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風の音楽〜キャンディーズの世界

キャンディーズとアイドルについて考える 1


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 キャンディーズが活躍した「昭和」が次第に遠ざかっていくなか、現在の日本にはAKB48ももいろクローバーZのようなメジャーグループからまったく無名の存在まで数えきれないほどのアイドルグループがひしめき合っています。といっても、現代のアイドルはデビューして、人気が出ることで、みんなのアイドルになるわけではなく、デビュー前から「アイドル」と称して社会の片隅に登場するので、関心のない人は全く知らない、というのが特徴であるわけですが、それは一家に一台のテレビを家族そろってみていた1970年代と、家族や社会がバラバラになり、テレビ離れも進んだ現代との違いということなのでしょう。今は自分の関心領域の外側で起きていることが極めて見えにくい時代なのです。
 とにかく、音楽CDの売り上げが激減する中で、今やほとんど唯一の例外といえるのがアイドルのCDであり、それは握手券などの特典を得るためにファンが同一CDを複数枚、たびたび大量に購入した結果であるにせよ、いまの日本のレコード業界はアイドルとそのファンに支えられているといっても過言ではないのが実情でしょう。
 レコード業界だけではありません。テレビ業界でも同じことが言えます。かつてアイドルはキャンディーズも含めてテレビに出ることで、人気を獲得して若者たちのアイドルとなりました。逆にいえば、まずテレビに出なければアイドルにはなれませんでした。しかし、今はテレビに出なくても(出られなくても)アイドルになれる時代です。現代のアイドルは自前の劇場をもつAKBにしろ、路上ライヴからスタートしたももクロにしろ、テレビに頼らず、ライブとインターネット上の口コミを通じて人気を拡大し、もちろん、テレビ出演によって一般的な認知度をより高めたのは確かですが、むしろテレビのほうが彼女たちの人気に頼っているように見えます。NHKの紅白歌合戦ですら今やジャニーズやAKBといったアイドルたちの人気にすがってなんとか視聴率を維持しているのは誰の目にも明らかでしょう。

 とにかく、世の中はそういう状況になってしまっているわけですが、往年のキャンディーズファンの方々で今どきのアイドルに詳しい人はあまり多くないでしょうし、ほとんどの方は興味もないというのが実情でしょう(そうでもないですか?)。
 それでも、現在、アイドルのファン層の中には若者だけでなく、30代、40代、あるいはそれ以上の世代も少なからず存在するようで、キャンディーズも知る世代のオジサンたちがAKB48ももいろクローバーZについて熱く語る書物がいろいろと出版されています。また、すっかり涙もろくなったオヤジたちが彼女たちの一生懸命な姿をライヴの現場や映像で見ながら号泣している、なんていう話も聞きます。1人に同じCDを何枚も買わせるアイドルビジネスの観点からも10代〜20代前半の青少年だけでなくカネのある社会人のオトナを巻き込むことが必須であるのは言うまでもありません。
 僕自身はキャンディーズ解散以降、洋楽ばかり聴くようになったこともあり、いわゆるアイドルにはほとんど関心を持たないまま、現在に至りました。なので、松田聖子中森明菜小泉今日子らが相次いでデビューした80年代のアイドル黄金時代も、その後のおニャン子クラブやらモーニング娘。やらAKB48やらもほとんど素通りでした。ただ、個人的で密やかな楽しみとしてキャンディーズの音楽だけはずっと聴き続けていたのです。
 ここ数年、オリコンのヒットチャートの年間ランキングの上位はほとんどAKB関連となどジャニーズ系だけで占められていますが、僕はAKB48や嵐の曲をまったくといっていいほど知らず、そもそも彼女たち、彼らをバラエティー番組などでよく見かけるわりには、歌をうたっている場面はほとんど見た記憶がないという体たらく(?)です。といいつつ、現在、 こんなことになっている わけですが…。

