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★宮原機関区(1979〜1985)

1.1979(昭和54)年7月

大阪の宮原機関区。これはかつて「つばめ」「はと」などを牽引するEF58が配置され、東の東京、西の宮原として名を馳せた名門機関区である。ここはEF58オンリーの機関区として長い間推移して行った。

なお、EF65PFの配置は1979(昭和54)年である。当時新大阪(一部大阪発着あり)と九州を結ぶ客車寝台特急(この系統には581系または583系による電車寝台も当時はあった)は米原機関区及び広島機関区のEF58が牽引しており、上りの瀬野→八本松間では補機を連結していたが、EF58の老朽化や、補機連結の解消、そしてスピードアップもあって新製配置されたEF65PFによって置き換えた。なおこの時期に京阪神〜九州間特急牽引用に配置されたEF65PFは宮原の他下関運転所にも配置され、EF58を置き換えていった。なお、宮原にはEF65PFのうち、1128号機及び1130〜1139号機が配置されたが、1139号機はEF65全グループのラストナンバー機でもある。

また関連運用で当時走っていた新大阪〜熊本・大分間の「阿蘇・くにさき」、新大阪〜長崎・佐世保間の「雲仙・西海」も同区のPFが担当し、EF65初の急行列車となったと思われる。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

41・40

あかつき1・4号

新大阪・大阪〜下関(長崎・佐世保)※1

45・44

あかつき3・2号

新大阪・大阪〜下関(長崎・佐世保)※2

201・202

阿蘇+くにさき

新大阪〜下関(熊本・大分)

203・204

雲仙+西海

新大阪〜下関(長崎・佐世保)

※1 あかつき1号は大阪発、同4号は新大阪着

※2 あかつき3号は新大阪発、同2号は大阪着

 

2.1980(昭和55)年10月

このダイヤ改正で、新大阪・大阪〜九州間の夜行列車は大幅に整理された。そして座席車ばかりの急行「阿蘇・くにさき」「雲仙・西海」が廃止となった。ほかにも下関担当の「彗星」が1往復廃止となったほか、581系または583系の寝台電車による夜行特急も削減されるなどだった。

これによって宮原のPFは早くも余剰となったが、これは老朽化したEF58の置き換えようにまわされた。東海道・山陽筋の特急で唯一EF58の牽引だった「出雲3・2号・紀伊」と、急行「銀河」が宮原機関区のPF担当となった。なお「出雲3・2号」「紀伊」は東京発着のブルートレインながらPF牽引となっても宮原担当のためにヘッドマークの取り付けは行われなかった。

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

41・40

あかつき1・4号

新大阪・大阪〜下関(長崎・佐世保)※1

45・44

あかつき3・2号

新大阪・大阪〜下関(長崎・佐世保)※2

2003・2004

出雲3・2号+紀伊

東京〜京都(出雲市・紀伊勝浦)※3

101・102

銀河

東京〜大阪(大阪止)

※1 あかつき1号は大阪発、同4号は新大阪着

※2 あかつき3号は新大阪発、同2号は大阪着

※3 「紀伊」は名古屋まで併結

 

またこの改正で、PF化によるスピードアップが行われ、伊丹〜長崎間の飛行機に対して「最終便が伊丹空港を出た後に出発、始発便の長崎空港到着までに長崎駅に到着」のダイヤが実現するなど、飛行機に対抗する姿勢が見受けられた。

3.1984(昭和59)年2月

1982(昭和57)年11月の改正では宮原担当のPFには大きな変化はなかったが、この1984(昭和59)年2月のダイヤ改正では大きな変化が見られた。同区のエースとして長らく君臣したEF58が、波動用の3両を残して引退となった。また米原機関区も機関車の配置がなくなり、同区のPFは米原区が受け持っていた客車運用も肩代わりすることになった。

特急運用では「あかつき1・4号」を下関に移管し(この改正で「あかつき」1往復の佐世保編成を西鹿児島行きとして「明星」との併結運転に改めたほか、従来の「明星」を「なは」と改めたりするなど大掛かりな列車改変が行われた)、あかつき3号も下関運転所の担当となったほか、今回改正で「明星」から改められた「なは」の下りを宮原区が担当となった。また捻出されたPFで急行「きたぐに」の大阪〜米原間、「ちくま」の大阪〜名古屋間の牽引も担当した。宮原担当ではないが東北本線でも上り「八甲田」と下り「津軽」の直流区間がPFとなるなど、いよいよゴハチに変わって急行もPF牽引列車が増えてきた。

また東京〜紀伊勝浦間の「紀伊」が廃止となって「出雲3・2号」は単独運転となって、その関係かどうかはわからないが「出雲1・4号」が宮原区の担当となった。

 

列車番号

列車名

牽引担当区間(カッコ内は当列車の終着)

44

あかつき2号

下関→新大阪(始発駅が長崎・佐世保)

21

なは

新大阪→下関(西鹿児島)

2001・2004

出雲1・4号

東京〜京都(浜田)

101・102

銀河

東京〜大阪(大阪止)

501・502

きたぐに

大阪〜米原(新潟)

4803・4804

ちくま3・4号

大阪〜名古屋(長野)

またこの改正で宇都宮運転所から1001号機が転属してきた。これによって同区にはPFのトップナンバートラストナンバーが同居する現象が見られたのである。

 

4.1985(昭和60)年3月

この改正で、宮原機関区は機関車無配置区となり、長い歴史に終止符を打つことになった。これによって同区のPF形12両は吹田機関区に移ることになった。これはこの改正でEF66がブルートレイン牽引に抜擢されることになったため、これまで下関運転所(幡生支所)のEF66の運用の一部が吹田機関区の担当に移管された措置である。そして宮原区の担当列車は新鶴見区(東京区常駐機)に運用を移管することとなり、吹田区に転属したPF形は同区のEF65一般型とともに1000t、95km/h以内の高速貨物列車Bを中心に担当することとなった(1000t以上のものや高速貨物列車AはEF66のうちブルートレインの運用にまわされなかったEF66が従来どおりまかなっていた)

特急牽引の歴史としては伝統ある宮原機関区だが、EF65による特急牽引で見ると比較的短命だった。

 

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