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風の音楽〜キャンディーズの世界その7

キャンディーズのいた時代
〜いつもそこに風が吹いていた〜


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 いつだったか、未明にちょっとした地震があった時のこと、ベッドから身を起して、いつもの癖でNHKテレビをつけると、、偶然にもキャンディーズ「あなたに夢中」が流れていました。真夜中の時間つぶしみたいな番組です。バックの映像は1970年代頃の東京・井の頭公園。幼い頃から数えきれないくらい出かけた場所なので、すぐに分かりました。
 キャンディーズと井の頭公園というのは僕の中でごく自然な取り合わせです。公園に近い吉祥寺がランちゃんの生まれた街であるとか、解散コンサートの日に花見に出かけていたとか、理由はいろいろありますが、キャンディーズのデビュー以前から井の頭公園は大好きな場所で、キャンディーズの曲を聴いていると、なぜか井の頭公園や吉祥寺の街の風景が浮かんでくるのです。
 子どもの頃、家族で出かける大きな街といえば、新宿か渋谷、ごくたまに銀座といったところでしたが、いずれも母がデパートで買い物をするのについていくだけで、子どもにとっては大食堂で食べるお子様ランチとおもちゃ売場と屋上遊園地以外に楽しみも興味もない街でした。
 次に大きな街といえば、吉祥寺です。井の頭動物園への行き帰りに立ち寄ったほか、親戚も住んでいたので(しかも、ランちゃんの通っていた小学校のすぐ近く)、馴染みの街で、しかも楽しみの多い街でした。というわけで、僕の中では「街」という漢字のイメージでまず思い浮かぶのは新宿でも渋谷でも銀座でもなく、吉祥寺なのです。ついでにいえば、当時、母方の祖父母が住んでいた杉並区阿佐ヶ谷とその隣の高円寺もやっぱり「街」でした。僕の住む私鉄沿線に比べて中央線沿線は駅も高架で立派に見えたし、なんとなく垢ぬけていて、ワンランク上の印象がありました。


吉祥寺通り吉祥寺駅武蔵野市役所前の桜並木井の頭池

 ちなみに僕が住んでいるのは今も昔も「街」というより「町」のイメージです。といいながら、「町」と「街」、何が違うのだろうと改めて考えてみたのですが、「街」は地元民だけでなくヨソからも人がたくさん集まる場所、別の言い方をすると歌の舞台になったり、あるいはデートの舞台になったりする場所という説明を思いついたのですが、いかがでしょうか?
 とにかく、ガロ「学生街の喫茶店」とか南沙織「色づく街」なども僕のイメージではみんな吉祥寺あたりの風景が浮かんでくるのです(たぶん、実際は違うと思いますが…)。もちろん、キャンディーズの歌もそうです。たとえば、「なみだの季節」に出てくる「街の隅でみつけた人のいない喫茶店♪」も勝手に吉祥寺あたりを想像していました。というか、吉祥寺や井の頭公園に象徴される東京西郊、武蔵野の街並みといったほうが正確でしょうか。中央線でいえば、高円寺、阿佐ヶ谷から吉祥寺、三鷹あたりまでの区間ですね。街でありながら緑が多い、というのもポイントです。だから、「グッド・バイ・タイムス」「夕立のあとは緑が洗われて街全体がイキイキ生きてます♪」と歌われる街もいかにも…ですね。


井の頭公園駅前井の頭池井の頭公園

 そんな吉祥寺や阿佐ヶ谷へは子どもの頃はたいてい親と一緒に電車で出かけていたわけですが、この一帯は中学生になる頃には完全に自転車の行動圏内に含まれていて、友達と、あるいはひとりでたびたび走り回っていました。ランちゃんが吉祥寺生まれで、キャンディーズ時代には西荻窪(吉祥寺の東隣)に住んでいたり、彼女の出身中学が何度もその前を自転車で通ったことのある学校だった、なんてこともその頃、知りました。ちなみに同じ頃、ミキちゃんが僕と同じ世田谷区民であることも知り、こちらは実際に自転車で家を見に行ったりもしました(ドキドキしながら家の前を通ってみただけです)。
 そんなわけで世田谷区から杉並区、武蔵野市、三鷹市あたりの風景はますますキャンディーズの曲と結びつき、僕の中では彼女たちの歌の主人公の女の子もきっとこのあたりに住んでいるのだと勝手に想像するようになっていったのです。もちろん、彼女はたまには都心に出かけたり、海へ遊びに行ったり、ディーゼルカーに乗って“気軽な旅”に出たり、恋人は“銀色電車”の見える東急沿線(?)に住んでいたりするわけですが、日常生活のベースは雑木林や畑もある武蔵野の住宅地…そんなイメージです。僕にとっては馴染みの風景ではあっても身近すぎない、その適度な距離感ゆえにファンタジーの入り込む余地があったのだと思います。