 一方、いまアイドルである少女たち(ここではジャニーズ系など男性アイドルについては考えません)にとって、幼少期に憧れたアイドルといえば、次々とメンバーを入れ替え、同時にファン層の更新も図りながら存続するモーニング娘。(1997〜)あたりでしょうし、それは彼女たちのファンの若者たちにとっても同じでしょう。彼女ら、彼らにとって、キャンディーズなどというのはもはや遠い昔の存在でしかないのでしょう。2010年代からみたキャンディーズというのは、パラレルに考えれば、1970年代からみた1930年代、つまり戦前の歌手に相当する存在なのです。
 そう考えると、ものすごく昔のアイドルということになりますが、「年下の男の子」に代表されるキャンディーズの楽曲は今でもアイドルポップスの古典として歌い継がれていますし、「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」のような季節ソングがテレビCMで使われたりもしています。また、「平成のキャンディーズ」としてデビューしたC@n-dolsのようなグループもありました(2013年4月4日デビュー、同年末にあえなく活動停止)。
 その意味では、キャンディーズは現在に通じるアイドルグループの系譜において、今なお忘れることのできない存在であることも確かなのでしょう。おニャン子クラブやAKB48の仕掛け人である秋元康(1958年生まれ)も「キャンディーズがいなければ、おニャン子クラブもAKB48もなかった」という旨の発言をしています。ただ、キャンディーズファンの中には、最近のアイドルとキャンディーズを同列に並べられることに抵抗を感じる方のほうが多いかもしれません。
 
 実際、アイドル百花繚乱といえる現代において、彼女たちに熱狂する人々がたくさんいる一方で、アイドルとその存立基盤であるオタク文化全般に対してネガティヴな印象を持つ人も少なくないのが現実です。たとえば、僕の周囲でも同世代の女性たち(ピンクレディーの振り付けがラジオ体操並みに身体に染み込んでいる世代)との間で何かの拍子にAKB48の話題がちらりと出るやいなや、彼女たちが口を揃えて猛然とAKB批判を始め、そこまで言うかと驚いたことがあります。その口調はまるでオレオレ詐欺か悪徳商法について語るようでもありました。まぁ、自分の息子(やダンナ)が大金を注ぎ込んで同じCDを何枚も買わされるような事態を想像すると、そんな気持ちにもなるのでしょう。
 かつてのアイドル批判は主として人気先行で実力不足という点に集中していましたが、現代ではアイドルや彼女たちの音楽が多くのオトナの関心外にあるため、そうしたことよりも「AKB商法」という言葉に代表されるアイドルビジネスのあり方に批判の目が向きやすいのだと思われます。もちろん、ファンの立場からは、あれは買わされているのではなくて、ライヴに通い、CDやグッズを積極的に買うことで自分の応援するアイドルを経済的に支援しているのだという言い方も可能ではあるのですが、そうしたファン心理を最大限に利用することこそがアイドルビジネスの核心であるわけです。

 また、僕のよく行くCDショップでは「J-ポップ」の売り場とはべつに「アイドル」コーナーが設置され、その一角はふつうのオジサンがうろつくのはちょっと恥ずかしいような雰囲気があったりしますが、たとえば、アイドルに分類されてもおかしくないきゃりーぱみゅぱみゅの作品は本人がアイドル扱いを望んでいないこともあり、J-ポップコーナーに置いてありますし、Perfumeも今はJ-ポップです。「アイドル」かどうかは自己申告によるということでしょうか。一般的知名度がほとんどゼロでも最初から「私はアイドル」と自称できるのが今どきのアイドルなのです。もちろん、それで生き延びることができるかどうかはまた別問題です。
 このあたり、現代のアイドルと過去のアイドルでは、「アイドル」の概念そのものがずいぶん違うように思います。その辺も含めて日本における「アイドル」の変遷史をざっと振り返ってみましょう。

 日本で「アイドル」という言葉が広まったきっかけのひとつとして、1964年公開のフランス映画『アイドルを探せ』(原題:Cherchez l'idole)とその主題歌「アイドルを探せ」(歌:シルヴィ・ヴァルタン、原題:La Plus Belle pour Aller Danser)が挙げられそうですが、ウィキペディアによれば、「アイドル」は1960年代には主に外国の芸能人に対して使われており(エルビス・プレスリーやビートルズなど)、日本の若手芸能人に対しては「青春スター」という言葉が使われていたとあります。それが1970年代になって日本の「青春スター」に対しても、「アイドル」という言葉が使われるようになり、1980年代にはすっかり定着したということです。
 この過程で、人間の理想像を具現化した偶像=アイドルは、トイレにも行かないと思われているような(笑)、一般人の手の届かない憧れの存在から、同じ時代を生きる仲間としての身近で親しみやすい存在へと変容していきます。つまり、みんなに愛される人気者です。そのような意味でのアイドルは芸能界に限らず、存在しました。

