいか。とりあえず、全部リュックサックに詰め込んで、7時25分に出発。
馬が放牧されたなだらかな草原。彼方に広がる薄青い海。一晩眠って疲労もとれ、爽快な気分でペダルを踏んでいると、札幌ナンバーのクルマがクラクションを鳴らして走り去った。あのおじさんだ。僕も手を上げて、あっという間に遠ざかるクルマを見送った。
まずは霧多布の東海岸、浜中湾に面した展望台へ。駐車場やバス停、売店、トイレのある観光の拠点だが、まだ観光客はいない。
もらったばかりのソーセージを齧りながら、花の咲き乱れる草原の果てまで歩くと、灯台のある岬の突端から浜中湾の彼方、根室方面へ続く海岸線がずっと見渡せる。朝の大気もさわやかで清々しい。切り立った断崖も、岩礁の上にそそり立つ岩も夏の緑をまとい、そこにウミウやオオセグロカモメが営巣し、上空にはツバメの群れがしきりに飛び回っていた。
(海辺の牧場とアゼチ岬)
霧多布湿原
8時に出発。霧多布半島の南西端に位置するアゼチ岬にも立ち寄って半島をあとにし、次に霧多布湿原の対岸の小高い丘にある湿原センターへ行く。湿原の中の「泥炭形成植物群落」のただなかを突っ切る3キロ余りの立派な道路は通称「MGロード(Marshy Grassland Road)」と呼ばれ、最高の気分で走れるが、この道路は人間が貴重な自然に刻み込んだ深い傷痕でもある。
(M・Gロード)
センターにはちょうど開館時刻の9時に着いた。さっそく展望フロアの望遠鏡を覗いてみると、湿原の真ん中の水辺でひっそりと暮らす丹頂鶴の夫婦を視野にとらえることができた。丹頂鶴は冬場は鶴居村や阿寒町の給餌場に集まって過ごすが、夏の間はつがいごとに道東各地の湿原に散らばって、巣を作り、卵を孵し、ヒナを育てる。僕が見つけたペアも草の陰に淡い茶色の幼鳥を連れているのかもしれない。
売店で地元のビン入り牛乳を買って飲み、霧多布に関する展示やギャラリー、図書室でいろいろな知識を得て、9時50分に出発。
再びMGロードを海岸部へ戻り、昨日からずっと付き合っている道道123号「別海厚岸線」を浜中湾に沿って根室方面へ向かう。
左手にはなおも湿原が続くが、対岸の丘陵がたんだん迫ってきて、ついに湿原が尽きたところで道が分岐。123号線は左へカーブして内陸へ分け入るので、僕は海沿いのトンネルへ吸い込まれていく道を選ぶ。道道142号「根室浜中釧路線」である。142号線といえば、昨日釧路から雨と霧の中をずっと走ってきたあの道だが、尾幌で国道44号線に吸収され、厚岸からは123号線の陰に隠れていたのが、ここで復活である。
短いトンネルを抜けて、後静(しりしず)という土地を過ぎると、こちらも海に背を向けて丘陵地帯へと上っていく。「北太平洋シーサイドライン」といっても、海に沿って走る区間はそう多くはないのだ。
ムツゴロウ王国
坂を上りきって、まもなく「ムツゴロウ王国」と書かれた矢印があって、砂利道が右へ折れていた。そこでマウンテンバイクの青年が自転車を止めていたので、ちょっと挨拶のつもりで声をかけたら、結局、一緒に「王国」へ行ってみようということになった。素通りするつもりだったが、まぁ、話のタネにはなるだろう。
長野県からという彼は旭川まで列車を利用して、そこから自転車で走ってきたとのこと。昨夜は霧多布の民宿に泊まり、今日はこれから一気に納沙布岬まで行った後、根室に泊まる予定だというから、かなりの強行軍である。たった今、ここまで坂を上ってくる途中でキツネに会ったそうだが、僕は見なかった。
さて、雑木林を抜けると、浜中湾をバックに有刺鉄線を張り巡らせた牧場が広がった。「ここがそうなのかな?」などとあたりを見回していると、前方から大型犬を2匹連れた若い女性2名が現われ、こちらへ歩いてきた。「王国」の住民だろう。彼女らは特に我々に目を向けるわけでもなく通り過ぎていったが、犬の方はこの見知らぬ訪問者に多少は興味を引かれたのか、そばに寄ってきたので、頭を撫でてやる。