雑木林の中の道吉祥寺駅南口成蹊学園のケヤキ並木

 実はこのページのために吉祥寺や井の頭公園周辺でキャンディーズの歌の風景にふさわしい写真を撮れないかと思って改めて出かけたのですが、これだ、と言えるような風景にはなかなか出会えませんでした。季節や天気などさまざまな要素にも左右されますし、やっぱり昭和と平成の違いは大きいです。京王井の頭線の井の頭公園駅前の雰囲気は僕の中ではかなりイイ線行っていたのですが、近年駅舎が建て替えられて、いかにも平成風の建築になってしまったので、ちょっとイメージからズレてしまいました。一応、載せてみましたが…。
 いずれにしても、心の中にイメージされる風景、つまり心象風景というのは余計なものは捨象されて、純化され、美化された風景なので、それを現実の世界の中で見つけるのは難しいのかもしれません。それでも、何枚かの写真を並べて、吉祥寺や武蔵野のイメージを表現してみました。みなさんがキャンディーズの歌を聴いて思い描く風景のイメージは恐らく全然違うと思います。これはあくまでも、僕の個人的な心象風景であって、同じ歌を聴いていても、喚起されるイメージは人それぞれでまったく違うはずですから…。まぁ、そこが面白いところではあります。


桜並木畑の向こうに丸井やパルコが見える公園へ続く道

 ところで、3人とも東京出身のキャンディーズはそれぞれに生まれ育った土地の地域性や風土性をわりと素直に体現していたように思います。彼女たちの出身地を知っているがゆえの先入観による思い込みもあるのでしょうが、少なくとも山の手から武蔵野へと続く東京西郊出身のラン(武蔵野市生まれ、杉並区在住=当時)とミキ(世田谷区出身)の2人と、下町の足立区出身のスーの対照というのはかなりクッキリしていました。もちろん、ランミキのキャラクターも全然違うわけで、それが武蔵野市〜杉並区と世田谷区の地域性の差とまではさすがに言えませんが、東京郊外育ちのお嬢さん2名に下町のおねえちゃん1名という組み合わせがキャンディーズのキャラクターを特徴づけ、その面白さに繋がっていたように感じるのです。


吉祥寺駅北口吉祥寺には畑もあるハーモニカ横丁中道通り

 さて、当サイトのキャンディーズのページの冒頭にも書いたことですが、彼女たちの音楽を聴いていると、いつもそこに心地よい風が吹いているように僕は感じます。あるいは、自転車で走っていたり、街を歩いていたりして、風が気持ちいいなぁ、と思った瞬間、不意に心の中にキャンディーズの音楽が流れ出すという経験もしばしばです。なかでもやはり武蔵野の雑木林を吹き抜ける風がキャンディーズの記憶を呼び覚ますのには“100%効果的♪”です!
 もちろん、風を感じる曲というのはキャンディーズだけではありません。僕は子どもの頃から歌謡曲が大好きだったわけですが、たとえば、奥村チヨ「終着駅」とかアグネス・チャン「妖精の詩」とか先に挙げた「学生街の喫茶店」「色づく街」あたりも思い浮かびます。もちろん、天地真理の諸作品もそうですし、もう少し新しいところだと(といっても、若い方にしてみれば、充分古いですが…)、森高千里なんかもそうですね。これは最近のいわゆるJポップではなかなか味わえない感覚です。それがなぜなのかを考えるのが、ここでの本題です。

 キャンディーズの音楽が風を感じさせる要因。
 なによりもキャンディーズという存在自体がとても爽やかだった、ということがあげられます。しかも、「春一番」とか「微笑がえし」とか「夏が来た!」とか歌詞の中で“季節の風”が描かれている作品もたくさんあります。でも、これだけではあまりに当たり前すぎますね。もう少し考えてみましょう。