 たとえば、1969年夏の甲子園で青森県三沢高校のエースだった太田幸司は松山商業との決勝戦で延長18回0対0の引き分け、翌日の再試合をひとりで投げ抜き準優勝投手となり、その甘いルックスもあって女子高生を中心に絶大な人気を獲得しました。近鉄バファローズにドラフト1位で入団すると、まだ十分な実績のないプロ1年目から3年連続ファン投票1位でオールスター戦に出場したり、CMに出演したり、と球界を代表する人気選手となったのです。しかし、当時のプロ野球の二枚看板である王貞治長嶋茂雄が人気・実力ともにずば抜けたスーパースターだったのに対して、太田幸司は明らかに人気先行であり、まさにアイドル選手の元祖というべき存在でした。実績を上げられないまま人気だけが先行するのは本人にとっても辛いことだったと思いますが、その後、太田は徐々に実力をつけ、シーズン2桁勝利を3度記録するなど実働13年で通算58勝85敗4セーブの成績を残しています。
 スポーツの世界では1972年の札幌オリンピックに出場した女子フィギュアスケートのジャネット・リン(米国)もその輝くような笑顔で銅メダルという成績以上に人々を魅了し、まさにみんなから愛されたアイドルとして当時を知る世代には懐かしい存在でしょう。
 また、1972年といえば、中国からカンカンランランという2頭のジャイアントパンダが初めて上野動物園にやってきて大ブームを巻き起こし、同じ年に大井競馬場でデビューした競走馬ハイセイコーが1973年に中央競馬に移籍して皐月賞を制するなど大活躍すると、地方出身者が中央のエリートを打ち負かすという物語をまとって、まさに競馬史上空前のアイドルホースとなります。1970年代初頭というのはまさに「みんなに愛される人気者」としての国民的アイドルが生まれる時代状況だったといえるのかもしれません。僕自身も当時はまだほんの子どもで野球も競馬も興味はありませんでしたが、グリコアーモンドチョコレートのCMに出演していた太田幸司は覚えていますし、ハイセイコーがタケホープに負けたダービーの映像は競馬の最初の記憶として目に焼き付いています(ということは、競馬はやらなかった父もこのレースの中継はみていたわけです)。もちろん、パンダは親に連れられて上野動物園の行列に並びましたし、札幌オリンピックでは日本ジャンプ陣の金銀銅メダル独占とともに転んでも笑顔だったジャネット・リンだけは忘れられません(というか、それしか覚えていません)。彼女はその後、カルピスのCMにも出演していましたね。いずれの場合にも人気の背景にテレビの影響力が介在しているのがポイントでしょう。
 あえて付け加えれば、東京大学卒、官僚出身のエリートが幅を利かせていた政界において高等小学校しか出ていない田中角栄が総理大臣に就任し、豊臣秀吉になぞらえて「今太閤」ともてはやされ、国民的人気を博したのも1972年のことです。彼が選挙応援に出向けばどこでも大勢の人が集まったことから自称した「人寄せパンダ」という言葉は現代までアイドルに期待される社会的機能の一面を表しているといっていいと思います。