そこへ青いトラックがやってきて、女性たちの横で停まった。
「ムツゴロウさんトコの人かい? 馬が死んだって聞いて引き取りに来たんだけど」
女性スタッフも馬が死んだという話は知らなかったのか、この先の門のところで聞いてくれと運転手に言っている。ムツゴロウ王国は動物たちにとって楽園なのだろうけれど、死ぬ時はやっぱり死ぬんだなぁ、と当たり前のことを思ったわけだが、トラックのボディーに「アニマルフーズ」と書いてあったのが妙に気になった。
とにかく「王国」の門前まで行くと、そこには我々以外にもクルマできた観光客やチャリダーが数人いて、それぞれに内部の様子を窺ったり、記念写真を撮ったり、門の傍らの売店で買い物をしたりしている。門は閉じられ、なかには入れないが、馬に跨った人の姿が見える。奥の牧舎の前にはさっきの青いトラックが停まっている。思っていたよりも殺風景なところだなぁ、という印象をもった。
北太平洋シーサイドライン
さて、同行の彼とは目的地が同じであり、列車やバスなら一緒に行くのも楽しいけれど、自転車の場合は走るスピードも違うので、それぞれ自分のペースで走ることにする。なにしろ、僕は夕方までに根室に着ければいいが、彼はできれば今日中に納沙布岬まで行きたいというのだから、50キロ近く余計に走らねばならない。ということで、彼はどんどん先行して後ろ姿が小さくなっていった。僕はのんびり走る。
(幌戸の海岸)
丘陵を下っていくと、また海と湿原が見えてくる。幌戸(ぽろと)である。湿原の中には幌戸沼が広がり、そのほとりに丹頂鶴が1羽。ここで鶴の夫婦が暮らしているのは去年確認済みであるから「あ、今年もいるな」と思う。つれあいは湿原の中に姿を隠しているのだろう。
道路際にクルマを停めて鶴を観察している人たちがいて、僕も自転車を停めると、鶴がいると教えてくれる。もう分かっているわけだが。
バードウォッチングをしながら根室方面へ向かうという彼らと少し言葉を交わしてから、また走り出す。道はクネクネと次の丘へと這い上がり、彼方へ消えている。これが結構きつい。
エッチラオッチラ上っていくと、丘の頂上付近で草むらからキタキツネが姿を現わした。僕の存在に気づいているはずだが、道路の真ん中でじっとしているので、まずは写真を1枚。逃げる気配がないので、どこまで接近できるかと、少しずつ近づいていくと、向こうからクルマが来てしまい、キツネはあっという間に茂みの中に姿を隠してしまった。
(道路の真ん中にキタキツネ。わかりにくいけど…)
そこからまた海辺まで下ると今度は漁港もある奔幌戸(ぽんぽろと)。ここも左手には湿原が広がっている。そして、またすぐ上り。このあたりは上ったり下ったりの連続で、しかも、勾配がきつくて長くて、非常に消耗する。
坂道で悪戦苦闘していると、先刻のバードウォッチャーたちのクルマがクラクションを鳴らして追い抜いていった。後部席の女の人が手を振ってくれる。クルマはあっという間に丘の向こうへ消えたが、それでもクルマは速くて楽でいいなぁ、などと羨ましく思うことは全くない。ペダルの重みで大地の起伏を感じ、皮膚を撫でる風で北の大気の感触を味わいながら、「自転車とは自然との対話の道具なのだ」などとあれこれ理屈を考えつつ走る。
(この標識、なんか変。鹿が逆向き)
そんな調子で羨古丹(うらやこたん)、貰人(もうらいと)など、集落と呼ぶにはあまりに人家の少ない土地を結んでいくうちに、曇っていた空はだんだん晴れて、気温も上がってきたようだ。
恵茶人(えさしと)からは美しい砂浜に沿うようになる。ようやく「シーサイドライン」の名前にふさわしい風景になってきた。