 1980年代の初め頃、ポピュラー音楽のサウンドがだんだん無機的になって、面白みが失われてきたな、と感じたのを覚えています。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の登場などテクノ・ポップの流行は音楽とは本来、とても人間臭いものであるという大前提があったからこそ衝撃的であり、面白さもありました(でも、改めてYMOの音楽を聴いてみると意外なほど人間的です)。ところが、そうした手法が広くポピュラー音楽に取り入れられ、広まるにつれて、音楽が機械的になり、少なくとも僕はあまり魅力を感じなくなりました。音楽制作へのデジタル技術の導入もこの頃から始まり、音楽から人間の表情が見えなくなった、そんな風に感じました。大げさに言えば、この頃から人間とテクノロジーの主従関係が逆転し、人間がテクノロジーの進歩に必死についていく時代が到来したのだと思います。人間が主役だった時代は1970年代とともに終わった、その認識は現在まで基本的には変わっていません。今でも1970年代、あるいはそれ以前の音楽に惹かれる人が少なくないのも、きっとそうしたところに理由があるのでしょう。
 僕がキャンディーズの音楽を好んで聴くのも、そこに70年代サウンドの魅力が詰まっているから、というのは理由の一つですし、もし彼女たちが30年遅れて21世紀にデビューしていたら、たぶん僕にとってはあまり魅力的な音楽にはならなかったのではないか、と想像しています。それこそパフュームみたいな感じでしょうか。まぁ、これは僕の感覚が時代の変化についていけていないということなんでしょう。もちろん、現代の無機的なデジタル音楽がある種の快感をもたらす、というのも解らないわけではないですが。

 とにかく、僕は70年代のサウンドが大好きで、それを「風を感じるサウンド」と表現しているわけですが、なぜ風を感じるのか、というと、サウンドに風が吹き抜ける隙間があるといったらいいでしょうか。変な表現ですが、とにかく心地よいのですね。逆に現代のJポップはデジタル・サウンドでびっしりと埋め尽くされ、風が吹き抜ける隙がないように感じます。なんというか、密室的で窒息しそうな感じです。両者の違いを隙間風の入る木造建築と完全密閉型の鉄筋コンクリート建築の差、あるいは屋外の球場とドーム球場の違いにたとえてもいいかもしれません。キャンディーズの解散コンサートが開かれた後楽園球場には春風が吹いていましたが、ドームには風は吹きません。もちろん、現代のサウンドにも風を感じることはありますが、70年代サウンドと比べると、開け放った窓から吹き込む風と、密閉空間の中のエアコンの風ぐらいの違いを感じるのです。もちろん、全部が全部、そうだとは言いません。あくまでも大雑把な印象です。
 ついでにいえば、レコードやCDのジャケット写真などでも、70年代のアーティストはキャンディーズでも誰でもいかにも生身の人間、すなわち風の吹く世界の住人という感じですが、現代では写真のデジタル化によって、修正・加工の技術も進み、画像が写真なのかCGなのか分からないような印象だったりします(浜崎あゆみあたりが典型的)。それがいかにも風の吹かない空間の住人という印象を強めているようにも感じるのです。少なくとも鳥がさえずったり、虫がいたりする自然の中を歩いている、なんてことはあまりイメージできません。もちろん、たまには歩いているのでしょうが…。
 結論としては、1970年代までとそれ以降の違いとはアナログ時代とデジタル時代の差であって、その転換点が1970年代末あたり、ということになるのでしょうか。
 しかし、これでもまだ話があまりに単純すぎるので、もう少し別の観点からも考えてみたいと思います。キャンディーズの音楽に風を感じる理由。ちょっと堅苦しい話になりそうですが。しかも、まだ自分でも話の着地点が完全には見えていないのですけど…。とにかく、考えてみましょう。

