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北海道自転車旅行*1999年 夏
オホーツク炎熱街道 Part 1

 7時に浜頓別を出発。稚内と網走を結ぶ国道238号線を南へ向かう。
 短い滞在ながら、にわかに愛着を覚えるようになった浜頓別の街をあとに、頓別川を渡り、オホーツクの海岸沿いを飛ばす。ほとんど何もない区間だから、今日はひたすら突っ走る、そういう一日になる予定。

 朝から雲ひとつない快晴で、海の上から照りつける陽射しを遮るものは何もない。気温はグングン上昇。海も真っ青で、キラキラ光り輝いている。
 国道の右側には牧草地が広がり、その中に帯状に雑草が茂っているのは昭和60年6月末限りで廃止された興浜北線(浜頓別〜北見枝幸,30.4キロ)の線路跡だろう。これも懐かしいローカル線で、僕は4回も乗っている。

     北見神威岬

 前方には珠文岳(761m)やポロヌプリ岳(841m)から斜内山(439m)へと連なる山脈が海岸部にまでせり出して行く手を阻んでいる。その突端が北見神威岬である。
 昔の道は険しい海岸を避けて山を越えていたため「斜内山道」の名が残っているが、現在は国道も、廃線になった線路も海岸線に忠実に急カーブで岬の先端を回っている。かつての興浜北線の車窓のハイライト区間で、僕の旅のアルバムにも列車内から撮った北見神威岬の写真が残っている。
 その北見神威岬では手前の斜内集落から山塊をぶち抜くトンネル工事が進行中だった。これが完成すれば、現在のルートは捨てられてしまうのだろうか。難所とはいえ、ちゃんと立派な2車線道路が通じているのだから、わずかな距離短縮のために巨額のカネを投じてトンネルを掘るのはもったいない気もするが。(現在はトンネルが完成し、新ルートに切り替えられたようです。旧道が夏季のみ通行可のようです。冬季の除雪はしないということでしょう)

 岬の突端には灯台が海を見下ろしているので、寄ってみた。
 国道に愛車を残して、急坂を歩いて登ると、廃線跡地に出るが、今はレールも撤去され、砂利の路盤が夏草に埋もれている。
 その線路跡より一段高い位置に北見神威岬灯台はあった。白と黒のだんだら模様の灯台で、灯質は「単閃白光、毎15秒に1閃光」。荒々しくそそり立つ岩肌を背にして、凛とした存在感があり、まるで神(カムイ)の岬に鎮座するご神体のように見えた。

 


     北見枝幸

 岬を回って枝幸町に入り、岩礁の多い美しい夏の海を見ながら走って枝幸市街に着いた。
 枝幸は毛がにの水揚げ日本一の町だそうである。
 市街地の北方で先日幌延町で通過した北緯45度のラインを再び越えたはずだが、何か表示があったのかどうかは不明。
 それはともかく、カンカン照りの陽射しのせいで汗だくで、早くもバテ気味。懐かしい北見枝幸駅の跡が今はどうなっているのかと思うが、場所がわからず、探す意欲も湧かない。
 無気力なままペダルを踏み続け、さらに国道を走り続ける。スタート時の勢いは完全に失せて、すっかりノロノロ運転。約7キロ先の道の駅が当面の目標だ。

     幻の興浜線

 
ところで、北見枝幸から雄武までの50キロ余りは鉄道のなかった区間である。オホーツク沿岸地方の市町村を鉄道で結ぶ目的で、名寄本線の興部と天北線の浜頓別の間で建設が始まったのが興浜線で、昭和10年と11年に興部〜雄武間の興浜南線と浜頓別〜北見枝幸間の興浜北線がそれぞれ開業したが、中間部はずっと未開通のまま残されていた。高校生の時、列車でオホーツク沿岸を旅した時、この未開通区間を一度はバスで、一度はヒッチハイクでたどった。その時、開業後の収支見通しが立たないため工事が中断された線路が国道と並行していたのが記憶にある。そして、結局は全線開業の夢も空しく、興浜南・北線とも昭和60年の初夏に廃線となり、幻のオホーツク縦貫鉄道は永遠にこの世から消え去ったのである。
 かつてバスやヒッチハイクで北上した区間を今日は自転車で南下する。まさかこんな日が来ようとは! 過去2回はいずれも流氷の季節だったから、まるで印象が違う。