 とにかく、そんな中で、芸能界においても、次々とアイドルが誕生するわけです。
 自分の記憶をたどると、いわゆるアイドル歌手が登場する以前の1960年代、幼児だった僕が我が家ではまだ白黒だったテレビを通じて目にしていたのは女性だと伊東ゆかりいしだあゆみ、奥村チヨ森山加代子日吉ミミといった歌手であり、彼女たちも当時は若かったとはいえ、その歌は明らかにオトナ向けでした。歌謡曲とは基本的にオトナが聴くものだったのです。そして、僕自身はそんなオトナ向けの歌謡曲を意味もあまり理解しないまま耳になじませつつ、日本語のボキャブラリーを増やしていったのでした。
 一方でその頃、多くの若者の心をとらえていたのはロックやフォークであり、その手のミュージシャンがテレビに出ることはほとんどありませんでした。彼らがテレビ出演を拒否していたというのもありますが、テレビ局と芸能プロダクションとレコード会社の間の利権(年末の賞レースが典型)がさまざまに絡むテレビ芸能界において、そうした利権構造と無縁のロック/フォーク勢にテレビからお呼びがかかることはなかったというのが実情でしょう。従って、僕のようなコドモにはほとんど接点のない世界でもありました。
 1960年代には全世界的に既成のオトナ文化とそれに対するカウンターカルチャーとしての若者文化の対立があり、それが日本でも学生運動やロック/フォークの興隆などとなってあらわれていたわけですが、1970年代に入ると、反抗する若者たちの熱気も薄れていきます。
 そんななかでデビューした10代の若手歌手たちがオトナ向けの歌謡曲とは違った、同世代の若者が共感するような歌をうたい、子どもも含め若者を中心に人気を集めていきます。南沙織天地真理アグネス・チャン浅丘めぐみ桜田淳子山口百恵、そしてキャンディーズなどです。そうした若い世代向けの歌でデビューした若手歌手が従来の歌手と区別して「アイドル歌手」と呼ばれるようになっていったわけです。
 たとえば、1971年に返還前の沖縄からデビューした南沙織がその年のNHK紅白歌合戦に初出場した時、紅組司会の水前寺清子はこんな風に紹介しています。

 「さて紅組のトップバッターも初出場の方でございます。ティーンのアイドル、もうお分かりですね。南沙織さん、沖縄代表、どうぞ、『17才』」(太田省一『紅白歌合戦と日本人』、筑摩選書、2013年、166頁)。

 ここでの「ティーンのアイドル」という表現は「若者たちに大人気の歌手」といった意味合いであり、現代のように「アイドル」が“肩書”として使われているわけではありません。僕自身も当時、彼女たちを旧来のオトナ向け「歌手」と区別して、「アイドル」とか「アイドル歌手」という言葉で認識していたかどうか、記憶が定かではないのですが、南沙織のデビュー曲が「17才」であったように、若さをストレートに表現した曲を歌う彼女たちは、ずっと年下のコドモだった僕にとってもそれまでの大人っぽい歌手よりずっと身近に感じられました。
 なかでも、キャンディーズはレコードデビュー前から毎週欠かさずみていた『8時だヨ!全員集合』(キャンディーズ初登場の回=1973年4月7日が番組史上最高視聴率の50.5%)を通じて、とりわけ親しみを感じる存在であり、彼女たちが1973年9月1日に「あなたに夢中」でレコードデビューを果たした時には自分のことのように晴れがましい気持ちになったものでした。
 キャンディーズに限らず、このようなアイドルたちが人気を獲得する上で、テレビの果たした役割が非常に大きかったことは言うまでもなく、とりわけ、テレビはカラーが当たり前になった1970年代になって初めてアイドル歌手が誕生したのは偶然ではないでしょう。若々しい青春ソングを歌うアイドルたちはカラーテレビの中でこそ輝くことができたのです。
 そして、全盛期を迎えつつあったテレビの側でも新しい視聴者、とくに若い世代を惹きつけるために旧来の歌手とは違うフレッシュな魅力をもったアイドルは必要な存在でした。テレビは次々とアイドルを生み出す装置として機能していくことになります(このあと触れるオーディション番組『スター誕生!』が象徴的な例)。

 そんなアイドル歌手の人気の理由が歌唱力や楽曲そのものだけでなく、ルックスやキャラクターも含めてのものだったのはごく自然なことですし、テレビにとって実力より人気のほうがより大きな価値をもつことも現代に至るまで変わらぬ現実です。とはいえ、当時のアイドル歌手はごく一部の例外を除き、それなりの歌唱力はそなえていたものです。なぜなら、彼女たちも肩書としては「歌手」と認識され、キャンディーズのようなグループになると「コーラスグループ」とも称されたわけです(本人たちもそう自己規定していました)。ピンクレディーがどう形容されていたのか、よく覚えていませんが、いずれにせよ、当時は「アイドル」という“肩書”は存在せず、従って「私はアイドルです」などと自称することもありませんでした。