 いま「風の吹く世界」とか「風の吹かない空間」という表現を使いましたが、これはどういうことでしょうか。昔も今も我々が生きている世界には当然ながら風が吹いています。その意味では人はみな「風の吹く世界」の住人であることにはいつの時代でも変わりがないはずです。でも、昔と今とでは何かが違う。いまの我々は「風の吹く世界」で暮らしながら、同時に「風の吹かない空間」にも頭を突っ込んでいるように思えるのです。つまり2種類の空間で生きているということです。
 自分の家を起点にして考えてみましょう。まずは窓の外、玄関の外に広がるのが第一の空間です。これを仮に「現実空間」と呼ぶことにします。現実空間はどこまでも単一の空間であって、地理的な距離が存在し、自然があり、暑かったり、寒かったり、晴れていたり、雨や雪が降ったりします。もちろん、さまざまな他者がいて、好むと好まざるに拘らず互いに共存しています。我々の身体は常にこの現実空間に物理的に存在しています。言うまでもなく、これが「風の吹く世界」ですね。

 第二の空間はテレビや電話、インターネットなどを通じてアクセスする空間です。テレビゲームの中のヴァーチャルな空間もそうですね。仮に「情報空間」と呼ぶことにします。情報空間は単一ではなく、多元的な空間でもあります。そして、ここでは地理的な距離というのは限りなく無意味になります。たとえば、現実空間において東京と大阪の間には絶対的な距離があるわけですが、電話やインターネットを通じたコミュニケーションではこの距離は存在しないに等しいわけです。海外との間でも同様です。
 そして、我々の身体は常に現実空間に存在していますが、脳(=意識とか自我と言い換えてもいいですが…)は現実空間と情報空間の間を行ったり来たりしながら生活しています。たとえば、街を歩きながら携帯電話で誰かと話をしている人の場合、身体はそこにあっても、意識は現実空間から情報空間に飛んでしまっているとも言えるわけです。最近はパソコンやインターネットの普及によって自室にいながら脳だけが複数の情報空間を次から次へと漂流していくという生活がごく普通のものになっています。いま僕以外にこのページを読んでくださっている方がいるという事実そのものが現実空間のほかに別次元の空間を通じたアクセス回路が存在することの証明です。

 で、キャンディーズが活動していた1970年代はどうだったのか。当時はパソコンもケータイもありませんでしたが、現実の地理的隔たりを無意味化するテレビや電話といった情報メディアは普通にありました。それでも、身体だけを現実空間に放置したまま脳だけが情報空間を浮遊するというような現象はあまり見られなかったのではないでしょうか。脳と身体は常に一体不可分のものとして現実空間で生きていたと思うのです。もちろん、現実を離れて夢や空想の世界に遊ぶということはあっても、それらは実在しない世界です。ここでいう情報空間は個人的な夢や空想の世界ではなく、多くの人がその存在を認知し、共有している空間なのです。そのような現実空間とは別次元の空間が我々の脳の活動領域として存在するなどという一般的な認識は1970年代にはなかっただろうと思います。
 当時、我々が意識レベルでもほぼ100パーセント現実空間の住人だったとすれば、たとえテレビの中のアイドルやスターであっても当然のように同じ現実空間の存在として認識されていたということです。また、歌の中の世界も、たとえそれが架空の場所であったとしても、現実の世界を舞台にしていると我々は自然に受け取っていたわけです。そこに季節感があるのも現実空間ならでは、です。先ほど、僕の中ではキャンディーズの歌の世界が東京・武蔵野の風景と結びつくとか、東京郊外育ちのお嬢さん2名と下町のおねえちゃん1名という組み合わせがキャンディーズのキャラクターを特徴づけていた、などと述べましたが、それはまさにこういうことです。

 ところが、いつしか情報通信技術(いわゆるITってやつです)の進歩によって、身体を現実空間に置き去りにしたまま、我々の意識レベルでの活動領域は現実空間を超越して、情報空間とでもいうべきヴァーチャルな領域へと拡大していったわけです。そこには現実空間には実在しないヴァーチャル・アイドルなる存在も出現しています。恐らく現在では意識の存在場所としては現実空間以上に情報空間の重要性は高まっているのかもしれません。生活の中でパソコンとケータイとテレビゲームに向き合っている時間がどれだけあるかを考えてみればわかると思います。もちろん、高齢者を中心にパソコンもケータイもテレビゲームも持たず、今でもほぼ100パーセント現実空間でだけ生きている人もたくさんいます。デジタル・ディバイド(情報格差)という言葉があるように、今ではそういう人は時代から取り残された人と見なされてしまうのが現実です。

