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旅のアーカイヴス

オホーツク沿岸を行く  昭和58年3月26日

     湧網線

 浜佐呂間駅9時49分発の湧網線・中湧別行き924Dに乗車。キハ22−321の単行。地元の人々の高らかな話し声が賑やかな車内では僕だけがよそ者だ。
 列車は牛のいる牧場を見て、林の中を抜け、のんびり走る。どこの駅だったか、駅員の代わりにお婆さんが下車客の切符を集めていた。
 計呂地あたりで湧網線の線路は初めてサロマ湖畔に出る。昨日はサロマ湖畔で一日滞在し、凍った湖面を徒歩で横断したりしたので、今さら特別な感慨はないけれど、とにかくサロマ湖は広い。
 対岸にはオホーツク海と湖を隔てる砂州が続き、それが途切れている場所が湖口である。サロマ湖は2か所で海と繋がっているが、ここからは湖口は1つしか見えない。
 海のように広いサロマ湖から離れると、やがて終点の中湧別に到着するが、その直前にまだ3月だというのに、せっかちな鯉のぼりを見かけた。

     名寄本線

 中湧別では24分の待ち合わせで、11時29分発の名寄・雄武行き628Dに乗り換える。2両連結で前のキハ22−22が名寄行きで、後ろのキハ40−103が雄武行き。僕は雄武行きに乗り込んだ。
 中湧別を発車した列車は左へカーブして北へ向かう。しばらくは海岸から離れて雪原を行き、流氷の海が見えてくると、紋別が近い。このあたりはもう海が開いていてもいいはずだが、氷の群れは海面をびっしりと埋め尽くしている。
 網走・稚内間のオホーツク沿岸地方では唯一の都市・紋別を出て、渚滑で渚滑線を左に分岐し、どこまでも続く流氷の海を見ながら走って、興部に到着。

     興浜南線

 興部で名寄行きから切り離された雄武行きは3番線から駅舎のある1番線に転線し、ここで雄武方面へ行く乗客を乗せる。名寄方面との乗り間違えを防ぐために、改札時間をずらしているようだ。
 19分停車後に825Dとなった雄武行きは進行方向を変えて興部を発車。
 興浜南線は今まで以上に流氷の海を間近に見ながら走る美しい路線であるが、廃止が決定的ということもあって、どこか寂しさの漂う路線でもある。
 列車は1日わずか6往復。車内は意外に混んでいるが、僕も含めて、北海道の鉄道に乗り放題の「北海道ワイド周遊券」を持っている旅行客が目立つから、興浜南線の営業成績にはあまりプラスにならないのだろう。
 興部から19.9キロ、30分。沢木、元沢木、栄丘、雄武共栄と停まって、終点雄武には13時47分に到着。

     幻の興浜線〜雄武・北見枝幸間はヒッチハイクで…

 さて、ここからが問題である。雄武から興浜北線の終点・北見枝幸までの50キロ余りは鉄道がないからだ。この区間の工事はかなり前から行われており、完成したあかつきには興部と浜頓別を結ぶ興浜線が晴れて全線開業となるわけだが、なにしろ超過疎地域を走る路線である。開通しても大赤字間違いなし、という状態なので、このまま興浜南・北線と一緒に葬られてしまいそうなのだ。
 それはともかく、この未開通区間には宗谷バスが1日4往復走っていて、雄武14時30分発に乗れば、枝幸には15時45分に着き、16時17分発の浜頓別行き列車に十分間に合う。しかし、これだけ時間的余裕があり、バス代が1,700円もかかることを思えば、ヒッチハイクをやらない手はない。
 というわけで、駅前の国道238号線を北へ歩きながら、後方から車が来るたびに手をあげる。もちろん、そう簡単には停まってくれない。ようやく10台目ぐらいで、小型トラックが停まってくれたが、20分近く経過していた。
 北見枝幸まで乗せてほしい旨を告げると、優しそうな運転手さんが「枝幸の手前までしか行かないけど、いいかい?」という。
 まぁ、乗り継ぎでも行けるだろうと判断して、乗せていただく。
 トラックは時折雪のちらつく中、無人の荒野を飛ばす。右側には相変わらず流氷の海。一体どこまで北上すれば、青い海原が見えるのだろうか。
 途中、音標(おとしべ)という集落があったぐらいで、沿道の大部分は人家もほとんどない荒涼とした風景が続く。
 左側には鉄道の路盤がずっと並行している。せっかく建設した築堤やコンクリート橋も結局、一度も列車が走らないまま捨てられてしまうのだろう。もったいないことである。

 40キロ近くも走り続けて、バスの停留所のある山臼という土地で降ろしてもらった。
 お礼を言って、走り去るトラックを見送ると、またひとりになった。人家がぽつぽつとあるだけの寂しい土地で、人影は全くない。車も滅多に通らない。渺茫とした流氷原が広がり、その上を灰色の海鳥が飛んでいくだけだ。雪が冷たく顔に吹きつけてくる。
 寒さに震えながら、ひたすら車が通るのを待つ。たまに通っても、停まってくれるとは限らない。どこからか老人が姿を現わし、訝るような視線をこちらに向けながら、近くの家の中に消えていった。
 どれぐらい時間が経ったのだろうか。ようやく1台の乗用車が左側のウィンカーを点滅させ、速度を落としてくれた時には心底助かったという気持ちになった。
 停まってくれたのは家族連れのクルマで、両親と中学生ぐらいの娘さん2人が乗っていた。トラックなら気楽だが、こういう状況だと恐縮する。後部座席に女の子と並んで座らされ、ちょっと緊張もする(彼女たちも少し緊張しているようだった)。梅宮辰夫に似ているおじさんの「俺も昔、同じようなことをやっていたからな」という一言でだいぶ救われた。
 北見枝幸という地名は知らないそうだが、とにかく一本道だ。
 しばらく行くと、ついに流氷の間に海面がのぞくようになった。雪も止み、空が少し明るくなってきた。
 山臼から15キロほどで、枝幸の市街に着いた。駅は国道から少し入った場所にあるので、「歩いていけますから」といって降ろしてもらおうと思ったのだが、人に道を尋ねながら、結局、駅前まで乗せていただき、丁重にお礼を言って、お別れした。

     興浜北線

 さて、駅に着くと、まだ興浜北線の列車には1時間近くもあった。
 しばらく街を歩き、駅のストーブで温まっているうちに、雄武からのバスで来た人たちも着いて、小さな駅は少し賑やかになった。
 16時12分に浜頓別からの列車がキハ22単行で到着し、928Dとして5分後に折り返す。北見枝幸駅には1日6往復の列車が発着するが、これが4番目である。

 さて、興浜北線30.4キロの見どころは何といっても北見神威岬である。紺碧の海に散らばる流氷。小さな漁港の赤い灯台。行く手を阻む断崖絶壁。その急峻な岬の先端を急カーブで恐る恐る通過すると、あたりはだんだん雪原に変わり、雲間から覗いた夕陽がすべてを鈍いオレンジ色に染めていった。
 17時01分、天北線と合流して浜頓別に到着。この日はこの街に泊まる。山臼で長い間、雪と風の中、立っていたせいか、風邪を引いたようだった。

 *この区間は1999年夏に自転車で走っています。そのときの記録は こちら

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