 一方で、レコードを出すということは「人気」を「カネ」に換える手っ取り早い手段であり、歌手だけでなく、お笑いタレントやスポーツ選手など、歌が上手ともいえないスターや人気者がレコードを出すことも当時から珍しくありませんでした。
 アイドルホース、ハイセイコーの引退時には主戦騎手・増沢末夫(意外に歌が上手かった)が「さらばハイセイコー」を歌って50万枚を売り上げ、オリコン4位の大ヒットを記録しています。これなどはハイセイコーの人気をお金に換えることを狙った、まさに企画もののレコードといえるでしょう。
 また、1973年に人気ドラマ『時間ですよ』に出演して一躍人気者になり、「赤い風船」でレコードデビューした浅田美代子は(歌手なのに)歌がヘタだということでお茶の間に衝撃(笑)を与えましたが、彼女の場合も歌手だったというよりは人気者がレコードを出したと考えた方がいいのかもしれません。ただ、改めて聴くと、のちに極端に音程を外して「赤い風船」を歌うモノマネが定番化したのはちょっとかわいそうに思えるほど、実際の彼女の歌はそんなにひどいというわけでもありません(と一応フォロー)。その後、歌がヘタなアイドルは珍しくなくなりますし、むしろアイドルなのに歌が上手いほうが驚くような状況になっていきます。
 基本的にアイドルがCDを出すのは、歌手だからというより、それが人気をカネに換える有効な手段だから、と考えるのが正しいのでしょう。これは現代まで変わりませんし、その傾向はますます強まっています。もちろん、レコードだけでなく、さまざまな関連商品も売り出されます。元祖アイドルのひとり、天地真理の時代も数多くのまりちゃんグッズが主として子ども向けに売り出されていましたし、キャンディーズやピンクレディーもそうでした。
 いずれにせよ、すべてアナログだった時代のレコード制作には金銭的にも時間的にも人的にも多大なコストがかかり、それだけの投資をしてでもレコードを出すに値する人、つまり出せば確実に売れそうな人しかレコードを出せませんでした。発売されるレコードの数も現在に比べると、ずっと少なかったはずです。

 1970年代のアイドル史において、忘れてならないのがオーディション番組『スター誕生!』です。山口百恵、桜田淳子、岩崎宏美、ピンクレディーなど数多くのアイドルを輩出したこの番組は、垢ぬけない素人の少女(もちろん少年も…)が厳しい審査に合格し、デビューに漕ぎつけ、見違えるようにきれいになって、スターへの階段を駆け上がっていったり、上りきれなかったり、踏み外したり…というストーリーの全体を視聴者に見せたことで、テレビの中の芸能人が憧れの対象から応援の対象へと変わっていく契機となりました。自分の好きなアイドルを応援するというのは当時から現在まで変わらないファンのアイドルへの接し方の基本形です。したがって、アイドルには思わず応援したくなるような未成熟な可愛らしさが重要でした。逆にいえば、アイドルにずば抜けた実力(歌唱力)や完成度は求められなかったのです。その点が、何の芸もないくせに「芸能人」としてテレビに出ている、という伝統的なアイドル批判に繋がったわけですが、少なくともテレビにとっては、アイドルとしての必要条件は「芸」よりも人気、要するに「カワイイ」ということなのです。もちろん、そこに何かプラスアルファがあれば申し分ありません。アイドルが出るのはバラエティ番組が中心になり、歌番組であっても(チャンネルを変えられやすい)音楽よりトークの比重が高まっていることもあり、むしろ、キャラクターとしての魅力やしゃべりの面白さのほうがテレビで重宝される傾向が時代とともに顕著になっています。もちろん、それでは『スタ誕』では合格できなかったでしょうが…。
 キャンディーズは『スタ誕』出身ではないですが、1972年にNHKの番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールとして結成され、その後、『全員集合』でお茶の間の人気を得て、スターへの階段を駆け上がり、1978年春に人気絶頂で解散するまで、まさに劇的かつ見事に完結したストーリーを紡ぎ、ファンも彼女たちを応援し、物語を一緒に作り上げたことで、キャンディーズは永遠のアイドルになりえたわけです。