 我々がなぜ現実空間より情報空間を好むのか。それは情報空間には自分にとって必要なもの、関心のあるもの、気に入ったもの、都合のいいもの…しか存在しないからです。不要なもの、興味のないもの、不快なもの、嫌なもの、都合の悪いものなどがあれば、無視すればいいし、簡単に消去することもできます。
 その点、現実空間は自分にとってしばしば邪魔な他者が存在し、暑かったり、寒かったり、災害が起きたり、嫌なことがあったり、不快だったり、と思い通りにならないことが無数にあります。そういう制約や障害の多い現実に束縛されているからこそ自分に都合のいいように操作可能な情報空間で自己を解放しようとするのでしょう。また、そうした欲求がテクノロジーの進歩の原動力にもなっているのだと思います。
 ただし、情報空間とは人にとって完全に安らげる空間ではありません。なぜか。そもそも情報とはいま現在必要とされているものだけが、情報としての価値を持つのであって、鮮度が失われればたちまち価値を失います。その意味で情報空間とは市場原理に支配された市場空間であるといっても差し支えありません。市場にはモノの固有の価値をいったんご破算にして、改めて市場価値で評価しなおすという機能があります。市場価値は常に“時価”であって、それまで高い価値を認められていたものが、突然に大暴落して無価値であると見なされるということも、その逆も普通に起こります。「いま」がすべての刹那主義の世界です。その意味ですべてのモノの価値は安定性を失うのです。そして、市場空間においては人間も市場評価の対象です。すべての人間が生まれながらにもっている固有の価値も市場空間においては意味がありません。いつ自分が無価値な存在と見なされ、居場所を失うか分からない。まるで宇宙のように底なしの市場空間で人々は存在の安定性を失い、絶えず価値喪失の恐怖と隣り合わせで生きているわけです。恐らく情報空間への没入度が高い若い世代ほどそうした不安感は強いのでしょう。だから、毎日毎日信じられないぐらいの数のメールを仲間と送り合い、返信し合うことで、自分の存在感を確認するわけです。人は情報空間で自己を解放しようとすると同時に価値喪失の不安からますます情報空間にのめり込んでいくのだと思います。

 自分で書いておきながら、自分でもだんだんワケが解らなくなってきたので、少し話の流れを変えましょう。
 すでに書いたように僕はキャンディーズが解散した翌日に初めて彼女たちのレコードを買ったわけですが、毎日毎日そのレコードを大切に聴いていた時のことは今でもよく覚えています。窓から吹き込む春風の感触とともに…。
 まだアナログ時代だったあの頃、音楽は何よりもまずレコード盤という物体として存在していました。その物質的な実在感は現代のCD以上でした。レコード盤をジャケットからそっと引っ張り出し、盤面に触れないように内袋から慎重に取り出して、プレーヤーにのせる。針を下ろせばプチプチというノイズとともに音楽が聞こえてくる。A面が終わったら、そっと盤をひっくり返してB面を聴く。すべてがとても厳かな行為でした。傷をつけたりしないように大切に大切に扱わなければならなかったからです(特にキャンディーズのレコードは!)。
 CDの時代が来ると、音楽はずいぶん気軽に扱えるようになりました。そして、今やインターネット配信の時代。パソコンやケータイを通じてダウンロードして聴く時代です(僕は相変わらずCDを買い続けていますが)。音楽がアナログ時代のような物質性を完全に失い、かつては現実空間に存在していた音楽が純粋にソフトとして情報空間に流通するようになったわけです。ウォークマンの登場以降の携帯音楽プレーヤーの普及で、いつでもどこでも自分の好きな音楽(だけ)を聴けるようになったことも、現実世界からの自己の解放に一役買っていると言えるかもしれません(そして、それが現実空間においては「音もれ」によって周囲の人たちにとって不快な存在になっていたりもするわけです)。