とはいえ、最果ての海はまだ8月なのに夏の喧騒というものを知らない。ギラギラした夏の輝きもなく、オーシャングリーンの静かな明るさの中にも、無人の浜辺を洗う波の白さにも、何もかも諦めたような寂しげな風情が滲んでいる。風にそよぐ草の緑の輝きとハマナスの花だけが辛うじて今が夏であることを思い出させてくれるばかり。
左手には湿原や牧草地が広がり、その中に天を映す鏡のような沼が散在し、そのほとりには牛や馬が遊んでいる。
砂浜、岩礁、海蝕崖、淡い緑の岬、幾重にも重なり合う丘、草原、湿原、小さな水面…。自然の気まぐれとしか言い様のない無造作な配置は「絶景」とか「風光明媚」とかいう空疎な褒め言葉よりも、むしろ「荒涼」とか「寂寥」といった表現が似つかわしい。これほどの風景が人知れず放っておかれているところが北海道の懐の深さと言えようか。
初田牛
やがて、再び緩やかな上りになり、海が遠ざかっていくと、道は雄大な牧草の丘を越えて内陸部へ向かう。
勾配がだんだんきつくなり、息切れして、給水する回数も増えてきたが、困ったことにペットボトルの水が残り少なくなってきた。しかも、このあたりには商店はもちろん、自動販売機すら全くない。この先で行き当たる根室本線の初田牛駅も周辺には一軒の民家すらない無人駅だったと記憶している。けさ出発時に十分な水を補充しておけばよかった、つい油断した、と後悔しても、あとの祭りである。
地図上でオワッタラウシという名のある地点で浜中町から根室市に入り、そこから北へ4キロほど行くと初田牛駅に出る。どうしてこんな場所に駅があるのか理解に苦しむほど何もない駅で、ちょうど根室行きのディーゼルカーが軽快に通過していった。
終列車で独りこの駅に降りたりしたら怖いだろうなぁ、などと考えつつ、駅の待合室で短い休息をとるうちに、ついにボトルに残った最後の一滴まで飲み干してしまい、もはや水分補給の手段を失った状態でまた走り出す。
ここから次の別当賀駅までの8キロ余りは線路とほぼ並行し、海側には「防霧保安林」と呼ばれる針葉樹林が続く。
すでに昼を過ぎて、腹も減ったが、野鳥の声に耳を傾けたり、道端に咲く花々に目を向けたりして、なんとか気を紛らせようと一応の努力はする。しかし、喉の渇きや空腹感というのはいったん意識しだすと、もう始末に負えない。こういう状況は自転車旅行で一番辛い。
別当賀
苦しい8キロをなんとか走り抜いて、ようやく別当賀駅にたどりついたが、ここにもやはり何もなかった。初田牛と違って少しは人家があるが、商店は見当たらない。よく探せば、どこかにあるのかもしれないが、次の落石まで行けば水も食料も手に入るのは確実なので、早々に別当賀をあとにしてしまう。
といっても、落石までは10キロもあって、空腹と渇きを抱えたまま走り続ける自信はない。そこで最後の手段。けさ霧多布のキャンプ場でもらったキュウリ。あれを齧るしかない。多少なりとも水分はあるし、少しは腹の足しにもなるだろう。
というわけで、ひどく惨めな気分でキュウリを齧り、生ぬるく青臭い果肉を噛みながら、のろのろと走る。もらったキュウリをこんな状況で口にすることになるとは思わなかったが、もうウマイとかマズイとか言ってはいられない。塩もいらない。ただ食うのみ、である。でも、やっぱり美味くはない。
落石までずっと森の中の一本道。交通量も少ない。1本目のキュウリもほぼなくなり、バテバテのヘロへロ状態で走っていた時のことである。
「お先に…」
いきなりチャリダーに追い越された。しかも、女の子である。こちらは半ば無意識のまま、足だけがなんとか動いているといった調子だったから、声をかけられるまで、彼女が後方から接近してくる気配にすら気づかなかった。たぶん女の子に抜かれたのは初めてだと思うが、後ろから追ってきた彼女の目に僕がどんな風に映っていたかと想像すると、悔しいというより情けない気分になる。よし、少しシャキッとするか。