     道の駅「マリーンアイランド岡島」

 北見幌別川を渡って、9時15分に待望の道の駅「マリーンアイランド岡島」に到着。
 客船をかたどった建物内では特産品の売店や喫茶コーナーなどに美味しそうなものがたくさんあって、暑さで干からびかけた自転車旅行者としては、やたらに欲望を刺激される。
 日に焼けた顔を洗面所で洗い、頭にも水をかけて、少しさっぱりしたあと、売店でカットメロンを買い、冷たいジュースも飲む。夏の自転車旅行には暴飲暴食の不安がつきまとう。
 ここで大きなリュックサックを背負った外国人の夫婦(だと思う)が休んでいたが、この人たちは一昨日には浜頓別のキャンプ場に泊まっていた。どうやら歩いて旅しているらしい。この炎天下、単調な北海道の道をてくてく歩くというのは考えただけでも気が遠くなる、なんて僕が言うと、お前も同類じゃないか、と言われそうだが。

     炎暑のオホーツク街道

 9時40分に道の駅をスタートして、さらに南下の旅は続く。この先、雄武までは町らしい町もないはずだから、オアシスをあとに灼熱の砂漠へと出ていくような気分である。ひと休みの効果も長くは続かないだろう。
 道は緑の牧野と青い海の間をなだらかな起伏を伴いながら、どこまでも続く。海辺の原野も彩りに乏しく、生い茂るイタドリが白い葉裏を見せながら、乾いた熱風に吹かれているばかり。日陰はまったくなし。ひたすら炎天下。白く光る路面の遥か前方に逃げ水が現われる。頭がクラクラして、日射病にならないかと不安になる。

 やがて、山臼という小さな集落を通りかかった。雄武から北見枝幸までヒッチハイクをした時、車を乗り継いだ場所である。どこまでも広がる流氷の海を前に、冷たい風に舞う雪の中、めったに通らない車を震えながら待ち続け、ようやく車が左ウィンカーを点滅させてくれた時は本当に「助かったぁ」という気分になったものだった。

 あの日の陰鬱な天気とはまるで違う、でも同じように静かな山臼をノンストップで通り過ぎ、岡島の道の駅から14キロほどの乙忠部(おっちゅうべ)という集落でセイコーマート発見。
 レモンシャーベットを買って、店の前のベンチで食べる。脳天に響くような氷の冷たさが何とも嬉しい。冷たいポカリスエットのペットボトルも購入した。すぐホットになるわけだが。

 いまの乙忠部もそうだけれど、地図でみると、このあたりには奇妙な地名が多い。
 ベラウシナイ、チカプトムシ、ニウシドマリ、ペセトコマナイ川、風烈布(ふうれっぷ)、オタルベン…。
 もともと北海道は日本人の土地ではなかったのだ。たまにはそんなことも考えたけれど、コースの大半は虚ろな気分で、ただ足だけが勝手にペダルを回し続ける。
 風景にはほとんど変化がなく、ひたすら我慢と忍耐の道のりである。真上から照りつける直射日光があまりに強くて、光に圧力を感じるほどだ。本当に日陰が全然ないから、休むこともできない。大量の汗が止めどなく流れる。大丈夫か?
 道端に横たわる死んだ猫の、虚ろな黒い穴と化した2つの目だけが単調なサイクリングの中で妙に印象に残った。

 乙忠部から約12キロ。音標(おとしべ)という集落に着く。食料品スーパーがあって、店の脇の日陰にロードバイクのサイクリスト2人が座り込んでいる。今日は紋別から走り出して、浜頓別まで行くというから、僕とは逆コースである。