 かつてひとつの現実空間(風の吹く世界)ですべての人がごった煮のようになって、対立したり、争ったり、妥協したり、協調したりしながら、仕方なくではあっても共存していた1970年代までは音楽もそうした空間に流れていました。一家に一台のテレビで家族揃って歌謡番組を見るというのは普通の光景でしたから、子どもでもお年寄りでもアイドル・ポップスから演歌までひと通り耳に馴染んでいました。なので、それなりのヒット曲なら、老若男女を問わずほとんどの人が当たり前のように曲も歌手も知っていたものです。たとえば、大晦日の「NHK紅白歌合戦」は今とは比較にならないほどの高視聴率でしたし、「国民的番組」と呼ぶのに相応しく、若手アイドルから大ベテランまで家族みんなが知っている歌手がみんなの知っている曲を歌うのが当たり前でした。キャンディーズもそういう時代に活動していたので、彼女たちのファンだったか否かに拘らず、30年経った今でも多くの人の記憶として残っているわけです。いわば社会的な記憶です。昨年(2007年)だったか、“おばあちゃんの原宿”として有名な東京・巣鴨を取り上げた、あるテレビ番組をみていたら、カラオケ店で70歳〜80歳代のおばあちゃん達が声をそろえて熱唱していたのが「年下の男の子」でした。また、政治の世界で女性議員3人組に対する「政界キャンディーズ」などという呼称が今でも通用するのもキャンディーズの存在が社会的記憶として残っている証拠です(やめてほしいですが)。

 それに対して、今はみんなが知っているヒット曲というのが少ない時代です。レコード(CD)の売上げではキャンディーズなどよりはるかに売れているJポップ・アーティストはたくさんいますが、彼らが老若男女を問わず幅広い世代に認知されているかといえば疑問です。売上げの数字としては大ヒットなのに、そのわりには認知度が低いわけです。かつては国民的番組だったはずの「紅白歌合戦」でも見たことも聞いたこともない歌手が出てきて、まったく知らない曲を歌うということが珍しくありません。その結果、いまの「紅白」は誰にとっても最初から最後までずっと見続けるのはかなりツライ番組になっているのは否めないでしょう。
 おそらく現代のJポップのアーティストや曲が30年後まで社会全体の記憶として残るということはあまりないのではないか、と予想しています。もちろん、個人の記憶に残る歌はあるでしょう。でも、その記憶が社会全体で共有された記憶にはならないような気がするのです。それだけ社会がバラバラに断片化してしまっているのだと思います。世代間の断絶ももちろんですが、同世代間でも分裂が進んでいます。要するにタテもヨコも細分化してしまっているわけです。

 なぜ社会がそんなにバラバラになったのかというと、やはり自分とは立場も価値観も違う他者がいっぱい存在し、自分の気に入らないコトやモノがたくさんある現実世界よりは自分の興味がある、好みのものだけで構成された、自分に都合のよい世界の方が誰にとっても好ましいに違いないからです。そして、そうした世界を志向すれば、現実世界に背を向けて情報空間に自己の領域の拡大をはかるのは自然なことです。こうして社会は細分化されて、人々は思い通りにならない他者のいる現実空間よりは自分の意のままに操作可能な情報空間で時間を過ごすようになっていくのです。
 そんな情報空間で出会うのは同じ対象に興味を持ち、価値観を共有する人々だけであるのが普通です。そうでない人は排除されます。我々は情報空間においては自分の意に沿わないもの、自分たちとは異質な者に対して、より不寛容になりがちです。異物の存在は現実空間では諦めがついても、情報空間では容赦できないのです。
 こうして現実空間に存在した大きな共同体が解体して、情報空間に小さなムラ(共同体)が無数に存立している、というのが現代の我々が生きる世界の姿です。現実世界では地理的な隔たりによって生じたコトバの地域的な差異、つまり方言が薄れつつありますが、一方で情報空間においては、小さなコミュニティーの中だけで通用するコトバが次々と生まれており、それはまさに新時代の方言といってもよい状況です。そもそもコトバとは他者とのコミュニケーションの手段であると同時に、他者とのコミュニケーションを断ち切る手段でもあります。なぜなら通じる者と通じない者を選別し、自分と同質の仲間とだけ繋がる手段でもあるからです。第三者には解らないコトバで仲間と通じ合えるというのは、ある種の快感をもたらします。そのような仲間うちだけで通じるコトバが好まれ、多用される傾向は日本では伝統的にありますが、最近はますます強まっているように思います。あるいは、コトバの通じる範囲が狭まっていると言ったらいいでしょうか。この手の話は掘り下げようと思えば、いくらでも掘り下げられますが、キャンディーズからどんどん遠ざかってしまいそうなので、この辺でとどめておきます。