あっという間に30メートルほど先へ行った彼女の後ろ姿だけを見つめて、最後の力を込めてペダルを踏む。その気になれば、まだそれなりに走れるものだ。といっても、意地になって抜き返すのも大人げないし、どこまで余力が持つかも分からないから、当面はこれ以上引き離されないことに専念。
別当賀からずっと平坦だった道が急激に下ると秘境めいたオンネベツ川の谷。短い橋を渡ると、すぐにまた急な上りになる。その途中で前方の彼女が力尽きたか自転車を下りて押し始めた。そういう姿を見ると、なぜかホッとするが、当然ながら距離はどんどん詰まり、ついに追いついてしまう。
頭に赤いバンダナを巻いた彼女は小柄ながら内に秘めた勇気と活力が滲み出るような印象の女の子である。聞けば、今日は厚岸のキャンプ場から走ってきたというから、僕よりだいぶ余計に走っている。
「ずっと海岸沿いに来たんですか。坂ばかりできつかったでしょ」
「でも、景色がすごくよくて、感動しました」
この一言には素直に頷くしかない。
「この先の落石岬もいいですよ」
これから根室へ行くという彼女にそう教えて、また走り出す。上り坂はなおも続き、再び僕が先行することになったので、彼女にこれ以上情けない後ろ姿を晒さぬように必死で走る。
落石岬
やがて、根室本線の踏切を渡ってT字路にぶつかった。左へ行けば根室、右へ行けば落石漁港を経て落石岬である。迷わず右へ折れる。最初に発見した自動販売機でジュースを買って一気に飲み干し、ようやく生き返った。
まもなく落石港が左下に広がり、その向こうに落石岬も見えてきた。根室市の南西端から太平洋に突き出た半島状の岬である。ここは去年に続き2度目で、前回はすっぽり霧に包まれていたが、今年は晴れている。
待望の食料品店も見つかり、飲料水とチョコレートを買う。さっきの彼女はなかなか来ないから、そのまま根室方面へ行ってしまったのだろうと思っていたら、ずいぶん遅れてやってきて、彼女もここでアイスクリームを買って一服していた。
そこから漁港までビューンと下って、今度は一転して急坂を自転車を押して上ると落石岬の入口。岬一帯は車両進入禁止なので、ゲート前に自転車を止めて、あとは灯台までの遊歩道を歩く。
草原の中にまもなく旧落石無線局(戦前にはドイツの飛行船ツェッペリン号やあのリンドバーグとも交信した栄光の歴史を持つそうだ)の廃墟があり、そこから木道が整備されている。
落石岬は遠目には霧多布岬などと同様に海蝕崖に囲まれた普通の草原台地に見えるが、実際には半島の中央部に高層湿原が形成され、それをアカエゾマツの林が取り巻く特異な岬である。木道はその湿原を渡っていくのだ。ミズバショウが群生する松林や立ち枯れた松の木が散在する湿原の景観も釧路湿原や霧多布湿原とは趣が異なり、むしろ尾瀬や奥日光の戦場ヶ原を思わせる。
そして、湿原を縁取る松林を抜けると、鮮やかな緑の草原がパーッと広がり、青い太平洋をバックに紅白に塗り分けられた灯台がぽつんと立っている、というのも劇的な演出である。
ちなみに去年(1997年)の夏はこんな具合だった。
「霧が深くなってきた。くすんだ緑の上を這うように霧が押し寄せ、木道も前方で掻き消されている。『根室十景・落石岬』の看板が現われたが、何も見えない。わずかに霧笛のくぐもった音色だけが曖昧模糊とした空間に響いている。
赤と白に塗られた落石岬灯台は霧の中から不意に現われた。視界は50メートルにも満たず、間近に迫るまで気がつかなかった。岬の突端にいるはずなのに、風景は真っ白で、海すら見えず、ただ波のざわめきだけが聞こえる。すっかり輪郭を失った大地のはずれまで歩を進めて、恐る恐る下を覗くと、ミルク色の霧の底で白波が渦巻いているのが微かに分かった」