     雄武

 ひどくまずいホット・ポカリスエットで命を繋ぎながら、未完成のまま消えた鉄道遺跡のコンクリート橋や築堤と並行して走り続け、なんとか雄武町に着いたのは12時20分頃。北見枝幸から50数キロ。ようやく本格的な町にたどり着き、すっかり気が緩む。
 かつての興浜南線の終点だった雄武駅跡が今は立派な展望塔を備えた道の駅「おうむ」になっていた。鉄道時代の駅名は「おむ」だったが、町名は「おうむ」と読むのが正しいようだ。町なかの看板や標識などに「雄武」「おうむ」「OUMU」は見かけるが、カタカナ表記だけは見当たらない。やっぱり「オウム」はまずいか。

 とにかく道の駅にへたり込んで、そのまま長時間休憩に突入。もう何もする気にならない。食事に出かけるのも面倒なので、隣接するAコープで弁当を買ってくる。
 あとから着いたチャリダーは浜頓別へ向かうそうだが、僕がこの先は休める場所も少ないし大変だよ、と脅かしたので、夕方までここで休んでいくと言って、ベンチで昼寝を始めた。賢明な判断である。彼はテントなしの野宿生活(おもにバス停の待合小屋を利用)なので、目的地に着くのは夜遅くても構わないようだ。

 しばらく休んで、こちらは少しは活動する気になったので、道の駅の展望塔にエレベーターで上がってみた。ガラス張りの温室状態で冷房はないので、息が詰まるほどの熱気が充満している。長くはいられないので、道の駅から南へ伸びる興浜南線の草むした線路跡と、北方に完成したまま列車が走ることなく廃棄されたトンネルの存在を確認しただけで下りてきた。

 結局、道の駅では2時間半も休んでしまった。なにしろ、電光表示の温度計によれば、14時半の気温が34.9度である。北海道北部の気温としては異常な高温といっていい。今日は紋別まで行けたら、と思っていたが、もう長い距離を走る気は失せて、雄武町内の日の出岬キャンプ場に泊まることにする。

     母子チャリダー

 14時55分に出発しようとしたら、いま道の駅に着いたマウンテンバイクが2台。なんと小学生の5〜6年生ぐらいの男の子と母親という珍しい2人連れである。父親と息子というのは何度か会ったことがあるが、母と子の組み合わせは初めてだ。
「暑いですねぇ」
 顔を合わせて、まず出てくる言葉はこれである。今日は枝幸から来たというから、僕と同じルートを走ってきたわけで、2人とも汗まみれで真っ赤な顔をしている。悪戦苦闘ぶりが目に浮かぶ。これから僕と同じ日の出岬へ行くそうだ。
「じゃあ、がんばってください」
 そう言い残して、僕は再び炎天下へ出ていく。まだまだ暑いけれど、たっぷり休んだし、目的地はもうすぐだから、快調に突っ走る。

     日の出岬 

 海の見える広大な牧場地帯を雄武市街から10キロ余り行くと、国道から道が分かれ、温泉のある「ホテル日の出岬」があり、その先の海岸にキャンプ場があった。夏真っ盛りで、結構な賑わいだ。
 受付で400円払って、テントを張り終えれば、そのまま海岸に直行。オホーツクの海に素足を浸す。潮だまりの水も生ぬるい。でも、気持ちいい。
 岬の先端には灯台の代わりにガラス張りの展望塔があり、ここも内部は殺人的な高温になっていた。この地方の建築物はこのような夏の暑さをまったく想定していないようである。
 夕方にはホテル日の出岬へ出かけて、豪華な大浴場で汗を流す。駐輪場に先刻出会った母子連れの自転車が置いてあった。
 露天風呂から牧場の彼方に沈む夕陽を眺め、夕食は最寄りの沢木集落であれこれと買い込んで、適当に済ます。いつしか頭上に星空が広がっていた。
 本日の走行距離は103.3キロ。

  興浜南線・興浜北線の乗車記は こちら

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