 さて、ものすごーく遠回りしてしまいましたが、もう一度、キャンディーズに話を戻しましょう。
 彼女たちの映像が動画サイトなどでもたくさん見られる時代ですが、初めてキャンディーズを目にした若い世代にとっても、新鮮に感じられる点がいくつかあるようです。
 そのひとつは今のJポップは歌詞の意味が解りにくく、日本語の発音も何を歌っているのか聞き取りにくいけど、キャンディーズに限らず昔の曲は詞の意味も解りやすいし、日本語の発音もきれいだ、ということです。世代の新旧を問わず、この手の感想はインターネット上でもよく目にします(若い世代の大多数にとってはそれが古臭く感じられるのでしょうが)。これはやはりあらゆる世代の国民を相手に歌っていた時代と、そうではない時代の差なのでしょう。現代では歌の世界でもコトバが誰にでも通じる、ということはあまり重視されていないように感じます。これも歌がたくさんの他者と共存せざるをえない現実空間(風の吹く世界)ではなく情報空間(風の吹かない空間)に向けて発信されている証拠ではないかと思います。

 もうひとつ。これはキャンディーズが活動していた当時を知っている世代であっても、改めて彼女たちの映像を見ると、とても印象深いことなのですが、言葉遣いがきれい、ファンに対しても敬語や丁寧語を使っている、礼儀正しい、といった点です。キャンディーズといえば、当時から上品なイメージが僕にはありましたが、現代から改めて見直すと、その印象は一層強まります。べつに現代のアーティストが下品だ、などというつもりはありません。上品だとか下品だとか、そういう価値基準が社会全体ではもはや共有されていないのが現代だからです。価値観は人それぞれ、の時代に上品だ、下品だ、と言ってみても、「それはあなたの個人的な価値観だ」と言われるだけです。
 とにかく、現代から見ると、キャンディーズはとても上品に見えます。でも、当時としては、それは普通だった、とも言えます。上品とか下品とかいう価値基準を吹っ飛ばすようなピンクレディー旋風によって、ピンクのライヴァルと目されたキャンディーズが上品なイメージの側に吹き寄せられた、とは言えるかもしれません。
 キャンディーズが上品で人間的にも気持のよい3人組だったことは彼女たちに関わった人たちが揃って証言しているところでもあります。スタジオも彼女たちが使った後はいつもきれいに片付けられていたといい、宿泊したホテルの部屋を破壊しまくっていたどこかの国のロックバンドとは対極的です(笑)。それでも当時としてはそれは普通といえば普通だったようにも思うのです。ファンに対して丁寧な言葉で礼儀正しく接するというのも、ほかの芸能人でもそんなに珍しいことではなかったでしょう。
 なぜそう思うかというと、当時は今に比べれば“日本人”という文化共同体がまだまだ形を保っていたからです。文化というのはエゴと欲望がうずまく人間社会に秩序と節度をもたらす役割があります。日本の昔話には強欲を戒める話が多いのもその一例です。道徳や宗教、慣習など文化は地域によってさまざまですが、どんな文化であっても、それが内面化されている限りにおいて、人間の行動は制御されうるのです。当然、言葉遣いや礼儀作法といったものも文化のうちです。時代とともに変容を重ねながらも、親から子、子から孫へと代々受け継がれていくのが文化であり、キャンディーズの3人も当然ながらそうした文化の影響のもとで育ったと考えられるわけです。
 文化は無数の他者と共生しなければならない現実世界で生きていく上では誰にとっても大切なものです。文化がなければ社会規範も存在せず、誰にとっても安心して暮らすことはできないからです。しかし、同時に文化的制約の中で生きていくということは一定の型にはまる、ということでもあり、それはそれで窮屈でもあるわけですね。だから、個人を一定の型にはめようとする既成の文化、オトナの文化に対して若者の側からの対抗文化(カウンター・カルチャー)が打ち出されることにもなります。1960年代から70年代にかけてはそうした動きがとりわけ熱気を帯びた時代でもありました。世界の若者に共有されたロック・ミュージックはその象徴です。
 オトナへの反抗はその時代の若者が共有していたテーマであり、そうした空気はキャンディーズにさえ影響を及ぼしていました。ファイナル・カーニバルの最後の挨拶の中でラン「私たちはよくオトナの人に言われました。キミたちはなんてバカなんだ。(中略)でも、私たちはバカじゃありません」という言葉で自分たちの世代的な立場を鮮明にし、さらにミキ「変なオトナになるより、(キャンディーズは)純真な子どもの気持ちで、純真なまま終わりたかった」という刺激的な言葉を放っています。とはいえ、もともと彼女たちは丁寧な言葉遣いや礼儀正しさに表れているように極めて穏健であり、だからこそ旧世代から見ても上品で安心できる存在との印象を与えていたわけですが、同時に(特にライヴ・ステージやラジオでは)既成の型にはまらない、弾けた一面も見せていたからこそ若者たちの共感をも集めたのでしょう。その両面性が彼女たちの爽やかさの秘密でもあったと思います。それが、あの解散宣言によって突如として“反抗する若者たち”の象徴みたいになってしまった、とは言えるのかもしれません。
 ファイナル・カーニバルに向けてラン・スー・ミキを中心に若者たちが結集した、あのムーヴメントにはまさに既成の価値観を打破して新しい価値観を打ち立てたいという心意気のようなものが感じられます。その核心にあったのは自由を求める気持ちでしょう。伝統的な共同体が個人よりも上位に位置づけられていた時代ゆえの心情といえるでしょうか。キャンディーズをロックに向かわせ、あのカーニバルを実現させた立役者の大里洋吉マネージャーはそうした時代の空気の体現者であり、若者たちの先導者といえる存在でした。