今日は完璧に晴れているから、まるで印象が違うが、この土地では昨年のように深い霧に包まれている方がむしろ普通なのかもしれない。
(草原にエゾシカ)
去年、ここでエゾシカを見たが、今回も草原の中に身を沈めるように立派な角をもった雄のエゾシカが1頭。双眼鏡を取り出して観察していると、次々にシカが姿を現わした。全部で6、7頭はいるようだった。
「納沙布岬なんかよりずっといいですね」
これは一緒に来た彼女の弁。さっきのお店で買ったばかりの使い捨てカメラをあちこちに向けている。僕の一言で寄り道させてしまったようなので、満足してくれてよかった。
浜松海岸
さて、今日の宿泊地である根室へ向かうとしよう。落石をあとに再び142号線を行くと、海上にユルリ、モユルリの両島が間近に見えてくる。いずれも断崖に囲まれた平坦な島で、現在は無人島。海鳥の繁殖地として知られている。
その島々を望む高台に浜松海岸パーキングがある。このあたりの海岸はドラマ『北の国から』の撮影が行われたところだ。
ここで大学生サイクリストの一団と会う。彼らも今日は厚岸からで、5人中3人が女性なので、アップダウンの激しい海岸ルートは避けて、比較的平坦な国道を走ってきたそうだ。ひたすら体力勝負の旅だから男女混成チームだと気を遣うことが多くて大変だろうと思う。
その点、ひとり旅の彼女は逞しい。ここでもあとから遅れてきて休憩しているけれど、マウンテンバイクに重い荷物を積んで、キャンプをしながら旅を続けているのだから、本当にすごい。
「北海道にもう2週間いるけど、こんなに晴れたのは初めて…」
彼女は穏やかに晴れた青い海と緑の島にじっと見入っている。とにかく、このあたりの風景はどこを切り取っても素晴らしくて、言葉にならない感動を覚える。
「今日が一番いい日」という彼女だが、午前中に寄った涙岬は小雨で霧が深くて何も見えなかったそうだ。
「今日って何曜日ですか?」
唐突な彼女の質問。
「えーと、たぶん木曜日だったと思うけど…」
なんだか浮き世離れした会話である。それにしても、こういうタイプの女の子はふだんどんな日常生活を送っているのかと思う。
根室に到達
さぁ、走ろう。浜松海岸をあとに本日のラストスパート。ほかの人たちは根室の街まで行くようだが、僕は郊外のキャンプ場へ行くつもり。それぞれ思い思いに走り出したが、もうすぐだと思うと、落石までのヨレヨレぶりがウソみたいに元気になって、自然にスピードも上がり、時速30キロは軽く出てしまう。アップダウンもさして気にならない。去年はこの付近にある
長節湖
という湖を訪ねたが、今日はもう寄らない。いつのまにか、みんなを大きく引き離してしまった。
ところで、根室の街は北海道の東端からさらに東へ突き出た細長い根室半島の中ほどに位置し、太平洋側(南岸)を辿る道道142号線と、根室湾側(北岸)を行く国道44号線の2本のルートが通じている。僕はいま太平洋側を走っているわけだが、めざす市営キャンプ場は根室半島の付け根に近い根室湾を見下ろす丘の上にある。つまり、国道沿いである。従って、キャンプ場へ行くには太平洋側から根室湾側へ半島を縦断して国道に出なければならない。その左折地点は西和田であったが、調子に乗って飛ばしていたら、いつのまにか東和田まで来てしまった。行き過ぎである。慌てて、次の角を左折。
このあたりの半島の幅は狭いので、見渡すかぎりの牧草地の中を行くと、すぐに根室湾が見えてきた。右手の草原の彼方には根室の町並みも遠望できる。
東和田から3キロほどで根室湾沿いの国道に出た。幌茂尻という土地である。地図で現在位置を確かめて、国道を根室とは反対方向へ4キロほど戻るとキャンプ場入口の標識があって、丘の上へ坂道がのびていた。
17時ちょうどにキャンプ場に到着。管理棟で名簿に住所と氏名を記入するだけで、ここも利用は無料。北海道は本当に旅人思いの土地で、ありがたい。