 ところで、キャンディーズの現役時代、彼女たちに関する出版物や記事をみると、「スター」という言葉は見つかりますが、意外にも「アイドル」という表現はほとんど見当たりません。解散宣言やファイナルコンサートが社会的なニュースとなった時も新聞記事ではキャンディーズについて「人気コーラスグループ」とか「人気タレント」という言葉が使われています。
 それでも、「アイドル」という表現がまったく存在しなかったわけではありません。
 ひとつは彼女たちのラジオ番組『Go!Go!キャンディーズ』の中で田中好子本人が自分のことを「キャンディーズのアイドル、スー」と発言していたのです(放送日不明)。ただし、これはランミキに突っ込まれることを前提とした軽口というべきもので、この場合の「アイドル」とはまさにみんなに愛され、可愛がられる人気者という意味であるのは明白です。

 もうひとつ。解散の3日前、1978年4月1日の『朝日新聞』夕刊に「キャンディーズ・ブーム」と題したコラム記事があり、「特別歌がうまいわけでもな」く、「美人というわけでもない」キャンディーズの3人の人気の秘密は「純なる乙女心にありそうだ。あの、かわいさは、タレントにはむしろあるまじき純粋さに裏打ちされているのである」とし、解散の理由が「デビューの時、三年間はキャンディーズにかけてみようと三人で約束しました。その三年間が過ぎた」からだという彼女たちの言葉を紹介し、そこに芸能人らしからぬ純情さを見ています。そして、キャンディーズはもともとタレントらしくない、普通の女の子だったとした上で、次のように書いています。
 「その普通の女の子にファンがついた。中、高生の男の子。三人は男を対象にしたアイドル・グループの第一号だった」
 記事の最後はこんな感じです。
 「タレントという“商品”になり切るには純情過ぎた三人の娘と、それだから熱狂したファンが作り上げたキャンディーズ・ブームは芸能界の歴史に残るはずである。だが、その後の三人のことは時の経過と共に忘れ去られる。一度、華やかなライトをあびてしまった三人が、本当に普通の女の子に戻れたかどうかということも」

 この記事を書いた匿名記者の最後の予測は大きく外れたわけですが、全体的にいわゆる“上から目線”でシニカルな調子を含んだ記事ではあります。まぁ、いつの時代でもオトナがアイドルについて触れる時はそのようになるものなのでしょう。その朝日新聞もキャンディーズ解散から30周年の日(2008.4.4)の「天声人語」はキャンディーズ一色の文章でしたし、今や若者の新聞離れをなんとか食い止めようとAKB48などのアイドルを誌面に登場させているわけですが…。
 ついでに、上の記事でキャンディーズファンの中心が実際は大学生だったにもかかわらず「中、高生」としているのはアイドルというのはお子様向けの存在という先入観のせいでしょうか。あるいは、単にキャンディーズといえば「年下の男の子」のイメージが強かったせいでしょうか。同じ朝日の4月5日付のファイナルカーニバルの記事でも「全国各地から集まった中学生、高校生ファンが五万人」となっています。学歴社会のエリートを自任する新聞記者にしてみれば、最高学府たる大学の学生たちがアイドルに夢中になっている現実は認めたくないものだったのかもしれません。
 また、「男を対象にしたアイドル・グループの第一号」という意味は、1960年代末のグループサウンズや当時でいえばフォーリーブスなど、要するにメンバーが男である“女性向け”のグループはすでに存在したのに対して、女性のグループとしてはキャンディーズが最初という意味でしょう。それが正しいかどうかは考え方にもよるでしょうが、ここにはアイドルとはまず疑似恋愛の対象である、といったニュアンスが感じられます。
 いずれにせよ、せっかく売れているのに人気絶頂で辞める、というのは当時のオトナには理解しがたいことであり、オトナたちとキャンディーズの3人や彼女たちの解散に理解を示した若いファンたちとの世代ギャップが露呈したこの一件が、若者が支持する音楽や歌手とオトナが愛好する歌謡曲(演歌)とが明確に分化していく時代の転換点の象徴的事例と言えるかもしれません。そして、それが若者向け歌手としての「アイドル」の存在を明確化していくことにもなったのでしょう。

  つづく


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