 それでは、既成の文化と対抗文化、両者は止揚されて、新たな何かを生み出しえたのかどうか。もちろん、さまざまなものを生み出したでしょう。
 ただ、旧来の文化の存立基盤であった伝統的な共同体はずいぶん揺らいでしまったように思います。国とか地域とか家族とか…。伝統的な文化を次世代に継承すべきオトナたちは情報テクノロジーの進展についていけず、もはや若者たちにとって見習うべき手本でもなければ、反抗すべき相手でもないのかもしれません。カウンター・カルチャーという概念自体がもはやリアリティーを失ってしまいました。
 そんな中で人々は邪魔な他者のいない情報空間に自己を解放する傾向が強まり、共同体は断片化してしまい、文化を育む土壌は砂漠化の一途を辿っているのではないでしょうか。社会のあらゆる場面で歯止めが失われているように感じられているのは、社会に秩序と節度をもたらす根拠となる文化の土台が揺らいでしまったせいだと思われます。
 伝統的な共同体が解体すれば個人が自立して自由な市民社会が成立するという考え方もありますが、実際には大きな共同体が解体すれば、より小さく自閉した共同体(最小単位は矛盾した表現ですが、“ひとりぼっちの共同体”)が無数に生まれるだけです。社会が市場化することで、誰もが存在の不安に苛まれ、お互いを認め合える仲間うちだけで小さなコミュニティーをつくって生きていこうとするわけです。共同体は大きくても小さくても閉じた世界ですが、大きければ大きいほど、その結合は緩やかになり、あちこちに隙間が生じ、風通しがよくなるのでしょう。逆に共同体は小さければ小さいほど密閉されたカプセルのようになって、風通しは悪くなってしまいます。そんな小さな共同体がお互いに無関心・無関係のまま無数に存在するというのが現代社会の状況なのでしょう。昨今、「引きこもり」が問題となっていますが、ひとりで孤独の世界に引きこもるか、仲間うちだけの世界に引きこもるか、の違いで、引きこもっているのはみんな同じ、と言えるかもしれません。風の吹かない情報空間への引きこもり…。現代を覆う閉塞感とも無関係ではないような気がします。
 そんな荒涼とした時代だからこそ、爽やかな風の吹いていた時代に流れていた、爽やかなキャンディーズの音楽は今も魅力を失わないのでしょう。と、無理やり話をまとめてみました。うわ〜っ、とんでもなく長くなってしまいました。しかも、話がこんなところに行き着くとは思いませんでした。自分でも言っていることが正しいのかどうか判断しかねるので、そのうち手直ししたくなることも多々出てくると思いますが、見切り発車的にアップします。


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