テントサイトは根室湾を前面に望み、西側に温根沼を見渡す眺望抜群の立地で、すでに家族連れやライダー、チャリダーの大小さまざまなテントが並んでいる。それでも、敷地が広いので、スペースはいくらでもある。
適当に場所を決めてテントを張り、根室の街まで食事と入浴に出かける。キャンプ場から根室の中心部まで国道を9キロも走らねばならなかった。しかも、きついアップダウンの連続。それでも自転車が軽いから、さほど苦にはならなかった。
途中に昨年タダで泊めてもらったり食事をさせてもらったりと大変お世話になった弁当屋さんがあるので、挨拶していこうかと思ったら、お店の建物はそのままだったが、すでに名前が変わっていた。
夕暮れの根室の街に着くと、久しぶりに都会へやってきた気がした。街なかの公園などにテントを張っている旅行者もいる。公園ならトイレも水場もあるし、9キロも離れたキャンプ場より便利には違いない。さっき別れた大学生グループも今夜は公園でキャンプだと言っていたし、僕もそうすればよかったとも思う。
とにかく、まずは根室駅へ立ち寄る。特に用はないが、異郷を旅する者にとって駅は心の拠り所である。去年はここに古い客車利用の簡易宿泊施設「ツーリングトレイン」が開設されていて、僕も1泊したが、今年は廃止されたらしく、駅構内に客車の姿はなかった。
根室のラーメンライスは日本一(?)
暮れゆく空の下で明かりの点った根室駅前に立って、日本最東端の街に到達したという事実を改めて噛み締め、それから駅に近い札幌ラーメン店に入る。
味噌ラーメンの大盛りを注文したのだが、なんとなく店内の様子を眺めていて、気になることがある。メニューを見ても基本的にラーメン類しかないのに、なぜか定食みたいなものを食べている人が多いのだ。それに彼らのテーブルにいくつも積まれたタッパーウエアも気になる。僕のところには何もない。それで、みんな何を頼んだのだろうかと改めてメニューを見直して、もしや、と思い、「半ライス」を追加注文してみた。
すると、どうでしょう。おばちゃんがまず僕の目の前に大きなタッパーを運んできて、4つ5つと積み上げたではないか。
「ホヤ食べてごらん、ホヤ」
タッパーにはそれぞれイカの塩辛、タコの塩辛、昆布、鮭フレークなどが入っていたが、そのうちの1つがホヤ(の塩辛)であるらしい。ホヤは初めてである。どんな味がするのか試してみると、意外にいける。癖になりそうな味である。
「けっこうウマイっすね」
「そうでしょう」
おばちゃんも満足そうに頷いた。
そして、何といっても、大盛りラーメンに続いて運ばれてきた「半ライス」である。「半ライス」をメニューに載せている日本全国のラーメン屋はこの店を見習って欲しい。なんとご飯のほかにオカズ(煮魚2匹)、小鉢(山芋の繊切り)、漬物(白菜)がついている。あとは味噌汁さえあれば煮魚定食の出来上がりである。塩辛なども好きなだけトッピングできて、これで150円。えらい!としか言い様がない。この店は体力派旅行者の味方である。
「今日は蒸すねぇ」
「これでも暑いんですか?」
「暑いねぇ」
おばちゃんとそんな言葉を交わしながら合計850円を払い、店を出た。
それから銭湯へ行こうとしたら、市役所前の交差点で、今日「ムツゴロウ王国」で会った自転車の彼が地図を広げていた。無事に納沙布岬まで行ってきたそうで、今夜泊まるユースホステルの場所を調べているところらしい。
明日は列車で一気に千歳まで行って、そのまま飛行機で帰るという彼と別れて、銭湯で汗を流し、風呂上りにテレビでナイター中継をしばらく見て、コンビニで買い物をして、21時頃キャンプ場に戻る。
今日の走行距離は118.3キロ。
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